どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2020年4月

4/1

朝から雨。今日から幼稚園が再開。他の園や小学校もまだ春休みだけれど、うちは早くから休みに入った分、開始が早まった。

マンションのエレベーターがなかなか降りてこない。子どもの愚図る泣き声が響いている。もしやと思ったら着いたエレベーターには、おむつを丸ごと一パックやら大荷物を抱えた両親と我が子より小さい二人兄弟。顔見知りの住人。今日からはじめての保育園なのだという。雨なのに荷物大変ね、と労いながら、お兄ちゃんに「おめでとう」と笑いかけてみる。下に着くと隣りの薬局の行列がマンションの入り口を塞いでいる。いつもは住居がない逆サイドに行列しているのに、前から二番目の人が間違えたか。人混みを避けたいこんな時にこれはストレス。通勤の人でごった返す駅前を通過するのにも神経つかう。明日から時間を少しズラそうと考えた。園につくと保護者会。知った仲の人間しかいないにしても、いま集まるのは違う気がする。モヤモヤ。その後は年少時の先生と面談。子どもの関わる相手だと思うと神経質になったり、きちんとしなきゃならない気持ちで無駄に堅い人になってしまうけど、もう関係ない。子どもの話はさて置きに、プライベートな話で盛り上がる。高円寺も好きだったと話す先生。私と子の行きつけの未完成という雑貨屋さんで買った小さい聖書のキーホルダーです、と言ってプレゼントを渡すと、ノートに未完成とメモっていた。

 

4/2

とにかく人混みを避けたい。朝の駅前の混雑と登園時間が被る。幼稚園に電話、その事情を話して少し遅れて行きますと伝える。とくに先生のリアクションはない。帰りも出来る限り遅く迎えに行って人が減ってからにしたかった。気心知れたクラスのママ友が一緒になったから、今からスタートするって状況と見合ってなくない?保護者会までしちゃうし、とモヤモヤを話すと「気になるなら休んでもいいじゃない?それを自粛というんだから。」と言われてモヤモヤが増す。そんな個人単位の話で済むのか?これは。大体疑問をもたないのか。「全世帯に布マスクを二枚配布」ようやく決定された国の対策がこれ。私はこれを見てこれまでと同じ気持ちでなんていられなくなった。明日からどうしようか。

父親から電話が来て、市役所の消毒無料配布で、たまたま知り合いがやってて多めに貰ったから送るか?とのこと。聞くと次亜塩素酸水というもの。私は聞き慣れないものだったけど調べるとアルコールよりは劣るのかなという印象。うちは前から消毒にアルコールを使用していたけど、これから使う場面が増えるだろうからあるに越したことないと貰うことにした。田舎だと行政は随分と手厚いものらしい。その用心をもっと危機的状況の東京に分けてくれよと思う。

東京の感染者は90人を超えた。区内の感染状況を検索するのも日課になっている。区内保育園の保護者で感染が発生したとの情報。子が自ら明日行きたくないとか言い出さないかなぁ、と少し期待するように好きなだけ遊ばせること夜10時。ダラダラとようやく眠りにつくその時に、幼稚園から緊急メール。教育委員会の決定で区立学校の休校延長となったこと、従って幼稚園もゴールデンウィーク明けまで休園、明日は登園日となっているけど各家庭の判断に任せ自由登園とする、とのこと。どっと力が抜けた。逆にそんな先のことまでは考えていなかったから、そこまで見越さなきゃならない事態なんだということにショックではある。子には心置きなく「明日からまた幼稚園休みだって」と伝えて、ひとまずすっきりとした気持ちで寝る。

 

4/3

園に行かない連絡をすると長期休みだから持ち帰る荷物があると聞き、後で取りに行くと伝える。降園時間ギリギリに行って園門の外から中に目をやると、なにやらまだ先生が話をしているらしくお迎えの母達がひしめき合っている。自由登園なのに普通に登園した人がほとんどのよう。ここ数日の自分と周りには温度差があって、その感じが何かに似ていると思っていたけど、それは原発事故後の空気。東京は危ないと出ていく人、食品生産地を気にする人が「あの人、気にしすぎ」と囁かれてしまう感じ。放射能が怖いから感染が怖いから、敏感になることは悪いことではないはずないんだけど、それはそのまま自分の行動と違う人を否定していることにもなってしまうような、なんだか分が悪い。子が皆んなに遭遇しないよう、少し園を離れて皆が去ったあと園内に入ると、上履きや赤白帽子など持ち帰る物を先生が持ってきてくれた。下駄箱には今日来なかったらしい何人かの上履きが置きっぱなしになっていた。

物件探しもぼちぼちしている。取り壊しの建物内で移動するくらいなら正式に引っ越したほうがいい。いまお世話になっている古く小さな不動産屋のおじさんに散歩中たまたますれ違うと、近くのマンションが空いているからもしよければ見てみて、と言われたので子どもとそのまま見に行く。焦るほどの部屋でも無し。不動産屋のおじさんは、うちは悪くないんだから越す必要なんて無いと言い続けている。出先の夫に買い物を頼み家に帰る。しばらく人に会うこともない。何人かのママ友と「どこか公園なんかで会った時にはよろしく」と挨拶LINEをして、互いの隔離生活の健闘を祈る。金曜ロードショーは「思い出のマーニー」またもや子どもは夜更かし。私はいつの間にか寝ていた。

 

4/4

外に出ている夫から、店がほとんど空いてないな、と街の感想。休むことにはもちろん大賛成だけど続けるところには事情があるのも分かる。ニュースで新橋なんかの飲食店の店主が今にも泣き出しそうに、どうしろというんだと切々と話しているのを観ると本当に暗い気持ちになる。感染を断ち切る策を取れなかった仕切り側の国に落ち度だってあるのだと思うし、それぞれがきっちり補償をしてもらって、どうか自分を感染から守ることに専念してほしい。

子が自転車で散歩に出たいというので中野まで。自転車も乗る前にハンドルを消毒する癖がついた。ごちゃごちゃした駐輪場で誰が触っているか分からない。子が寝たので出先の夫と落ち合うことにした。自転車に乗ったまま来るのを待っていると、ひと通りの多さが気になる。スーパーや大手チェーン店など、開いてる店もいくらでもあって、家族で過ごす時間も増えた分むしろ揃って外にお出掛け、ちょっと大きめの生活用品、布団や家電を買い物してきたような人が多くみられて、でもコロナは目に見えなくて、まるで普通の祝日を楽しむ街の姿だ。ただ違うのは皆んながマスクをしているということ。スーパーの盛況ぶりも師走みたいだし、うちの周辺なんかは薬局もスーパーも閉まる実際の正月の方がずっと人がいない。正月にはあれだけ街を静まり返すことができるのに、どうしてこんな時にそれが出来ないんだろう。

 

4/5

毎日カレンダーを見つめながら一週間くらい前の行動を振り返って、今日は大丈夫と心を落ち着ける。

「杉並の感染者数も多いみたいね、テレビでやっていた、気をつけてください」と母からメール。こんなに気にしてるのにまだ「気をつけろ」を押し付けられて嫌な気持ちになる。「国がもっと真剣に取り組んでくれていればこんなことにはならなかったかもしれないのにね」というような本音を返信すると、「国が変わってもコロナはなくならないんだし、とにかく乗り越えるしかない、人のせいにはできない」と返される。この考えの元に生かされてきた自分を思って哀しくなる。

 

4/6

良い天気。午前中キックボードで散歩に出る。クラスLINEとはまた別に、長い春休みを乗り切るためのネタや情報交換、愚痴なんかに使おうというグループができた。さっそくどう時間を潰しているかなどの報告が飛び交っている。急な3月の休園決定の時から、皆んな「子どもが長期休みになっちゃって困る」と嘆いばかりいて違和感。つい一年ちょっと前まで毎日、四六時中一緒にいたはずで、だからこうして短時間保育の幼稚園に行っているわけで、なのにそんな厄介者かのようなこと言ってまで自分は何をしたいというのだろう。コロナはどこか別世界の他人事なのかな。区内は一日10人近くの感染者が出ている。区のサイトでは週ごとの累計でしか出されていないから毎日チェックして日毎の人数を気にしている。とにかく怖い。

明日、緊急事態宣言が出されると速報。そんなの、いま出されたのとほぼ同じことじゃないかと思う。普段通りに買い物に行く。レジに並びながら、明日からスーパーの規制も徹底されて兄が言っていたようなスタイルになるとしたら、その方が買い物しやすいなと考える。「毎日買い物に行かないように買い置きを」と国が社会が小池百合子が言っている。少し前まで、紙類を買い占めするな、と呼びかけていたと思ったら。自分だって買い置きしたいけど、一度に持てる量は限られるし家には備蓄するスペースもない。どんなに考えながら買い物しても2、3日に一度は買い足しが必要になる。夫も別で買い物をしていてもだ。今日はティッシュ、納豆がどこにも無くて買えなかった。

 

4/7

お友達が親子で手作りしたバスボムを郵便受けに届けてくれていた。何か手作りするのが一番時間を埋められる。作って手紙書いてお届けにいくなんてそれだけで一大イベント。こうでもしないと間がもたない、とそのママからはLINE。うちも夫が自分がやるのに準備している手作り石けんの材料で宝石石けんでも作ろうか。

私は午前中に歯科へ。ネットニュースで新型コロナと口腔ケアの関係性というのをみた。手洗い、うがい、マスク着用に続く第四予防法として「口腔衛生」が注目されているという。簡単にいうと口の中を清潔にすることで感染予防効果の期待ができるという話。私はやっぱりと思った。歯科矯正をはじめて去年の冬、人生ではじめてインフルエンザに罹った。昔は全く気をつけていなくても罹ったことはなくて、子どもがインフルエンザになった時も移らなかった。今は子どもと一緒になってうがい手洗いを欠かさないような生活をしていたのにも関わらず罹ったことが自分なりに違和感で、もしかしたら矯正のせいで口内の免疫が落ちているからではと考えていた。その自覚があるからこそ今の感染が怖くて仕方がない。コロナ陽性の軽症者や無症状者のホテル移送のニュースをみた。バスから降りてホテルへ入っていくところなのだけど、服装や荷物、その足取りが、野球選手のキャンプ入りのような雰囲気で余裕そうにみえる。亡くなる人もいるというのに何なんだこの違いは。自分もこうはいかないだろう。よく、「実は去年の秋頃からコロナはあって」「すでに自分も罹っていたのかも」といった話を目にするけど、知らないうちに罹って治ってるって?そんな都合いい話ある?現実を直視したくないんだろうなと思ったり。とにかく怖い。

午後になってようやく子も外に出る。夕方帰って晩ご飯の支度をしていると、夫は用事のついでに大久保まで行っていたようで、韓国系スーパーで見つけた物の写真を次々送ってくる。何を呑気に、と思ったけれど聞くと普通のスーパーより混んでいなかったからとのことでまぁ納得。普段夕方から夜はテレビのチャンネルをあちこちさせて、どうにか子ども向け番組ばかりを立て続けに観ているけれど今日は「これだけちょっと」と言って緊急事態宣言の首相会見をつける。はじまりの物々しさを感じて子が「こわい、なんかぞわぞわする」と言ってきた。同感。子にはiPadで別のものを観せてしばらく会見をみるものの、だらだら話しているだけで速報で知った以外のなにがあるでもなかったから終了。安倍首相が付けてたガーゼマスクを外し折りたたんで所在なげにモミモミしていて、変なところで人間味を感じた。それはやっちゃダメと散々言われるやつなのに。夫が帰り、宣言どうだったと聞くのでよく分からないと言って買ってきてくれた物を広げる。韓国スーパーの買い物の他に、「ご自由にどうぞ」スペースで貰ってきたという子ども用メラミン食器など、催事スペースで安く買ったらしい去年のプリキュアのシャンプーや歯ブラシがあった。よくこんな最中に余計なものを手に取れるなと思う。私は今必要とするもの以外に目がいく余裕がない。

 

4/8

緊急事態宣言を受けて、とニュースでは街の様子が流れている。駅の利用者は7割減だと言われるなか、それでも人が一方向に向かって歩く品川駅の通勤風景に泣きそうになってしまう。それぞれが一定のスピードで迷いなく歩いている。そこにいる皆が無意味なことではない考え抜かれた末の必要不可欠な行動であってほしい。

今もたまに愚痴やらがメールきたりする以前働いていたAV制作会社の同僚にメール。同じ業務についていた人は今はもう彼女しかいない。ネットで感染情報を漁っていたら、この職場に一番近いコンビニでコロナ感染者が出たと見て連絡をしてみた。「やっぱり?」との反応。怖いなんて言葉は出てこない。在宅ワークしているかと思いきや、出社してるうえに激務らしかった。怖がってる場合じゃないのが伺える。業界のわりに良識的な社長だったから、世の中の風潮に合わせるところがあると思ったのだけど、人が巣篭もりする今こそチャンス、の方向で張り切っているかもしれない。不要不急の振り分けをもっと具体的にして然るべき補償をしなきゃ、歯車になっているあちこちの人が気にするのは感染どころじゃない。見渡すと結局エッセンシャルワーカーと言われる職業以外でもオンラインでなく稼働しているみたいで、対策の取締り具合が中途半端な感じ。

子がお子さまセットによくある旗が恋しいようだ。折り紙と爪楊枝で作る。昨日夫が拾ったメラミンのランチプレートがあるし、せっかくだから夕飯にそれらしいセットを子どもと作る。普段は滅多にやらないチャーハンの型取りをして自作の旗を立てる、小さな喜び平和な日。

 

4/9

実家から救援物資が届いた。子の退屈しのぎのスケッチブックに折り紙、おもちゃにドリル、そして菓子や缶詰。生鮮食品はやはり日々買わなくてはならない。

年少の時、先生がホワイトデーに作ってくれたとかいうイチゴ飴をテレビで観て思い出したりして作ろうかと盛り上がり、いつもイチゴが安い青果店に買いに行く。これはほぼ人と接触しないで済むものだったからいいけど、あれが欲しいね食べたいねと思いつきで、じゃあ買いに行こう!と子どもと目的ができて行動するのが楽しかったのに、それがやり難くなってしまったのが結構つらい。

自転車で子が寝たので高円寺へ。南側の大通りから商店街まで、ざっと見渡すとこれこそ正月のように静か。シャッターが降りて人もまばら。そんな中ヴレッジバンガードが煌々としてる。不要不急の最たるものなように思うのだけど。いつでも開いてる雑多な店なのが魅力ではあるけど今は閉めててほしい。天気も曇り空で街が一層寂しさを増す。少し陽が差す場所に自転車を停めてぼんやりしていたら、子が目を覚まして道端の花を摘みたがる。最近花を摘んで持ち帰ると小さな花瓶に差して食事の時に自分で飾ってセッティングする。絵本の「ジャムつきパンとフランシス」でフランシスがお弁当を食べる前に机にそうして用意するのをみてから真似ているようだった。子どもは自分の目の前を丁寧に、自分の好きな世界に作り上げていく。今をいい加減にしていない。そんな貴重な時間を、現実的な自分の都合で奪ってしまうのはよくないなと思うのだけど、余裕がなくてぶち壊していることはある。その点、夫の方が子の世界を尊重する気持ちの余裕があるなと思う。そのための自分の労は惜しまない。時が止まっているように誰の動きも感じられなくて、何かに惑わされたり振り回されることもないこの状況で、少しは私も余裕ができている気がする。感染のことはとにかく怖いけど。

もうすぐ夕方。近くのココイチを覗くとまるでひと気がないからササっと晩ごはんにエール弁当を買うことにした。子どものためのカレーセット。緊急事態宣言でより行動制限をすることになった一方で、各サービスが延長をしたり新たなサービスが始まったりもして、とくに飲食店はあれこれやっていて、人を守りたいんだか集めたいんだか、社会がどうなっているんだか。ともかくお得な弁当があるのに人がそこに居ないのはありがたい。子が広々とした席にひとり座って待ちながら、今度ここで食べたいなぁとポツリと、家の狭く窮屈なテーブルで食べる食事と外食での違いを実感している。カレーを持ち帰るとさっそく食事にしたいと言い出して、お弁当用のランチクロスを敷いてお決まりの花瓶を飾っておもちゃのランプを置いてカレーを食べた。

 

4/10

ハム太郎に夢中になっている子に夫がひまわりの種を買ってきていた。公園に撒いてみようかと誘うと外に出る気になった。あまり自分から外遊びをしたがらないようになった気がする。でも一歩外に出さえすれば、駆け回ったり、もっと遠くまで行きたがったりする。マンションの掲示板に「自宅にいる時間が長くなるので騒音に気をつけましょう、外出は控えるようにと言われてますがトラブルを避けるためにも適度な散歩をしましょう」と貼り紙されていて唖然とした。もちろん音は人並みに気をつけるようにしているし注意喚起するのはいいと思う、でもだからって、外に出ることを勧めてくるのはおかしくないか?こんな時なのに。同じマンションの小さい子がいる他の家族は皆、「うちのことだと思う、だってうるさいもん…」と申し訳なさそうに外へ連れ出していく。自分で出たければ別だけど、家賃を取っている人に家に居るな出ろと言われる筋合いはないと私は思う。私が感染したら家から出ろと言ってきたマンションのせいにしてやる、と心が燃える。キックボードに乗って広い公園に向かう。通勤通学時間でなければ人通りはそれほど変わらない日常。おまけに天気が良いと自粛の気持ちも忘れそうになる。種は適当な場所にササっと撒いて、隣接している小学校の校庭に入る。となると鉄棒系のものを触るはずだから手を消毒。ギュッと握るような形状の物を子どもは容赦なくその通りにガッツリ触れるから油断できない。私はその手を握ることにもなるし、もう警戒し過ぎて、外ではスマホも触らないようにも気を張っていた。校庭は自由に運動をする人が少し。ジャングルジムの枠になんとか食らいつく格好になっている子をみていてマスクの向こうの顎のケガを思い出す。そのまま経過をみるだけだしと総合病院の診察はキャンセルしたけど、他へ行けばもしかしたら手の施しようもあるかもしれない。どうも病院は避けたいけど皮膚科なら大丈夫そうな気がする。覗いて人が多ければやめようと思いながらそのあしで近所の皮膚科に行くと誰もいない。看護師さんが暇を持て余してるように受付と診察室を行き来して、いつもよりずっとフレンドリーな対応をされる。すぐに診察だったから必要なかったけど、ここでも待合室の本類や子ども向けの小物は引っ込められていた。顎にはテープを貼っておくことになった。きれいになるには一年はかかると言われた。私の中途半端にワイヤーを外した矯正といい、できれば隠したいものをこのマスク生活で隠せて都合いい。マスクつけたまま話すことにもすっかり慣れた。

 

4/11

自粛している街ではジョギングする人をよく見る。籠り生活の運動不足解消におすすめといわれていた。しかしいくら人通りが減ったとはいえ、道幅の狭い街中で走るのはどうかと思う。人の近くを自転車で走行する時はベルを鳴らすよりも自然を装いながら子と大声で会話して、自転車が近づきますよのアピールをするようにしている。車も減って道路をスケボーで移動する人も現れた。それは途端に世紀末のような絵面になる。

ソーシャルディスタンスなどといわれて、海外で人との距離を2メートルあけていた。そんな悠長なこと日本でありえるのかと怪しんでいたら案の定、この辺りのスーパーなんかに設定された列待ちの立ち位置指定は1メートルあるかないか。スペースがないんだから仕方ない。ならば兄が言っていたような店内の利用客数の制限をするかといったらそれもない。さらに混雑やらそれに対してのルールやらで殺伐とした消費の現場で、少しでも空気をほぐしたくもなるのか、子どもを連れていると以前に増してレジで声をかけてくる人が目につくようになった。でも正直今は無駄な会話はやめてほしいし、明るくハキハキした接客はいらない。話しかけられるたび憂鬱になる。中国ではスーパーで15秒同じ場所にいただけで感染しただとかの例があったり、もう子連れで買い物はやめなければと思った。子と連れ立って買い物するのが私には楽しみのひとつだったし、今はそれが残された唯一の行事だったけど、こんなに気を張らなきゃならない街中に子どものリズムは相応しくない。

夜、兄から久しぶりにメール。家族に一斉で。

「日本もようやく危機感が少し出てきたようですが、ヨーロッパの状況を考えるとまだまだ足りない気がします。過信はせず、外出は控えた方がいいと思います。外出する時は必ずマスクしてください。こちらは食べ物を買う以外は外に出ていません。」兄だけに東京の状況や外出の仕方について返信すると、「イタリアは今家から200m以内であれば子供1人まで連れて歩いてもいいということになったらしいんだけど、ミラノにいる同僚はあえてやってないらしい。それこそが気の緩みだと言ってた。イギリスもこうなる前は天気がいいから公園に人が集まってたりしていたけど、それで結局広まってるよね。まあ日本がどうなるかはこれからだけど、海外での日本に対するニュースは、甘く見過ぎ、緊急事態宣言は見せかけ、と言われてます。」身震い。子連れで歩く私もソーシャルディスタンス取れない街も国自体も、やっぱり甘いんだ。

 

4/12

もう怖くて何もしたくない。家から出ないだけで健康な気がする。コロナ以前は一日中家にいることはなんか罪悪感があって、無理やりにでも外に出るようなところがあった。そんな無意味な焦燥感を感じる必要がなくなった世界は清々しくもある、コロナは怖い。

ツイッターではタイムラインをみるよりも感染のことばかり検索してしまう。自分も恐怖から逃れられないツイートしかできない。でもそうしていると声を掛けてくれる人がいた。本当に嬉しい。こんな自分でも大事にしていかなきゃと思えたりする。本当に有り難い。

誰かと話していたいと思う。ひとときの会話から共有できる感情を探ったり、それは違うと言葉を重ねたりしていたい。生身でぶつかる家族ではない、今ここには居ない他の誰かに、離れているからこそすがってみたくなることもある。ここ数年は子のぬくもりでごまかせていたように思うけど、遠くの誰かの存在を感じたとき、私はそれを温めて温めて想って、自分の明日の糧にしている。

 

4/13

4月から高円寺の古着屋なんかは休業していて、次々とオンラインストアを立ち上げていた。私が普段から気にしている店のサイトを覗いてみるとすごい勢いでSOLDOUT。実店舗販売よりも回転が早そうに思う。普段高円寺まで足を運べない人も買えてしまうのだからそれはそうだろうけど、実際ふらりと立ち寄れる距離にいる私も、現場より購買意欲が掻き立てられる。量産される新品の店とは違って、選ばれし者のためみたいな良質な古着屋だと、店員さんや他のお客さんの手前、その一着を手にするのが私でいいのかという気にさせられてしまうことがある。自分の本体を人前に晒して誰かにジャッジされるかもしれない緊張感、実際普段からそこまで意識していたわけではないけど、店で服を体に当てがう時の居心地の悪さに目の前が霞んでみえることを思い出すと、こうして商品と自分、一対一だと物がすごくクリアに見えるんだなと。とはいえ私はすぐそこにある店から通販するまでの気にはなれない。今までインスタグラムでビジュアルだけだったものがオンラインストアとなって価格がついたのを見れるだけで満足。そもそも今むやみに通販なんてしたくない。自分だけのために誰かを動かすことになるってとこまで考えると気が乗らない。だったら自分が動いてそこにある物を買いに行く方がいい。園ママの皆がネットショップであれこれ買っては、工作しました手作りしましたとやっているのを見るとげんなりしてしまう。箱に入ってお届けされる物だって人が用意した物だし、運んでくるのだって生身の人間。わざわざそんなことしてまで工作するなよ…と思うけど、どうせやるなら自分も達成感をもてるくらいまでのことをしないとやってられない!という気持ちも、分かる。ただやっぱりネットで資材を集めてまでやるのは愚かな気がする。うちは夫こそ仕事の都合で配送が多い。荷物を受け取るたびに「手洗った?!」と過敏に声をかける。自分が対応する時はそれ以上に、マスクを付けて対応するべきか…受け取りに差し出されるペンは拒否したいけどどうしたら…と考えることになるから、せめて自分ひとり分だけでもこの行為を減らしたいなと思いつつ、今は全世帯が再配達をさせないで滞りなくやれているだろうなということだけに希望をもって、少しは私も取り入れることを許したい。

今のところ天気のよくない日は知育菓子をやるのをひとつのイベントにしている。家に籠もっていると服もまともに着替えないことがあるけど、やっぱり着替えるだけで気持ちが切り替わるものだから、自分もだけど子にはしっかり着替えさせたい。最近洗濯物に茶色く小さい点々としたシミがついていて、なんだろうと思っているうちに点が列になったシミまで見つけて、さすがに検索してみるとなんと蜂の糞らしかった。対策には木酢液が良いらしい。薬局には無く、夫に話すとまたネット購入になった。しばらく放置していたメルカリが売れ出したりもしたけど、自分が発送手配する分にはなんともない。メルカリなら個々の取引だからまだ関わる人が少ないのも気が楽。この時期に着れる子の服が手薄で、でもどうせ外にも出ないし人に会わないし、どうしようかと思っていたけど着替えなくてはいけないしで、メルカリならという気になれたので買うことにした。それでもこんな状況で呑気なことをしてる感じに黙っていられなくて「こんな時にすみません」と取引メッセージをすると「早く落ち着くといいですね(ニッコリほんわかした顔文字付き)」と返してくれて、また遠くにいる人に救われた。

 

4/14

歯科の予約があるけど前回の麻酔の名残がまだ痛い。毎週麻酔はキツい。いよいよ先生が不安になる。なので診察は見送り。今日はファミリーマートでポムポムプリンの容器のドリンクが発売とのこと。子に見せてあげたい。以前なら、ぶらりとコンビニに寄って子どもに気づかせたり教えたりして、反応を見て仕方ないな〜とか言いながら、楽しい気持ちで買ったりもできた。今は店という店に積極的には連れていけない。子と街を歩くと一人だと素通りするような店や物でも子どもが行きたい食べたいと言うことで、私も立ち止まってみて新たな発見できるのが楽しいのに。引きこもっていた私もこれを買いに行くだけならどうにかやれると家を出てみる。キャップにマスクももう慣れた。目から感染との話を聞くとこれにサングラスもしたいとこだけど、日差しもないのにそこまでするのは気が引ける。マンション内は狭い通路を挟んで部屋が並んでいて、普段はその廊下からエレベーターホールまで、音の反響がすごくて他階まで響き渡る。エレベーターも目まぐるしく上下しているはずなのに、音もエレベーターの動きもなく、低層階にあるスポーツジムが閉まっているのもあってか、建物自体がひっそりと静まりかえっている。それでも私は階段で降りる。タバコや香水やマクドナルドの残り香がするエレベーターがなんか不安。臭いがあるのにウィルスは消えるのか?無駄にボタンに触れたりもしたくない。荷物が多くて階段じゃキツいときは、乗り合わせる人がいないことを条件に使うことにしてる。そして郵便受けに入ってたチラシやカバンに突っ込んでいたレシートや自転車の鍵の先っぽでボタンを押す。できるだけ息を潜めてゆっくり動く階数表示をじっと睨み付ける。

ファミリーマートには店員さんが二人いるだけ、他に客は無し。各々ゆったりと作業したり、駅前のコンビニとは思えない。コンビニはスーパー以上にあらゆる人が利用する場所だからますます怖く思う。ポムポムプリンをサッと買って帰ればいいと決めて来たのに、なんとなく他の棚前もウロウロしてしまう。迷いながら決めたかのようにポムポムプリンをひとつ手にして帰る。早速アルコールで拭いて子に渡すと怖いもの無し。柄のついたプラカップ類は洗ってお風呂で遊ぶのに使う。今はサンリオピューロランドカップを使っているけど、次はいつ行けるか分からないと思うと大事に使いたい。仲良しのママ友に買い物はどうしているかとLINE。「子連れで買い物行くのはやめた」同じくです。「で、週一で私だけが一箇所だけサクッと行く&カクヤスで宅配サービスをしてもらい始めたとこ」週一にできているんだ…「お使い中は絶対顔を触らない、スーパーから帰ってきたらまずはドアノブの消毒、手洗いうがい。直接手で触ったものでそのまま残して部屋に置いとくものはアルコール消毒」やはり消毒。買ってきた物ひとつひとつ消毒する海外の動画を私も見た。本気で予防するには言われてみればその通りで、想像しただけで面倒すぎるけどもうやるしかなかった。本題は街に人が溢れ過ぎという話。テレビでは渋谷の交差点を映して自粛してると言ってるけど、その分地元に人が溜まる。これは後にテレビなんかでも地元商店の密を問題視してとりあげられていた。

 

 

4/15

朝の教育番組では3月から子どもの出演がない。長期休み週間は毎回そんな仕様になるから切り替わった時は違和感はなかった。最近救急車のサイレンが増えた気がする。意識しすぎなだけだろうか。それにしてもこれまで朝から晩までこんなにもサイレンが響いていると感じたことはない。区内には四カ所発熱外来を設置したとのニュースをみた。馴染みのある病院の名前を目にしていざという時のための安心にはなったけど、その知ってる病院の野外にテントが建てられている映像も見てショックを受ける。そんな戦場のような光景になってしまったなんて。近隣の人の不安は救急車のサイレンどころじゃないだろうなと思う。

私もどうせなら自分の暇つぶしを何か形にしたくなって、ついに子のリクエストに応えてぬいぐるみの布団やリュックを作る。やったらやったで、自分が時間を有意義に使えた気になれて気分がよい。

 

4/16

園からお便りが届く。4月の保育で歌うはずだった歌の用紙や子ども宛にぬりえになってるハガキ。子は園を恋しく思うまではないけど、書いてある先生のコメントに答えて会話をしていた。

午後、近所の小さな公園をはしごして軽く遊ぶ。寒い。夫が最近、安いのに満足いくから良いと言って鶏ささみフライにハマり揚げてくれるのだが、調理場を占拠されるので他のオカズはほぼ無いような状態で、山になったそのささみフライをみると、高円寺のタブチを思い出す。夫は好きでよく通っていた。揚げてる時に頭の中でイメージしてるのはそれなんだと思うくらい同じ。

 

4/17

最近見つけたタンポポの綿毛スポットへ行く。たまたま遊んでいた公園にひっそりと残されていた綿毛を採って喜んでいた時、もっと探しに行こうかと公園を一歩出た目の前の駐車場に、モコモコと粋のよい綿毛が大量にあった。両手に持てるだけ採って、飛ばさないようにそうっと歩くも次々と飛ばされていく。なぜかしぶとい一本があり、もうすぐ家というところまで生き残っている。前方に目をやると隣りの薬局の表に店員さんが立っているのがみえて、もしやと思い足早に近寄ると思った通り、店員さんがコンテナを抱えて袋マスクを売り出していた。受け取りながらいくらか確認すると398円。品質は確かであろう袋マスクでそれなら納得。どこからともなく続々と人はやってくるけど誰一人として値段を気にせず受け取っていく。この頃のマスク需要は異常だった。アベノマスクをきっかけにマスク製造の正規の業界が頑張ってくれて今があるのだろうか。いまいち頼りない輸入マスクや布マスクの波に流されることなくどうにかやれてる。私が好んでいたマスクの買い置きが切れる頃、はじめてメーカーを意識して検索してみたけど生産終了のようになっていた。こんな時になぜなのだろう。綿毛を庇いながら久しぶりに子連れで店に入る。人目を若干気にしながら、突然のマスクなんだから仕方ないだろうという言い訳を胸にササッと購入。マイペースに生活しながらマスクを手に入れられて、ラッキーだったね!と子ども相手に何度も興奮しながら帰った。

 

4/19

天気が良いけど外にも出たくない日中。在宅ワーク、自粛生活の世の中とはいえ曜日は関係あるようで、やはり週末になると公園に人が溢れる。買い物も平日のうちにして週末はできるだけスーパーにも寄り付かないようにしている。

テレビで見た室内いちご狩りごっこをやりたいと子どもが言っていて、自分だけだと諦めさせてしまうところだけど、夫が口出ししてやれる環境を準備してきたので仕方なくやることに。洗濯干しハンガーのピンチにいちごのヘタを挟んでおいて引っ張るとプチっと摘める。子どもはそれだけで満足そうで、そのまま器に盛って出すより量を食べずに済んだ。毎日時間を埋めるように、ごはんにおやつに食べ続けて、子どもの丸いお腹がさらにぱつぱつになってきている。それなのに何か理由をつけないと外に出ないので、紙粘土を買いに行こうと声をかけ散歩をする。近所の100円ショップに行くと、アウトドアを楽しんでる最中にやってきたというような身なりの男性が店員さんに何か在庫確認をしていて「外で遊ぶようなものはもう全部売り切れなんですよ〜、すみません」と言われていた。なんで皆んな何かと楽しんでないといられないんだろうと思う。こんな時でも何ならやれるか、とか私は考えてない。我慢を我慢とも気づいてないから、楽しむ努力なんて尚更しない。ひたすら怯えてジッとしている。元々毎日妥協で生きてるけど、そうしてやり過ごしてどこへ向かってるんだろうか、なんて、そんなことに気づかなくてすむように、今はひたすら子どもの達成感に付き合ってるようなところがあるのかなぁ、とか思ったりするけど、それ以前に自分の感情を整理してる隙もない。子が寝静まって、深く息をついたら次の瞬間にはもう自分も寝てるような毎日。奇跡的に目を開けていられたとしても、暗がりのなか出来ることは限られている。(他に居場所がないので。)この日は布団の上でマヌケ地下文化の乱を観る。普段いろんな人のやり方や考えに触れていたとしても、個人の問題でなく時代に大きな不安があるとき、あの震災後もそうだったけど、なんとなくここ、素人の乱に帰ってきてしまう。ここに求めるというか頼りたくなるというか希望をみるというか、悲壮感なくて安心するだけなのか。彼らの話に頷いたり冷静になって、少しスッキリした夜。

 

4/21

麻酔の腫れは治まったけど、「歯科医院は感染リスクが高い」との情報を目にしてその意味でもう完全に震えあがっていた。緊急性の高い治療以外は控えた方がよいとのこと。それをきちんと通達している歯科かどうかも良心的なところか見極める判断にもなるという話も。通っているところのサイトをみると、しっかりとお知らせされていた。自分が緊急性が高い立場なのか分からないけど、とりあえず痛みはないからしばらく様子をみたい。その旨電話すると、縮小診療で担当の先生の診察が当分なくなるから見せに来てほしいと言われた瞬間カッとなる。怖いから拒否してるのだし、実際危険な恐れも考慮して縮小診療だろうに、勤務医で来なくなるからという都合で見せに来いとは何事だ。そう言われても怖いから警戒したい、そもそもその先生に診てもらいたいわけじゃなくて、その場所にあるからいつでも診てもらえるつもりで通っているんだから、ということを丁寧に伝える。分かりました、でも何かあれば院長が対応しますから、とのことで当然だろうとフンっと電話を切る。

クラスLINEで無料ダウンロードができる工作やぬり絵のリンクもたくさん貼られてくる。皆さん色んなこども向けサイトをチェックしていらっしゃる。最近はテイクアウト情報も飛び交っている。人に会わずに買えるとかドヤって言ってる人、店の人は人間じゃないとでもいうのか?それを見て私はまた警戒する。テイクアウトだから安全なんて確証はないはずなのに。SNSをみても「本当にコロナは危険、外に出るな」と「オープンしてます、是非お越し下さい」が同居していて混乱する。確かに、毎日三食しっかり食べる自炊だと食材の減りが早くて早くて、なによりお米の減りが早くて、買い物しに行きたくないのに食べ物は無くなって悪循環だなと思ってはいた。そしてこれまで意外と外食したり気まぐれに出来合いのものを買ったりしてバランスとれていたんだなと。ネットニュースでお得なテイクアウト情報なんかをみるとワクワクしてしまう気持ちも正直ある。夫が出るついでにそのお得なファミレスのランチ弁当を買ってこようかと提案してくれた。食材が減ることもさることながら調理するのも苦痛だった。というのも、いつ調理できるかが分からなかった。夫は基本自分のタイミングで食べるからその時に食べ物がなければ自分で作る。それなら大変なわけないだろうと思われるかもしれないけど、その夫が仕事をしているのが台所で、常に占拠してるからこちらは自由に動けない。自分はマイペースでいいだろうけど、子どもの食事を用意しなきゃならない私はすでに自分のペースでもないのに、さらに隙を狙うために人の顔色をみて動かなきゃいけないなんて、本当に気疲れする。いまに始まったことじゃないけど、このご時世で外に出れなくなって夫も家仕事の比率が増えている。買ってきてもらおうじゃないか。頃合いをみて私がネットで注文しておく。出来上がり時間を出先の夫に伝え、会計はその場でとなる。帰った夫にどんな状況だったか事細かに聞き取りして安全を確認。物はともかく店内環境が気になる。有名企業は思い切って休業するか、割と大雑把な感染対策で通常営業かどちらかな気がする。そして自分が使うような安チェーン店は大概後者。クラスLINEで園ママ達が出し合ってるような個人店で感染対策もきちんと意識しているような質の良いテイクアウトとは違う。つまり我が家水準の買い物やテイクアウトは危険度が高い。だから私は無性に怯えている。コロナ発生分布マップのようなものをたまに見る。位置は正確でないとはいえ、区内でもこの辺りは点々と分かりやすくあるだけで、さらに高円寺あたりはなぜかポッカリ空いている。周辺だと方南町の方や京王線沿線の方が多い。勝手な憶測で、高円寺からは満員電車とか人に揉まれながら都心に出て行くような人が少ないのかなと思ったり。

夕方また夫は外出。子がカルピスを飲むのに、これまたネットで夫が購入した日常的に使うのは面倒なハム太郎のベル型のグラスを使いたいというので開ける。こういう買い物の仕方をするところには本当に嫌気がさす。昔からそうだと思う。私にいわせると取捨選択のセンスが無い。よく状況に不釣り合いのコレクトをする。人と暮らすことのマイナスがここにある。グラスには、いかにも実家の引き出しラインナップのようなフルーツフォークが付いてきていて「これも出てきたので宜しければお使いください」といったメモが添えられていた。どこの家も自宅時間が長くなって断捨離をしている。

子はグラスでカルピス飲んでる写真を撮って夫に送れという。それを見て夫はまた喜んでしまうから本当に厄介だ。

 

4/22

ハム太郎の物がどんどん増える。ハム太郎の型を使っておにぎり。いなり揚げで耳の部分、桜でんぶで鼻、その他は海苔で。

商店街に並ぶ高額な箱マスク。クラスLINEでもその話題が沸く。転売転売騒いで、買い占めしたものを売っているという発想をしていて、公式の生き方しかしてきてない人には見えない世界もあるんだなと感じた。足元見た価格なことに変わりはないけど、私はあれは転売というより置いてる店の雰囲気からして元々もってる仕入れルートからだと思う。その後は大きな流通もあっただろうけど。園の人といまいち噛み合わないのはこういうとこだよなとあらためて。

 

4/23

朝っぱらに母親から電話。緊急事態宣言発令が全国になり、田舎でもスーパーは朝一番でないと物がないと噂になっているらしく、朝いちの8時半からスーパーに行くから必要なものはあるかとのこと。ホットケーキミックスがほしい、なければ小麦粉でもいいんだけどバターも買えないから、それなら合わせてバターも欲しい、と伝える。父が車を運転中にその隣で電話をしてきていて途中スーパーの駐車場に入ったらしく、あ、もう並んでる並んでる、と興奮気味に電話口で実況している。混雑に気をつけて、と言って電話を切った後も、他にスーパーに売っている欲しいものを、ぼやけた頭をフル回転させ考える。ロックダウンかどうかと囁かれていた頃からカップ麺の類いやホットケーキミックスなんかは素早く買われていったけど、その後はネットでもテレビでも、お籠りレシピだとか子どもとクッキングだとか言って、ホットケーキミックスやバターを乱用したメニューが紹介されることが増えて、高い物は棚に残るなんて状況を越えて、棚にはまるで違う物が並べられて、もはやそのコーナーが無かったことにされてまうくらい、この手のものが売り場から消えた。それ以外は大抵揃っているはずだろうけど、何しろスーパーに行きたくない。素人の梱包でも送れるような日持ちする物を他にいくつかイメージしてメールする。どうしてスーパーの混雑をどうにかしようと関係者は思わないのだろう。買い物を名前順にするかといったマヌケな案があるらしいニュースを耳にした。あ〜おの人は朝10時台です、みたいな?くだらなすぎ。

スマホに速報が入る。岡江久美子がコロナで亡くなったとのこと。知ってる名前に愕然とする。病気で療養していた人が亡くなるといった流れでない突然の訃報には誰だろうとショックが大きい。とくに岡江久美子なんて、明るくて元気な友達のお母さんみたいな雰囲気で、いつまでも頼れる存在といった印象がある。よくよくニュースをみると、37.5度以上を4日間様子みるという受診の目安を守っていたとかなんとか。人が見ていないところでも真っ直ぐな人だったんだなと恐れ入ると同時に、そんな基準をつくった人間にあらためて怒りがわく。私は絶対37.5度以上を4日間も耐えられないと思う。どうなってしまうのだろう。

親から早速夕方には荷物を送ったと連絡あり。孫の声が聞きたいから荷物が着いたら連絡をしてとのこと。母親はまだ働いているのだけど間引き出勤になって、在宅の間は寄付のためのマスク作りをすることになっているらしい。決して裁縫が上手いわけではない。ミシンも無かったと思うのだけど。航空会社のCAがマスク作りをする、って例のそれを手本にしちゃうようなところがあるわけだ。裁縫なんて進んでやるような人間ではないのに、参っちゃうとかいうネガティブな発言もなく「マスク作りすることになりました〜」なんて言っちゃって、そんな母親は第一に人の目を気にするし融通もきかないから、37.5度以上で4日間黙っていそうだなと思う。

 

4/24

実家からの荷物は午前着。また荷物の受け渡し、受取サインのことで憂鬱になる。そろそろかなという時に共用廊下に置いてる物を少し片付けようと作業しながら待ってみると、ちょうどヤマトの配達の人が来て、そこに置いといてくださーい、と私は作業中ですみませんねという具合にやんわり声をかけると、いいですか?すみませんと言いながら置いて、ありがとうございました〜と去っていく。サイン不要だった。ホッと胸を撫で下ろし、中身だけ家のなかに移動。買ってきたものを消毒することも面倒とか考える間もなく当たり前に出来るようにもなってきていたけど、地方からの物はまだ拭かなくても安全のような気がして、やっぱり拭かないのは楽だなと思う。袋麺のインスタント焼きそばアラビヤンとピーナツハニーというピーナッツ味噌も入っている。ピーナツハニーは給食でふりかけみたいな感じで出されていて割と好きだったけど家では食べたことはなかったし、アラビヤンもここ何年かで実家に行った時のスーパーで見たことないな?と気がついて存在を知った。明らかに田舎なんだけど括りが関東なだけに食文化にこれといった特徴はない。でも実はこうしてご当地ものもある。多分、現地にいる人は関東だからどこでも同じと思って気がついていない。どちらも今になって私が親にリクエストして県外にないことを知ったようだった。特別な道の駅とかではなく、スーパーに当たり前に売られている。親と連絡、あまり子の気が乗らず早々に電話を終わりに。

午後近所の公園を散歩。久しぶりに外に出た。遊具のスペースに目をやると、ぐるぐる黄色いテープが巻かれ使用不可になっている。公園に人が殺到する問題が世間で取り上げられていた。明日からSTAY HOME週間だとかいって対策をしているのだろう。ビジュアル的にショックだろうから子どもの目に触れさせたくない。

ツイッターサイゼリヤのテイクアウト最高情報をやたら目にしていよいよ食べたくなる。我が家の外食といえばほぼサイゼリヤのことだから、家族皆サイゼリヤの口は出来上がっている。夫が買いに行く。私はまた状況を事細かに確認。サイゼリヤはテイクアウトメニュー用紙にチェックを入れてオーダーする方式で、夫は外で待っていたとのこと。店で食べてる人がテイクアウトより少ないから、店で食べても空いてて平気そう、と夫は言うけど子どもがいて、となるとまた話は別だろう。テイクアウトされてきたサイゼリヤは正直味気ない。以前からピザのテイクアウトはしたことがあって、その時から気がついてはいたけど、やっぱりサイゼリヤはあの店であの皿に盛られて出てくるからいいんだなとしみじみ思う。不釣り合いな容器にスカスカ、少し悲しくなるビジュアルをしている。子と夫は食べて、これだよこれ、と満足いっている様子だったけど、私はなんだか、とりあえずあるから食べるか、といったくらいの心持ちだった。ただラム串は良い。前に話題になった時はタイミングが合わなくて食べられず、そのうち生産終了となってしまい、復活を待ち構えていたけどこの状況になってしまっていた。あれはテイクアウトでも食べたい。これまではサイゼリヤに行くこと自体にその「とりあえず」って気持ちだと思っていたけど、あそこを自然に選べていたことに今となっては感謝、という気持ちになった。もっと他のメニューがテイクアウトになったらまた違うかもしれないが。

夜の金曜ロードショー美女と野獣。もちろん万全にして観る。夫が友人らとzoomとやらを行っているのを子がCM中に覗きにいって、皆んなに呼びかけられたのが嬉しくなってしまったらしく、またCM中に覗きにいっていた。私はいつの間にか寝てた。

 

4/25

日頃集まった不安と不満をママ友にLINEして投げかけてみる。結局毎日のように夫と交代で何かしら買いに行くようになってしまうこと、子どもなりに感じるものがあるのか子が自分から外には出たがらないこと、出たら出たで野外を満喫するんだけど、自分達は接触に気をつけていても気にしない人が近寄ってきてしまうことのストレスなど。ママ友は全てに同意してくれて、彼女も同じように悶々として連絡するか迷っていたところだったと。子どもはマスクしていられなかったり、人との距離の取り方も分からない。だから大人が状況を見ながら行動を促してあげたいと私は思うし、彼女もそう考えていて、もちろん私達も常時コントロールしきれるわけじゃないとも思うし、そんな時自分だったらどうするかも今はまだ分からない。でもそもそも子どもが遊ぶだけの公園だから大丈夫、という考えの人も少なくない。同じ年頃の子をもつ親だから皆んながみんな同じ気持ちになるわけではないようで、だからこそルールや基準を細かく丁寧に定めて声に出して意識していかないといけなくて、その結果手っ取り早く「遊具を封鎖」ということになってしまう。逆に私達が気にし過ぎの過剰反応なのか?という話にもなった。難しい。ママ友は夫の在宅仕事がストレスということにも触れた。似たような環境だから頷けるんだけど、狭い住宅で仕事する場と生活スペースを満足に隔てられないから、いつも顔色を伺っていると。子がそちらにも絡んでいけば自分が世話してないからみたいにされかね無いし、そう思うとつい子供にもキツくあたってしまうこともある。逃げ出そうにも外に行くあても無いし密集、接触は怖いし。通勤電車に乗って出社はしてほしくないけど、家に仕事している人がいるのも辟易しているという話。うちの場合は随分前からこんな状況はあって、でも不満を突き詰めると働いていない自分が招いている事態なんだとなるから、誰かに理解してもらおうとも思わずにこの特殊な苦労は黙っていた。他のママ友グループでは4人中うちを含め三人が、元から夫が在宅仕事の家庭で、うち以外の二人は仕事部屋という区切りがあるからか、顔色伺い問題は一度も聞いたことがない。だからスペースがあれば気持ちに余裕がもてることは分かっていた。でもどうしようもない。それは感染に対する恐れ具合の差にもなっているのかなと思った。私やこのママ友が過剰かもしれないくらいコロナに怯えるのは、家に隔離できる場がないからで、クラスLINEを見るからにも自宅遊びを充実させれているような園ママ達は、家にスペースがあることの察しはつく。それでも今は家族の在宅勤務にやり辛さを覚える人が増えて、多かれ少なかれこんな不満を耳にするたび、これは誰でもキツい状況なんだという確信によって肯定された私は、逆に少し気が楽に構えられるようになった。

ダメだというのに夫が子どもも一緒にハナマサに行こうという。豚足見せたいしとかなんとか。夫こそ思えば自分に都合よく子どもをどこかへ連れ回したりはするけど、子どもの遊びに付き合ったりは滅多にしない。家で自分の食べ物は作るけど子ども用に食事を作ることはほとんどない。おもちゃの片付けもしない。それで世話してる気になられても納得いかないな。そうして夫は日常でなくイベント的に子どもに接するから、いちいち面倒なリアクションばかりしているようにも思う。日常の一環として慣れた感じに落ち着いて図書館に連れ立って来ているお父さんをみると、それが子育てだよねとしみじみする。ハナマサ、足早に店内を回る。外国人のおばあさんが買い込んでいる瓶のトマトソースが気になる。その食材に慣れ親しんできたであろう人が愛用しているなんて信用できそう。カルディでなくハナマサなところがまた良い。しかし狭い通路ですれ違うほどの賑わいに不安になる。休日だし、なんでこんな日に行こうと言い出したんだ。結局子は別に豚足に興味を示さないし。それでも夫にまとわりつく子を引き離して、レジの行列を夫に任せそそくさと店を出る。こういった庶民的な店は客の質もそれなりだから気を張る。ジャージにスリッパで買い物に来るようなカップルなんかは、女性が酒売り場の前から向かい側にできたレジの行列に並ぶ男性とあれかこれかと大声で会話してる。トマトソースは気になるけどもうハナマサは無いな。裏道に誘導して通りの公園で無理やり子と夫を遊ばせるようにして帰る。

行定勲がリモートで家にいることを題材にしたショート映画を製作したらしい。有名俳優らがそれぞれの場所で演技しているなんて、どんな感じかちょっと興味ある。前日の配信では観れなかったからアーカイブで観てみる。これが今の今なんだろうな、以外の感想はとくに無し。

 

4/26

子供用室内テントを出してキャンプごっこをするのが何より好きな子。セッティングは面倒だけど出せばそれでずっと遊んでいるから楽といえば楽。全く体を動かさないことを心配した夫が、昼過ぎ駄菓子屋に歩いて行ってみようと誘って出かけて行った。マスクをして消毒も持たせて、むやみに話したり触ったりしちゃダメだよ、と二人にしつこく言って送り出す。自分が見張っていないと不安。でも付きっきりでいるのもほんとはしんどい。行って帰って30分。それだけで自分のペースが持ち直せるなら悪くないか。

最近お湯の出が悪い。しかも大体お風呂に入るかという時になって気づく。数ヶ月前にもこうなって直してもらったばかりだからそんなわけないと思って、屋外にある機器のコンセントを抜いたり挿したり、この時はどうにか持ち直した。

夜寝る前は必ず絵本を読む。今まで借りてきた絵本は布団の上に広げないように注意していたけど、もうコロナ以前の物ならなんでもいいやって気になってる。

 

4/27

できるだけまとめて買い物をするように、最近は買い物リストを書く。今までは日々気がついた時にちょこちょこ買っていた。ラインナップを見て、これはあそこが安いけど、これだとあっちに行かないとだな、まとめて買うのにちょうど良いのはどこか…など考えていると夫が業務スーパーで買うから自分が買うと言う。高円寺の業務スーパーが工事中になって、離れたところまでは私は冬に一度くらいしか行っていないけど、夫は仕事を取りにいく時なんかにたまに通るらしい。でもそれならそこではなくもっと近くにもあることを思い出し、提案すると夫は嬉しそうに「そうだった!」と、夫は本当に業務スーパーに信頼をおいているな。そっちの店舗なら私も行くわということで三人で行く。交代で中を見て、子はどちらかと外で待つ。はじめに私がザッと見る。感染リスクをさげるため家族連れだって買い物しないようにとの話もあるけど、悠々とベビーカーを押しながら家族で買い物している人もいた。平日の午前中なのに人は多い。品切れの物も多い。希望のものはあまり買えず。表の野菜が陳列しているところで夫と交代。子は隣りの100円ローソンでちゃっかりシャボン玉を買ってもらっていて、隣りの敷地内で遊んで待つ。買い物後も遊び足りず、近くの広場になってる公園に寄り遊ぶも雨が降ってきて退散。休館前に借りたからもう何度も繰り返し読むことになっている「からすのそばやさん」の影響でうどんよりも蕎麦を食べたがるようになり、買ってきた蕎麦で早速きつね蕎麦にして食べる。

 

4/28

引き続き天気が良くない。私と子がよく行くデニーズも、お子様ランチのテイクアウトをしている。そのサービスが終わってしまう前に買ってあげようと思っていたところ、お昼ごはんにちょうど良いタイミングで夫が出るついでに取ってこれるようだったので、ネットでオーダーしておいて取ってきてもらう。お店で食べるお子様ランチと内容が違い、むしろ少し豪華な気がする。早くまたお店に行って窓から見える北口の景色で実物ミッケしながらゆっくりしたい。

 

4/29

連休の始まり。関係ないけど。セントラルパークに行って少し遊ぶ。夫も合流。帰り道、通り沿いのお宅の表に木馬が置かれているのを発見。紙が貼られているので「もしや」と見にいくと例のご自由にどうぞ、だった。シンプルな基本的な木馬で可愛い。良いと思うという夫に、もう我が子には小さいでしょうと言ってみたけど、子が乗ってみたいとなったのでやらせてみると意外とまだイケる。そうなったら俄然子供も欲しがるし、何より可愛いから貰うことに。その紙にお礼と時間を書いて地面に貼る。こんな時期で連休に入り、ますます家の片付けをする人は増えている。一応持ってきたものは丁寧に拭き上げて、設置すると子どもがよく乗ってくれて暇つぶしになる。よかった。

AVメーカーのハマジムで新しく出すTシャツが欲しい。うちには夫の仕事柄で失敗した使えないTシャツが捨てるほどあるから、私はいつもそんなTシャツばかり着てるけど、たまには意思をもったTシャツを着たくなった。受注生産なので後回しには出来ない。購入。

 

4/30

緊急事態宣言が連休までとなっていたけど、この一週間で何が変わるとも思えない。「オンライン帰省」とか新しい呼び方ができたら喜んでその言葉ばかりが飛び交っている。馬鹿馬鹿しくて見てられない。

子どもの日用品を揃える時、まずはサンリオで探していくのが私の癖みたいなものだけど、ちょうど良いものがなくてずっと買えずにいるカレー用のスプーンのことをまた思い出したのでハム太郎でも探してみる。幼稚園のお誕生会で食べるカレー、意外ともう大人と同じくらいの大きさのスプーンの方が食べやすいですよと園では言われていたから新しくしようと思っていた。この先どうなるのか全くわからないけど今のうちに用意しておこう。メルカリに出てるハム太郎のいつかのピザーラの景品のスプーンが、長さは小さいけど匙の部分がしっかり大きめに作られている。そのスプーンとフォークのセットを購入。

ハマジムのTシャツを注文した先から第二弾が発表される。やられた。しかしはじめので納得してる。物を買って楽しみに待てるのは久しぶりの感覚。

今日も昼過ぎからセントラルパーク。軽く遊ぶつもりが天気も良く子がテントを欲しがるため夫に持ってきてもらい合流。去年この時期にそこでシロツメクサの冠を作ったことを思い出し、探しまわったけど今年はここには咲いてない。夫が先に帰り、私達はシロツメクサを探しに移動することにしてすぐ、向かいの広場が実は一面シロツメクサになっていたことに気づいて笑いが止まらない。こちら側は人も少なく過ごしやすい。心ゆくまでシロツメクサ摘み。