どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2020年3月

3/2

休園がはじまる。朝から縛られるものがないというのは心底のびのびする。と同時に子も自分も切り替えがないから全てがダラダラになる。ダラダラが過ぎれば行動開始が結局終園時間と変わらないくらいになってしまうけど、張り切ろうと思えばまだ人出の少ない午前中の街に繰り出して、のんびり買い物をしたり少し遠くの公園まで行くこともできる。

夕方、子の身体に蕁麻疹のような発疹が出ていることに気づく。前日にも少しだけ赤いなとは思ったけれど、明らかに増えている。近所の皮膚科に行くと順番待ちが多い。狭い待合室に満員で待つくらいならと、少し離れた行きつけの皮膚科はどうかと電話をしてみたところ、今ならガラ空きだという。いつも忙しそうなクリニックだけど珍しく落ち着いた対応の受付。小雨が降っているせいもあって少ないのだろう。急いで向かうと、受付の人と私の間に「あぁよかった、ほんとに人が居ない時にこれた」という空気が漂ってお互い安堵する。診察も薬を塗れば治りますよという程度のことで特に問題なく。私は先月の矯正歯科でいつもと違う痛みを先生に相談したところ、一般歯科にみてもらうことを勧められ、その治療で3月は一般歯科にも通うことになった。3月は私の誕生月。使うことなさそうなサービスやクーポンのお知らせがあれこれ届く。

 

3/3

1月終わりにうけた健康診断の結果診察のためにクリニックに行くことになっていた。

武漢からの帰国者、接触者は〜」といった貼り紙が入り口にも受付にも貼られ、簡単に体調確認をされる。前回来た時はそんな貼り紙はなかったと思う。でも咳の症状なんかに慎重だったのは覚えてる。

前年まで幼稚園にいて台湾に越したはずの人が1月だったか2月だったか、園終わりに皆んなが寄る近くの公園にいて「冬休みで日本に来てたら今アレで、向こうに帰れなくなっちゃって」と困っていた。だよねぇとか言いつつ、台湾は大変かもしれないけどこっちは関係ないと思っていた。何日か居ていつの間にか公園で見かけなくなったけど、その後無事帰れたのだろうか。

朝早くから高円寺の街に放り出されたついでに周辺の薬局の紙類状況を確認する。いつもトイレットペーパーを買っている店は依然として「入荷無し」の札が下げられている。家の隣のドラッグストアと違ってひと気もなく閑散としてる。もうここはしばらく紙類は期待できない予感がする。

昼過ぎになって園のクラスLINEでトイレットペーパー発見情報が流れる。誰かが午前中に行った時は無かった場所で、誰かが午後に出くわしている。1日に何度か納品があるのではとの推察でLINEが弾む。場所はホームセンター。確かにこの辺りではドラッグストアより品揃えは良いだろう。でも高そうな気もする。

震災直後の時、その頃住んでた家の近くのしょぼくれた商店街にある小さなディスカウントストアですらもトイレットペーパーが1パック500円くらいで積まれてたことを覚えてる。激安しかない店のはずだったのにその価格はショックだった。今も薬局で並んで買おうとして高額だったらどうしようか。貧乏性だから買うのをやめてしまうかもしれない。でも正直、うちではお腹の弱い夫の方がトイレットペーパーに関しては困るし必死になるだろうと、ちょっと人任せの気持ちもある。

先日トイレットペーパーが買えなくて困っていたママ友からは、週末に千葉から遊びに来た友達に分けてもらったと連絡がきた。向こうでは家にスペースがあるから普段からそこそこ買い置きをしていたからと。言われてみれば実家もそうだった。家の近くにこじんまりとした商店はあるものの、基本は一週間に一度大きなスーパーに出向いて買い込む。私は徒競走のゴールテープになりそうなくらい長いレシートが出てくるのをみて楽しんだものだった。そのくせ消費は遅いからどんどん溜まっていく。さらにティッシュなんかは信金やらから貰うことも多く、いまだに実家では色褪せた箱のティッシュがきっちり積んで置かれている。

うちのマンションの上階の一室が、隣のドラッグストアのスタッフ控え室になっていて、しょっちゅう店員さんが行き来している。よく遭遇して我が子に声かけてくれたりする人とは挨拶がてらの話をするようになった。そんな馴染みの女性とエレベーターが一緒になった際、「大変ですね、ほんとお疲れ様です」と声をかけてみた。「薬局で働く方に感謝を」との話題がのぼっていた頃だ。そこに続けて「トイレットペーパーどうしちゃったんですかねぇ」と本題をふってみると「あるとは言われてるんですけどねぇ、なんですかねー。うちの方のイオンでは…」みたいな会話があったのだけど、(イオン?イオンがあるの?どこから来てるの?!)てことばかり気になってしまいトイレットペーパーのことは結局なんだったか覚えていない。ともかくコロナ自体のことよりも、それによって起きている社会現象のほうが気になる時だった。

このコロナは武漢から広がったとされたことで世界でのアジア人差別の話もすでに多く見られていたので、久しぶりにロンドンに住む兄にメールをしてみたのもこの頃だった。送信メールをみると「どう?今さらだけどー。」と書いていたから、そんな差別の話ももう落ち着いてきていた時だったのか?兄からの返信も素っ気なくて「みんなマスクしないしインフルエンザでも病院に行かないから、もう蔓延してるかもね」とのことで、諦めているんだか他人事なんだか、関心ないのかな?という感じでそれ以上は触れていない。

自分の歯科のあと、麻酔が切れるまでどうせ食事もできないし、時間潰しに子と公園に寄る。クラスのママがいたので軽く会話。小学生のお兄ちゃんもいるから小学生の過ごし方なんかも聞いてるうちに、保護者がいる子の児童館利用は控えてほしいと言われたとの話に。利用エリアは違うものの同じ区内なわけで、うちが行きつけの児童館は3月末閉館だから目一杯通おう、休園はむしろちょうどよかった、と思っていたのに。また子どもと出掛けられる場所の選択肢が削られてしまうのか。2月から銀座の教文堂ではじまった展示も子どもと行くのを楽しみにしているけど、いまは電車に乗るのを避けているから、4月までやっているし落ち着いたら安心して行こうと思っていた、この時は。

 

3/4

夫がゴミ出しやらで朝から外に出ると、同じマンションの住人がまいばすの方からトイレットペーパーを手にして帰ってきたのを見た、ということでうちは朝のまいばすを狙うことにした。

子は幼稚園もなくお友達と遊ぶこともないと時間を持て余す感じもあるらしく、児童館やらに遊びに行きたいようなことを口にするため、まずは電話で問い合わせることにした。噂通り、親と過ごせる子は控えてもらってはいるとのこと。でも「それだと煮詰っちゃうとも思うから、マスクは必須で来たら必ず手洗いをしてもらうルールで」と利用を許される。ママ友にもお知らせして早速マスクをして向かう。学童はやっているけどなんだかいつもの騒々しさはない。夏休みのお盆前後のような、全員は揃っていない時のひっそりとした感じ。先生の話では休校に合わせて仕事の都合をつけた親御さんもいるようだった。

帰りに図書館に予約していた絵本を取りに行く。図書館にはお話ができる小部屋があり、小さい子にはここで本を読んだり紙芝居をしたり、大型絵本を開いてみることもできるから、それだけでも充分遊びのひとつになる。例え絵本でも子どもと一緒になんて選んでいられないという人もいるが、私は子どもが自分で選ぶ絵本をみるのも新鮮で楽しい。私の思う「子どもが好きそう」とは違った意外なものを、絵がかわいいとか面白そうとか言って持ってくるから刺激にもなる。休園だし児童館もなくなるし、これで図書館も休みになったら本格的に行き場に詰むな、と思っている。

 

3/5

まいばすのトイレットペーパー収穫は無し。

この日は前から約束していた別の園に通うお友達と遊ぶ日。こちらは休みなので朝から楽しみにしているけど、あちらの園は通常通り保育をしている。通常、自由登園、休園。自分のところは諸に小学校に準じているようだ。少人数の園だし上に兄弟がいる子が多いための配慮かもしれない。マンションの大家である会社の担当の人と電話。移動も考えたいけど、なんせこんな状況で、子どもの保育もなくなってしまったので作業自体がなかなか出来なそうだし、と話すと同情してくれた。あらたに人が入居することは無いけれど一応ゴールデンウィークくらいまでには決めてくれと言われる。

お友達との遊びを子が待ちわびすぎて早く出てきたから閉店セールをしていた古着屋「光」に寄って子どもにオモチャの指輪とイヤリングを買う。そういえば近頃のアクセサリーの定番は首元よりも耳元な印象。それに、昔は皆こぞってピアスを開けていたのに今はイヤリング率が高い。髪の毛もカラーやブリーチは出来るだけ避ける方が良いとされるし、自分をむやみに傷つけない大事にする時代なんだろうなと痛感。

お友達が降園してくる時間に駅前のトリアノンで待ち合わせ。去年から禁煙店になって、見る人が見たらここも昔ながらの味わいはなくなってしまったかもしれないけど、子どもと入りやすくなって正直嬉しい。それで2月生まれと3月生まれの二人のお祝いをしたのが去年。今年もそのつもりで、我が子は覚えているのか軽すでにハイになってる。園終わりでちょっとローなお友達とはじめは噛み合わないものの、お互いがこっそり用意していた簡単なプレゼントでテンションがひとつになっていく。へんな話、我が子は相手は誰だっていいのだろうと思う。毎日のルーティン外のことを誰かと共有して、その時に特別なことが起こると一気に「私たちって親友だよね!」の世界を強めてくる。卑しいなぁと思うけど、この年頃はみんなそんなものだろうか。お友達には赤ちゃんの妹もいるし、お誘い頂きお家に寄らせてもらう。子どもを通しての付き合いなだけだから、ママ友なんてどんな人でもそれなりに付き合えると当初思っていたけれど、こうして好みが近しい人達と出会えると、子どものことだけでなく自分目線での会話もしやすいから楽しめる。ビレバンがどんな店かを説明するとこから入らなきゃならないなんていうのはやっぱりキツい。それ以上の会話になるわけない。我が子の通う園の保護者は、似たもの同士夫婦感があまり無くて、言っちゃなんだけど社会的立場は安定してそうな冴えない旦那さんとタイプが違った若々しくキレイにしている奥さん、という印象。クラス会でおめかししてくる妻たちの姿が頭にチラつ。まぁこんな土地で戸建て住まいができている人達に対しての邪推に過ぎないのだろうけど。しかしこのお邪魔しているお宅も高級マンション。それでも対等に話せる場合もあるわけで。知育菓子をやり切って鐘がなるまで遊んで帰る。

 

3/6

あれから夫は毎日まいばすを確認しているようだがこの日も収穫無し。薬局は相変わらず行列らしい。私は休園になってから朝早に外に出ることはしていないから現場はどんな様子なのか見えていない。見てないのをいいことに危機感ないふりをしている。

児童館の他によく利用していた保育施設広場がある。保育従事経験のある年配の女性達が運営していて、そこで一緒に子どもの相手をしたり私たち親の話を聞いてケアをしてくれていた。そうして子どもの性格が見えてきたりその場に慣れてきたりした乳幼児の預かりも行っている。はじめはその預かり目的で通いだしたけど、先生達と話がしたくて行くような時もあった。何より隔週で土曜も開いていた。預かりでなくても1日の利用料は100円かかるけど、区から支給されていた子育ての応援券を消費するのにも都合よかった。その応援券の無償サービスも我が子はこの3月で終了となる年齢だった。ここまでは育児が大変なものだと社会的に認知され保障されていたけど、ここからの「大変」は個人によるといったところか。どう手をかけていくかもそれぞれ。習い事やインフルエンザの予防接種、本来の自分でやれる自分なりの育児はこれからが本番となるのだろう。いつからか子どもはこの広場にある遊びもしっかり記憶して、自分から行きたがるようにもなっていた。終了を惜しむ母達が有志で継続にむけて動いていたけれど、仮に続けられたとして、私としては今後はお金を払ってまで行くかというと、どうとも言えない。

広場に着くと受付の先生が「あれ?幼稚園どうしてるんだっけ?」と心配そうにしている。聞くと休園になっているところの子は利用を断っているのだという。園の方針を乱すことはできないから。言われてみればそれはそうだ、でもにショック。「月後半には利用できるようになるはずだから」と先生に励まされ広場を後にする。子ももう理解が出来るからおとなしく付いてくる。休園になると決まったところから先生にもきちんと説明されていたようで、何かイレギュラーなことがある度に物知り顔で「コロナの影響」と口にするようになった。私は、コロナなんて言ったって分からないし、無駄に知らなくてもいい言葉を使う必要ないと思っていて「怖い病気があるから!あちこち触らない!」とか、曖昧な言い方で注意したりしてたけど、大人にとっても未知の不安なもの、そのままの通りに教えれば、状況と合わせて理解できるようになるものなんだなと。

せっかくだからすぐ向かいの公園で遊んで行こうかと寄ると、小学生男子が数人、時間を持て余してるから仕方なくといったノリでダラダラ遊んでいた。たまに自転車に乗った見回りしているらしい腕に腕章を付けたおじさんがこちらを見ながら通り過ぎる。この頃はこういう人をよく見かけた。突然の休校宣言に、現場は地道に対応しているのが分かる。

夜、家族揃ってサイゼリヤに行くが、歯が痛くて痛くてその炎症を抑えるための飲食でしかなくて全く味わえない。子どもが突然ジェスチャーゲームにハマって色々やってくれる。それが普通にクイズとして楽しめるから少し気が紛れた。

 

3/7

いよいよ本気でトイレットペーパーを入手できなければまずい。このところはトイレットペーパーを持って歩いてる人をつい目で追ってしまうようになった。あのズドンとした持ち歩き難い四角いトイレットペーパーのパックを片手に歩く人がイケてるように見えることなんて、後にも先にもこの頃しかないと思う。仕事帰りらしいサラリーマン風の男性が、キッチンペーパーを持ち歩いていて珍しいなと思ったこともあったけど、ニュースなどをみて必要な紙類が手に入らず、とりあえずキッチンペーパーを買う人がいるということを知った。

歯の痛みは治療によって起こる一時的な炎症かもしれないから様子をみましょうと言われていたけど、もう我慢ならない。例にだされた炎症の痛み方と違う気がする。私にしかその痛みは分からない。自分の直感を信じて神経を抜く判断をした。若い頃はこんなに一本の歯に向き合っていなかった。歯の治療法なんて自分で判断するわけもなく、口を開けてみせたら勝手にいじくってもらっていた。せいぜい銀か金か白でいくのか、くらいしか選んだ覚えはない。引越したり職場を変えたりする度に歯科を変えていた頃もある。元々の私はどうだったのか、自分でも分からないし、知ってくれているところなんてどこにも無い。いつから口の中がこんなことになったのか全く思い出せない。悔やんでもどうしようもないのでこれから意識をもっていこうと気がついたところで矯正をすることになり、毎月同じ先生に口内を見てもらっている今の安心感たるや。神経が抜けたら途端に厄介な痛みがなくなる。残るは徐々に和らいでいくであろう違和感の痛みだけ。

久しぶりに落ち着いた気持ちで午後には高円寺に出る。沖縄の雑貨屋さんのポップアップショップを見て目の前の未完成に寄って退散。

駅前の薬局のいつもトイレットペーパーを置いてる場所に「明日朝入荷はあります」の貼り紙がある。ひとまず可能性アリの一ヶ所は確保した。

 

3/8

雨。またまいばす狙いで出て行ったと思った夫の戻りが遅いから、ダメなら昨日みた貼り紙の薬局を推そうと連絡してみるとすでに島忠まで行っていた。ラスト1に間に合わなかった、とのこと。それが分かるということは目の前で負けたんだろうな。いたたまれない。ティッシュはある、と何種類も山盛りに積まれた写真が送られてくる。

前日にクラスLINEで図書館の利用制限がはじまるとの知らせを聞いていたので、私と子は図書館へ向かう。嫌な予感の通りになった。図書館の利用可能サービスの説明に目を通すが複雑で分かりにくい。(その後郵便局のHPも結局営業時間はいつなのか分かりにくかった)ともかく明日から貸し出しが出来なくなることは間違いない。どうせ休館になるなら、最悪トイレットペーパーを分けてもらえないか顔見知った職員さんに相談してみようかという考えも頭をよぎった。でももちろんそんなことは口にできず、今日借りても二週間後が返却日ですかと聞くと、返却ポストは一応開放しているけど、こんな時なので再開までお持ちいただいても結構ですよと言ってもらい沢山借りることにする。ただ隣接区なんかはすでに休館していて、再開は杉並区よりも早い予定だからそれに合わせてこちらも早めるかも、とのこと。(結局早まるどころか世の中休館は延びるのだけど。)ネット予約は今日中できるというので、前日テレビでブレイディみかこさんが紹介していた「タンタンタンゴはパパふたり」をチェックするとすでに12人待ち。LGBTを扱った絵本で、イギリスでは多くの保育園に置かれていて子ども達に親しまれているらしい。休館中に回ってくることは絶対にないけど、私も見たいし、子もタイトルのリズム感が気に入ったのか何度も声に出して読みたいと言っていたので予約をいれる。

クラスLINEで各自が利用している図書館以外の区の施設による貸し出し状況が報告されるが、どれも不確かな様子で急なことだから情報が錯綜していて職員も困っているらしい、とのことだった。夫はとりあえずあるうちに、と言ってティッシュを買ってきていた。

 

3/9

確かこれくらいに夫がトイレットペーパーを入手。ついに観念して隣のドラッグストアに並んだとのこと。前から二、三番目だったとか。

朝から「よければ公園に集まりましょう」とのクラスLINE。「急な図書館休館で借りそびれた人もいるだろうし、お互いの絵本を持ち寄り青空文庫もしませんか」などと、私にしてみれば突拍子もない提案だけど、LINE上は賛成の反応で活気付く。これを傍観していられるのも大人だからで、中学生くらいだったら何でもかんでも同調圧力を感じて、屈しなければ居心地が悪くてたまらなくなるはず。子どもはこれからそんな世界を知ることになるかもしれなくて、私はそれをみて追体験するように辛い気持ちになったりするのだろうか。

公園で園の子とひとしきり遊んだ帰りがけに見覚えのある小学生達に会う。いつもの児童館でかつて学童に入っていた子達で、今よりずっと小さかった子と散々一緒に遊んでくれた。彼らもクラスで集まっているらしく、連絡は「ママ達にLINEで取りあってもらって」と言っていた。高学年になるけど、そこはまだ友達付き合いにも大人の手がくだされている。

 

3/10

雨が降るなか歯科治療へ。根管治療というもの。神経を取っただけで終わりではないらしい。確かに水に触れた時なんかに痛みも続いているからこれで終わりとされても困る。待合室で未就学の時によく遊んでいたお友達に遭遇。決まった幼稚園に合わせて一年前に引越してしまったけど歯科は変えずに通っていて、やっぱりそういうことだよなとあらためて思ったり。キッズスペースの玩具は廃止になっている。私の治療中、子どもは待合室でおとなしく英語のディズニー映画をみて待っていた。

帰りに何も考えず近くの児童館の前を通ってしまい、子に寄りたいとごねられる。普段自転車で走り抜ければスルーできていたものが、歩きだとじっくり目についてしまうのだった。ここも幼稚園に入る前まではプログラムにも参加したり通っていたから顔見知りの先生もいる。遊べるのかまず聞いてみるだけ聞いてみよう、ダメなら仕方ないよねと言い聞かせながら中に入ると先生には同情されながら受け入れられる。子どもはマスクをしているけど、自分はどうせ歯科治療だからとマスクをしていない。持ってないんですよねというと、これ使ってくださいと奥から一枚持ってきてくれた。学童の子はちょうどおやつの時間だから静か。小学生が数人来ているが身を寄せあって持ち込んだゲーム機で遊んでいるだけ。この児童館は学童の部屋はあるけど、その他は全て幼児と小学生が共有する。置いてある玩具も共有。だから普段だと密集するわ玩具の取り合いにもなるわでカオスだからあまり利用しなくなった。皆んなが自粛してくれているだけにこの日は存分に遊べてしまった。外はまだ雨で気力もない。子どものエネルギーを少しでも多く消費するために、プリンアラモードを作ろうとテンションをあげて、足りないものを買って帰ってそれなりにやりきった一日。

 

3/11

子どもの歯科予約の日。フッ素の塗布を随分長いこと放置してしまった。小児歯科担当の先生がいつのまにか産休に入ることにまでなっていた。

そのあと30分は飲食ができないから気晴らしに公園に寄る。駅を飲みこむ形で広がるこの公園は、散歩、ジョギング、ピクニックや憩いの場となる公園。小枝や葉っぱを集めていると感じよくおばさんが話かけてくる。公園ではよくあること。遊びが乗ってきて今度は丘の反対側で繰り広げていると、またさっきのおばさんが通りかかる。今度はゆっくり話し込む。聞けばこの辺りに越してきてまだ一年くらいだとか。元々は奈良に居たという。苦労話だとかいうわけでなく前向きな話し方。その年頃にして素晴らしい考え方ですねと賛同すると、あなたくらいの子育て期の頃に指針となるものに出会ったから、とエホバの教えを軽快な口調で説明しだした。一気に冷める。会話を適当に切り上げた。もっと泥臭い話なら付き合えるけど聖典の言葉で語られても、嫌いじゃないけど現実的じゃない。“誰かの教え”との付き合い方は本当難しい、宗教でなくとも。

午後、子が眠そうになってたから自転車で連れ出す。眠いときそのままいても寝なくて、自転車に乗るとたいがい寝るんだけど、家から連れ出すまでが一苦労。眠くて訳わからなくなってくると頑固になるのもあるあるで、この日はハンバーグが食べたいと譲らないから、じゃあ買い物をと説得してどうにか出られた。案の定寝る。しかし寝たら寝たで行き場が無い。帰れば起きる。とりあえず中野から高円寺に向かう。高円寺だと自転車にまたがったまま店の外ラックなんかを見たりして意外と悪くない時間を過ごせる。しばらくして様子伺いに振り向くと、よだれを抑えるために子の首元に挟んでいたハンカチが無い。どうせまだ寝かせていたいし、いま来た道を戻りながら探して中野高円寺を行ったり来たり。そのうち目を覚ました子に訳を話すと後ろで私を応援しながらハンカチ探しに付き合ってくれた。前にフリマで買ったぬいぐるみをその日のうちに自転車から落として、やはり見つからなかった時のことを話し出したりして、それなりに落とし物は気になるのだろう。しかしその間に子が頭に着けていた仮装みたいな飾りのカチューシャをまた落とす。今度はすぐに高円寺内で見つかる。夕方になって人通りも活気付いてきたし、さすがにもうやめようとお互い諦める。時間を持て余すと無駄なことしてしまう。しかしそこからはもう時間に余裕はないのに、公園で遊ぶと言われて慌てるも、連れ回して子の時間を奪った申し訳なさもあり従う。もうハンバーグはやりたくないなとぼんやりしながら遊びに付き合う。その後の記憶はない。

 

3/12

お父さんと外に行きたいと譲らない。夫もその気になって昼頃から絵具やら絵描き道具を持って出て行く。自分の買い物などしてから午後3時頃に公園に向かうと、どこかの幼稚園を終えた後らしい子ども達が何人もわいわい遊び回るなか、我が子は敷物の上で一心に絵を描いていた。その脇には鳩を捕まえようとしているらしい見た目ばかりの仕掛けが作られている。ママ達はそのすぐ側で見えていないかのように気にもせずお喋りに夢中。または、もうひとしきり好奇の目を向けた後なのか。夫はたまにしか子と遊ばないから面倒な遊びかたをするけど、その遊びを知った子どもから日常的にこちらに求められるようになってしまうと困るから嫌な気しかしない。周りをキョロキョロしながら「こんな場所に敷物で邪魔になるよ…」と言って片付けを促す。珍しいことをして気分も盛り上がってる子はその後も、今日はお父さんと児童館に行きたいと言う。今度は夫も仕方ないといった様子で二人は向かった。私は仲良しのママ友に「行くようだったらサポートよろしく」と連絡して帰る。もうすぐ5時。夫に音楽が流れるタイミングで帰る時間だと言えばいいとLINEすると、すでに流れているらしく「あれは小学生だから」と言ってるとのこと。児童館では学童の子が部屋に戻る時間の5時前と、閉館時間の6時前の二回、音楽が流れる。もう騙されないらしい。一人でニヤニヤ笑いながら夕飯の準備。カレーにするよとLINEしながらハンバーグもあったことに気付いて、どうやら前日は予定通りハンバーグを作ったらしい。

ママ友から「実は原宿に行ってた」とLINE。私は電車に乗らずもうすぐ一ヶ月が経つ。どんな様子だったか聞いてみると詳細を報告してくれた。どうしても見たい展示があったこと、あの竹下通りがベビーカーですいすい歩けたこと、白人の観光客はいるけど中国系はほんとに見かけないとギャラリーの人からの話、電車は帰宅ラッシュ時なのに混み混みというほどでもなくほとんどの人がマスクをしているし咳をしているような人には出会わなかったということ。でもやっぱりまだ自分は思い切れない。特別出掛けなきゃいけないほどの用もない。4月には、と思っていることはいくつか。

 

3/13

夫が「薬局の行列、自分が買ったとき前にいた爺さんが今日もまた並んでるよ」と驚いている。世間でも問題になっている老人の暇つぶしか。

午後に公園に行くが寒い。アクティブに遊びまわる小学生以外次々と退散していく。我が子は集中して砂場遊び。声をかけ続けどうにか児童館に移動することに。ママ友にも連絡、一緒に遊ぶ。

昨日の夜に「コロナどうなのよ」と兄からまた一言メール。「この辺りは紙類が手に入りにくくて大変だったけど今週少し落ち着いたかも」と簡単に返信してあった。日本時間3月13日の夜20時頃。「ちょっと始まり出したか」と写真が送られてきた。3枚全てすっからかんのスーパーの棚の写真。売り切れ方が日本よりえげつない。「ちょっとどころじゃないじゃない…」とすぐに返すもその後レスは無し。不安だけ残される。

 

3/14

天気が悪く家でじっと過ごす。休園となってまず知育菓子をいくつか買い込んだ。クラシエの知育菓子は「子どもと一緒に作る」というイベントのなかでは集中できる方だしこちらも苦痛でもない。天気の悪い日は知育菓子をして時間を潰している。午後、天気は雪に変わる。

 

3/15

夫が演奏に行く。都内では小さなライブハウスの限られた人しか関わらなそうなイベントでも中止をするようになってきていた。地方の夫らのやるはずだった公演も次々と中止になっていたけれど、この日のイベントはやるのかやらないのかどこでやるのか、話が二転三転していて結局会場が変わって開催するとのこと。世間の流れに反しているだけでもう危うさがある気がしてしまう。夫らが何かやる時の密度といったらない。メンバーが集まるだけでもみっちりしている。とにかく慢心はやめて、いちいち意識をしっかりもって、共に生活する私達が不安に思いそうなことがあったら、その後は自己隔離をする覚悟でやってくれ、と言うしかなかった。

私と子は午後、普段自転車で通りすぎるだけの高円寺の寺「高円寺」を歩いてみようと立ち寄る。週末の公園は人も多いだろうから散歩で少しでも体を動かすつもり。拝む本堂があるような寺らしい寺なわけではなくて、静かな庭園といった感じ。それでもここを目指して来たような来訪者もいる。あっちにこっちに伸びて行き止まる飛び石を伝って遊ぶ。子が何かをみて「千と千尋みたいだ」と言って怖がりだし退散。駅にあるデニーズでミッケ!ごっこをしようと向かう。ミッケ!はジオラマのなかで指定の物を探す絵本。リアルミッケ!をするのが最近の外遊びのひとつなんだけど、そのデニーズでは窓から見下ろす駅前の街並でミッケ!をしている。しかし早速振り向いた窓越しに自転車撤去トラックが見えてしまいそれどころではなくなった。さっさと食べたらお店を出て自転車を確認、今度は落ち着いて西友近くのお寺。こちらもいつも前を通るだけだった。門をくぐると中は小高い斜面になっていて、ぐるりと一周する道だけでも子どもには充分そうだ。探検してくると言って、木の実やら小さい花びらやらを拾いながら進む。上から門の向こうに目をやると通り沿いに並ぶ顔見知りのお店が開いているのが分かる。穏やかな午後だけど誰かに会うような気分でもなかった。

帰って悪くなりそうな肉をひと通り調理して置いておく。後で帰った夫が仕方なく食べるだろう。

 

3/16

モーニングメニューを買いに朝から中野。3月はID払いのキャンペーンでキャッシュバックがあるから消費に忙しい。夕方もポイント5倍デーの隣りの薬局で買い物しようと思うも夫からは半額になるから出先の自分の方で買うからとの連絡。子どもが歩いて高円寺に行くというのを阻止して自転車で児童館。チャイルドシートの雨除け防寒カバーの取り付けボタンが破壊されるほどの強風。

Huluの在宅支援で無料で公開されている過保護のカホコを観る。当時、高畑充希の演じるちょっとスローな子がなかなかヤバいとの話があって気になったし、過保護というワードにもビクりとしてなんとなくは観た。もういつでもそこにある「親」の姿を追ってしまう自分がいる。一切リアリティある話とかでは無いんだけど、ママが娘に対しての正直な想いをぶち撒けるところには自分の気持ちを代弁されてるかのようで涙がこみあげてしまう。「子どもは今しかない奇跡や幸せいっぱいくれるんだよ?なんでそんな宝物みたいな瞬間を見逃しても平気なわけ?」私も、それが支えでここまできた気がする。「自分の人生にこんな素晴らしいことが起きるなんて信じられなかった」というのも。結婚するカホコに、「パパやママをたくさん幸せにしてくれてありがとう」。こんな定型文のような言葉に、本当にその通りだと頷ける自分になるとは思わなかった。途中でやめるの陽光くんの娘のすんちゃんが卒園式に読んだという手紙をみても泣いてしまう。すんちゃんからみた親の二人が世間から見た通りの二人なこととか、共に過ごしている時間を想ってなんとも愛おしくなる。私はどんな人なんだろう、自分でも分からない。子に見せてあげられる特徴がなくて申し訳ない。

 

3/17

歯科治療。そのあとクラスで公園遊び。翌日の終園日で年少は終わる。急な休園で、進級に向けた子ども達の心の成長を徐々に促すような保育がやりきれなかったとしたら可哀想だったなと思う。なによりも担任だった先生が去年の夏に結婚していて、この春で地元の長野に帰ることになっている。私達が聞いたのも今年に入ってからのこと。長くお勤めされていたから今の在園児の兄姉からお世話になっている人も多いし、とても慕われていた先生だったから、発表があった時には衝撃で泣いてしまう母もいたほどだった。子ども達には保育のなかで先生達から伝えていったから、子ども達がなんとなく理解できたのだってごく最近だったはず。卒園生になる年長さんはとくに、こんな形の春で別れと出会いについて、充分に感じることができただろうか。

夫が子の写真を送ってというから送ると、まるで自分が連れて歩いているかのようにツイートしていた。そういうことをよくやる。人に暇だと思われてるのではとか、たまに気にしてるわりに、そんなことするからそりゃあ勘違いもされるだろうと私は呆れる。

公園遊びも終盤、人数も減ってきた頃。子ども達の群れがこちらに姿を見せた時にひとり女の子がいなくなっていることに気づく。「あれ?あかりちゃんは?」と聞いても子ども達は「?」といった反応。みんなで連れだって遊んでいるように見えているけど、子どもはひとり逸れても誰も気づいていない!あたりをざっと見回しても姿は見えない。大人があちこち探し始めたのをみて子ども達もその気になって探そうとしだす。ヘタにウロウロしてまた誰かいなくなったら厄介なので、今度はその子らを呼び戻して一箇所に集める。すでに、左右どっちにいけば早く皆の元に戻れるか分からなくなった我が子なんて泣いている。結局あかりちゃんは、突然帰りたくなって駐輪場に行き自転車に一人で乗ろうとしていたらしかった。それをキッカケに遊びは解散。この公園は死角が多い。座れる場所もあるからのんびりと思いきや、結局あちこち広く移動することになって疲れる。

夕方、ママ友から児童館の012歳向けの絵本がもうごっそり紐で縛られ玄関に置かれているとの報告。有名イラストレーターや作家が意外に描いていたりして、こちらも眺めるのが嬉しかったシリーズ。赤ちゃん向けの色と音を楽しむ絵本はたくさん読まなかった。0〜2歳対象となっているけど実際2歳の頃にはもう少しお話の絵本が中心だったように思う。あれを楽しめる時はほんとに短い間だったんだ。もっと読んであげればよかったな。

 

3/18

終園日。年長さんは前日卒園式だったからもう居ない。子ども達はお別れの儀式を知らずに終わった。最後に担任だった先生を囲んで写真。ゆるキャラのように皆順番待ちして撮っていく。でも実は大人はもう一度だけ先生に会える。4月1日に繰り上がった始業の日に保護者面談がある。その時にはもう先生ではない先生と話せることを、私は楽しみにしている。彼女は野方に住んでいたりクリスマス会でマジックをしたり、わりと個性的な魅力的な女性だった。子どもは帰りにお友達と遊ぶテンションになっていて、それもどうせしばらく無いことだから、お昼ごはんにパンを買って付き合う。そういえばこれまで利用できなかった広場も、終園式が終わったから正式な春休みということで行けるはずと思い電話で確認、オッケーが出たからその場で預かりをお願いする。今月末で有効期限が切れる子育て応援券は、幼稚園のお預かりに使う予定で取っておいたのに春休みまでまるっと預かり保育がなくなってしまったから使い道に焦っていた。3月はただでさえ預かりの予約が混み合う。つねに定員限界になるまで小刻みに時間調整しながらスケジュールを組んでくれて、どうにか2日分予約ができた。

夕方からはまた児童館。その後は夫と合流して仕事の繋がりになる人を紹介してもらおうと思うも不在で、目の前にあったほっともっとでドラえもんランチを子どもに買ってあげることに。多くの人の帰宅時間でもあるからお弁当屋は混んできていて私はちょっと警戒、外で待つ。ガラス張りで丸見えの狭い店内が私には人が詰まっているように見えるけど、客は次々やって来る。キッズ弁当のおにぎりが無骨に大きくてラップで包まれているだけの人ん家みたいなおにぎりでちょっと驚く。

 

3/19

朝に夫がいちご狩りに行こうと言いだす。その日にならないと夫の作業の調整がつかないこともあり、突然こう言い出すことがよくある。去年はじめて行ったいちご狩りを子が思い出しては、また行きたいとずっとせがんでいた。夫は車レンタルの準備をして、私は出来るだけ近くで今から向かっても入れるところを探す。埼玉に行くことにした。

近いだろうと思っていたけど入り組んだ場所で目的エリアに入ってからが長かった。ハウスのなかはどこでも好きに捥いで食べていいシステム。他に同じくらいの歳の子をつれた家族1組と少し遅れて若いカップルが1組来ただけ。分かっていたつもりだけどいざ目の前にすると、今日のこれまで、いちごを誰がどう触っているかも分からないことの不安が押し寄せてきて、一個一個洗い流しながら食べたくなるけどそうもいかない。どうにか気にしないように、子どもに「あっちに蜂がいる〜」とか絡んでカラ元気でテンションを保ち食べる。それでも去年栃木に行ったときのようにたらふく食べることはなく、子どもは蜂に怯えてそんなにだった。結局いちごよりもその入り口にいた動物に夢中。餌やりも自由にできることになっていたから、いちご狩りよりも長い時間うさぎに餌やりをした。ママ友から児童館の絵本を譲ってもらえるとの連絡。物が増えるのは本当にうんざりだけど貧乏性だから無駄にならないことは嬉しい。

 

3/20

午後、夫がいつもの近くの公園にザリガニ釣りに行こうと子を連れ出す。今までやったことないけど実は都内のザリガニ釣りスポットとして紹介されていたりする。ところがこの日は池の水を全部抜くという掃除の日だったらしい。年に何回もない、いつも鯉が泳いでいるところに入れる逆に珍しい日。子は初めからそれほど乗り気ではなかったし、高円寺へ買い物に誘おうと公園に向かっていると、珍しい人から連絡が入る。私が10代から20代の頃遊んでいた高円寺の古着屋でバイトしていた子だった。同じ専門学校出身の友人が働きだした古着屋によく遊びに行っていて、そこで他のバイトの子達や、同じく入り浸るその友達とも仲良くなった。もうこの頃にはそれが憧れた東京だったかどうかなんて分からなかったけど、確実に「高円寺」ではあった。その頃のことはまたあらためて残しておきたい。で、その友人のバイト仲間の子が何かというと、その店で短期間お手伝いでバイトしてるから良かったら来てね、家近くだったよね、ということだった。ずいぶん長いこと会っていないけど変に身構える気にならないのも高円寺での繋がりだからかもしれない。家族連れ立って店に向かう。子どもは公園で花見をしたいモードになっててグズっていたけど、古着屋に行きたい夫に夜の花見にしようとそそのかされて一気に盛り上がる。

ローソンの休校支援で半額になったホットミルクを差し入れにしてお喋り。3月は休校支援として様々なサービスがはじまった。ワタミの宅食も気になって電話してみたけど全く繋がらなくて、ツイッターで調べるとそんな話ばかりだったから、きっとこれきっかけに飛びついてきたような輩はもう手遅れなんだろうなと、興味本位で飛びついた自分を情けなく思ったものだった。友人は相変わらずで、とりあえず4月のシフトまで聞いて退散。

さすがに夜はまだ冷える。昼間には持たせなかった上着や膝掛けを取ってきてオリジンでおにぎりなんかを買って公園に。同じように夜桜の元に集まる人は何組かいた。家族連れやカップル。騒ぐような雰囲気は無く落ち着いてはいるが、どこからかタバコのにおい。それぞれ離れているし野外なのにこんなにはっきり臭いが届くということは、何かあったら危ないんじゃん!と神経質になる私。しかしそれ以上に寒さで落ち着かなくて早めに帰る。

 

3/21

昨夜の夜桜花見といい、子どもはピクニックごっこが大好き。天気もよいし中野セントラルパークに敷物持って行こうと誘うと大喜びで張り切る。本当は室内遊び用のキッズテントと、折り畳みテーブルなど準備万端にして、あとはハッピーセットを買えばもうおとなしく遊んでいられる。おもちゃは春休み映画の予定だったドラえもん。テレビアニメの後に告知されてた子ども向け映画は次々と延期の知らせに変わっている。

夫も合流したら片付けて街に繰り出す。ブロードウェイにハム太郎を探しに行こうと皆んなで盛り上がる。私も夫もそういうことは好き。昔はフリマを楽しみに生きていたくらいだったけど最近はフリマがほとんどない。たまに近くで大きなフリマもあったりするけど、それ自体がフリマアプリが主催のものだったりするほど、まずはインターネットの世界が基本になってしまった。それはそれ、これはこれならまだいいんだけど、切り離してそんな自ら損をするかもしれないようなことする人なんているわけなくて、前時代よりいっそう誰もが自分の価値より世間の価値で値づけするから面白くない。逆に価値を知らずに目にするものは新鮮で楽しくもある。いま自分にとってハム太郎はそんな感じ。まず今からまんだらけ、その他のショップを見るなりして学びをする。なぜいまハム太郎かというと、休校支援の一環だったのかYouTubeで公式がアニメをアップしていて、夫が自分も観てたやつといって「とっとこハム太郎」を子に教えてからどハマりしている。私はハムスターなんだな、ってくらいで興味もなかったけど、ちらりと聴いたアニメの歌が良くて子どもが歌うとまた可愛くて、もう幼児に合唱してほしいと思った。すでに一昔前はそんなことあったのかな。こないだの古着屋の子は、我が子に「知ってる?」と聞かれると「面白いよね〜」とよく知っていた。夫と同い年で私の三学年下だけど、二人とも観てたというには不自然な年頃なはずなんだけどな。最近でいう「ここたま」みたいな位置づけっぽい。

3階に上がってすぐの買取センターのところで待機しているスタッフを捕まえてどこで扱っているか聞いてみると、今あるとしたら…とスルスルぽんぽん提案してくれる。さらにもう一人捕まえて即座に共有して裏どりまでしてくれてしまう。まんだらけの店員さんの知識に触れる時はいつだって興奮する。なんてったってインターネットの基礎の部分がここにある。また良いもの見させてもらった。結局いま中古の扱いはなくて、あるのはなぜが現役で一番くじがあった。あったことは嬉しいけどあまり喜ばしい景品は残っていない。一回だけやって店を後にする。他に中古グッズが売られていたところもあったけどあまり可愛くはない。なんでもいいからハム太郎!となってる子をなだめて、夫は陰で「ネットでも探しとくわ」と言う。私は知り合いの子がこの週末ブロードウェイの雑貨屋さんに持ち込み出店するとママ友に聞いたことを思い出した。その子はレトロ感あるファンシーなものが得意でサンリオやキャラクターものもよく持っている。ハム太郎も手を出していた気がする。行ってみるけど本人がいるのは今日ではない。物もハム太郎はなかった。

何か食べて帰ろうかと北口の飲み屋街辺りをウロウロするも子が眠たい時の騒ぎ方だったから帰宅。

夜にツイッターで中野の北口で防護服を着た人達が除染作業をしていたとの話題を目にする。まさに自分達がうろついていた辺り。ぞわぞわして情報を辿っていると中野のセントラルパークにある会社ではコロナ陽性者が出ているのに隠している、社内環境からいってクラスター発生してもおかしくないのに、だとか囁かれていて一気に不安になる。結局除染作業は事前対策でとかパフォーマンスだとか、不確かだけど直接感染は関係ないようだったけど、セントラルパークの件はリアルで怖い。

 

3/22

なんていいながら今日もセントラルパークへ。

私は積極的にピクニックを楽しめるほうではないのだけど、これに付き合っておけば他の遊びより子どもはマイペースにひとりで過ごしてくれるから、そういった意味で今は手軽にピクニックができる環境があると有り難く思う。しかし風が強い。昨日よりは小規模にして様子をみる。昨日も今日も、去年までのような混み合いかたはしていない。皆んな注意深く周りを見廻して先客との距離を見極めながら場所取りをしているのが感じられる。もちろんチームごとには花見宴会で盛り上がっている。

夫も合流。風の強さに耐えられず早めに切り上げ、迷路ごっこやリアルミッケ!で体を動かす。私がしゃがんで休んでいると夫と子の姿が見えなくなった。しばらくすると子どもの泣き声。だんだん近づいてくる。顔をあげると夫に抱き抱えられた子が顎から血を出している。縁石の上で足を踏み外してぶつけたらしい。なだめながら洗って拭きとる。見た目はちょっとまずいかなぁという傷だけど泣き止めば痛みも落ち着いているようだったから、とりあえず持ち合わせの軟膏を塗りマスク。またもやハム太郎探し。ビレバンあたりにもなんかあるんじゃないかとの友人のヒントを得て高円寺へ。夫がどこかで見た気がするんだよなぁと言いながら他を見てくると出て行く。すぐに連絡がきてローソンにあったとのこと。どこかとはコンビニだった。もともと夫はそれをみかけてハム太郎を思い出し、子に観せようと思ったというわけだった。なぜ最新であるべきコンビニに今どきハム太郎なのか、たまにこんなバグがあるから面白い。子が選んだのはハム太郎でなくリボンちゃんという青のリボンをした女の子ハムスターのぬいぐるみ。ハム太郎はもう良いやつ探してあるから大丈夫、と夫は私にコソリと言う。自分のおすすめが子どもにウケた喜びでそれはもう一生懸命なようだった。

夜お風呂に入ろうとすると顎が痛いかもと子が不安になりだした。夫の監督不行届なわけだから対応は丸投げ。相談センターに電話したあと「やっぱり救急に連れて行く」となり、案内されたのは先月コロナ感染が出た例の病院。3月初旬に診察再開とはきいていたが、まさか早速うちがお世話になるとは。病院だからその後対策はかなり徹底しているだろうと思うもののやはり不安もある。ただでさえ以前から救急が激混みと言われていて、救急に行くことになっても別のところへ行っていた。しかし今はそっちの救急も心配がある。子にマスクを付けながら、診察まで絶対外さないように、あちこち触らない、手で顔を触らない、とキツく二人に言って送り出す。いつもなら、気にしすぎとかしつこいだとか言ってしかめっ面するであろう夫も、ウンウンと頷いていた。心配をよそに一時間もしないで10時過ぎに戻る。子も安心した様子で二人ともすっきりしているが、私としては診察のこと以上に病院の状況が気になった。「人全くいないよ」と良いことのように夫は言うけど、あの病院に人がいないなんて、世間に警戒されているのか。

 

3/23

広場で遊んだあとゲオに寄ってみる。まんだらけで終了したハム太郎一番くじがゲオにはまだ他景品もあることは確認済みだった。しかも店先に着いてみれば値下げられている。お得感見せられると俄然私はやる気になる。コップが出て納得の結果。

デニーズのバースデーサービスをもらいに行く。通いつめていればファミレスとはいえ常連気分になりたいとこだけど、あちらはいつでも事務的で良くも悪くも感情がみえない対応だ。子どもにも無駄に愛想を振りまくこともしない。このバースデーサービスも、「お待たせしました」以上に思いのこもっていない「おめでとうございます」を添えながら運んできてくれる。ところが今日、子が席につくなりテーブルの上にリボンちゃんをセットすると、案内してくれたいつものウェイトレスさんが、うわ〜と小さい歓声をあげて「それってリボンちゃんですよね…?え〜、かわいい〜…」としばらく手を止め見つめるほど感激していた。デニーズのバースデーサービスのパンケーキはメニューになってるパンケーキよりも立派ですごいお得感。クーポンを自己申告する時が少し照れ臭くもあるから、そのために感情をみせない距離感こそが好ましいのかもしれない。その後は児童館。先生が毎日少しずつ片付けをしているから、今になって古いおもちゃが遊び場に出てきたりもしている。明日近くの保育園の先生が絵本をとりにきた後に残った絵本を譲ってもらえる。一応こっそり気になる絵本を並べ替えて寄せておく。それらの絵本ひとつひとつ、はじめて手にとった時のことをはっきり覚えてる。ここでは私と子や同世代の幼児のお友達で選ぶだけじゃなくて小学生が紹介してくれた。そんな時間を過ごさなければ知ることがなかったかもしれない絵本。ここに来ていてよかったなとあらためて思う。帰る時になって、子が付けてきていたおもちゃのティアラが無いことに気づく。入館した時から付けてなかったと思うという先生の証言をもとに、来た道を見て回る。自転車の後ろに乗っていた子が「あ!めいちゃんのみたいなティアラがある!」と道端のお家のひっそりとした花壇の小人の置物を囲うように置かれていた。とくに目立つところなわけでもなく、私には全く気がつけないような場所だった。誰かが拾って、子ども目線の場所に置いてくれたんだなと思う。

 

3/24

新規にひととき保育の手続きに行く。園の預かりは制限もある。今まで利用していた広場がなくなるから念のため預け先を増やしておきたい。子ははじめて入った施設はだいたい気に入って、早くここに来て遊びたいと前向き。そんな子に無駄に深入りせず。朗らかに軽くあしらう先生。保育園に併設されたこのひととき保育は雰囲気はあたたかだけど良い意味で事務的。とんとん拍子に事は済んで終わり。午後に子のケガの診察。例の病院の広い敷地は閑散としていて、隅の方で小学生グループが何やら遊んでいる。この病院でコロナ陽性者が出て自ら発表し、外来停止の措置をとった時に近くの人がリポートしていた景色と同じだった。正面の広い玄関口は閉められていて、脇にある小さい入り口前に警備員の人がいてそこから通される。なかで指定位置に立って検温。案内などそちこちに立って職務を行うスタッフは皆マスクにフェイスシールド体制で、はじめてそれを使用している現場を目の当たりにすると物々しさを感じる。掃除スタッフの人は付けていなかった。受付、精算窓口前の広い待合椅子に座ってる人もいない。皆スムーズに事が進んで待つことが無いらしい。私達もすぐ上階の受診する科まで行き、そこでも椅子に座った瞬間に呼ばれるような流れだった。ケガの状態は変わらず、それ以上に悪くならないように様子見を続けるだけ。一応次回予約を取られる。空間は広々なのに人は少ないし、ストレスは全くなかった。前回ビクついていたのが私だけなのも納得。外は寒い。裏の庭みたいなところで少し遊ぶ。そのまま児童館に行って絵本を選ぶ。やはりマークしておいたような絵本はごっそり抜き取られてる。残りを隈なくチェックしてると好きな絵本が残っていた。「ジャムつきパンとフランシス」はじめはタイトルに惹かれて私が手に取った絵本。フランシスはどんな食事を出されてもジャムつきパンしか食べない。お母さんは怒るわけではなく、むしろ食べさせ続けて、そのうちそれ以外の食事を出さなくなる。そうしてフランシスが自ら他の食べ物も食べるようになるという話。ちょうど偏食がちな我が子に困っていた時に出合って、これだ!と思った。淡々としたお母さんのやりくちとその結末が痛快。お弁当の中身など食べ物の描写が細かなのも良い。子はそのお弁当の中身を読み上げるところが好きで何度も読んだし、おままごとでこのお弁当を真似たりした。古い本だし話が少し長いから園には不向きだったのだろう。他にもいくつか譲り受け。帰りにどうしてもケンタッキーが食べたいと言われて渋々だけど、どこかホッとしながら向かう。1日遊んでるだけと言われればその通りでしかないんだけど、お勤めの人が子を引き取ってここから1日の終わりに向けて駆け足になるのと同じ時間といえば同じで18時をまわっている。外にいた以上この時間からやらなきゃならないことは変わらない。買い物、帰る、食事の用意、食べさせる、片付け、お風呂、寝かしつけ。間のちょっとした遊びの相槌や名もなき家事だって気が抜けない。子が熱くケンタッキーを所望してくれて救われた。買い慣れないケンタッキー、あたふたしながら注文。

東京が4月にはロックダウンすると囁かれている。ロックダウンとはどうなってしまうのか。街が静まって、しかし生活必需品の買い物はできます、とか単純にそこだけみればむしろ早くそうした方がいいと思うけど、世の中はそれだけではない。自分のなかでこれは不要、と決めつけることはできるし、なんなら私には不要のことの方が多いけど、それが必要な人もそれで生きてる人もいる。兄にロックダウン下はどんな様子なのかメールしてみる。

 

3/25

広場で預かり保育。もう最後なんだし先生と存分に話したりするのに本当はそこで一緒に過ごしたいとこだけど、心を鬼にして応援券を使い切る目的だからと割り切る。園外の預かりは堂々とリフレッシュを理由にできて気軽。子どもは久しぶりの保育に使命感で、行ってきます!(敬礼!)みたいなノリ。

お迎え後またゲオに寄ってみるとなんと一番くじがさらに値下げ。またグラスが出る。夫がメルカリでハム太郎ぬいぐるみも買ったし、もうこれで最後にしておこう。ママ友に今から児童館へ行くと連絡して合流。近くの公園で知り合いの花見に参加していたらしいけど、お酒で飲み食いしてマスクなんてしていられないし、野外とはいえこんなことしてていいのかなって罪悪感感じてしまったと話す。志村けんがコロナを患ったというニュースに、一流芸能人の別世界の話だからコロナはやっぱり特別な状況でなるものなんだろうと思うのではなく、誰にでも感染する可能性があるんだという恐怖がより高まることになっている。子がハム太郎にハマってて、知ってる?と小学5年生に聞いたら、なんか知ってるかもミニモニ。とかのやつでしょ、ママがすっごい聴いてたから、と言われて、ミニモニ。を聴いてた人生の人の子と普通に話してる自分、の状況とか楽しくなってしまう。子育てしていると、こんな別世界みたいな空間で同類に出会えることは嬉しかったりするけど、逆に今までは関わることのなかったような人に触れられるのも面白かったりする。価値観まるで違う人と付き合うのは厄介なこともあるから、そこは分母を増やして沢山の中の一人なだけとして程よく距離を保つとして。私もはじめは、服装だとか見た目で不釣り合いなママ同士をみて、なんでアノ人とアノ人が仲良くしてるんだろう?もっと他に似たような仲間いなかったのかな?私の方が仲良くなれるんじゃないか、とか余計なお世話を考えたりしたけど、そんな自分の好みのことより、子どもに対する姿勢や育児の仕方が近ければ全然付き合える。もちろん好みが似てると話が早いということはあるけど、子どもを介する付き合いなら、私は自分の趣味がどうこうよりも子どもに対する取り組み方に共感できる人との関係を全然優先できる。そのなかで誰かの特徴がみえたりすると余計に楽しい。そもそも、子どものことは抜きにしても単純に私は人と会話するのが苦じゃないというのがあるのかなとも思う。会話をすることが仕事のうちのようなバイトが性に合っていた。その感覚が今の人付き合いにも活かせているのかもしれない。

帰宅してから、今日夫らが演奏をするファッションショーのライブ配信があることをママ友に伝え忘れたことを思い出し連絡。時間になったらお互い観ながらやり取り。彼女は夫のメンバーと元々の知り合いだったりして、親としても趣味としても共有できることが多い仲間。ファッションショーに生演奏とはどう使われるものなのかイメージできなかったけれど、やたらに絵面としてアピールされることもなく、この状況を表したかのような距離感のある演出で意外と良いものだった。私は夫の帰りの電車ばかりが気になる。

 

3/26

午後に最後の預かり保育。送ったあとブラブラしてみるとエリックサウスがまだランチ営業している。内装工事をしている時から楽しみにしていた。子どものいないこのチャンスは逃せない、思い切って入る。他のエリックサウスも以前食べたことあるけど、お腹いっぱいに食べたはずでも身体が重くないから気分がいい。引き続き街を走るといつもいくスーパーに行列ができていて入場制限している。ここは入り口とレジ前スペースが狭いから少し人が増えるだけでこうなってしまうのだろう。駅横のスーパーや西友はまだそんなことはない。カップ麺や乾麺の棚はすっからかんだったけど。こんな平日の日中でもこの行列ならそこでの買い物は面倒に思う。ただ、安い。簡単には諦められない。子を引き取って児童館へ。普段あまり見ない掲示板の貼り紙が目につく。明日から三日間休館するとのこと。世間では「感染爆発の重大局面、週末の外出自粛を要請」と言われていた。ママ友と31日までこのままになってしまったら締まりが悪いね、とシュンとする。重大局面。そこまで分かってて防御できずにこのままなわけない。なんとなくそう信じてるところがあった。4月も少し経てば当たり前に予定していた展示やらを見に銀座まで電車に乗ってお出かけできるだろうと思っている。教育関連が用心するのは仕方のないことだとも分かる。先生とは、来週再開できたらもちろん来ますが、とりあえず今日もありがとうございました、と挨拶を交わす。

帰りに家の近くの方の八百屋に寄る。肉を買うのにスーパーにも行こうかと子と話していると八百屋のおばさんに、「スーパー、肉はもう無くて、買えないってよ!」と声をかけられるが一応寄る。帰宅時でもあり人でごった返している。とりあえず豚挽肉は買えた。

 

3/27

高円寺の薬局とくに買うものは無し。スーパーでは乳製品が買えた。物はあるから焦らないでとトイレットペーパーの時から買い込みが見受けられるようになる度、同じことを繰り返えし言われるけど、具体的な情報と対策がないから焦る人が出てきてしまうのも仕方ない。誕生月クーポンを利用するためにサーティーワンに行く。クリーニングも出したし、使えるサービスはやりきって達成感はある。普段から利用しているところでクーポンを利用するのは権利に近い気持ちでいられるけど、クリーニングは一年に一回この時にしか利用しない。申し訳ない気もするけど、これがなければ別のところへ行くかもしれないし、何ならどうにかクリーニングに出さない方向で考えると思う。引越してDMが届かなくなるまではこうして毎年粗品の薄いタオルを貰い続けるだろう。

いつもと違う商店街の方を通って帰っていると、店先にマイリトルポニーのリュックを出している場所があって、子が「あれ!」と言って指を差す。立ち止まってみると、居抜きで新たにカフェバーをオープンさせるという若い女性が、片付けついでに私物でフリマをしているとのこと。子が欲しがるのでいくらか聞くと、いくらなら買ってくれます?というから300円と言ったら「それで」とすんなり譲ってくれた。この状況で予定通りオープンに間に合うかなと気にしていた。外出自粛と言われてますけど明日からどうするんですか?と聞くと、もちろんここには来なきゃならない、荷物も届くし、と。やれと言われているわけでもなく自分のペースでも動こうとしている人はいる。そうして誰かの働きの積み重ねで動いている社会を思って泣きそうになってしまう。私は昔からその少数派に心を寄せてしまうところがある。自分もそのなかに属していたことがあって、その頃はそんな自分が誰かの支えになっている自覚と責任と誇りもあった。そんな人に簡単に自粛、自衛なんて言葉が通用するだろうか。この三日間で何か変わるだろうか。

夫から「入院を免れた」と連絡が入る。最近目がずっと充血しているし見えずらいとのことでようやく眼科に行き出したところ、入院一歩手前の段階まできていたらしかった。私は視力が良いほうなこともあるからか、あまり目で苦労をしていないし、他の症状でも体の不調に関してはあまり夫に共感できることはない。今回の入院になるかもしれない話もどこまで深刻なことか全くピンとこなかった。無しになったと聞いてとりあえず良かったねと言えるだけ。夜の金曜ロードショー魔女の宅急便。子は張り切って夜更かし。

 

3/28

朝から夫は仕事の用を足しに郵便局へ。その途中、ご自由にどうぞといった具合に放置されているサンリオキャラクターのキックボードがあると写真が送られてくる。これは本当に放置なのか普通に置き場所なんじゃないのか、心配で何度か環境を問いかける。すぐそばにご自由に箱もあるといい、今思うとこれがこの自粛断捨離の幕開けだった。実際ボロいし間違いない、てことで夫が持ち帰ってくる。パーツを分解してまで丁寧に拭いて、剥げているところは手持ちのシールでデコったりなどしてごまかす。不動産屋から電話。最近の家探しで問い合わせをしていた。来年の夏まではここに居られるけど、たまに家探しのスイッチが入ってしまう。必死な営業はしつこく電話をして来たりする。内覧もできます、今日はどうですか?など、約束を取り付けようと必死だ。え、今日も営業してるんですか?と聞き返すと、当たり前だろ仕事舐めてんのかと刺しにかかってくるかのような殺気だった雰囲気のある声色で「はい」と言われ、怖くなり、やっぱりしばらく予定組むのは難しいです、すみませんと素早く伝えて電話を切る。確かに少し前に問い合わせたのは私のほうだけど、ここ最近は何日かでコロコロ状況は変わっていくわけで、それでもいま住まいのある人が、あえてこんな時に移動する必要はあると思うのか。困っている人を助ける目的ならともかく、いま不動産の業界がちまちま動く必要ないでしょうよと腹がたってくる。そうこうしているうちにキックボードのカスタムは完成。試し乗りに外に出る。子は恐る恐る足を乗せて歩くようなスピードで乗る。天気もあまり優れず家で過ごす。買い物なんかは夫に任せた。東京の感染者は50人とか。前回ロックダウンのことを尋ねた兄からようやく返信。「イギリス、ヨーロッパのスーパーは、スーパーの前に1ー2メートル間隔で列、入場制限あり。中に人が(例えば)20組以上にならないように、1組出たら1組入るようにスタッフが誘導。物は普通にある、でもトイレットペーパーはない。」やっぱりロックダウンになった方が買い物がし易そうだ。加えて兄にしては珍しく心情を綴っている。いつもメールは一言くらい。「外から見てて思うのは、日本人危機感ない。リーダーもおかしい、メディアもおかしい。あと国民、こんな時に不要不急なもの買うな。オンラインも控えろ、お前がオーダーすれば誰かが動かにゃならん。イギリスではNEXT って大手がショップもオンラインも閉めて従業員をコロナから守ると決め拍手喝采。いっぽうで、こんな時だからこそ、って鼻息荒くいつもどおりのサービス提供しようとするところもあるけどね。日本人が買うから、また。フランスとかアメリカでは大都市がロックダウンすることになって、都市に出てきてた若者が田舎、実家に帰って全国に広まった。自粛は誰かを守るためと思え、と言いたい。」それこそ私が「ごもっともです」と一言で返すしかなかった。補正予算だ森友だ助成は肉だ魚だと、今はまずそうじゃないでしょという話で散々騒いでる。無能かどうか以前に人として、感染怖くないのかなと単純に疑問。ついこの間まで日本の方が先にコロナ危機を感じていたはずなのに、対応も意識も気がついたら逆転してる。

 

3/29

雪。予報通りだけど、家から出させないように人工的に操作されてるんじゃないかと本気で疑ってしまうほどの雪。午後になっておさまってきたし、雪だるまを作りに行こうと夫が子を外に連れ出す。マンションの周りはもう雪掻きがされているから公園にいる、足りない物を持ってきてほしいと呼ばれて向かうと、まぁまぁ人はいる。家族でそれぞれの雪遊びをしている。犬の散歩をする人や買い物の通り道にしながら景色を眺めていく人なんかもいた。

 

3/30

朝、テレビ番組はいつもの流れでチェンジを繰り返して10時前にはスッキリに落ち着く。吉高由里子のドラマの続編がやるという告知で、仲良しだというハリセンボン春菜に呼びかけるというスッキリのよくある和やかな雰囲気。そこに速報が入る。コロナで療養していた志村けんが死去。吉高由里子の告知がバッサリと切り替わり、スッキリの空気が一変、親交が深かったといわれる春菜の動揺がおさまらないまま番組は終わる。有名人が亡くなる速報は見慣れたものだけど、コロナでというのはなんともショックが大きい。喫煙歴が長かったからとか、知り合いの店を助けるつもりで呑み歩いていたようだからとか、世間はどうにか自分とは違うところを取り上げて納得させている。そりゃあ私も志村けんと自分を同じ物差しでは計らないけども、だからこそ、志村けんほどの人で最善の医療を受けているだろうに救われないということは、もしも自分だったらと暗い気持ちにしかなれない。

真冬のように寒いわけでもないから、早めに雪は溶けて午後にはすっかり元通り。キックボードで近所を散歩。ママ友から児童館は通常開館していると連絡。自転車に乗り換えて向かう。話題は志村けんのこと一色。

 

3/31

ついに3月の終わり。朝から歯科。ちょっとした痛みだけど長引くために念のためだけど一時的に矯正のワイヤーを外してくれと言われる。一般治療の先生の話はいつもどうも歯切れが悪くいまいち信用できないでいるけど、矯正の先生は頼もしい。ワイヤーを外して三ヶ月も開かなければ大丈夫と断言してくれるだけでも安心。しかしワイヤーを外しても痛みは変わらない。どうなるんだろう。

今日で閉まる施設をはしご。まずは広場へ。どうせゆったり遊べないだろうと考えて閉館の一時間前くらいに行く。予想通り沢山の人が集まってお預かりの部屋も開放して子ども達は好き放題。これでも朝から人が入れ替わりはしているのだと言う。今までお世話になってきていたのであろう小学生を連れたお母さんが挨拶に来たりなんかもしている。同じく最終日だからとやって来た知り合いのママと近況報告をしたりするうちに終了時間。代表の先生の挨拶を合図に各自がどっと先生の元に集まり、それぞれが涙ぐんでいる。子にお別れしたい先生はいる?と聞くと、一人にしっかり狙いを定めて前に進む。はじめて子がその先生に親しんでいたんだと知る。先生も涙を浮かべながら今までありがとうと微笑む。今後はどうされるのか聞くと、隣接区の保育園で働くことが決まっているという。他にはもう引退して家族の介護をするだとか自分の孫の面倒をみるだとか様々だった。自分の子育てを終えた後、これまで保育に携わってきた女性達がその経験を活かしながらこの場を作ってきていて、それは私なんかには計り知れないエネルギーを要したと想像する。私がここで悩みや愚痴を出せば、甘いなと思われるのではないかと考えたりして、できるだけ別次元で飄々と生きているかのように振る舞おうともしたけれど、先生達は実際は私達がどんな状況の母親だろうと分け隔てなく、心のわだかまりをむしろ吐露させようと、そしてここで解消させようと向き合ってくれていた。こんな世界があることを知れたこと自体が良い経験。なんて、この時はそんな感傷的にもなっていられなく、人混み掻き分けて退散。

児童館の先生達に気持ちばかりの差し入れを買って向かうと、学童を早あがりする小学生達と入れ違う。小学校は登校日だったとのこと。顔見知りの子達に元気でねーと声を掛けながら手を差し出すように掲げて、小学生も手を伸ばしてきた瞬間、いま手に触れるとかまずい行為だったか、と頭をよぎって手が強張り、鈍い音をさせながらお互いの手が重ねる。気まずさを振り払うように、もう一度じゃあね〜と去っていくランドセルに呼びかける。なかでは今まで小学生用だったおもちゃも使わせてもらえて子どもは興奮。ママ友と合流して先生達に差し入れしながら別れを惜しむ。未就学の頃からずっと見守ってもらっていた先生は皆移動が決まった。区の職員である先生達はギリギリまで次の移動先の辞令が出ない。慣れ親しんだ先生も小学生も居なくなり、建物は改装され、私と子がここで過ごしてきた痕跡がどこにもなくなる。私達はどうなっていくのだろう。普段はあまり話す機会のなかった非常勤の先生にも今日ばかりは砕けた調子で話しかける。これからどこでどうするのか、ここに来るまではどうしていたのかなど次々話を振っていると、ママ友にはリポーターさながらだねと驚かれる。いよいよ閉館の時間。一番年配と見られる学童の先生が玄関口で小学生に囲まれ、せっせせっせと皆んなと軽くハイタッチしている。ああ、触っても良かったのか、と胸を撫で下ろす。先生はこれからどうするんですかとここでも尋ねると、「私はもうただのおばあちゃんですよ〜」と返された。入り口の表札前で記念撮影など、やるだけのことはやった。

夜、唐突に兄からメール。「日本の社員とのメールのやり取りとかで思うのはやっぱり日本危機感足りてない、どこも同じだったから仕方ないけど。」在英日本人が同じことを言っている記事のリンクが貼られていた。

明日から幼稚園の保育開始。