どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年6月11日〜6月13日

6/11

日差しのある日は子どもにも長袖を着せたい。去年ご自由にどうぞ箱から持ってきてから暑い日の幼稚園服としてヘビロテしているフォークロア調の薄手のチュニック、こんな気候にちょうど良い。でも生地も伸びないし細身だしこれほどに子どもの着替えに向かない服はない。そう思い込んで端から手伝ってしまっていただけで、もしかしたらと思って一人で脱がさせてみたけどやっぱりダメだった。せめてプールの予定が決められていればいいのに。子が通園リュックにつけていた園で作った紙粘土のマスコットが昨日どこかで外れてしまった。出来が良いわけでもないけど子には思い入れがあるようで気にしていたから昨日行った場所、道を通りながら帰る。スーパーの開店準備をしている人にも聞いてみた。なんとも言えない形状のマスコットで伝えるのが難しい。お子さんの手作りですか?と気の毒そうに微笑んでくれた店員さん。結局ここには無く、そこからの帰り道をキョロキョロしながら見つからないまま帰宅。今日は特に用も無い。風鈴がたまに鳴るのが良いんだけど去年試しに買ったダイソーの物で、なんというか雑な優しくない音だと感じる。前の家だとそこそこ高層で風が強すぎたのだったか風鈴を楽しめなかった記憶。ここの風だったら風鈴がちょうど良さそうだから、100円の形ばかりのじゃなくて少し良いものを買いたい気がする。

何か食べたいのに何を食べる気にもなれない。やっぱりバテているのか。無理やり掻き込む昼ごはん。

お迎えに行くと子は今日の持ち帰り工作が嬉しすぎるようで遊ばないで帰ると言った。去年のお楽しみバザーの後のことを思い出す。あの時も何よりもおままごとができる工作で遊びたくて早々と帰った。今日も園を出ながらずっと私にすごいものがあるんだというようなことを言ってる。見えてるけど。でも友達の誘いもあって公園で自転車を降りたら工作のことは無かったようにいつもと同じに遊び出した。そのうち子の持ち帰った工作のケーキを作った子とぶつかり二人が泣き出す。どういうことかというと、クラス皆んなで遊んだ寿司屋の工作遊び、子の話だと寿司セットと皿一枚は皆んな配られて、あとは好きなものを持ち帰って良いことになっていたらしいのだけど、自分が作ったものだと思い入れがある子もいて、それを持ち去られてしまったことが悲しいわけだ。このケーキの子も自分で持ち帰りたかったのに先に我が子が取ってしまったのかもしれないし。子の言った通りで間違ったことしていないんだとしても、やっぱり自分で作ったものを自分で持ち帰りたい子の気持ちの方が正しいような気がしてしまう。先生はこうなることを想像できなかったのか。泣いてる子を慰めようと自分のケーキを差し出してくれる子もいて、その子のケーキをみるとしっかり先生の字で名前が書かれていたりするものだから持ち帰りルールがさらに混乱。しかも、あんなに嬉しそうに自慢げに見せられるのは他の子の作った工作だったのかと思うと複雑。とりあえずこの場はカタが付いて仲良しの子達と4時まで遊び。それでもまだ残っている子もいた。

いつものママ友から連絡があって、まだ遊ぶなら合流したいと言ってくれているから中央公園に向かうことに。先に着くとまぁまぁ混んでいるからまた環七の向こう側にいった広い公園に場所を変えることにした。これまた先について遊んで待つ。近所の知り合いの小学生の女の子が二人で飴を食べながら静かに遊んでいた。うちから近い小学校に行くとメインで遊ぶ公園はここになる。行ってる学校によってテリトリーがあるのだ。確かにエリアでいけばここなんだけど、民家のなかにあるこの公園はうちからでは少し道が複雑。普通学区は選びようのないことだけど、周りにある学校も遠くはないからどうしても迷ってしまう。ゼリーを開けて食べることにした。園後の公園遊びではいつからかおやつを配る習慣が出来てしまっていて、何人いるか分からないから大容量に越したことないんだけど、今日は試しに8個入りのゼリーを持ってきていた。案の定、週末に向けて今日が最後と集まる公園では数が足りず。黙って隠しもつことになってしまった。開けたからにはせっかくだから小学生二人にもあげる。親のいないところで食べ物をあげるなんてルール違反かなとちょっと思って、いま食べているのを確認したからゴミをもらおうかと言ったら大丈夫と持ち帰っていってしまった。ママ友親子がやってきて、子はやっと思い切り全開に遊びだす。公園の中からは通りを走り過ぎていく人の姿がよく見える。さっき通り過ぎていった知ってる親子が今度は戻っていく。通りに近い場所にいたから声をかけたら、気づかなかったかと思いきや公園に入ってきた。クラスの子と小学生の兄。家族ぐるみで知り合いで、仲良しママ友も顔見知っている園だけの付き合いではない人。だから呼び止めた。二人導入されて集団になった子ども達は小学生兄に先導されながら全力で遊びだす。そこになんと夫が自転車で通りかかり、やまちゃんの彼女のなおちゃんと一緒にいた。はじめ何も考えずまた呼びかけてしまって、子もお父さんー!と声をあげたから二人が公園内にやってきたけど、やまちゃんもいなくてなんで二人?と思った。これから中野行ってくると言って去っていく二人の後ろ姿を見てママ友が、あの可愛らしいお姉さんは…と言ってきて、なんか私が動揺してしまう。ママ友は夫といるやまちゃんも見たことあるし、子はなおちゃんが作ってくれたものを身につけてもいるから、あの人の彼女であれを作ってくれた子だよということを、あたふたしながら説明した。大丈夫、知らない人じゃないよというのをアピールしたくて必死になってしまった感じ。二人のママ友はどう思っただろうか。その後は他愛もないお喋りしながら時間は経って6時の鐘がなる。子ども達はまだ全力て遊んでいて帰るよと言っても聞かず、私達が先に帰るふりをしてようやく子ども達がこちらを振り向いた。兄弟のママにゼリーを渡して、園後には数が足りなくて開けれなかったんだよねと話すと、あれねーとママ友もあの習慣に思うところがあるような少し困ったような表情になった。私は少しでもお買い得品を見つける行為が楽しいから買うのは苦じゃないけど、おやつ配りが子どものお決まりみたいになるのは良くないと思う。みんなが皆んな毎回持っていくわけじゃないけど、配る人が多いと自分もやりたくなるのが子ども。卵アレルギーで食べるものが限られている子でさえ、配る用にパイの実なんかを持ってきたりしていて呆れてしまった。どこかでこの習慣が消滅すればいいんだけど止めることを強制もできない。子ど達のなかで持ってこない子が非難されることも萎縮することもなければまぁいい。帰って6時過ぎ。こんな時に限って自転車駐輪でややこしい婆さんがいた。到着してからの私の行動をじっと見てる、怖い。後ろすぎると門が開けづらいみたいなことを言っていたから、他の自転車もそうしてるように普段から出来るだけ前につめている。そうしていたらもっと後ろがいい、そこの溝がちょうど良いのよ私いつも直してるのよ、とフフッと笑いまじりに言ってきて、無視したけど、溝!水捌けのためらしい溝の中に私の自転車のスタンドをバランス悪く重ねられていることがよくあって、その時々の他自転車の配置のせいかと思っていたけど、スタンドの調子が悪くなった気がしていたから確信犯なことに頭きた。不動産屋にメールをしようか、でも自己責任で置くならばと言われていることだし、婆さんの行き来のタイミングによっては何も手をくだされていないし。どうにか分かりやすく婆さんの落ち度を炙り出して突きつけてやりたいと考える。そんな頭に血が上ったところで送られてきていた夫から新宿の仕事へ行くとのLINEをみる。その前には不在着信も入っていた。普段は聞かなければそんな細かく報告してこないのに何かやましい気持ちがあるんじゃないかと、この丁寧なメッセージと自転車の怒りで抑えていた感情が高ぶる。「遊んでいたくせに今さら忙しいアピールか」「私達が子守をしている間に若い女とウロついてることほど最低なことはないよ」「皆んな反応に困ってたよ」と文字にして返して少しスッキリとする。なおちゃんは気遣い屋さんで私にもにこやかに話してくれたり分け隔てなく人と接することが出来て、でも自分には正直でその姿を堂々と曝け出してもいて、癖のあるところも含めて納得いくような、そのままの人。そのまま過ぎてある意味過激でもあるが。その過激な面は計り知れないし、やまちゃん不在で二人でつるんでるっていうことにも何かあるのかもしれないと思ってしまう。しかし何かあってどうだというんだろう。疲れ果てながら公園に佇むみずほらしい自分とは世界の違う圧倒的に見栄えの良いなおちゃんを連れた夫、その姿をママ友に見られたことはなんだか辛かった。皆んな私を可哀想な人だと思ったんじゃないか。そのことが悔しい。切り札のように送ったメッセージは既読にはならず、そのまま夜になり寝る前に夫が帰り何を話すでもなく、子を寝かしつけた後確認しても既読にならない。逃げていることが腹立たしい。寝たまま「なんとか言えないの」と送ると夫がやってきて弁解をはじめた。まともに弁解を主張するなよ、と私は言った。すでに皆んなに目撃されたことがダメージなんだから弁解じゃなくてその事実を認めるべき。そうだね、そうだね、と夫は言った。謝られたとしても、本当に何かがあるとしてそれを突き止めても、その先に私が求めることは何もない。金銭面、今だって充分世話になっている。私も社会と繋がる仕事してやる、と言っても仕事を夫が用意できるわけではないし、子どもの世話。関わる時間を充分に取りたいのは自分の方で、人任せにしたくないと思っているのも自分。自分も誰かと浮かれたい、なんてことはもう望む気になれない。なおちゃんが夫の心の保養だとしてそれを奪ったところで何も生まれないこともわかってる。なおちゃんにも変わらずここで暮らしていてほしい。何も変わることはない。今の私で何も我慢しているつもりはない。ならばどうしてそんなに気にしてしまうのか、人の目があるといいながら、私が一番自分を人と比べてしまっているのかもしれない。

 

6/12

夫は全く考えなしだったと人の目を気にしていなくて、そのことで私は傷ついた。無防備に純粋なのは場合によっては悪質で、歪ませてでも人の目を想像する方が正義なのではないかと思う。そうして守ってもらわないと成り立たない自分の力不足が問題だというのもあるが。世の中を公平に行き渡れる人間になりたい。そのなおちゃん、やまちゃんを経ての紹介で今日夫は朝から渋谷へモニターバイトへ行くらしい。ギリギリまで寝て起きて出て行った。昼頃には終わると思う、なんか奢るよ、と言ってきたけどそれが穴埋めになると思ったなら違う。なんの足しにもならない。こちらは今日こそ子を皮膚科に連れていきたい。ついでに街中に出られる中野の皮膚科に行くことにした。その前に扇風機が今日届く。タイミングが合わなければそれはそれでと思っていたらあっさり届く。心置きなく皮膚科へ。駐輪スペースをみて、ははぁんと気がついた。婆さんは柵に太い洗濯バサミを挟んでいて、初めはカバー代わりのビニール袋とか留めてるやつかなとか思っていたけど、あれはどうやらハンドルをこの位置に入れるという目印になっているんだと気づく。例えば前後の自転車が出ていたら、その間に置くはずの自転車位置が分からなくなる。奥から二番目の自転車が婆さんが前に乗っていた自転車なことも分かっている。使わないのに処分しないところもまた意地汚さを感じるけど、その自転車は使わないことが分かったから、その自転車を固めるように他の方の自転車を少しずつズラして、婆さんの目印洗濯バサミもズラした。これで婆さんはそこに停めるはず。私の自転車との間に空間ができて、これで文句はないだろう。気持ちが良い。

土曜のクリニックは混むことも承知であえて受付終了間近にいくも、思った以上に混んでいた。エレベーターの目の前までびっちり人が待っている。一度出ますと受付に言うと、いいですけど受付終了の12時には戻ってくださいと、あまり良い顔をしていなかった。この状況なのにここで待てというのは鬼だろう。どうみても12時までのあと15分で処理しきれる人数ではない。いま外から戻ってくる人もいる。対応の冷たさにイライラしながらお腹も空いてきて、とりあえず目の前のミスドに入る。一個ずつ食べようねと言っていたけど並んでいる間にどんどん混んできて座席までたどり着けないほどの行列になった。人が並ぶすぐ脇の居心地の悪い場所で食べる余裕が持てず子どもにだけ食べさせて時間通り15分で店を出れた。皮膚科に戻ってやっぱりまだ待ち。ようやく順番が回ってきたと思ったら、先生はキャスターのついた台をお腹に当てて立ったまま、随分と向こうから子の腕を眺めるだけ。そうして、環境が変わったりストレスかな蕁麻疹ね、と言ってきた。ちょうど肘の裏、夏になると汗で大概の子が痒くなるところだと思うのだけど、え、蕁麻疹?もうこの時点でやっぱり近々他に行こうと心に誓った。アレルギーの薬出しますからという話は右から左へ抜けていく。外に出る。日差しが暑い。なんのために来たんだか、虚無感。今度こそ何か食べたい。中野にいる時に限ってジョナサンに行きたいと言われて私もその気持ちは分かるけど今の状況では精神的な距離があり過ぎる。セントラルパークのマックが再開しているのが見えて、どうにかマックに落ち着かせる。中途半端に店が開いたり閉まったり、結局緊急事態の宣言とはなんだったのか。セントラルパークのパン屋は外席が出来ていて、マックも外テーブルが増えていた。外も中もファミリー層を中心に相変わらず大盛況。そんな中キビキビも動けないようなおばあちゃんが働いていて、なんだかこちらが申し訳なくなる。不幸な意味で働いているわけではないにしても、あんなおばあちゃんが自営業ではなく働いている店なんて私が若い頃だと想像もつかなかった。でも今そこに向かっていく自分をイメージすると、私も存在が浮いちゃうくらいの若い人に向けた店で働きたいなと思ったりする。今の中途半端な年齢層だと「かつての自分にしがみついてる滑稽な人」のようになるけど、どこかの年代からは「歳なのに若者の流行を分かっている人」に変わる感じがある。そのターンに入ったらズカズカいきたい。店内の席が良いと言うのであっちこっちと移動しながら窓際の丸テーブルに落ち着いた。ところが日が差すと眩しい席でうっかりした。ハッピーセットのナゲットを2個残して持ち帰る。外に出ると外出自粛だか路上飲み禁止だかの呼びかけプラカードを持った都だか区だかの人の集団が、ゆっくりゆっくりセントラルパークを横断していた。北朝鮮のようにギュッと縦長四角に収まって歩いているのはある種の気持ち悪さがあった。皆んなちんどん屋を見るような目で遠くからそれを眺めていた。処方箋で薬を貰って家。扇風機を組み立てる。最後のカバー部分が上手くはめられず試し稼働させられず。

4時前に夫から今帰ってると知らせ。子が小さい時は夫という人手があることに意味があったけど今となっては子の気持ち以外に必要性は特別ないのが正直なところ。帰ったからって積極的に子どもと遊ぶわけではないからというのもある。夫がよく、自分が小さい頃はいつも親はいなくて遊んでもらえなかったんだよなぁ、とか感慨深げに言ってるけど今の自分も同じだろうよと私は思っている。珍しくクレヨンしんちゃんからテレビを見始めて、夕飯の買い物をどうしようかと思っているとドラえもんを観た子がほっともっとのお弁当を食べたいと言っている。ジャンクな一日になるけど食べたいものを希望されることほど楽なことはない。夫にほっともっとを買うと報告する。あえて牙を剥く必要はない。気を許したかに見せかけてまた少しでも人を舐めたような言動があればいつでも詰めてやろうとは思って静観しているのだ。お弁当を買って帰ろうかと言ってくるけど、今日の外出では消化不良で私もまだ外に出たいと思っている。高円寺に向かうタイミングで夫もちょうど帰りつく。帰ると言ってから随分時間かかっているね、またどこかほっつき歩いてたのか?とむやみに嫌味を言っていつでも蒸し返す臨戦態勢をとってみせる。答えは渋谷まで自転車だったとのこと。どうせ一緒に来たならひとまず先に買い物でもと思っても子が早くドラえもん弁当しか買いたくないと騒ぎたてる。西友のツバメをお父さんに見せてあげたら?と機嫌をとる。そうだそうだと納得して西友へ。ツバメを見て中に入ったら買い物が楽しくなってきたとか言い出して、でもこちらとしてはそれほど西友に用はないからとりあえずお墨付きシリーズの物を買っておく。業務スーパー向かいの酒屋が閉じて、グラスやディスプレイに使ってたものなんかをご自由にどうぞしていて、ブドウのリアル食品サンプルをひとつ持ってきた。老舗かのような佇まいでいたけど、私が20歳くらいの頃はパッケージや事務用品なんかを売っている店だったと思う。て、それもざっと20年前でそれからずっと酒屋だったとしたらやっぱり老舗ってことでいいのかもしれない。私もなかなか歴史を知ってるんだな。ほっともっとへ。はじめてドラえもん弁当を買った時のおにぎりが良かったなぁと思い出すけど、今はおにぎりをやっていないとのこと。カレーかふりかけで、またふりかけを選ぶ。前回、豆の皮ばかりだった件についてメールで返金しますと回答をもらっていたけどそれほどのことでもない。返信しそびれていた。これからは注意を払うということだったからそれで充分。今回のお弁当はちゃんとプリプリの枝豆が入っていた。夫に扇風機のカバーを設置してもらいついに稼働。7枚羽根、風が柔らかくて静かで感激。ボタンが押すというより触れただけで反応するようなハイテク感。マックスにしても弱いかなという気がしなくもないけど強風しかないより全然いい。最近子どもにアイス枕もはじめて寝つきは良くなったかもしれない。

昨日の子どもの工作のこと、時間が経つにつれ、こんな状況にしてしまった先生も悪いような、モヤモヤが増して久しぶりに連絡帳に書き殴る。

 

6/13

金曜からを振り返ってここに書いているとまた思い出して、高円寺から中野行くのにあの道通るの不自然じゃないか、しかも中野行くと言ったのに夜に説明してきた時は新宿行くところだったとか言ってること違くないか、とまだ寝ている夫に声をかけて詰め寄る。いつでも気を抜かせない。

夫は大きな郵便局やらで外に出ていて、私は子に公園やら行きたいところはどこか確認すると今日こそジョナサンに行くという。絶対?絶対。夫も家側まで戻ってきていて珍しく自分も一緒に行こうかなと言っている。あの道から行くからとお知らせしても全然合流できないし、見えるとこまで来ても後ろの方をついてくるだけで、なおちゃんとは自分が先導しながらちゃんと二人で走っていたくせにと思い出して腹が立つ。この関係でイニシアチブをとろうとしない態度が癪に触る。結局途中ではぐれて現地集合と知らせて、後ろを気にしなくてよくなり気ままに走る。ミストシャワーのある公園の前を通りながら確認すると、やっぱりコロナのためにシャワーを止めていると貼り紙があった。子どもの夏の思い出、こんな小さなことをも奪わないでほしい。オリンピックなんて他人の事はどうでもいい、私達にいつもの夏を返す努力をしてほしい。2年もこんなことになって子どもにはたった3年間の思い出しかない。そんな幼い頃の記憶だけで一気に学童期になってしまうのだから悔しくてたまらない。2歳から4歳になるならまだ取り返しがつくけど、年少から年長にはもう後がない。この思いをどこにぶつければいいのやら。ジョナサンには先に夫が着いていた。前に友達と会った時と同じ窓際の席。ジョナサンのクーポンはお子さまセットは内容のわりに安くて良いと思うけど通常メニューが価格のわりに魅力に欠ける。ファミレスはどこもそうなんだけど満腹のつもりで食べる気にはなれない。単品のチキン料理にして夫こそファミレスで満たすわけは絶対にないからデザートのようなスイーツを頼む。こうして周りとゆったり距離をとって座れるファミレス以外は気持ちが落ち着かなくて結局食べることに集中できなかったりするけど、そんな感じでの外食にもだいぶ慣れた。ただ新たな店を開拓したいという前向きな気持ちにはなかなかなれない。雨雲レーダーでこの辺りは2時頃雨になる予報だったから用心して洗濯物を入れてきたけど雨の気配がない。夫は仕事があるから先に帰るというので洗濯物管理は任せた。子がジョナサンの下の柱のあたりで遊び出して、それに飽きるのをただ待つ。向こうから知ってる小学生の女の子親子がジョナサンにやってきて気づいてくれたから挨拶をする。公園に遊びに出る時もお母さんが送ってきたり子どもの食べ物に合わせて付き合ったり、このノリはひとり娘だろうなという感じがした。大事にされているのが分かる、まるまるコロンとした体格、それには少し不釣り合いに弱々しく、しとやかな女の子。母と手を繋いでジョナサンの階段をあがっていく、可愛い。私もそうして子に甘えられていたいなと思った。しまむらに行きたくて阿佐ヶ谷へ。せっかくだからまずはカルディ、こないだテレビでみたパンダシリーズの季節の味、レモンミルクプリンが欲しい。阿佐ヶ谷のカルディは広さの割に中身がなくて見づらい。諦めてブックオフ、サンリオの新しいキャラクター図鑑がないか探したいけど置かれているジャンルが分からなくてヤキモキする。私の持ってるレトロなサンリオ図鑑では子にお馴染みのキャラクターまで程遠い。それでも子が熱心に読んでいて、シナモンとかも載ってるやつがあれば良いのになと言っていた。絵本コーナーで掘り出し物はないかつい見てしまう。良い絵本はいくらでもあって選びきれないからこうして安いを理由に買ったりする。子も園で読んでもらって気に入っていた「番ねずみのヤカちゃん」状態も悪くないのに220円で売っていた。まさにこれが掘り出し物。子が絶対これ買うとぎゅっと抱きしめて会計に行く。しまむら。子がスカートの下に履くアンダーパンツ、冷却速乾とか夏仕様が欲しい。今日は何かお買い得品があるのかいつもよりキッズが賑わっている。こちらとしては我が子にちょうど良いサイズの靴下が見当たらなくて戦意喪失。赤ちゃんサイズか学童期サイズしかない。しまむらは、ある時はどれもこれも良くて迷うくらいあるし、ない時はこうしてさっぱりない。仕入れ状況にムラがある。だから安いのかもしれない。ワゴンに積み上げられたおもちゃを見てそれまで早く行こうよと言っていた子の目の色が変わる。その隙にアンダーパンツと広告の品のパンツを手にする。子がおもちゃの前でグズグス。「欲しい!」の勢いに合わせて一言「だめ!」とは返さない。最近は「ここにあることは覚えておく。あなたの遊び方を見てあったらいいなと思えたら買うからね」とじっくり言い聞かせることにしている。そうしてこれならどう遊ぼうかと話し合いながら本人も次に期待して諦めるようになった。私だって可愛いお買い得品なオモチャを本当はなんでもかんでも買ってあげてしまいたくなるけど、お金の心配よりもあり過ぎても遊びきれないのが勿体なくて我慢している。私は傘を買う。たかがビニール傘とはいえ持ちやすさとかやっぱり自分なりに選びたい。夫が買ってきた傘だと微妙にサイズ感が自分には違う、たかがビニール傘なりに。持ち手が薄紫色でスリムな傘、490円。これで雨の日も安心。ハンドルを握る手のなかに傘を挟んで帰り。今日みたいな天気の日になら傘を持っていても不自然じゃなくてよかった。3時過ぎ、ミニストップまできたらもう少し、ソフトクリームでも買って行こうかと言ってみたらハロハロがいいと押し切られてラムネのハロハロ。自転車に乗る前に一口もらう。ミニストップのソフトクリーム美味しいけどやっぱり学生の頃散々食べたampmのソフトクリームが一番。たまに思い出す。帰ってしばらくして雨が降り出す。私ははじめてヤカちゃんを読む。子はワクワクした顔をしながら初めて読む私の様子を伺っていた。こないだのテレビ放送を録画したグーニーズを観ながらおやつ。面白いと言いながらも怖いと思う場面もあるようで顔を背けたりしていた。結局途中で断念。

おやつをしっかり食べたから夕飯が遅くなる。サザエさんの終わる頃から食べ始め。お風呂の前に園から借りてる絵本を最後にもう一度。感想ノートを書かなくてはいけない。前回借りたノラネコぐんだん、私はどうしても好きになれないと悪態ついた感想書いたら先生から、面白いなと思いながら感想を拝見しました、とコメントがあった。こうして悪口だったり面白くて賞賛したかったり前のめりに感想を書ける本もあれば、なんとも言い難い絵本もあって、そんな時はレビューを書くつもりで捻り出す。お風呂のあとにコツコツと書いて早寝。