どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年6月25日〜6月27日

6/25

朝の送り、久しぶりに同時になった委員会の委員長ママと立ち話、9月の計画を打ち合わせ、もうそんな時期。買い物行こうか迷うけど今日はオオゼキがお買い得な日。オオゼキは10時開店だから一度帰るしかない。駐輪スペースでなく表の路上に停めておく。家に入ると夫がまだEテレをつけっ放しのままボーっとしていて、急いでチャンネルを切り替えるとスカイハイのオーディション、THE FIRSTがもうやっていた。いそいそと自分の朝ごはんの準備をしてテレビの前に構える。夫は仕事に出て行った。擬似プロ審査、前回のクリエイティブ審査ほど見所はない感じ、淡々と進む。買い物行こうかと思ったけど雲行きが明らかにおかしい。ひとまず路上に停めてる自転車を駐輪スペースに移動。ギリギリまで干していようと洗濯物のそばで待機、しばらくして突然大粒の雨。レーダーにはない雨。そのうち晴れてオオゼキへ。雨上がり直後だからかさほど混雑もなくスルスルと買い物をして帰る。

今日は子と粘土で工作をすることになっている。こないだ無くした幼稚園で作ったパンケーキのマスコット、もう園で作ることができないようで、それじゃあ家でやろうという話になっていた。だからすぐ帰るつもりでふらっとお迎えに行ったら、もうこれがあるからいいの、やっぱり公園に行く!と言って腕を突き出す。そこにはみんなとお揃いのゴムの腕輪がついていた。今はもっぱら皆この製作に夢中らしい。二連でつけてるような子もいた。突然公園と言われても、シートもないし配るおやつもない。仕方なく皆んなのお世話になりながらたっぷり二時間、みーちゃんと4時に解散。明るいから時間認識も緩くなってまだ居残っている子はたくさんいた。小学生のお兄ちゃんは夜7時までこの辺で遊んでるなんて話もきいた。子に八百屋で買ってもらおうと思って野菜はまだ買い物していなかった。このまま行こうかと思ったけどまた空模様がおかしい。そういえば雨雲レーダーでは5時からまた一雨くることになっていた。やっぱり一回帰る。空を見ながらしっかりおやつ。スッパムーチョに続いて夫が買ってきたカラムーチョも試してみることにするらしい。私も小腹が空いてがっつくけど唇端に出来た口内炎が痛くて刺激物は無理だった。意外と雨にはならない。けどもう買い物に行く気にもなれなかった。子が突然アメリカンドッグが食べたいと、それならコンビニに買いに出ると言っている。でも今日はこのまま軽い夕飯にして絶対9時までにはお風呂を出たい。今夜はテレビでピーターラビットがやる。子も番宣を観て楽しみにしていた。アメリカンドッグどうしようかなと思っていると夫から、今日晩飯どうするの?と連絡。状況を伝えると、夫が買って帰ろうか、ということで落ち着く。枝豆と豚の生姜焼きと茹でキャベツとミニトマト。それと私は茗荷をのせた冷奴。7時半頃、セブンのアメリカンドッグを手にして夫が帰宅。セールで80円だったよとのこと。コンビニのアメリカンドッグ大きい。レジが知り合いのパパで都合悪かったなぁと言っていて、あんなとこから買ってきたのか、と思うけど確かにそこを逃したらもう家を通り越すしかない。夫はアメリカンドッグを急いだから、自分が主食のように食べているワカメなんかを買いにまた出ると言って、私達がお風呂に入る頃業務スーパーに出ていった。今日の公園の池で見た鯉の稚魚や赤とんぼの話をしながら。赤とんぼにお願いをした、とそんな流れ星みたいな謂れが赤とんぼにあるのか?いつもより素早くお風呂をあがる。勢いよく扉を開けて時計を確認、ばっちり5分前くらい。

ピーターラビット、子はよほど楽しいのかカラカラと大きな笑い声をあげて観ている。私は落ち着いて台所におさまりそうなスチールラックを検索し続けてみるけど、今使っている無印のラック以上に夫が気を許すわけはなさそう。何にしても使い勝手よりも価値を尊重するタイプだ。そのうち私はスマホ片手にウトウト。多分生理が近いせいで余計に眠いに違いない。子はお風呂上がりにフルーツミルクを飲んだし夫はコーラを飲んでいて、私も本当はアイス食べたり怠惰な時間を過ごしたかったのに、そうしてだらけるためのエネルギーさえない。どうにか持ちなおして11時。ようやく横になれる。子もさすがにお疲れのようで、絵本を読まないで電気を消すこともすんなりに就寝。

 

6/26

ここ数日足が浮腫んで重くて寝ている間もずっと不快感があるのがわかる。起きあがるのもしんどいけどようやく朝だという安堵もある。子もさほど寝坊せずに起きた。これといって予定のない今日はどんな一日になるか。朝ごはんを用意している間から子は静かにシルバニア遊びを繰り広げていた。テレビはいつも通りに子ども番組を次から次と変えてあげている。それでも朝ごはんもそこそこに食べ終えるとまた一人ストーリーを語りながらシルバニア遊びに没頭していて、おしりたんてい観ないの?変えていい?と聞くと、はっきり、変えていい、好きなの観ていいよと言った。それからひたすら今日はシルバニアの世界。ザッピングしてるとぶらり途中下車の旅が中央線。どのあたりか分からないけど馴染みのある路線はなんとなく観てしまう。西荻だった。そこから旅人の舞の海が高円寺に降り立つ。ニヤニヤしながら夫に、舞の海が高円寺に来たぞ〜と言うと、やはりニヤニヤしながら、ぶらり?しょっちゅうきてるよと、テレビでは舞の海が「いや〜久しぶりに来ましたよ高円寺」と答える。

お昼にハッピーセットを買いたいということだったけど私もお腹が空いて買いに行くよりもすでに食べたい。この前ディナーで食べたカレーをついでにテイクアウトしようかと思ったら夫がごっちゃんのところへ納品に行くからその前に食べようランチなら安いから、とのことで皆んなで家を出る。賑わう高円寺の街。広く見えたカレー屋の店内も、6、7人のグループと他二客もいるともうこれ以上はやめてと言いたくなるような空間。ランチセットはお得だけどディナーの本来の姿を体験しているとその分荒さも感じたり。それでも体内の満足度はしっかりある。次こそ手軽にテイクアウトでいい。夫はごっちゃんのところへ行き、私と子はドラッグストア。賑やかな街をこのままあとにするのも名残惜しくてビレバンを覗く。ミニチュアビニール傘のガチャガチャがあって子が食いつく。まさに今日の今日もシルバニアでちょうどよい開く傘があればいいなとなっていたところだった。グリーンのビニール傘、その場で開けて組み立てると全然傘が開かない。力任せにして壊れるのも嫌だし店員さんに言ってみるも彼女もかなり手間取ってガチャの機械から別の傘を出して苦戦。途中スッと一人で来て瓶コーラを買って出て行く若者がいて、これは置物じゃなくて本当に買えるものだったことを今はじめて意識した。こんなところでもまだ特別ともいえるアクティビティがあったか、メモメモ。開いて開閉がスムーズになったミニチュア傘を受け取ってビレバンを出る。すれ違う人が皆んなこれ見て「まぁ!」って顔してると子が得意げになってお父さんにも見せたいと言い出す。ごっちゃんのところに向かってミニ傘を自慢。三人で北中から出て来てせっかくだから私が山辺さんの展示を見るのにpockeに寄る。作品数がすごい。目移りしながら見ていると子も一人であがってきて、動物の置物をみてああだこうだ言っていた。高円寺内にあるこの急な傾斜の梯子をのぼる形式のギャラリーに子どもが行くのは怖い気がしてしまうけど実は逆に子どものサイズにはしっくりくるのかもしれないし、なによりも秘密基地めいたところが魅力でもあるのだろう。下に夫、上に私で声かけたり支えたりしながら子を下ろす。出たら夫は忘れ物でまたごっちゃんのところへ、私達は子の予定のハッピーセットを買って自転車屋に寄って帰ることにする。前輪にあるモーターがジージーと耳障りの悪い音を出すようになってしまった。業務スーパー、キャンドゥと軽く買い物してマック。ハッピーセットのおまけ、触っただけで子が欲しかったものではないことが分かってしまった。シェイクは先に飲ませながら自転車屋、客人はないもののおじさんは忙しそうに修理をしていて、指示を出された険しい顔つきのお兄さんが奥からやってきた。黙って私の自転車にまたがり、そのまま角を曲がって見えなくなる。この辺りは道が狭いから住宅地のワンブロックを走るしかない。戻ってきても黙ったまま油をさしたり弄って、そしてまた一周走りにいって戻ってようやく口を開く。一回モーター音がしたけど明らかな故障ではないし原因不明とのこと。丁寧にみてもらったのに何があったわけでもないからお代はいただけませんという。自転車屋さんのこれが有り難くも申し訳なくなるところ。これが病院だったら結果何があったわけでなくても診察代がかかるのに。セルフで入れるはずの空気まで入れてもらえて、弾むような自転車で快適に帰る。テレビではクレヨンしんちゃんに続いてドラえもん。おやつの代わりのようにハッピーセットのナゲットを食べてもう夕飯も同然。今日は早く家に帰ったからゆっくりと夜を迎える。しばらくして夫も戻ったと思ったら荷物を入れ替えて仕事へ向かった。私もお昼のカレーが響いて軽く夕飯。夫が仕事先の人に貰ったといって米袋を抱えながら帰り、そのまままた高円寺の仕事へ。私達はお風呂。夫は落ち着きなく行き来して働いているけど、地方の公演でまる長時間不在なことに比べると、近場でちょこちょこしているなんてずっと良い。わりとすんなりいった寝かしつけから起きあがって念願のアイス、レディーボーデンを食べる。こんな甘さだったか、意地で食べるような感じ、思ったより癒されない。

 

6/27

数日前からずっとこの日の天気予報を気にしてきて、予報は日に日に変化していて、ついに曇りになった。よかった、自転車に乗れる。今日は南阿佐ヶ谷に神楽のお稽古に行く。数日前、お友達が神楽をやっていることを知り、しかも演舞が1ヶ月後に控えていることが分かり興味をもったら一緒にやらせてもらえるという話になった。本人に確認しないまま一方的に決めたけど、直前に話してみたら意外とやる気になって楽しみにしていてくれた。七五三の時の足袋を用意して万全のつもりだったのに、目印となる警察署のあたりでマップを開こうとスマホを出そうとして忘れたことに気がついて途端に汗が吹き出る。慌てて警察署に駆け込んで記憶を頼りにスタジオ名を絞りだして調べてもらうと本当にこのすぐ裏手で、路地の特徴まで細かく教えてもらえた。とはいうものの、そこまで詳しくなくても同じようなチャイルドシート付き電動自転車が並んでいる一角はすぐに目についた。一階は道場のような雰囲気があったけど、そこではフラメンコのようなレッスンをしていて、多分二階じゃないですかと教えられた入り口はまるでふつうの古い一軒家で軽く戸惑う。すでに皆んな本番衣装にお着替えの最中でバタバタと挨拶をする。自分だけが違うことで子の緊張が高まってしまったのが分かる。そこに触れないようにお友達のママといつものように話かけながらお稽古に流れる。しばらくは参加して一緒にやったものの、気がついたら目いっぱいに涙を浮かべてこちらを見ていた。先生達は驚くことなく、初めての子は大体こうして泣くか遊び出すかしてしまうものだからと慣れたものだった。その後数十分、鼻を啜りながらたまに思い出したように涙を流して、同じ年頃の子達の演じるヤマタノオロチを見つめていた。これからどうする?また来る?と聞くと、もうやらないと言ったりやると言ったり。あんなに楽しみにしていたのに、惨めな思いをしたのかもしれない子が私も居た堪れない気持ちになって、稽古が終わると同時に簡単に挨拶して早々に退散した。挨拶をしている頃には他の子達も私服に戻り、子の緊張も解けたようだったから、やっぱり一人違う状況ということだけが不安要素だったんだなと思うとタイミングが悪かったかな。せっかくだから街中まで出て買い物して帰る。しまむら、今度は靴下があり。水遊びの時のてるてる坊主バスタオルを今度こそ買おうと思ったけど品薄もいいところ、完全に出遅れた。高野で表の野菜をボーッと見ていると、品出しするおじさんの丸まった背中、高円寺の高野のおじさんのような?高円寺店は日曜休みだからこっちにいるとか、あの人はやっぱり社長なのかな。買い物して帰り。

眠い。とにかく眠い。いよいよ生理が迫ってきている感じの、日々の充分な睡眠時間などお構いなしの眠気。そこに子の遊びに誘う止まない呼び声がキツい。意識が落ちることも許されずに突いてくる。夫は堂々と睡眠不足だといって別部屋を暗くしてゴロゴロ寝て、たまにスマホをみたりしていて憎たらしい。生理前という曖昧さは分かりやすく不調アピールもできず焦ったい。何をして欲しいわけでもなくてただマイペースになること怠けることを許されたい。

天気予報は曇りになったものの空模様はもうずっとぎりぎり、いつ雨が降るかも分からない日々はやる気もない。行動する前には雨雲レーダーを何度も何度も再生させて計画する。夕方6時には雨が降りだすようだった。駐輪場所に自転車を戻しがてらスーパーへ。週末だけど混雑なし。一人だし、考えながら選ぶ余裕がある。今すぐのための物じゃなくて数日先を見越した必要な物も買えた。

どうせ遊びに巻き込まれるならば少しでも自分が遊びやすいことで、とレジを使ってお買い物ごっこをする。それでも繰り返し繰り返しはキツい。出先の夫から、マルさん達が高円寺の店に来るってと連絡がくる。尾道に住んでいるマルさんが展示のことで高円寺に来ると昨日から夫に聞いていて会えるかなと気にはなっていたけど、こちら側に来るのは今日になったらしい。ケイちゃんも同行しているとのこと。皆んなで会えるなら尚更私だって会いたい。私の友人だと私は思っている。ただこちらはようやくこの時間まで漕ぎつけた一日でもある。不調だなと思いながら眠さを我慢して子の遊びに付き合って明日のことも考えて、という時間を過ごしている。私がいま人に会うから家を出ると言ったら子はついてきてくれるけど、ここから慌ただしく畳みかける夜になったとして、それをやらなきゃならないのは自分だと思うとうんざりするし、夫は後先を考えることもなく、いや考えたとしてその結果、私を排除して自分だけが社交しようとしているのだから腹が立つ。夫だって仕事の次には子どものことを気にしてもいいはずで、そうして身を引くのが夫でもいいはずなのだ。「後でになってしまうなら子は行けないから帰ってきてもらって、私だけが行ってもいいはずだよね?」と文字にして突っ込むと、もちろんと、すんなり帰ってきた。私は時に子育てを自分だけのやり甲斐にするくせに、その一方で夫の可能性に嫉妬して子育てを人質にこうして思いとどませる。5年の間に少しずつ少しずつ、自分の役が夫に取って代わられていく感じがあった。自分がいなくても成立している世界を目の当たりにするのはつらい。正直夫に奪われるくらいなら消滅してしまって構わないとすら思う。

結局マルさんはバスの時間も迫っていたようで、高円寺に来たかもしれないけどすぐに帰ってしまったようだった。私達がお風呂の前に夫は今度は仕事の話が入ってまた出て行く。仕事とはいえ遊びのような話、でも不思議とこれにはなんとも思わない。やっぱり私は過去の自分が乗っ取られていくことが怖いだけなのか。子が寝たあとのゆったりした時間に、嗜むものがなく口寂しさはあるものの、太田と伯山と志らくの絡みが面白くてテレビに集中。太田や志らくの「談志だったらこう言うはず」という話しかたはワクワクする。ヒロトのキヨシローとか堂本光一のジャニーさんとか、それが自分になるのではなく、あくまでも自分のなかの師の言葉として尊重できるところがいいなと思う。そこに二人生きているのがいい。釈迦の話をする坊さんよりもイエスの話をする牧師よりもずっと響く。そのあとは関ジャムのボカロの話、大体いつもこの時間に夫が帰る気がする。私はそうして二時間テレビを観続けてしまった。