どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年3月22日〜3月26日

3/22

朝からコメダ行かないの?と子にせがまれながらも晴れて洗濯2回。コメダは下北、アンモナイトの化石はビックロか調べたところ日本橋が有力。目的はあってもなんだかんだ雑用をしたり、出掛けるとなるとこの季節特有の洋服選びに頭を悩ませ取っ替え引っ替え、ようやく準備が整った頃にはもう昼。これだからなかなか遠出が実行できない。今からのコメダだって、下北までの道のりを頭に思い浮かべると精神的に距離がきついし、ランチタイムの飲食店はどこにしても混むことが予想されて気が重い。分かりやすい道は右の環七か左の中野通りか、でも果てしなく続く道は考えただけで息が止まりそうで路地に次ぐ路地でそのまま南下、笹塚を抜けていくルートで行く。懐かしい笹塚の玉川上水緑道の桜。一歩外に出れば行きたいところは沢山ある。そうしてここまで来てしまえば下北も苦しくない。まずは自転車を停められる場所を探して、と思いながら井の頭線ホーム沿いを走っていると前から自転車で来る植本さん。さすが下北、声をかけてコメダに行くところと話すと、ちょうどお昼を食べて帰ろうと思っていたから一緒に行くと言ってくれて、このフットワークの軽さが植本さんらしさであるし、それに巻き込まれていく楽しさが懐かしいんだけど、だけど一瞬戸惑ってしまった。もう一年は家族以外と飲食店のなかで向かい合っていない。別にただ人同士が向かい合うだけで感染源をそこで発生させてしまうなんて馬鹿げたことがあるわけじゃないのに、対面することを異常に恐れてしまっている自分がいる。一年の間で日常を暮らす人とは誰とでもコミュニケーションとれるようにはなったけど、相変わらず乗り物はマスクをしていても怖いし、差し出されるボールペンやタッチ画面やドアの開け閉めがいちいちストレスだったりする。でもいざ目の前にするとその怯えを表に出さないように取り繕うことに神経がいってしまい、今も流れるように三人でコメダへ向かっていた。駐輪場所も店の場所もこれから調べるところだったくらい、変貌を遂げた街に気遅れしていたから、慣れた人がいるのは有り難いことではある。子が植本さんにコメダがテレビでやってたんだよと話す。それじゃあ混んでるかもねと言われて、それもそうだったと焦りながらも店までくると待つことになるのは私達だけだった。逆に昼真っ最中だから回転がいいのか。良いの着てるねぇと植本さん、子の服を撫でる。そうだった、さも自分チョイスのように当たり前に今日も譲り受けたおさがりのワンピースを着ているのだった。植本さんのお母さんの手作りだというトラディショナルな形のワンピース、淡い薄い緑色にピンクの花柄のコールテンのワンピース、子も私も好きで季節がくればこの服に頼って、もう3年になるか。さすがにつんつるてんでワカメちゃんになっている。今シーズンで終わりかな、とちょうど思っていた。まだまだ誰か着てもらって活かしておきたいワンピースだけど、植本さんはもういいよと笑って、お母さん喜ぶわと写真を撮った。下北のコメダは開放感があって、都心にしては広い店ではないかと思う。席を案内するのにも、片方が長椅子になっているから大丈夫だと思いますがまず見てみてください、と決めつけないでこちらの思いも尊重してくれる接客。余裕がなさそうな中野とは違う。実際、囲いに私達1組だけだから余裕で座れるし落ち着く。子は、やっぱり女はいいよねとか言っちゃって、女子だけでこうしてテーブルに座ることだけでも嬉しそうだった。念願のお子さまプレート。ここには店舗限定と書かれたランチメニューがあったけど、当然子が食べ残すとも思って私はミニシロノワールセットに。植本さんがそのお子さまプレートに似たようなランチプレートを注文。コメダだとただランチを食べるよりもドリンクの分で若干高くついてしまうけど、それがこのゆったり座っていられる分だと思うとまぁいいかという気もする。中野の狭小店だとそうはいかない。植本さんとは小学校の話や家の話。昔から思うけど植本さんは会話はしながらも食べ方がスマートで食べるのが早い。私はビクビクしてばかりいたけど自分こそ食べながら話したり人が不快な行動をしていなかったかハッとして、また中身のない話しかできなくなる。お子さまプレートはサンドイッチに唐揚げ、ポテト、トマトにポテサラ、ゼリーとドリンク、安定感抜群の一皿。子ははじめ、残したら食べてねと言っていたのに、モリモリ食べられて完食した。またこのセット食べたいね、と何度も話し合う。この後はたまたま植本さん家に近い公園に元々行くつもりだった。夕飯時に観ている天才てれびくんで、よく分からないけどデンリキとかいうやつ、その公園でロケしていて、それを観てから子はまたその公園に行きたい熱が高まっていた。大きな石のオブジェのような遊具が気に入っている。羽根木公園行けばいいじゃん、と植本さんからアドバイス。羽根木公園ってめちゃくちゃ広かった印象でしんどい気もする。でも巨大迷路あるよと言われて思い切って羽根木に決めた。途中まで道案内してくれる。助かる。途中、地域で運営しているっぽい東松原のリサイクル広場にも連れて行ってもらう。今回は当たりなしだったけど、もしまたこっちまで来ることがあれば寄り道したい。そこでお別れ、道は分かりやすくここから右にいけば環七、左に行けば羽根木公園とのことだった。羽根木公園、じつに20年ぶりとか。遊具の広場が先に目についたけど迷路に行きたいということで探す。どこがそれか分からなくて人に聞いたら一度通り過ぎた広場、よく見たら迷路になっていた。来る途中にもすれ違ったりしたけど、小学生、もう休みなのだろうか、迷路の広場は激しく遊ぶ小学生の巣窟となっていた。途中プレイパークもぶらぶら。そこだけ異空間、これが噂にきいた世田谷自然サヨクというやつか。自然で遊ぶというより放牧に近いというか。雨あとで地盤が良くないのもあってか、慣れない子は遊びづらかったかもしれない、あまりハマらずに次は写生。天気が悪くなってきてしまった。曇り空と桜の絵。また迷路に戻った時には小学生が休憩タイムになっていて最後はのびのび遊べて良かった。道中にみた笹塚あたりの公園の素朴も素朴なオールドスクールジャングルジムがやりたいと言って羽根木を後にする。なにが魅力か他人からでは分からないものだ。でも公園を出た途端に雨。今日は布団を干してしまっていた。夫はどうやら阿佐ヶ谷にいるとかでこっちは降ってないとか言うけど、環七はずっと降っている。当然笹塚には寄れず真っ直ぐ家に向かう。アパートの外からベランダを見上げると、急の雨に対応しきれず洗濯物が干したままになってる家は不在なのが分かる。隣りのばあさんは朝にはあった洗濯物がしっかり取り込まれているから、いつも物音ひとつしないけどそこにいることは確かなんだなと思った。うちも大急ぎで布団を取り込み。さほど濡れていなくて助かった。おやつにして少し休憩。買い物には出なきゃならなくて、どうせ歩きだからもうあと数十分で閉館するプラザに寄ることにした。仲良し親子の姿あり。先週、代々木公園で仲間と花見だとか言っていたから、ちょっと警戒している私だった。大人はともかく子ども同士の距離は近い。変異ウイルスは10歳未満が多いとか、こうなるとまた子どもに厳しく目を配らないといけない気がしてる。でも今日は静かにぬりえをしていたからテーブルがバラバラで距離感は気になることもなく終えた。この一年こんなこと何度繰り返したことか。あれしたこれしたと言う友人に怯えても何事もなく、自分はなんでこんなことになってるんだと辛くなったりした。成長していく子どもにしたら体験した、しなかったの差は大きなものになるんじゃないかと思ったり。プラザを出たらさっきよりまた少し雨が強くなっていた。牛乳を買わたたたないとならない。コーヒーも切れた。最近では一人でコーヒーメーカーを使って淹れるのも面倒だそういって言うオッケーまで、歩きなのに結構な荷物。やりきった。

夜は動物動画のテレビ番組を観ながらごはん。とにかく動物のかわいい姿が観れる番組が好きな子、そんな感じのテレビがやっていれば機嫌良く団らんの時間を過ごせる。

 

3/23

やっぱりくじら公園を諦めてはいなかった。二日続けて杉並の南側に行くことになるの、昨日の今日でもやっぱり足取りは重い。昼過ぎ、まずはガストで腹ごしらえしてから行くつもり。こっちのガストは郊外のファミレスみたいな空間で居心地良い。おばあさん達のグループがいたりして、そういう集団を見かける度に、私は老人より怯えてるし人と交流してないなと思う。二人でランチセット。連日のランチ、ご機嫌。たとえファミレスでもお昼にちゃんとランチセットを食べるとあんまりおやつも食べないで済むし、私なんて夜まで満腹感が続く。ガストではお子さまメニューにドリンクバーまで付いていて、子はドリンクといえば、欲望のままにはメロンソーダを頼みがちなことが分かってきた。大人の目を意識するとリンゴジュースにとどまる。

今日は午後になっても良い天気。だけど少し風が寒い。くじら公園に移動。ここも小学生が戯れている。もう小学生も終わるのが早いか春休みに入ったのか。男女混じって皆んなで遊んでいる子ども達を見て、子どもの頃の友達って独特だよなぁと思う。こないだクラスの子の小学校低学年のお兄ちゃんが、はじめてのお友達の家にいってゲームに夢中になり過ぎて指にタコが出来たとかなんとか、子どもの頃って、普段自分と全然別の遊びをしてる子とも関わりあおうとするのは未来がある。馬鹿にしたり知らん顔するのではなくて、お互いを受け入れて自分の遊びを分かち合ったりできるのはいい。くじら公園、決して広いわけではないけど、小学生も小さい子がウロウロしているのを邪魔にするでもなく、ちゃんとそれぞれが隙をついて遊べている。二人きりなのに二時間は遊んだ。公園としては珍しい。4時過ぎようやく移動、ドンキに向かうも、代田橋に向かう道なりには並行してちょっとした公園が続いていて、オーソドックスなジャングルジムのある箇所で寄り道。小学生男子なんかは滑り台のところに溜まってゲーム、それくらいの使い方がちょうどいい感じのこじんまりとした広場。ジャングルジム、鉄棒、落ちていた切り枝で遊び。

環七の歩道の植え込みにはタンポポがたくさん。はじめはタンポポだけでも反応していたけど綿毛が登場した時は一際声を張り上げる。通り過ぎてしまったけどうるさいから一旦立ち止まると、ちょうど通り過ぎるところだったおばさんが、取ってあげようか?と、いや綿毛が〜と言うよりも早くタンポポの花をいくつか摘んで、あぁフーってやりたかったのね、と言いながらも差し出してくれたから受け取る。雑草の花を摘む姿は年寄りでも愛らしいものだと思った。ドンキで猫のごはん。サイエンスヒルズの療法食も売っていたけど、色々見てるうちにこれでもいいかと段々基準が緩くなって、療法食ではなくケアにとどまる程度のものを買う。最近また体重も増えてきたみたいだし、元気になってると思う。他にはお菓子。金曜にいつもの仲良しママ友なんかとお花見予定。といっても、いつも園後に遊んでいたのと同じことなのに、言い方ひとつでテンションが違う。皆んなと分けるお菓子を買って意気込む。レトルトハンバーグが目について、これ小さい頃大好きだったんだよ〜、と話すとついに食べてみたいと言った。いつもその自分の思い出はさておきに、買う?と聞いても、いらないと言われていたけど、好きだったと言ったら気になったくれた。前に買ったのは随分と昔、植本さんの娘達が今の我が子と同じくらいの歳の頃シッターをしに行く時に、幼少期のぼんやりとした記憶を手繰り寄せて自分の大好物だったことを思い出し、だからこれなら子どもが食べていいだろうと思って買ったのだった。子どもの頃の私にはレトルトが特別な料理だったというのもある。いま思えば、うちはおじいちゃんおばあちゃんも同居していたから、食糧はつねに充分にあって、手作りの渋い料理ばかりだった。カップヌードルも特別で大事に大事に食べるから、いつも麺がぶよぶよになって、それをまた美味しいと噛み締めながらゆっくりゆっくり食べていた記憶。袋ラーメンといえば父親好みの中華三昧で、チキンラーメンのような素朴なものは食べたことなかった。

おばちゃんの八百屋に寄って荷物を抱えて帰る。自転車置き場から正面入り口に向かうとちょうど夫も帰ってくるところで電話をしながら、「お父さん、お父さん」と呼びかけている。これはただごとではないのでは?あ、ちょうど来た、といって子に電話を近づけて、おじいちゃんって呼んでと、子は二度ほど呼びかける。こんな時に限って、普段はまず出会わないはずの住人が二人も行き来。部屋に入り、電話を終えた夫に聞くと、入院しているお父さんの容態が悪くなって心臓マッサージしているとかで呼びかけてくださいと言われたらしい。え、心臓マッサージってもう最後の最後なのでは?で、どうなったの?といえば、分からないけどとりあえず他の人にも電話をまわすために切ったという。ドキドキしてくる。行かないの?と聞くと、まだだと言われてるとのこと。今は行っても簡単には病院に入れないものらしい。それにしてもまだ大丈夫ってことなのだろうか。先を見越した行動は不謹慎てことにもなるのか。夫はまた仕事にでていった。

子の夕飯はレトルトハンバーグとブロッコリーとトマトと白いごはん。湯煎したパッケージを開けると何か違う、出てきたソースがデミグラ風、私の思い出のハンバーグはこれじゃないと確信。別メーカーだったか?でも昨日すイエんサーでみた美味しい目玉焼きの作り方で目玉焼きを添えることが今日の一番の目的だからまぁいいか。いつのまにか、おままごとで全く同じセットをぬいぐるみのために作って横にならべていたので、おままごとのごはんに合わせて子のごはんにごま塩をかけてあげる。大満足。

お風呂に入るところで夫が帰宅、成城石井で値引スイーツ買ってきたとか呑気なこと言っていて、お父さんどうなのよ連絡した?と聞くと、「あぁ死んだ。だから明日行ってくるから。」今じゃないと言われて次の瞬間には死んでいる。いや〜この時がきたね。俺の家の話だ、と言ってニヤニヤしている夫だけど、私は私でお風呂に入りながら意外とショックを受けている自分を感じた。夫の父は初めて会った時から見た目も言動ももうおじいちゃんで、病気も入院も、私にはもうおじいちゃんだからなぁという印象でしかなかった。そんな人でもいざ終わりがきたとなると心がざわざわする。青森まで行くのは夫だけ。あちら側でもそのつもりでいたから正直助かったと思ってしまった。自然な流れの人の訃報とはいえ、これまでと全く同じとはいかないことの不安も含めて動揺する自分ではあったけど、日頃からただでさえ電車などに不安を感じているだけに、自分自身が5時間かけて移動することになるのは勘弁でしかなくて、人に強いられなくてよかった。夫もPCRを受けてから来るようにと言われているらしい。一応明日からのことを話し合おうかと夜寝かしつけた後起きて行って、東京駅で1980円とかで簡単にPCR検査ができるのテレビでやってたよとか話しはじめると「うるさいよ」と言われて瞬時に頭きて、あんたの家はそうやって黙って話さないでいるから分からないとかなるんだよ、私はもうどうでもいいよ、とキレてまた寝室に引きこもった。夫は自分の行動、予定なんかを人に共有することができない。夫も含めて家族は会話が下手というのかあまり話し合いができなくて、それだからお互い想像で答えを出していたり例文のような話しかできず中身がなく感情が全くみえなくて話づらい。それを東北の気質だとか言い訳したりするから、だから私は尚さら東北の地が苦手に思う。

 

3/24

夫に対しては引き続き一人でやれよという気持ちでありながら、東京駅まで見送りをしてその辺りの建物で子と化石探しをしようかと密かに計画を立てた。夫は少しは考えたのか、PCRのやつ情報送ってくれない?とか、出掛けるまでに私にもできる仕事作業の手伝いを頼んできたりした。誰がやってもいいようなことを人に伝えられないのと仕切ることができずに、全部自分でやろうとするところがある。それで逆に周りが気を遣わなきゃいけなくなるんだから振り分けてくれた方が楽。

PCRの当日結果のためには昼過ぎまでに検査をしないとダメらしい。私達は新宿の金券屋で新幹線のチケットを買うことも頼まれた。実家から香典等の立て替えを頼まれたから100円ショップで香典袋と薄墨を買って新宿へ向かう。西口の金券屋、ざっと見てどこも価格は変わらなそう。謎に老人が多い。私はただでさえ新幹線の利用に不慣れでよく分からないから聞いてみると東北への回数券はなくてどうたらこうたら、言われるがままに株主券だかなんだかを往復分買う。前にこのすぐ脇の小田急デパートにも化石があった気がしてついでに一応通ってみる。見当たらない。その辺に立っていた警備員さんに聞いてみたけど、デパートの大理石に化石があるということすら知らないようだった。諦めて今度はJRで東京駅へ。夫はもう検査に行っているとのことで私達は東京駅の地下キャラクターショップを見る。私は時間潰しのつもりでしかなかったけど、はじめに入ったすみっこぐらしの店であれかこれかを欲しがる。そんなにすみっこ好きだったっけ?全部見てから決めようといって、もう少しブラブラ。ここには各テレビ局のショップがあって、そういえばハム太郎はどこでやっていたんだろう、でもいまだにあるわけないよねと思いながら歩いているとちょうど後ろから夫、目の前にはテレ東ショップで、しかもハム太郎のマスコットが並べられていた。よりによって今日はお出かけだからと、子はハム太郎の本を持ってきていて、これは見逃すわけにいかない。一年前にはじめて手に入れたハム太郎グッズのリボンちゃんと同じ種類のハム太郎。近くのセブンにも売っていた食玩もあって、どちらも欲しくて決めらない子、しばらく留守にするからと言って夫が両方買う。上機嫌になったところで、お昼を食べようという話になるけど簡単に入れる店がない。案内板を見ながらどうにかドトール。チーズトーストとレタスドッグ、夫は来る前に小諸そばを食べたらしい。東京駅のドトール、丸の内のサラリーマンでいっぱい。なかなかのじいさんでもスーツで商談のようなことをしている。トイレには常に人が並んでいて、夫が持ってきた水のコップには口紅がべっとり残っていて恐怖。人が働きに集まる場所は何も変わらない。香典袋に親の名を書いて、金券屋の券と残りの現金を渡して夫と別れる。チーズトーストとレタスドッグを食べ、子には持ってきた水筒の水を飲ませて店をでる。さて化石。まずは大丸に入ってインフォメーションで聞いてみる。特有の上品な匂い。何かでご覧になったのでしょうかと聞かれるけど、そういうわけではなく百貨店にあるイメージだから来たというわけ。あいにく大丸は大規模な建て直しをしておりまして、とネットで調べ出して、どこかのマニアのインタビュー記事を見ながら東京駅内のマップを出して、書かれているのを見るとおそらくこの辺りだと思うのですが、と案内してくれてしまう、さすが老舗百貨店。地図をなぞる線の長さと京葉線のほうという想像つかない場所を示されて引いてしまうけど、歩いてほんの3分から5分ですと言われて、マップを片手に子と歩くことにした。東京駅、何度来ても丸の内口とか八重洲口とかいまいち分からず感覚で歩いていたけど、目的地までの無駄ないルートの地図があると歩きやすい。途中ふくらむちゃんに出会って、まだいたんだと思った。私が実家に帰るバスの乗り場まで向かう時に必ずここを通っていた。子と写真を撮るのももう何度目か。あとはこのまま真っ直ぐ進んでいけば修学旅行生なんかの団体集合場所というのがあるらしい。あれって決められた場所だったのね。道すがらすれ違う東京駅で働く人なんかに団体集合場所を確認しながら化石のことを聞いてみるけど誰も知らない。インフォメーションの受付嬢が見ていたサイトを開いて、似たような場所を探そうとウロウロ。壁を見つける。建物はキッテみたいだった。同じ種類の壁を隈なく見ていくもいまいち分からない。アンモナイトのような分かりやすい化石はなかった。時間だからかえる。

地元駅に着くと子が「あ〜やっぱりふるさとはいいなぁ」と何度も言っていた。ふるさと。知ってる言葉を駆使して伝えようとするのが面白い。返す絵本を取ってから図書館へ。絵本はもう袋に入れて玄関に用意してある。自転車を家の表に停めて子を待たせ、私だけ取りに行く。こないだのネパールママが隣りのマンション脇の階段に座って赤ちゃんをあやしていて、そこだけ途端に異国感。声をかける。よく見たら赤ちゃんの額に印があって、ネパールは皆んなやると笑う。離れていても続けていけるくらい風習に馴染みがあるのがすごいなと思う。私はいちいち調べないと、赤ちゃんの頃にやることなんて分からなかった。

お話し会、はじめて来たお話し上手なおばさんが一人。そういえば一人でくる人は大概上手。どこかでやり慣れているのだろう。今日の子は「どろぼうがっこう」に目が入ったようで珍しくこのシリーズを借りてみる。図書館の向かいの建物が工事中になって、いつも遊んでいた壁がパネルで覆われてしまった。公園まで遊びに行く。そこは梅がメインだけど隣りのお寺の桜がこちらにのびていて桜も楽しめる。子は花を摘んで遊ぶ。仲良しママ友は我が子からそうして花を貰ったら押し花にしてるよと言って、そういえば前に他のママも同じことを言っていた。これだけ野草の花を摘みまくること、皆んなはそんな無いらしい。私にとっては珍しいことじゃないから、またゴミになるのにと帰ったら即捨てていた。でも実は滅多にあることではないと思うと、これからは私も少しは大事にしようかなという気になった。寒くなってきて5時すぎ。帰る準備をしているとお寺から鐘。近いと迫力。図書館に行く前は今日は絶対すき家の牛丼にすると言い張っていたけど、そんなことも忘れてくれてピアゴで買い物して帰る。レトルトハンバーグ、そこに売っているのをよくよく見てそれこそ私が好きだったやつ、丸大食品のだ。パッケージが酷似してるけどいいのか?どちらも大手のだし紛らわしい。子もデミグラのはあまり好きではなかったらしい。過去の自分の名誉にかけてリベンジ。

夜、猫は玄関や風呂場の方に向かって鳴き続ける。夫を探してるのか?それでも私も起きてテレビを観ていれば落ち着いてくれていて過ごしやすい。水ダウみたいな番組をだらだら観ていられる平和。

 

3/25

今日は夫から作業も頼まれている。早い時間にやってしまおうか、なんだかんだしているともうお昼になる。午後から二時間だけ預かり保育。そのあとスポーツセンターにダンスに行く。

お昼、焼きおにぎりを食べて夫に頼まれた荷物を持って幼稚園へ。同じクラスの女の子はいなくて少し残念そうにしていたけど仕方ない。先生が天気悪いですねぇ、雨が降りそうと言っていて、その後その通りに雨が降り出す。私は中野の郵便局へ。五差路の角にケンタッキーができるらしい。黒ベースにウッド調のスタイリッシュなKFC。荷物を発送して帰る頃さらに強く雨。これから先約一週間、唯一の自由時間だったというのに何ができるでもなく急いで帰って洗濯物を取り込む。二時間なんてすぐ。雨は少し弱まってきた。充分に遊べたようでテンション高く満足そうにしていた。誰と遊べた、お友達ができたと話す。

はじめてきたスポーツジム、駐輪場が屋上にあった。中でこれといった接客を受けるでもなく営業もなく、ただ淡々と受付。ネットで囲われた人工芝みたいなスペースでやるらしい。トレーナーの人に何かフォローされるでもなかったから周りの様子を見ながらなんとなく子を混じらせていく。女の子は我が子ひとりだったけど気にする様子もなく、突然来て突然はじまったわけだけど楽しそうだった。50分のうち20分くらいは自己紹介と準備体操。フリをいくつか教わってから曲に合わせて踊る。音楽は当然のように鬼滅だった。ベンチに座ってたまにチラチラ見ながらひとときの一人時間。終わってからトレーナーの先生が各保護者に挨拶にまわっていた。1か月ごとに曲が替わって毎週少しずつフリを覚えていき、最後の週に通しで踊れるようになるというものらしい。今日みたいな天気の悪い日にこんなアクティビティがあってよかった。雨はあがって今日の夕飯の買い物しようと業務スーパーへ行くと、今日はどうしてもケンタッキーがいいという。二人きりだしいいか、と誰の目も気にしなくてよければ緩くいられる。クーポンでチキンを購入。帰り道はお約束のトレファク外ラックチェック。中の服で目をつけているやつ、いつか外ラックにやってこないか探ってる。

猫が騒々しく怒っていると、お父さんの服のベッドがないよ〜て探してるんじゃない?と笑いながら子。今朝、脱ぎ散らかされた服が腹立たしく机の上に積み上げてしまった。夫が居ないと部屋に動きがなくて本当に過ごしやすい。また元のように床に散らかしておくと、猫はまたいつのまにかそこに乗っかっていた。

ケンタッキーを食べて、明日は可燃ゴミの日。実はこの家にきて私ははじめてのゴミ出し。大きな通り沿いにゴミを出しに行くのはどうしても不安。時間によっては人通りが気になる。時間にして1分とかだけど、子もその間この家でひとりになるのははじめてで、一緒に行こうかなとか言うからとんでもない。たかがゴミ捨てで足手まといにしかならない。お風呂の準備をしている頃、実家から夫の方はどうなったかと電話がきた。これはちょうどよかったと子に電話を任せて私はゴミ出し。もういくつかゴミ捨てがされていてホッとする。隣りのばあさんが朝と言い張っていたからそれも不安だった。夫だと大体朝に捨てている。急いで階段を駆け上がって戻ると何事もなく電話を続けていて安心。その後今度は夫から電話。子が寂しいよと話す。居たらいたで父親を罵倒するくせに子はそういうところがある。こちらもおばあちゃんに代わるねといって代わると、お父さんがいなくて寂しいという子に、お義母さんはどういうわけか「いつもは一人だけどお父さんと二人で食べて美味しかったです」とか挑発するようなことを言い出す。子がムッとして、でもめーちゃんは三人いなくて寂しいの!と返してもまた同じことを繰り返して言っている。私がこの人とうまく会話できないと思うのはそういうところの噛み合わなさなのだろう。また夫が側にいながらどうしてこんなことになるのか。夫は義母のことを、人の気持ちが分からない人だとかいうけど、そういう時に察することができない何もできないでいる自分も充分わからない人だと思う。

夜中、猫が荒れてる。鳴き続けるからハラハラ、猫を追いかけまわして抱き上げる。精神的に疲れた。

 

3/26

朝起きると夫の服の山におさまっていた。子の方が野生の勘が冴えている。

今日は子が楽しみにしていたお友達との花見。起きた瞬間から待ちわびている。買えばいいと思っていたけど子はお弁当を持っていきたがるから朝ごはんの残りを詰めたお弁当。今日は天気が良い。お菓子も水遊び用サンダルも準備万端。11時頃集まる。こ高い丘にシートやテントの人、ちらほら。我が子は率先して水遊び。あがってお弁当とか、子はもう充実し過ぎて破裂しそうなひと時。園のママ達とのお弁当タイムはマスクを外すと見慣れない顔にどぎまぎしていたけど、就園前からの付き合いになるママ友達はマスクを外しても知ってる懐かしい顔。園ママ達とのマスク無しの付き合いは正味一年だったわけで、そりゃあもう顔にも覚えがないわけだ。新たに出会った人達はマスク込みの顔しか知らない。一人の子が近くの他の公園に行きたいと言い出して、皆んなで移動準備をしていると、もう一人の子がアクシデントでケガをする。大事には至らない程度なのだけど落ち着かず泣き続け、私達二組だけで移動。そっちの公園には同じ幼稚園の子がいて、いま小学生の兄弟の幼稚園メンバーで集まっていたと言う。そちらの園友達と遊んだり、一緒に来た子とも遊んだり、あっちこっち楽しめていた。その一緒に来た子が帰るとなっても、まだいるクラスの子と遊び続ける。一学年差がつくごとに体力の保ちも違う。風が強くなってきて、まだ全力で遊べている小学生の兄さん達に合わせてだらだら遊んでいたら私が身体を壊してしまうかもしれない。子を説得して帰る。本当に強風で、自転車が煽られそうで怖い、信号待ちのおばさん達はすぐ側の店の柱にしがみついている。一度帰って服を着込んで買い物に出るか、今このまま耐えてサッと買って帰るか、声に出しながら迷う。子は一回帰って八百屋の猫にあげるカリカリを持っていきたいと言う。猫が腎臓ケアのごはんを食べることになって、少し前に買ったばかりだったキャネットをあげてもいいかと八百屋のおじさんに聞いたら、何でも食べるよとのことだった。でももう寒さの限界、このなかまた出るなんて無理、八百屋にはそのまま行って子も下さずに買い物して帰宅。咳が酷くなってきている気がする。肺に響くような重い咳。病院に行こうか様子見てる間に夫が不在になってしまった。酷くしてしまう前にやっぱり病院に行こう。

子は晩御飯のあとお風呂に入るまでの間だけ、お絵かきに集中する。その時間以外は常に傍らで喋り続けていて、これにはいまだ慣れず全く落ち着かない。寝かせた後ようやく静かに過ごせる、のはずが猫がうるさくて落ち着かない。起きていれば猫も安心して横にいることが多い。身体を起こしてテレビを観る。俺の家の話、最終話。突然現実的なだけじゃなくファンタジーな話になった。クドカンのドラマは多分全部観てきたけど、大体最終話の覚えがない。最後の締めよりもそこにいくまでの面白さの方が強烈なのかな。そのままニュースを観ていると、感染者増で「こちらもまた、手にはお酒を持って、足元にもいくつかすでに空の缶が置かれています!」といった実況がされていて、お酒を飲むのが悪いみたいな取り上げ方に違和感。観せ方そうじゃないでしょうよと。何がしたいのか分からない。現実世界でファンタジーな展開。

猫がまた騒ぎ出した。もう夫の服に見向きもしていない。起きてる限りは追いかけて部屋に連れ戻す。八つ当たりをするように夫にLINEする。妊娠するまでは私が主人だったと思う。はじめての妊娠、いろんな情報を気にかけているとトキソプラズマのことはどこでも目にして、はじまりが壮絶なつわりだったからその時はもちろん何も出来なかったけど、その後も猫の世話は全て夫に任せていた。体調に余裕ができてからは可愛がってはいたけど世話は夫だったし、子どもが産まれたら産まれたで、今度は赤子への猫の影響が心配で私は猫を遠ざけて、そうして乳児が引っ付いている私と猫には距離ができてしまった。それから夫は一層猫を可愛がり甘やかして、そうして今があると思うと、こんな時に当たらずにはいられない。午前1時近く、夫が、もうすぐで鳴き止む時間だと連絡してきた頃には確かに、荒れていた猫はすでに落ち着いて丸まっていた。