どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2020年6月

6/2

歯科治療終了。早速矯正歯科に連絡をしてワイヤーを取り付ける日を予約する。約二ヶ月間ワイヤー無しだった。ワイヤーが無いと食べ物が余計に歯に詰まりやすかった気がする。

一歩外に出れば知ってるママ達に遭遇するようになって、帰ってきたなという感じ。みんなずっとここに居たんだろうけども。

クリームソーダを飲みたいとかなんとか、子が強く所望するので、夫からLINE Payを送金してもらい私が連れ出すことに。再開した中野のマルイのコメダに行く。コメダはずっと営業していたのかもしれないけど。久しぶりの外食。混んでいたらやめようねと言い聞かせて覗き込み、まぁまぁ席は埋まっているなぁと思うもすぐに通されてしまう。ボックスに区切られたスペースにテーブル二組の作りはそのまま、席数削減とかはしていない様。アクリル板などの区切りも無し。自由に読める雑誌類もそのまま。ソファ椅子でゆったりした雰囲気に錯覚するけど意外と対策していないかもしれない。出てくる物以外はとくに、むやみにあちこちあれこれ触らないように気を張りながらで正直リラックスできない。同じ囲いに囲われたもう一つのテーブルの人が咳き込む。そわそわしながら飲食。

パワーチャージできたというので新井薬師の公園まで。数十分、遊びに付き合っていただけでもマスクが暑い、ちょっとしんどい。園ではマスクつけて外遊びのみとなっているけど大丈夫なのだろうか。帰ろうと自転車に乗る準備をしていると、後ろから歩いてくる高齢女性に見覚えが。ハッとして「先生!」と声をかけると「あら、まぁまぁ!」と驚いて立ち止まってくれる。3月までお世話になっていた児童館の学童の先生。最後に「私はもうただのおばあちゃんですよ」と話していたことを思い出すけど、スラッとした見た目でシャキシャキ歩いて、おばあちゃんというにはスタイリッシュ過ぎる。こちらにお住まいだったんですね〜と地域の話や懐かしい話などして盛り上がる。軽快に会話する先生珍しいなと思っていると、人と話すこと自体が久しぶりだからなんだか舞い上がっちゃうわねぇ、とのこと。わかります。お元気でと別れた後、ほぼ話に参加してこなかった子に覚えてなかった?と聞くと、いっつも図書室のカーテンを閉めていた、と先生の仕事までしっかり覚えていた。新井薬師の商店街で煎餅屋さんの前を通ったついでにザラメ煎餅を買う。子が好きで図書館で何度か借りた絵本のひとつを今は長期に渡る貸し出しで、もはや自分の物なんじゃないかと勘違いするほど馴染んでいる。いろんな菓子やスイーツが甘いダンスパーティーに行くためにお店でドレスアップするんだけど、煎餅が自分なんて駄目よねとショボくれているとキラキラ光るざらめで着飾ってざらめ煎餅となり人気者になる。その宝石のようなザラメが、生クリームなんかの他のどのデコレーションよりも魅力的に見えて、何度読んでも子がワクワクしているので、いつかザラメ煎餅を買ってあげたいと思っていた。かといって私は矯正中で煎餅なんてバリボリ食べられないから何枚もいらないし、煎餅屋さんなら一枚で買えるから助かる。これがザラメ煎餅。天に透かしてみる。満足に行動できて気持ちよい一日。

 

6/3

コメダの気になった点をホームページにメールしてみる。別に無理なことを言いたいわけでもなく、いち利用客として感染に対して不安に思った部分を報告といったつもりで。昔からこの手の労は惜しまない私。見ている人から「でたクレーマー!」と言われることもあったけど自分としては全然クレームじゃなくて、なんなら世直しのつもり。実はこのコロナ禍でもすでに首相官邸へのご意見ページからスーパー、飲食店の問い合わせページまで不安を訴え続けてきた。反映しなければ「言っているのは自分だけなのかな」と思うくらいで、「もう二度と利用しないからな!」というほど思い詰めているわけでもない。逆にありがとうのメールをすることだって過去にはあった。これからも小さな感謝を伝えていければいいのだけど、しばらくは不安のほうがまさってしまうだろうな。

 

6/4

保育再開。検温して登園、ボードに貼られた紙に体温を記入していく。鉛筆の使い回し、少しだけ気になる。分散で今日は自分のクラスだけ。予定連絡で保護者会をやると知った時は、こんな時に何を言ってるんだ、韓国のクラスター感染は新興宗教の集会で起こったんだぞと頭に血が上ったけど、6月に入ると、外では自分が手で顔を触らないことに気をつけさえすればそれくらいなんてことないか、と思えるようになっていた。精神が回復してきたと言っていいのだろう。カルペ・ディエムを正面と腕に。礼拝堂にひとクラス分の保護者は、センター試験さながらの間隔で長椅子に座れる。少し開けられた窓からの風がカーテンを揺らす。礼拝では「どんな集団にも善人はいる」だとかいった話。これは何が言いたかったんだか何を意味しているんだったか、忘れた。その時は確かになるほどと思えたはずなんだけど。

帰ってマスク作り。少し大きく作らなきゃ鼻が出てしまう。没頭しそうになるのを振り切って買い物。近所の八百屋さんでは去年くらいから子どもが張り切って買い物してくれる。税込でもキリのよい金額で自分の頭でざっくりでも計算しやすいからちょうどよいだけの小銭を渡して子に会計までも任せられる。私は八百屋の威勢のよい掛け声を自分に向けられるのはそんなに得意じゃないんだけど、子はこの八百屋のおばちゃんの威勢を気にいっているみたいだった。夫は無償の仕事で狛江まで行っていた。普段利用しない沿線までの行動は少し気になる。夫に状況を聞く限りでは大体全く問題ないといった感じに話される。でもそれじゃあ一体どうして感染は広がっているんだか。気をつけていたという人が感染したとニュースで見る度に溜め息が出る。

 

6/5

子の体、蚊に刺されだろうけど反応があまりに酷い。蚊じゃないのだろうか。自己判断で軟膏を塗らないで病院に行くことに。蚊に刺されに対して他には無い処方をしてくれるから少し遠くの皮膚科へ。ここはキッズスペースに絵本が充実していて子はいつも楽しそうだったけど、もちろん撤廃されてる。処方薬局でもどこでも、自由に手にとれるものは世の中から無くなっていて、そういうものでいちいち時間を埋めていたから無いとなると寂しい。結局ふつうに蚊にさされでいつも通りに処方してもらって帰宅。夫が友人から依頼の仕事分を届けに行くというので合流して私達も行く。同じ区内なのに別エリアだと全く雰囲気が変わる。近くの公園に行くと、子どもが遊ぶのにもなかなか良い公園なのに人は少なめで過ごしやすい。せっかくのびのびできる環境なのに暑くて落ち着かない。夫が子をそそのかすので近くのガストに行ってみることになった。このガストはうちの方とは違って広々したファミレスだから少し気が許せるのもあって夫と子の誘いにのる。私はまだまだ外食することにはピリピリする。しなくも良いことをわざわざしようというほどの気骨が私にはない。というかコロナが怖いというのは一番だけど、考えてみれば社会に居場所がなくなってからの私はずっとこんな感じかもしれない。社会からの抑圧がなくなって欲が無くなったのか、金銭を生み出せないから欲を出せないことに慣れたのか、ともかく自分で積極的に選択ができなくなっている。コロナによって誰もが選択できない状況になって自分も平等になれた気がしたけど、世間が動き出すとまた自分は誰かに合わせて辛くなったりするのだと思う。自分より年配の女性もシャキシャキ働いているというのに相変わらず怖がってばかりの自分が情けなくもなるけど、素手で物を触ってマスクを外してその空間にいることになる客人より働いている側の方が実はマシなのかもしれないよなとも思う。この数ヶ月でレジ前にビニールシートやらアクリル板を設置するのが当たり前になって、さらにビニール手袋をつけて対応しているところもあるけど、感染対策は従業員を守るというそこまでで、このシートからこちら側は気にしてもらえないんだなという状況の時もある。注文がタッチパネルというのは便利でいいはずだけど、こうなると不特定多数が触る物としては警戒。そして自分は素手で食べる食べ物は無しというルールにしてる。気にすることはあるけど、皆んなそこで生きているんだから、少しは私も大丈夫だとも思いたい。夫は久しぶりに休みらしい休みをとった気がすると言っている。帰り道に環七のドンキにウーモが無いか寄ってみることに。ここのドンキの方がずっと物が揃っているんだけどウーモは無い。夫も休みと自覚しただけあってなんとなく気持ちが砕けてか、投売り価格の魚釣りおもちゃなんか買ってみたりしてる。

その後は夫と別れて図書館に向かう。今月から予約が再開されてその引き取りができるようになった。だいぶ有り難いことなんだけど、事前に調べて出てくるような、定番とか話題として挙げられてる名のある絵本は注文集中して通常時より待ちが多すぎ。図書館の棚から子どもが気に入って適当に引っ張り出してきていたような絵本のタイトルを予約サイトに向かう以前にどう見つけ出すのかが問題で、こればかりは早く通常に戻って自由に現物をみて選べるようになるといいなと思う。図書館の入り口にある消毒は足で踏んで噴射する器具にしてる。しかも手作りっぽい。外出の少ない私が見たなかでは一番図書館が慎重に対策をしているようにみえた。返した本は三日間貸し出しをしないというのも頷ける。そうして本当に意味ある警戒しているところもあれば、形だけみたいなところも多い。あちこちで訪れる人が次々と消毒のためのポンプには躊躇なく触れていくのを見る度それでいいのか不安になった。消毒は手がベタつくような気持ち悪さが残って、いつも早く帰ってガシガシ手を洗いたいと思っている。

 

6/6

前から出来るだけ現金支払いを減らすために使えるところではカードを基本にしていたけど、いまはカードの受け渡しがあるだけでも敏感になって、ところによってはどんなに低額でも暗証番号やサインを求められるから、そうなると現金支払い以上にやってしまった…という気になる。そんなストレスから解放される決済アプリ。レジで発行される紙クーポンや店のサイトでクーポンを探さなくてもそのアプリでクーポンがあったりするのも楽でいい。クーポンでロッテリアにポテトを子と買いに行く。ついでにクレアーズを見る。クレアーズは今年の10月で日本撤退することになっている。雑貨カルチャーが盛んだった90年代を生きてきた私は、街に突如現れたクレアーズを単調で面白味のない店だと高を括っていた。他に無くて最終手段で使うようなことはあったけどなんの思い入れもなくて、だけど時代が変わって魅力的な雑貨が街から消えていって、子どもをもった私が子ども目線で街を見渡せばそこにあるのはクレアーズだった。ピンク、ムラサキ、レインボー。ラメ、キラキラ、スケルトン。ハート、フラワー、ユニコーン。他に求められなくなった今となっては単純とか言ってられない。しかも結局ここも9月には閉店してしまう。隅から隅までアンテナを張り巡らす。子ども用のネイル、ヘアゴム、ティアラで割引き、お会計のレジ横にあったお買い得品の子どもサングラスがあまりに可愛くて即決。もちろん子ども本人と話し合いながら買うわけだけど、好きな物達だとその選別すらも楽しい。向かいのロッテリアでLINE Payのクーポンを使うも支払いはLINE Payが出来ない謎システムに戸惑いながらどうにか購入。少し空が暗い。帰り道、公園側じゃない道をまっすぐ行こうとすると子が自転車の後ろから「戻って!戻って!」と騒ぐ。キレイな花があると来た道を戻ると、角にある二台並んだ自動販売機の隙間に鮮やかな紫色の花が一輪だけ咲いていた。どうしても取りたいというので手を伸ばすとびっくりするほどベタベタしてる。道を変えて公園に寄り軽く洗い流してもベタベタ。それでも持ち帰るというので花の名前を検索するアプリで名前を確認して調べると元々ベタベタの種類らしくひと安心。自粛期間中にこのアプリは大活躍した。散歩の道端にある花なんて同じものばかりだったけど、カタカナの字は読めないなりに名前が浮き出てくるのを子も楽しんで、花を見るたびに「あれやって!」とせがんできた。これからもそんなのんびりした時間も忘れないでいられるといいんだけど。

ダラダラ過ごして夕方、ママ友から野方の雑貨屋さんダミラが高円寺の居酒屋まらの前でフリマをやっていると連絡。雨が降りそうだけど急いで向かってどうにか買える。子どもが思いもよらない物を欲しがるのは面白い。買える範囲では買って自分も楽しむ。子がごっちゃんに絵を渡しに行きたいというので店に寄る。もう何度か絵を渡しているけどごっちゃんは「嬉しいわ〜、飾らなきゃな〜、ダイソーに額って売ってますかね〜?」と毎回言っている。ほんとに飾る気はあるんだろうか。今にも雨が降りそう。急いで帰ってママ友に、教えてくれてありがとうの連絡をして、お互い買った物報告。ついでに近況報告として、近くの公園でチャドクガの幼虫がいたから気をつけてと教えられる。触れたわけでなくても目に見えないくらい小さな毒毛で近くにいるだけで刺されているらしく全身に発疹が広がる。大きな公園は人が殺到するかもと小さな公園に行くとそんなことにもなってしまうし行き場がない、と言っていた。検索したら全く救いようのない情報ばかりでコロナと同じくらい怖い。

 

6/7

テレビでは昔のドラマが再放送されていて話題になっていたりするけど、全く観る隙が無い。大人がスマホばかりいじっているのに子どもにタブレットをやめろと言っても通用しないと言われる以前に、私は子どもの目を気にしてテレビもつけられない。そして特別何があったわけでなくても夜には気づくと寝てしまう。そんな繰り返しはコロナ前と変わらない生活。睡眠はきっちりとれて身体だけは元気だけど精神的な安らぎはないまま明日になってる。前のように思いっきり遊べるわけでもなくそんな感じだから、むしろ前より酷い状況かもしれない。

夕方、中野のマルイまで。クリスピークリームドーナツを買う。そのまま買い物に行こうと高円寺まで行くと子が寝てしまう。夫に連絡をするとごっちゃんのところにいるというので連れて行き、私だけ西友で買い物。スーパーでも街でも子連れで買い物する人をよく目につくようになった。やっぱりもうそんな感じでいいのかな。私は子どもとぶらぶら街を歩くのが好きだったのでそれができるようになるのは嬉しい。当たり前だと思っていたことが出来なくなって、そうなると買い物が義務的でしかなくてひとつも楽しくなくてしんどかった。買い物を終えたらまた子を連れ帰り。夫はしばらくしたら帰ると言いながら私達が寝るまでごっちゃんのところにいた様子。

 

6/8

午前中から中野のライフへ。コロナ社会が日常になりつつあって近くの店も安定してるし、出来ることも増えてきたから、今後はもうライフまで行くこともなくなるかなと思いながら。線路沿いの道に入ると、服だかの撮影している人がいて見覚えのある顔が。友人の友人で数年前タイで一緒に遊んだことがある紘子ちゃん。声をかけてみると覚えていてくれて軽く会話。ビジネスモードの丁寧な言葉遣いの紘子ちゃんは見違えた。

ライフでは上から下まで全体を見る。スーパーなんかの衣料品コーナーは自分の幼い頃からの記憶がフラッシュバックして、良いも悪いも感じていたくてそこに留まる。スーパーの二階特有の哀愁。やはりと言うか、子はそんなスーパーの二階でも「これ可愛い欲しい」を発動させる。これがまたセンチメンタルな気分にさせるわけで。たしなめて下で食料品を買い物。

マンションの隣りの建物が工事をするのか、足場作りだかでうるさいのなんの。この騒音はいつまでのことなのか、とりあえず管理人に聞きに行く。管理人も「何も聞いてないんだよ、うるさいよね」とその部屋から見える作業中の人に聞いてくれた。とりあえず音がうるさいのは今日だけみたいという話に。前の家の時にも隣りの工事音問題があったけど、近隣へのお知らせは誰がするのか、依頼主なのか現場なのかルール化しといてもらって、音が出る作業予定日を事前に教えといてもらえるといいのかなとは思う。それとも現場がやるものと決まってるけど怠けてるだけなのか。ということでうるさいのもあって出来るだけ外に出たい。図書館に予約本を受取りに行ったあと高円寺の八百屋。帰り道の環七で元フジ山ちゃんに久しぶりに会う。夫が一時期なぜか仲良くて家族皆で仲良くしてもらった。なんか山ちゃんとは合うんだよねと夫も自覚してたけど、まずママチャリで爆走の姿勢が似てる。

 

6/9

子の登園日。夫は昼くらいから友人の家でバイト代もらえるから作業を手伝うという話になっていて、その家には小学生の女の子達もいて一緒に遊んでくれるみたいだから行く?と昨日から余計なことを言っていたからか、子が今日は幼稚園行かない、休む、と言い出す。かといって本当に子連れで作業になるわけないじゃん、普段から私が気を遣って外に連れ歩いてることがあるくらいなのも分からないの?!甘いんだよ!と、子には申し訳ないけど二人に向かってキレる。そんなお遊びの作業でお金もらえるのは有り難いことかもしれないけど、本当にお遊びのノリでやってしまって時間がかかってしまったら、それで自分の作業が滞った夫にまたこっちの暮らしが振り回されることになるのを、誘った人も夫本人もわかってないからそんな呑気なことを言って、全く気に入らない。相手は知らない人ではなくてそもそも私の友人なのに、誰も私の気持ちを確認してくれることもなく勝手にそんな話を進めて、みんなして馬鹿にしやがってと思う。世間が動き出していることへの焦燥感もあった。また自分だけ取り残されてしまう。夫はその人と仕事をすることに浮かれてるかのように調子に乗ってて、それでまた子を巻き込むのも本当に良くない。前に行った公園でも遊べるよ、なんてことも言ってしまっていたから、結局どうしても幼稚園には行きたくない子を私が少し離れた広い公園まで連れて行かなくては、子の気持ちと子を思う私の気持ちの落としどころがない感じになった。夫の舞い上がった戯言により。つくづく腹が立つ。

炎天下のなか、ますます暑さが照り返すようなトラック競技場のある公園まで。人は少なめで遊びやすい、けど暑い。ただ帰ろうと言っても無理で、お昼ごはん食べに行こうかというとその気になってくれるも、コメダに行きたい、コメダがいい、と。妥協案を考えてみるけどその場所が場所なだけに家までの間になるような近辺には何も無い。結局そこから家を通り越してコメダへ。以前はいつ見てもズラリと並んだ椅子いっぱいに人が入店待ちしている店だったけど、今はまだそれはない。すぐに入店。コメダのメール返信にもあったけど、それでもマルイ再開後は人が増えているらしい。だからあらためて感染防止に努めて指導すると言っていたけどどうなっただろう。通された席は自分達のテーブルのみのボックス席で今回はホッとする。見渡すと席の配置は変わっていないようだけど、たまたまなのか人がぎゅっと押し込められてる感じもしない。近くに人がいないだけで気持ちにゆとりがもてる。今日は私もお腹が空いたから二人で食べれるように注文。待っている間から食べながらも、子が「なんかコロナの前みたいだね」とこっそり嬉しそうに言ってくる。私も気を許しているのが伝わるのか。うまく返答が出来ず。今回はリラックスできているけどこれから毎回そういられるわけではないだろうし、状況もまたどう変わるか分からない。ともかく今日のところは緊張感もなく外食ができた。

なんでそうなったのか、子がパーティーのクラッカーがやりたいという。ダイソーに見に行くけど音だけクラッカーとか飛び散らないとか、現代的なやつしかなくてオーソドックスなクラッカーが無い。アニメやらで観て知ってやりたいのだろうから普通のがいい。キャンドゥに行くことにして高円寺に向かうと寝たので緑道に停車して休憩。キャンドゥに行くと普通のがあった。やっぱりキャンドゥそういうところが好き。

 

6/10

久しぶりの矯正歯科。ワイヤーを外していてもこれといったマイナスな変化はなくて良かった。

夕方からキックボードで近くの小さな公園に遊びに行く。キックボードの後ろのタイヤのプラスチック部分が少し割れてる。拾い物だから劣化が早くて仕方ない。試しに使ってキックボードをすごく気に入ったら新しいのを買えばいいと思っていたけど、結局この拾い物を使い続けてる。帰りにまいばすけっとで少し買い物。

5月から、簡単にだけど行動記録を付けていた。4月から急に感染が怖くて怖くて仕方なくなって、カレンダーをみながら数日前の行動を振り返ることばかりしていて、それならメモした方がいいかと。行動記録が「なし」という日が続いたりすると、「自分は無菌!安全!健康!」と思って晴れ晴れしていた。何もしないで、しないからこそ、健やかな明日がやってくる。ところが5月末くらいから、なにやら人々が動き出す雰囲気になってきた。以前からある姿のまま行動に起こす人や手を替え品を替え挑む人もいる。ああ。またはじまった。自分でなく周りが目まぐるしく時が過ぎていく世界。この二ヶ月とか、周囲の動きが止まってやっと自分と焦点が合っていた。思えばそんなことって今まであっただろうか。なんだかいつも、ついていけない状態で生きていた気がする。この二ヶ月は心地よかったな。ということを思い出しながら書く。

 

6/11

登園日。帰りに仲良しの友達と公園で遊んで帰りたいというけど今日は雨予報になってる。雨が降る前に図書館返却に行くつもりで用意していたから、先に図書館でその後合流しようと話して図書館に向かう。途中五千円札を発見して拾う。たまたま最近子がよく小銭を見つけて拾う癖がついていた。さすがにお札は黙って懐に入れるのは気が引けるので交番に寄ると実は手続きがめんどくさい。余計なことしちゃったなと後悔しかない。急いで公園に向かうとまだお友達はいて良かった。たまたま知り合い夫婦の姿が公園にみえる。さっき園にお迎えにいく前も会ったところ。離れてるから写真を撮って送ると、キョロキョロしてこちらに気付いて笑い合う。近くで有名な中華屋に行ってきたところだとか軽くおしゃべりして帰る二人を見送る。必要最低限以外の関係の人と話す緩さが懐かしい。少し前までこのまま人と物理的に距離をとっていなくてはいけない社会のほうが楽で良いやと思っていたけど、それと同じくらい、顔見知りくらいの人とも簡単に遭遇できてしまうこの狭い街が好きだったりもする。つまりは私は何かが足りないくらいの距離感のほうが好きみたいだ。話せるけど会えない。会えるけど深くはない。それに継続して人と付き合うのが苦手。距離を詰めると自分のボロが出るんじゃないか、いつか飽きられるんじゃないかと思ってる。夫だって、今こうしていられるのもお互い面倒くさいからだと思う。ただ本当にそれぞれが子どものことが大好きで、そんな距離感。

しばらくして雨がポツポツ。来週もあるしねと言って解散することに。来週からはクラス単位ではなく、クラスを2グループに分けて、同じくグループ分けされた全学年での登園。たまたま公園で遊んでいた皆が同グループになるようで、穏やかなメンツで良かった。

 

6/12

絵本の「はじめてのおつかい」を最近読んでいたので、ひとりで牛乳買ってみようかと言ってみると子は少し緊張しながらも闘志がみなぎっている。本当に買いたい牛乳は価格的にOKスーパーなんだけど、さすがにそこで一人は厳しいから近所のまいばすけっとにした。店までは一緒に行くけど、子は自分の鞄に自分の財布を入れて用意している。いつも利用している店だが一応はじめに一緒に店内をぐるっと回って目的の牛乳を確認する。私は一円単位でややこしい価格をみて足りるだけの小銭を手渡して入り口で待つことにした。もう1リットルの牛乳ひとパック持つくらい楽勝だろうと思うけど、形の整った陳列棚から抜き取ることやレジ台に手渡すことはまだいっぱいいっぱいのようだ。レジを見つめてるとやり取りしている子の顔が必死でこちらはニヤけてしまう。「袋は要らないです」というセリフは得意。お釣りをもらいそびれて呼び止められたりはしたけど本人は出来た出来たと満足している。ひとつのイベントを開催できて私も気持ちが良い。

 

6/13

天気は雨でやる気がない。夫は朝から外に出たり忙しくしていたけど、午後になって世界堂に行くから子を連れて行こうかなという。というのもここ最近、子がシルバニアのカタログを何日も眺めてブレずにどうしても欲しいというものが定まっていた。電車もビックロも気がかりだけど、子はもうシルバニアに目が眩んで行く気満々。消毒やらマスクの替えやらのセットを持たせて周到にしているけど他に注意すべきことがある。二人だとどちらかがトイレになっても一緒に男子トイレに入るしかない。どちらかというと夫のほうがすぐにトイレに行きそう。絶対行かないように、行きたくなるようなほど長時間行かないこととキツくいって送り出す。2時間ほど経っても帰らない。大丈夫だろうか。世界堂ビックロでそんな時間かかる?と思って連絡すると帰り道の電車だった。電車でおばさんが席を譲ってくれて、という話を聞いて、もうそんなに電車の席も混んでるものなんだと軽くショック。

夜、夫がたべっ子どうぶつ一番くじが今日からだと気づいて、ビレバンに見に行ってくると言い出した。そんなに?と思うけど一人で行く分にはご自由にどうぞ。あのビレバンフォントの「終了しました」ポップの写真が送られてくる。今日は雨だったのに、そんなに人気なんだな。他のところへ行ってみるというので、近くの一番くじ開催スポットを検索して情報を送る。杉並の近辺は無くて中野のコンビニに集中してる。私達がお風呂を出た頃戻ってきてようやく一軒やれるところがあったらしい。実用的な景品もあるけど一番くじのタオルは素材が使用には向かない。プリントで絵柄を見せたいがためのタオルだから仕方ないんだけど。豆皿が出ていてそれはなかなか良かった。なにより夫、無駄足にならなくて良かった。

 

6/14

午後近くのスーパーに一人で行く。日曜の3時過ぎで激混み。うろうろ見てると少し離れたところに知り合いのママを発見。いつもとまるで違う雰囲気で彼女にしてはとてもとてもカジュアルな、ディズニーの絵柄のダボっとしたビックTシャツにスパッツ。メイクはいつも通りほどではないけど割としっかりしてる。いつ見てもカチッと小綺麗な格好しているママだからこんな趣味の一面があるとは、この意外性は好感がもてた。私みたいなやつとも話してくれていた真髄はここにあったかと妙に納得もいく。レジに行列。ふと向こうに目をやるとその彼女が別の行列から手を振っていた。逆に向こうからアピールしてくるとは、不意打ちで本当に今気づいたみたいになりながら軽く手をあげる。彼女はその格好に全然照れてもなくて嬉しくなってしまう。その姿も良いよ!と私は心で呼びかけた。

あまりに小腹が空いて、夕飯前に何か食べたいと思っていたけど何ならちょうどよいか判断できなくてスーパーでは買えなかった。コンビニのおにぎりにしようかと入ると、同じマンションの一番自分とタイプが近いと勝手に親近感をもっているママに会う。話しながらお互い買い物を済ませマンションに帰りながらお喋り。似てると思えただけあって、彼女もコロナが不安すぎて身体を壊したという話だった。彼女は高円寺のど真ん中にある実親の稼業を共にしていて、うちと同い年の息子は保育園だけど、ずっと休ませていたらしかった。自粛期間といわれた間、毎日のように午前中お父さんと外で遊んでいるなとは思っていた。お父さんは夕方からの遅番勤務なこともすでに知っている。やっぱり環境が同じだと心配の仕方も度合いも似てくるんだなと連帯感。私も神経質になっちゃってたけど、そういえば今はもう買ってきた物の消毒してないと言うと、それはすごい進歩だねと返された。うちのフロアでエレベーターを降りたその前でしばらく話し続けていると、うちから騒がしい声が聞こえてきて子が飛び出してきた。夫が顔を出して「新宿にシルバニア見に行くとかいう話になってる」と。夫ひとりだとすぐこうして手一杯になって、どこか自分の気休めになるところに連れ出そうとする。今からそれはやめてよと、ママ友とはまたね、と分かれて彼女は階段で上がっていき、私達は一旦部屋に戻る。それでも子が外に出たいモードは変わらないらしく、中野に出て一日が終わる。

 

6/15

いつからのことなのか、気がついたらスッキリの虹プロを観るようになっていた。これが夜の番組で追ってたとしても全く観ることもなかったけど、朝の情報番組の流れにあるとつい気になってしまった。はじめはジブラの娘がいるんだな、くらいの認識でしかなかったけど、観てると昔のアサヤンみたいでもありつつ、マックス松浦ともつんくとも違う、ステージを見つめるJYパークが癖になって目が離せない。女の子の競い合いは基本的に好きじゃない。女の子達をJYパークやスタジオの皆がなんやかんや評価をしてるけど、どこにどう違いがあるのか私には全く分からないまま。結局ただの好みでしかないでしょと思う。ブログにまとめるために過去を辿っていると、クラスLINEの4月の時点で「Nizi ProjectにハマってHulu契約しました〜(顔文字)へへへ♡」みたいなママがいて、早い!と見直した。

夕方5時、歩きで図書館に行って歩道橋をつかって駄菓子屋に行く。自転車だと図書館から駄菓子屋方向へは横断歩道がないため回り道をしなきゃならないし、なにより一日何もしていないから歩きたい。マンションのエレベーターを使わない程度ではもう体が慣れてしまった。図書館で返却と受け取り。図書館の前は緩やかな坂道で、向かい側の建物は傾斜に合わせて土台があって、少し広いその段差は子供達がよく上り下りして遊んでいる。我が子は1人だとそこをステージのようにして歌って踊って遊ぶ。ひと通りオンステージを堪能したら歩道橋まで。5時半過ぎ。渡って駄菓子屋までとぼとぼ歩いていると、後ろからの自転車の気配に少しよけてみる。と、なんと園の担任の先生。私よりひと回り年上のベテラン先生で今の園長よりも長くやっている。主任としての業務もあるから大体年長クラスを持つんだけど今年は年中クラスの担任となって保護者皆がどよめいた。その先生が自転車に乗っている。「あれ?まだお仕事中ですか?」というと、「いや今から帰るのよ、これ私の自転車なの」えっ、先生は三鷹ですよね?「ここから45分くらいかな、もうコロナが怖くてね」じゃあ明日ね、と子に声をかけて去っていった。そうだったんだ。先生もコロナ怖かったんだ。家庭訪問の時も保護者会でも、他人事なのかなというくらい警戒してるようには見えなくて人を集めて保育をすることに前向きで、完全に弱っていた私は先生の姿勢に不安にさせられて、その環境にいるのが怖くなった。だけど本当は先生も、45分もかかる自転車通勤に切り替えるくらいコロナが怖かったんだ。立場的に気丈に振る舞うしかなかったんだなと、今ようやく先生に寄り添える。自分に正直に声は上げるもの、私はそんな風潮に慣れすぎて、不安も不満も誰でも声に出すはずだと思い込んでいた。「怖い、どうしようか」それだと答えが出ないにしても私の気持ちはそれを聞けたらずっと安心できたような気がする。いまみた先生の不安が逆に信用できる。明日から安心して園に通わせれると思った。

 

6/16

園は今学期いっぱい午前保育のみ。今日は朝から確認して夫に迎えに行ってもらうことになっていた。なのに迎えの時間が近づいても朝から出ている夫が戻らない。もうギリギリだから自分が行こうと外に出るとちょうど夫が向かうところだった。ほっとして引き返しながらマンションのスポーツジムのフロアの窓から帰ってくるところを見ようとたらたら歩いてると、福岡に住んでるマサコさんから電話。私もちょうどマサコさんに話したいことがあって、連絡しなきゃと思っていたところ。なぜかいつもマサコさんからはそんなタイミングで連絡がくる。マサコさんのディストロで扱ってほしいものの話やコロナの話。マサコさんとはいつも育児の話にもなる。自分のことを語るうえでそこに子どもの存在があるから仕方ない。私はいま子どもに通常だったら出来たはずの体験を満足にさせてあげられないのが辛いと話して、マサコさんには違う考え方があった。意見の対立ということではなくて、マサコさんとはいつも違った視点だったりするから面白いと思える。でもそれは子どもの年齢が違うから感じ方が違うのかもねという話でもあった。子と夫が帰ってきたのでしばらくして電話を終わる。子が新しくtyの小さなぬいぐるみをご機嫌で持っている。飲み物買いに入ったファミマでねだられたらしい。「いや〜帰りに泣いちゃってさ」と夫。聞くと今日一緒に遊ぼうと思っていたお友達を公園に誘うとお母さんお仕事だから行けない、と断られて泣いてしまったらしい。そんなこと日常茶飯事のはずなのに、泣いてしまうほど情緒不安定なのか?その子の母からも連絡がくる。彼女は私に仕事を紹介してくれた人で運営側だから本当に仕事があることは知っている。泣かせちゃったから気になってると。全然大丈夫そうだよ、と返す。それにしてもtyのぬいぐるみ、本物みたらやっぱりハッピーセットのは全然違うな。いやハッピーセットのも本物のtyなんだけど、廉価版感がすごい。お昼ごはんの後、だらだらしていた子が唐突に「あおちゃんと約束してるんだった」と言い出して公園に行くという。誘って断られた子とは別で、園後の公園遊びは本来いつもあおちゃんなことは確か。いそいそと公園に向かう子。あおちゃんは少し遠くから通ってるし、時間的にもう解散してるはずと思って子に声をかけるけど、約束したからといってきかない。到着すると案の定知ってる子は誰もいなくて、自分が遅れちゃったから…と本気で落ち込んでる。連絡手段のない自分達でした約束、といっても相手は気にしていない場合が多い、親は事情分かっているし。けどその世界に入り込んでいる子は見ていて切ない。明後日の登園日は心行くまで遊ばせてあげようと思った。そのまま自転車でマルイのカルディまで行く。会計に並んでいるとトイレに行きたいと言い出す。出先でトイレ行くことを避けてきたけど、さすがに子どもには無理をさせれない。仕方なしにトイレに駆け込む。人もいないしドアを開け放して慎重に座らせたり流したり。キレイなマルイでまだよかった。これからどんな場所でトイレと言われるか、怖くてやっぱり家から遠くには出たくないと思ってしまう。毎朝モーニングショーではコロナについてのあらゆるトピックに岡田先生が淡々と解説していくなかで、トイレ感染に気をつけるように確かに言っていた。そうなったらもう運でしかないよなと思う。カルディに戻り会計、帰り着く頃に子が寝たので、そのまま高円寺のキャンドゥへ。寝る子を乗せたまま覗き込んで無さそうなので移動。高円寺のキャンドゥは開けた路面店だから見通しがよくて有り難い。そのまま商店街を進むと、閉店したはずの古着屋の前に人集り。なにやら衣装ケースいっぱい山盛りに古着が出されていて、ゆるい坂道だから子を乗せたまま停車するのは不安で自転車に跨ったまま人の間を遠目に覗き込むと、全品200円。自分の好みでも無いけど、この手のハイエナポイントは夫の好物だから写真を撮って送る。人が一瞬減った隙にセール箱のすぐ脇に自転車を停めて押さえながら目を凝らす。下の方には雑貨やおもちゃもあるみたい。スポンジボブのカバンが見えて仲良しのママ友にもお知らせ。行く行く、と返信あり。夫はどうなったかなと思っていると、ごっちゃんとその近くの古着屋の子と、いつもそこに溜まっているおじいちゃんという、ヘンテコなメンツが三人してチャリンコ漕ぎながらやってきた。夫から連絡が回ってきたらしい。そのうち子が目を覚まして、しばらくおじいちゃんは子に声をかけていたけど気づいたらいなくなってて、服屋の二人は熱心に箱を漁っている。子も寝起きすぐの機嫌が悪くなりかけたところで、ごっちゃんから掘った雑貨で「こんなんあるよ」と見せられ続けてテンションあがってくる。一緒に底の物を掘り出して買う物が決まってきたところでママ友到着。お友達が来て子どもらがワイワイ、賑やかし。たまたまらしく珍盤亭娯楽師匠もやってきて話しながらしれっと買い物して去っていく、のとすれ違いに夫。なんだか今日は濃い。久しぶりにみた人口密度。ママ友と話しながら帰路。途中の店で売っていた子ども用フェイスシールドを購入。早速着けさせてみて、二重は暑いかとマスクを外すと、開いた顔面を手で触れちゃう現象が。これはマスクのほうが安全かも。帰り着いたところで夫から連絡。今日はもう外で食べないかと提案してくる。サイゼリヤなら子どもは大賛成。イートインはどんな感じか、とりあえず見てから決めると答えて向かう。サイゼリヤは以前のような混雑はないものの、まぁまぁ席は埋まっている。コメダ同様見てから決めると言いながらも判断する隙もなく瞬時に通されてしまう。それくらいは空いている。昔、伊集院がラジオで、座って頼むまではまだ客じゃないかもしれないからな、と話していて痛快だったことを、迷いながら入店してしまったようなこんな時にはいつも思い出す。ひとりで通されるような席はどうなっていたか記憶にないけど、2人以上になる席には白濁色のパネルが付いていた。背中合わせになる席にも仕切りに高さを出すため付け足し。注文はテイクアウトと同じで紙に記入するスタイルだった。すかさず私物のボールペンを出す。世の中感染対策に熱心なようで前以上に人と物を共有する機会を増やされているのには首を傾げてしまうところ。オーダーを受け取りにきた店員さんはそれを結局声に出して読み上げるし。ドリンクの氷も素手で蓋を開けて素手でスコップを握ってそこに保冷されている氷をすくわなきゃならない。何が基準なんだか、いまいち詰めが甘いような対策様式で少しソワソワしてしまう。子も空気をよんで口数少なくせっせと食べる。家なら自由でいいけど外だと子どもの様子も気にしなきゃならないし、私はもうこんな思いしてまで外食したくないなぁとやはり思ったりする。

 

6/17

古着屋のセールは今日もあって什器も出すと、ごっちゃんがお店の人に教えられたらしい。仕入れの人ってばればれじゃないか。前日の時間からして夫は3時くらいにごっちゃんと行くという。子が乗り気でなく私達は家。3時半頃の夫からの商品写真に子が飛びついて行く行くと盛り上がって向かう。前日より雑貨が増えたのか服が減って目立つようになっただけなのか、アクセサリーが充実。この店は高円寺内で系列店があって、ユメかわっぽい店はたまに覗いていた。そこのディスプレイに使われていたと思われるアメリカっぽいプリンセスのままごと道具もちらほらあって掻き集めて購入。帰ると先に帰ったはずの夫の姿は無し、ごっつい木の脚立やら踏み台が持ち帰られていてげんなり。可愛いと言いたい気持ちはわかるけどそれを活かせる環境じゃないことをなんで気にしないんだろう。それとも明日いつもの仕事を受けている友人が作業しにやってくるというから、椅子好きの彼女に見せつけて盛り上がるかもと考えているのだろうか。その話題力のある人に分かりやすく媚びるような夫が目に浮かぶだけに腹立たしい。その作業だってひとりでやれないことではないだろうに、彼女なりの善意に押し切られたのであろう様も目に浮かぶ。夫は人と何かやることは苦手だから一人でやるんだと常日頃言っているのに、彼女が関わるとその信念も簡単に覆されていて、人を見て態度を変えているのがあからさまで、そういうところが本当に意地汚いと思っている。それにうちのこの狭い環境で人に動いてもらうことほど気を遣って逆に厄介になりそうなのに、まぁ何度も家に来ている彼女の方がその点を気にせずやれる人だから可能なんだろうけど、外野の私は気遣っているということを相変わらず2人とも全然気にしないらしい。お昼ごはんをみんなで食べようかとも言っている。そんな時間があるなら正直さっさと作業を済ませて欲しい。私はこれ以上、人と過ごす時間を必要としていない。どちらにしても、あいにく明日の私はお弁当にして子の園後の遊びにがっつり付き合う予定だ。ああして約束守れなかったと言ってお友達と遊べなかった時の子の悲しい顔はもう見たくない。

夜、途中でやめるの新作がアップされる。煽り文でここにも例の彼女の名があがってきて途端に不信感。多くの人が欲しがるものをその通りに生産してくれることは良いことだけど、彼女がもっとやれと口出しするのは、そうした皆んなの希望のためにというより、仲間レベル以下の人間を金づるとしかみていないかのような意地悪さを感じてしまう。もちろん良いものは良いし、それに見合ったお金になるべきなことも間違いでない。でも世間の評価で人を分け隔てるような彼女の態度は、能力のない人間は搾取されるだけだとあらためて突きつけてきてるようで辛くなる。素敵だと思っていたのに、制作者と自分の間に人が割って入ってきた居心地悪さに、もうしばらくいいや、という気持ちになってしまった。

 

6/18

ここ最近は登園日やその前夜に子がそわそわしながら、園に着いたら何をするんだっけとやたら気にして、行きたくなくなるくらい追い詰められている。着いてからの行動を口に出してシュミレーションをしたり、あまりに心配しているから順番があるのかなと思って、わからなかったら先生に聞けばいいよ〜と軽く流していた。実際帰りには楽しさがはち切れんばかりに出てきて、お友達と公園に行こうと盛り上がってるから朝だけが問題のようだ。今日ははじめは遊具のある小さな公園でいつも通り遊び、お昼ごはんにしようと大きな公園に移動する流れ。皆んなとお弁当でほんとに楽しい嬉しいと子が満足していて良かった。午後3時をまわってそろそろ解散しようかとなったところでも私は帰るのが憂鬱。虫カゴを取りに帰った友達が戻ってきたのをいいことにもう少しだけ遊ぶ。一応夫に終わったのか?と連絡すると、もうほぼ終わり、友人が帰りを待ってるよ何時になる?と、その友人からも直接LINEが入るけど、まだ遊んでるんだと二人に返して4時近く、雨がパラパラやってきたところでようやく帰ることにした。友人も雨に気づいて帰ったらしい。状態不良で売り物にならなくなったTシャツと子のおさがりがあって、すぐにありがとうと連絡やり取り。会わない分にはいい。どうしてこんなことになってしまったのか。彼女に悪意はないだろうし実際彼女が悪いわけではない。一対一ならいち友人として気にならなかったんだけど、私からもっとも身近な夫が、その関係に後からやってきたのに、表現者のような立場にいることや生業のうえでの世間の認知を盾に対等な関係でいられるのを見て卑屈にならざるをえなくなった。結局そういうものなんだ。ただの友人なんて、苦楽を理解し合えるらしい同志の前では無力。見下されている、はっきりとそれを突きつけられた時のことは忘れない。彼女は表現者として人から求められてレールを敷かれて、仕事でニューヨークに行き、たまたまそのしばらく後、夫も音楽で同じく本人らが望んでとかではなく、人からマネジメントされてニューヨークに行くことになっていて、うちでそんなニューヨークの話をしていた。私自身はとくにニューヨークに興味もなかったし「へー、ほー」と二人の話にピンとこないなりに聞いていたら、合間合間に「ま、自分は行けないけどね」と振られて、二人して笑っていた。そうだよ確かに私は別に誰からも呼ばれない。興味もないと言いたいところだけど興味がないスタンスは二人も同じか。興味なかったけど誘われて広い世界を知ることになった勝者の視点か。チクショー!とおちゃらける場面だったのかもしれないけど、そもそも弱者の自分はそれすらも出来ない。ふつうの会話で悪意なくわざわざそんなこと言うか?苦笑いするしかなかった。優越感に浸って気持ちよく話すだけならまだしも、戦わなくていい戦いに人を引きずり込んでズタズタにして面白がることが自然に発生している。軽い気持ちだとしても対等じゃない時点で冗談ではすませられないのに。ジェンダーだ人種だ社会の大きな差別問題には敏感なくせに、こうして経済力とか語学力とか積んだらどうにかなる話ではない能力で見下すようなことをするのは許されてる。だとしたら棲み分けするしかなくて、自分を卑下しなきゃいけなくなる相手と関わりたくないと思うのは当然なんじゃないのだろうか。夫もそっち側の人間だから、その3人でいるなんて尚更、自分だけ置いてきぼりの劣等感をわざわざ感じなきゃいけなくなるなんて環境必要ない。それは、打たれ弱い、だからダメなんだ、虐げられたとこから跳ね返すんだよ努力が足りないんだよ、と世の中から一喝されることなのだろうか。そんな彼らと関わることで、自分だけだと見えない世界を見せてもらえることは確かにあるかもしれないけど、その代償が自己否定になるのなら、閉ざした世界にいるほうがずっと自分という個を育むためには良いと思える。このコロナ自粛がスッと受け入れられたのはそういうこと。芸人なりミュージシャンなり、売れたら今まで共にしてきた伴侶と別れるってことが世間では度々起こるけど、そりゃそうだよ感覚が共有できないもん、と毎度思う。同じ層にいる似たもの同士で引っ付くのは当然。夫とのすれ違いがある時には折に触れてこのニューヨーク話のことを引き合いに出して、どれだけ痛み分けをしてもらえてるのか確認をする。理解があるかはまだ怪しい。

夜、夫は新宿へ。トラックで桃が安いって売りにきてた、と買ってきた。値段を聞くとそれほど安いって感じでもないかな。こんな時によりによって新宿に売りに来てるような人の桃、ワケありな感じじゃないの?と聞いたら、大丈夫でしょ、みんな順番待ちして買ってたよとのこと。こんな時に新宿で桃を買って生きる人達。どんな人達だったのだろう。

 

6/19

1日雨でしんどい。朝から夫が、すき家で父の日キャンペーンやってるんだけどとアピールしてくる。本人は進んですき家を食べることはまず無いんだけど、子どもはお子さまセットと名のつくものが何でも好きだから今のところ牛丼といえばすき家。そのキャンペーン内容をよく見てみると夜6時からだから、タイミング合わせるのめんどくさいなとも思いながら1日が過ぎ、夫は不在だけど、子どもに牛丼買うとお父さんにお花貰えるけどどうする?と聞くと買いたい!というので、雨の中カッパを着せて買いに行く。おばあさんがバラを片手に店から出てくるところで貰えることを確信。テイクアウトで注文、牛丼と一緒にレジ横にドサッと差してあるバラを一本渡された。なかなかのボロ。すみません選んでもいいですか?というと、どうぞと一言忙しそうに奥に引っ込んでいく。プレゼントというだけあってどれもさほど状態が良くない。なんとか子と気にいるものを選んで店を出ると、子はバラをずっと背中に隠してエレベーターをあがる。まだいないよと声をかけても、いいの!と言って隠し続けていた。

 

6/20

ガストのモーニングに行く。朝は集団で来るような人もなく静かだから少し気楽。どこに触れるでもなく真っ直ぐここにやってきた朝は、セットのトーストにも堂々と手が出せる。ドリンクバーのコーヒーを飲んだカップで次のドリンクを容れてしまう。夫に「えっ」とリアクションされて「へ?」と思ったけど、感染対策でドリンクバーは都度コップを変えるのがルールだ。こんなに手で触れてはいけないとか普段目くじら立てておきながら、気が付かないと全く悪気なく迷惑行為をしてしまう。私が対策不充分ではと思うものも、わざとじゃなくて本当に気がついていないこともあるんだなと。仕事で夫は先に帰ったので子とのんびり帰る。うちから中野までの通りに春くらいだったか、新しくパン屋が出来て、気になりつつも通り過ぎてる間にコロナ禍になり長いこと休業していて、営業再開したけど、立派で重たそうな自分で開閉する扉が気になって寄れないでいる。自分でトングで取るスタイルのパン屋は見る限りではどこも、全て小包装にするか陳列トレイの上にシートを被せたりで対応している。でも私はそれ以前に余程のことじゃなきゃドアはもう出来れば自動じゃなきゃ入る気もしない。うちのマンションの入り口扉も出来るだけ足で開けている。三兄弟のママも同じことを言っていた。というか開けっぱなしてくれていいのに、ご丁寧に閉める人もいるらしい。帰り着くとうちの向かいのマンションの管理してるおじいさんが外に出て作業していたのでお喋り。娘は環七の向こうの幼稚園に言ってたよ、まぁ娘っていってももう60過ぎてるけど。と、そんな昔からここに住んでいたということは、ジンギスカンの店ありましたよね?と言うと、あったよと、ちょうどうちのマンションの真裏側一帯がそうだったと。日本ではじめてのジンギスカンの店がこの地が発祥だと知って気になっていた。この辺りのマンションは古く、長く住んでる老人もけっこういて少し昔の街の話を聞くのは面白い。おじいちゃんの作業が終わったのと子が帰ろうと言うので話半分で終わり。また聞きたい。

夕方、どこか行こうとまずは図書館に。先週から直接本棚から借りることができるようになった。お話の小部屋は閉鎖されているけど、長椅子の数は変わらず、ただひとつ置きにバッテンのテープが貼られている。新聞や雑誌など閲覧できる方のスペースは椅子数が減った様子。以前のように住み込んでいるかのような老人も見当たらない。図書館のあと、眠そうだから自転車で少し長めに走れば寝るかと思い、人が少ない公園に行こうねとはぐらかしながらうろうろ。結局寝ない。仕方なく駅近くの小さい小さい公園に寄る。夫から連絡。説明が難しく写真を撮ってこの公園と知らせるとしばらくしてカキ氷を持ってやって来た。よくたどり着けたねというと、山ちゃんが縄跳びしてる公園がこの辺にあるって聞いてたから、そこだと思ったとのこと。カキ氷を買ったのは高架下向かいにいつのまにか出来た学祭のような店。クレープも安かったからと寄らされる。高架下から寺のほうに向かう裏通りの坂の途中に突如現れる小さな公園で遊んだりしながら西友に行く。多くを望まなければ日常はこんなもんかなという感じ。

 

6/21

今日は夫は久しぶりに奉納演舞に行った。配信のみだし、人が詰めかけるような場所じゃないからそんなに気にならない。ただグループで車移動で行くから、それは気を抜くなよと言っている。昨日のおじいさんの話を仕事仲間で地域の歴史を調査したりもしているママ友に連絡してると、ところで今日はどんな予定?と。前回の公園遊びの帰り、明日の明日の明日の、みたいなノリで子どもが遊ぼうと言ったことをしっかり覚えていて、今度はそっちが約束だからと言っているらしい。うちは忘れてるけど気持ちは分かるので午後に待ち合わせをした。昼前からマルイの無印に行って、向かいのマックでハッピーセットをテイクアウト。食べたら公園行こうかと言って夫らの配信を少しみる。何やら神聖な雰囲気であるらしい。ということだけ確認して公園へ。曇りで少し蒸す。網が見つからなくて虫カゴだけ持って行ったら、お友達は逆に虫取り網だけを持っていた。シャボン玉やら虫取り網を振り回して遊ぶ。そういえば登園してから何をどうしてるか知ってる?とママ友に聞くと、知らないや、気にしたこともなかったと。一度室内に上がって荷物を置いて帽子をかぶって手を洗う。やることはそんなことだと思うのだけど、どこに躓いているんだろう。友達とは楽しく遊ぶ。今日は父の日だよ、何しようか、とママ友が子に問いかけていて、そうか何かするんだと気づいた子は帰って絵を描いた。丸めてリボンをかけて帰るのを待っていた。

 

6/22

今朝も心配して戸惑いながら登園。帰りは元気なんだけど。世界の地図、とよく子が言っていて、何かと思ったら「みんなのうた」の今月の歌。子どもの歌でも分かるクセのある音程。テレビから流れてきた声、もしかしてTOSHI-LOW?と気づいたらその通り、OAUというバンドをやっているらしい。子を通して気づいた自分にほくそ笑む。これ歌ってる人の昔の歌なんだよね〜とか言いながらSee Offを口ずさんでみたりする。

 

6/23

成城石井のあまおういちごバター、何やら話題らしくて抽選販売となっていたのをみてなんとなく応募してみたら、ちゃっかり当選して買えてしまう。迷いに迷ったけど、応募した東中野のアトレにも行ってみたいし本当に買うことにした。午後、子を連れて出発。暑い。途中、中野坂上辺りでまだ〜?とぶつくさいってくる子に、クラスで仲良しのあおちゃんの家こっちのほうだよ〜、こんなところから毎日通って偉いよね〜と声かけて、ごまかしながら東中野着。まずは駅隣りのサミットへ。広そうでワクワク。二階の衣料品フロアへ。いかにもスーパーの二階ライナップな子どもの下着をみる。マイリトルポニーが好きだったからH &Mのパンツにしていたけど薄〜くて履く時に丸まってしまったりしていて、冷静に考えたらこういうダサいパンツの方が脱ぎ履きしやすいし、子どもも、レース可愛い〜と喜ぶ。移動して食料品フロア。広い。菓子コーナーのセンターには地方のスーパーでしか見たことのなかった祭り屋台風の陳列棚がある。東中野ってこんなファミリー向けの土地だとは思わなかった。ずっと探していてオオゼキで取り寄せをしようかと考えていたポーションタイプのカキ氷シロップもアリ。ひとつだけという約束で選ばせると、その棚周りにある髭メガネやらぴょんぴょんカエルやらで迷い出して、お菓子じゃないの?と声をかけると折衷案でセボンスターを手に取る。暑さでチョコがドロドロになりそうなので、ちゃっちゃと口に放り込み、マスクで蓋をしてアトレへ。東中野の駅のこちら側ははじめて足を踏み入れた。成城石井はどこ行っても同じ配列で安心する。高そうなドリンクを欲しがるのを阻止してお茶。一応他のジャム類を見てみるとりんごバターが値下げしている。私は断然こっちの方がいい、と思ったけど、似たようなものがいくつもあっても使い分けが面倒だし、レジでいちごバターのみ買う。バインダーに名前の一覧表を作られていて、告げるとしっかり線を引っ張って埋めていた。そんなに沢山は居なそう。これは本当にラッキーだったのか?とりあえずまだすぐ食べる気持ちでもないからパンは買わず。来た道と変えて家を通り越してOKストアまで回って帰宅。帰って、これが人気商品かとまじまじ瓶を回し眺めながら、バインダーに用意された当選者をチェックしていたことを思い出し、もしかしたらとメルカリを確認する。と、売られてる売られてる。倍以上の価格をつけても売り切れている。早速出品手配。

 

6/24

幼稚園の後公園はしご。広い公園に入ったところに選挙ポスターのパネルがある。仲良しの子が山本太郎を指差しながら生き生きとフルネームで読み上げてる。お母さんが他にも知ってるでしょう…と力無さげに呟いているのを聞かなかったフリをして、おぉ〜すごいね〜とだけ言って通り過ぎる。なるほどそういう感じか。帰って早速話題に。夫は「世田谷自然左翼って感じだもんね」とずばり。送り迎えで会ったこともあって彼女の雰囲気はだいぶわかっている。年少の後半に入園してきて、子が仲良しになってから話すようになったけど、話の分かる付き合いやすいお母さんだと思っていた、だけに納得できたような気がしなくもない。

 

6/25

子が朝からとにかく騒がしくて、夫が私達にイラついている空気が伝わってくる。今日はなんだか疲れが溜まってしんどいけど、仕方ないので昼に図書館へ行く。本を選んだり表のいつもの段差で遊んだりしてお腹が空いてきた。朝から天気が悪かったけど晴れてきたので洗濯したいから帰ってもいいかと夫に連絡すると、追い出す形になったことを気まずく思っているのか、洗濯しとくけど帰るなら帰っても平気、との返信。洗濯しといてくれるなら帰る理由は無い。ポンタポイントの期間限定サービスで、飲食店を予約すればで二千円分使えることになっている。ランチで二千円なら家族で食べれるほど。検索するとうちのすぐ近くの生パスタ屋もそのサービス対応店舗になっていた。使わないわけはない。図書館で手を洗い消毒もして子の希望でそのまま店に行くことにした。夫からどうなったのかと連絡があり、ポイントでごはん食べるために店にいる、食べる?来る?と、追い出されたことは水に流して、どうせサービスポイントなので太っ腹になってみせる。しばらくしてやって来た。が、会計でポイント使用の予約にしていなかったことが分かり、結局メルペイのサービスで手に入れたポイント1500円分の方を使用することに。絶対今月中にもう一度来る。そのまま私と子は自転車でスーパーまで買い物。帰った時にはまた疲れがまわってきて、入れ違いで夫がいなくなったことに気が抜けてうたた寝。しばらくして電話で意識が戻る。夫が今から区役所に来れないかという。いきなり跳ね上がった保険だかの減額申請には私の書類が必要と分かったらしい。生活は何も変わっていないのだから毎年同じ繰り返しのはずなのになぜなのか、私も気になる。急いで子を乗せて向かう。担当窓口まで行くと前回まで申請してたけど今回していない、みたいなことを言われたけど、前回といってもいつどこでどうしたのか全く覚えにない。出された紙に言われるがままサインして、次の部署に行く。区役所はあまり窓の見えないフロアでみっちり人が働いている。受付カウンターに仕切りはあるけど、その窓口の向こうのデスクでギチギチに働く人達の姿はもう前時代という感じで、どちらかというと取締る側なのにこの密度はどうなんだか気になる。ひとまず提出をするだけして完了。せっかく来たからと商店街を少し歩く。もう子も疲れてるというのに連れ回す夫の神経とは。子の日々の全責任を背負うわけじゃないから分からないらしい。夫は自分のことは自分でやるけど子のことはあまりやらない。とくにこの1日の締めに向かう、おもちゃの片付けだとかごはんの準備だとか寝かすまで、こっちは毎日のことだから出来るだけ自分がしんどくならないペース配分でやりたい。家族揃って楽しい時間に見えるかもしれないけど、あとで圧迫するのは自分。そのことに軽くイラついたりもする。駅の反対側のスーパーまで歩いて、戻り道はもう子の体力は限界。夫に抱えられながら自転車まで戻るも、帰りはまた夫は次行くところがあると解散。ほらやっぱり最後まで見届けるわけじゃない。帰りついて、さて今から、というところで雨。まずは洗濯物を取り込む。

 

6/26

やっぱり朝から「幼稚園着いたら何すればいいんだっけ…」と言いながら不安が増してる子。保育再開の1週目は元気に登園していたのに2週目から突然そのテンションになってしまって、何か変わったのかといえば登園がクラスごとではなく半分にした縦割り登園になったことくらい?そこに理由があるとは思えない。毎回神妙な顔をして緊張気味に園に向かう。園門では園長と、今年は担任でもある主任の先生が出迎えることになっている。子が中に入って行ったのを確認して、体温記入の用紙から顔をあげて今日は先生に向き直す。朝着いたらやる事の順番ってどうなってますか?と質問すると、園長と先生は、はい来た、と言った感じで、「気にしてるでしょ。もう毎回なのよ」と、園長も隣で弱り顔して深く頷いている。「分かってるのよ?やる事わかってて、その目の前にいるのにいつまでもやらないで、なんだかグズグズとやってるのよ」と呆れ笑いしながら先生は言う。園でも不安そのままだったとは。だから出来てるからその通りでいいって先生言ってたよ、と言ってあげればいいんじゃないかな、と先生は言う。何か他に理由があるかもしれないし、あとは見守るしかないわね、とも言われる。園のあとはいつも通り少しだけ公園。

夕方、ブロードウェイ地下で買い物。いつも惣菜や肉を買う店の向かいの天ぷら屋の弁当が250円。安い。もう今日は下手にあれこれ買うよりこれにしようと、4種類から2つ選ぶ。まちおかに寄って、帰ろうと駐輪場に向かうとまんだらけで働いている友人の姿が。いま帰り?と声をかける。ゴチャゴチャした場所だからあまり話せなかったけどいつから再開してるの?と聞いたら、え〜ずっと仕事してたよ〜とのこと。ブロードウェイ全体でいうと人は減っていたけどまんだらけは普通に忙しかったとのこと。休校中の学童は人数も絞ってるなどとも聞いたから医療従事者の子ばかりかと思いきや、色んな事情の人もいたもんだった。

250円の弁当、意外と悪くない。すれ違いで今から出ていこうとしてる夫に言うと、知ってた、あの店でしょと。なんでこんな掘り出しもの知ってて今まで買ってなかったのか。安すぎて信用できなかったのだろうか。

出て行った夫が、いる?とご自由にどうぞの子供服写真を送ってくる。高円寺の地域の広場のようなところで出されていたらしい。写真から使えそうなものを選んで持ってきてもらった。今年は出番がないだけに、少し大きめのラッシュガードはラッキーだった。うちは2学年歳上の子のおさがりをよくいただいて本当に本当に助かっている。ほぼおさがりしか着ていない。そんな可愛いおさがりの子供服を手にするたびに、これがあと二年しか着れないのかとしみじみする。それなのにこんなに沢山与えられていたなんて、とてもとても可愛がられているんだなぁとも感じる。もちろん着るものとそれはイコールじゃないけど、私はこうしておさがりでいただかない限りそんなに数を用意してこなかった気がする。今じゃない今じゃないと先送りにしていた。「一番ベストな時に」と勿体ぶる自分の尺度を子どもに当ててはだめだ。今が一番大事。その日の花を摘めがこんなところでも響いてくる。

 

6/27

昼夜平日週末、関係なしの夫に何かを期待して待っていても始まらない。子を連れて遊びに出る。駐輪場の通りは風が抜けて涼しいのでそこに出ると走り出したり、つい遊びたくなってしまうらしい子。そのかわり冬はめちゃくちゃ寒い。ロウセキで丸を描いてケンケンパをして遊ぶ。ひと通りして気が済んだところでセントラルパーク。芝生が養生中で中には入れない。端の方でシャボン玉をするも溢して全滅してテンションがさがる。夫から高円寺に用があって出るからランチを食べるかとの連絡。もはやランチは食べたい気持ちを先行できるようにもなってきた。とはいえ、どっちでもいい。遊具のある公園で遊びながら、夫が間に合えば行こうかなというくらいの気持ちで。2時半過ぎ、ランチタイムぎりぎりにやって来て、充分に遊べた子は機嫌よく、普段は文句を言いそうなタイ料理屋について来た。最近夫が前を通ったらしくてランチが安いとの情報を掴んでいた。昔は何度か来たことがある。タイ人っぽいカップルが1組いるだけ。もうランチぎりぎり時間だからかもしれないけど、やっぱりこういった小さい店ほど気にするような人集りがないから安心かもしれない。店にとっては良くない事態だけれども。メニューを見て子が積極的にパッタイを食べたがる。辛くはないけどどう思うかあやしいからもう一品にカオマンガイを選ぶ。カオマンガイなら食べれることは分かってる。夫はガパオ。だいたいガパオ。やっぱりこのお店は美味しい。半人前以下一名を含む三人で大人の三品なんて我が家にしては贅沢だけどこれなら納得という味と量。お茶まで出してくれる。子もパッタイを喜んで食べた。でもこの三人で食べるほんの数百円の差を気にして滅多に食べられないんだろうな。

 

6/28

雨が上がった午後、夫が和田堀公園のなかにある店でやる展示を見に行きたいと言って、それなら子も連れてついでに夫に相手させようという魂胆で私達も行くことに。子がノリ気じゃないのを和田堀公園の遊具の広場の写真をみせてこの公園だよと言うと盛り上がって行く気になってくれた。でもこのすごい雨の後で遊べる状態かは分からない。和田堀公園は広く、目的地に迷う迷う。子が騒ぐので仕方なく私は遊具の広場へ向かい夫は展示へ。やっぱり遊具は濡れてて思うように遊べず、なんとか言いくるめて展示会場の店を探しに移動。停めてある夫の自転車を発見、その周りでそれらしい建物を探して向かうと、突如それっぽい人がウヨウヨ現れる。そんな中で夫はハードコア界の重鎮シヅルさんと話していた。そういえばハードコアの人達ってよくこの和田堀公園でバーベキューやってる印象。アクセス的に微妙なとこだけど高円寺周りの人達が手軽に求められる自然。つい何日か前、ルックを娘さんと自転車で走ってるとこ見かけましたよーと、私も話す。シヅルさんが子どもと過ごす姿を15年は見かけ続けている。上の兄弟ふたりが今の我が子くらいの頃、土日の明治公園のフリマでいつも遊び歩いていた。あのフリマが今もあったら子どもは楽しいだろうになぁ。夫が、シヅルさん育メンのはしりですよね、と言ったら「いやイケメンだろ〜!?」と返されたらしくて、さすがシヅル節。私もそんな合間に展示をみて、せっかくだからやってみようと釣り堀に移動。子ははじめての魚釣り。私は小さい頃、釣りが趣味だった父とよく海に行っていた。魚がグンッと引っ張る感触が懐かしい。2皿餌をあげきって終了、孤独のグルメに出てきたメニューを食べてみようと食堂で休憩。親子丼もいいけどカニクリームコロッケも美味しかった。帰ってから夫はまた仕事をして、ごっちゃんのところへ。

 

6/29

夫が不調で病院。私は不調を察知したら早めに病院にいって酷くなる前に対策をしたい派だけど、夫はギリギリまで動かず行った時には厄介なところまで進行していたりするから、不調のままダラダラと日が経っているのとか、ほんと効率悪いなと思うがそれはもう性格なのか仕方ない。昼に軽く外で遊んでお腹も空いてきたし、天気良いしどこか屋外席のある店を探したいねと子といいながら移動しようというところで夫から連絡。病院は血液検査で明日結果がでるとのこと。そしてニトリに行くために吉祥寺向かってるんだけど来るかと言う。けど私は無駄に電車に乗って出かける気力はない。子に電話を代わると話がついたようで行くというので、それならという気になる。私は自分で決められないことの6割はこうして子どもに託してしまうようなところがある。子は、シルバニアを買ってくれるって、と言ってはりきっている。高円寺から電車に乗る。もうしばらく電車に乗ることはないと思ってパスモを持ち歩いていなかったので切符。時間も見ずに総武線一択。それでも余裕で座れるというほどではない。車内では子が余計なところに触れないように両手を掴んで立つ。吉祥寺に着いてニトリの買い物を済ませた夫と合流。お腹が空き過ぎたので待ち合わせた駅前すぐのシェーキーズに入る。素手は嫌だと一度は不満を見せるけど、夫が呆れたような、明らかに不機嫌な態度をして、まるで私が軟弱で駄目なやつみたいになってしまうから渋々合わせる。店は広くて空間があるからいいけど、こんな時にバイキングだなんてこれまた面倒の極みで、いちいちマスクをして取りに行きビニール手袋を装着しなくてはならない。もう一度で運んだ分だけでいいやという気になってしまうからバイキングであるメリットがあまり無くなってしまう。手袋は使い捨てで一回ごとに取り替えるのだけど、そんな経費をかけてまでこの面倒なスタイルにするか?と思うも、スタッフが持ち運び形式に変えるとして雇用を増やさなきゃならなくなると考えたらビニール手袋なんてナンボでもということか。ビニール手袋を余分に持ってきて食べる用に使っている人もいる。私もフォークを使ったり細心の注意をはらって、という時点であまり食欲もなくなっている。やっぱり我を忘れるくらい食べれることに没頭できる食事こそ満足。ドリンクもさっさと飲んで、ゆっくりすることもなく退店。しばらく来ることはないなと思う。ヨドバシに行ってシルバニアを見る。欲しい物をあれこれ迷うってことはたいして要らないのでは、と思って子をどうにか説得。すでにカタログは家にあるけどまたひとつ手にとって、これじっくりみて欲しいやつ決めてから買いにこようと声をかける。この労力使うやり取りもできればしたくない。誘ったのは私じゃないのにどうして私がこの役をしなきゃならないんだ。夫の機嫌を損ねたくなくて子の判断に寄りかかって、こんなところまで来てしまった。自分の弱さに苛立ちを覚えることもある。帰りは夫は中野まで、私と子は高円寺。スーパーに寄って自転車に乗ろうとすると、その自転車の並びに懐かしい顔が。3月まで遊んでいた広場の先生。その先生もこのスーパーが御贔屓で何度か遭遇はしていたけど、広場が無くなった今となってはお互いキャーっとなる。相変わらずいつも通り元気な先生。子がシルバニアを買いに行ったけど買わなかったと話すと、シルバニア遊びは成長に良いのよ〜凄いじゃない、と子に声をかけてくれて子も自信をもった顔をする。本当にこの自粛中のシルバニア遊びで一人で世界観を作るのが急に上手くなった。幼稚園再開どう?っ話から、最近こんな時に広場があったらなぁと相談したいと思うことがあったんですよーと話すと、あら、連絡先教えてなかったっけ?いつでも連絡して、と言ってくれる。まだ広場の片付けしてるからそこにいくこともあるとのことで、この場は子もいるからじゃあ是非また連絡しますと言って別れる。この地域で御守り代わりになるものを手に入れた気がする。

 

6/30

朝また不安になる子を園に送ったあと、前日の広場の先生にメール。するとすぐ電話が掛かってきて、もう広場にいるとのこと。行くと、作業というか大きな机や冷蔵庫など、譲り受ける人達が取りに来るための立ち合いで待っているらしかった。早速駆け足でこの登園時にやることで不安になってる話をした。主任であり担任の先生は、良くも悪くも子どもにざっくばらんに接する人で、その割に恐れられる存在と、自他共に認められている。ざっくばらんが子どもによっては乱暴で怒っているようにも感じることがあるだろうなとは思っていた。我が子もそれで萎縮しちゃって不安になっても言えないのかもしれないと思った。広場の先生はそこまで聞いて、そうなのよね、それがあの先生のね〜…と相変わらず困った人だわとでも言いたそう。広場運営代表のこの先生はうちの園のイベントごとなんかに招待されてなのか来たこともあるとかで詳しいし、園の先生のことも面識があるのか噂を聞いているのか、とにかくよく知っている。主任の先生は、過去には家庭訪問に来たというと布団をかぶって隠れる子がいたりとか、卒園生でも苦い思い出と記憶していたり、それくらい恐れられていたものらしい。先生の態度の問題もあるけれど、それ以前にうちの園は必要以上に自由。この朝の支度の一連も、やることやれればやり方は自由、ということみたいで、我が子はそこに困ってしまっているようだった。公式なルールがないだけに友達同士のなかで、これの次にあれ、といった非公式のルールがうまれ、それに逸れると指摘されたりとか、そうなることが不安なんじゃないかと、幼い集団生活をイメージして私は思った。なんて、あれこれこっちが考えるほど大した問題ではなかったりするんだけど。広場の先生は、順序は決められて無いとしても、それじゃあ子どもと一緒に入ってこっちで順番を決めさせてくださいって言ってみれば?と提案してくれた。ちょうどそこに同じくお話しに来た他の園に通うお母さんにも登園してからの支度の話を振ると、何をどうやるか、はじめは親と一緒に確認したとのこと。先生は確信をもって、普通はそうだと思うのよ、と話す。必死になればなっただけ園からは、お宅はお子さんが一人だからそこまで気になっちゃうのよ、と言われかねないから正直気が乗らない。少子化ってどこの話?というくらい、現時点で一人っ子の家は少ない。これまで何か少しでも気にするたびに、それらしいことをやんわり言われてきたよ気がする。二人三人といたらそれだけ大変なことは当然わかるけど、私は二人いても一人にこれだけ熱心になるかもしれないじゃないか、とも思う。そのことも先生に言うと、そんなこと言われたら…私だって一人よ、と開き直るように自信を持って返された。それぞれのやり方、それぞれの思惑があることだけは確かだけど、どうしたものか。「自分で考えて自分で行動できる人間を育てる」という方針はとってもとっても素晴らしいのだけれど、まさかそれがこんなところにも潜んでいるとは思わなかった。まずは登園時にクラスのお友達と一緒に入れるように、もう少しだけ早く行ってみようよと声をかけ続けようと思う。業者の人や近くの保育ママが使える物を取りに来るなか、先生はあなたもいる物あれば持っていって、と言ってくれたので、椅子を一脚と、縛り上げられていた母の友を直近の二年分くらい貰うことにした。先生は良かった〜と言って、母の友捨てることになるの勿体ないと思ってたの、きっと勉強になるわよ、と喜んでくれた。もうお迎えの時間。小雨が降り出すなか急いで帰る。変わらず帰りはご機嫌な子に、今日もパスタのお店に行こうと言って急いでポイント利用の設定をして予約をする。今日は夫がいない分使い切るために、気になっていたお弁当をテイクアウト。緊急事態宣言中は営業しているのかすら気にとめていなかったけど、気がついたらテイクアウト弁当のメニューが貼り出されていて窓越しに見える現物が美味しそうで気になっていた。やっと買える。ばっちり予算内におさまって大満足。

歯ブラシがすぐにダメになる。矯正ワイヤーがあるとこんなペースだったか、すっかり忘れてた。歯ブラシは薬局で何かのついでの度に買い足しているけど、夫は歯ブラシ寿命に敏感でしょっちゅう換えるからいつの間にか使われてしまう。だいたいピンクの歯ブラシは私のやつだって思わないのかと突っ込むと夫もピンクのが好きで自分でもピンクの歯ブラシを買ってるんだけど、と言われてハッとする。男だから青や緑の歯ブラシだなんて決まりはないはずなのに、私もやっぱりそんな古の固定観念にとらわれていたんだということで、夫に失礼したなと思った。確かに歯ブラシに使われているピンクは青や緑よりパンチがあって鮮やかな良い色してる。普段から夫は堂々とピンクも可愛いものも自ら選んで自由であることは当たり前だったんだけど、歯ブラシに関しては油断していた。油断すると勝手に色分けしてしまうくらい色の先入観は自分のなかにある。性別に色をつける問題にはずっと引っかかってきたけれど、色分けのない世界だとそれはそれでややこしくなるんだなとも思った。まさかピンクの歯ブラシが二つ並ぶことになるなんて考えてもいなかった。私はムラサキの歯ブラシも好きだから、これからはできるだけムラサキを買う。