どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年6月28日〜6月30日

6/28

今日は忙しい。朝出てからお迎えまで家に帰れない。絵本の返却作業、保護者会。さらに午前保育を終えたら急いで帰って着替えて立川まで出掛ける予定。去年新しくできた施設のミュージアムの展示に行きたい。来春まで開催されているぐりとぐら展は話題だけど私は同時に開催されている酒井駒子展を楽しみにしていた。とか言って、子どもが酒井駒子の絵本を好んで手に取るようになってから意識するようになったクチだが。遠出が億劫になっているうちに次の週末で終了してしまう。そんなこんなで忙しい一日。

保護者会の礼拝はヨハネによる福音書16章33節「勇気を出しなさい。」悩みのなかで意を決して自らの心の内なる思いを顕にすることを勇気と呼ぶこともある。その時にただそれを受け止めてくれる場所や他者の存在は欠かせないだろう、そのための園でありたい、共感とは共に傷を負うことである、という話だった。理想はそうだろうけど現実はそんな悠長にいられないことがほとんどだろうな。「勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」イエスの言葉、言ってみたくなるけど、実際声に出してみると駄目な奴が言う言葉っぽくなることに気がついた。先生の話はもう夏休みの過ごし方。睡眠時間に気をつけること。この時期が生活習慣を整える最後の砦だという。夜は静かで暗い、そんな雰囲気、空気が大切。そして寝る前のスマホは良くない、とスマホの扱い方の話。この先スマホがない世界なんて考えられないからダメとは言わないけど、子どものうちは使う場面を考えるようにということ。どうせ観るならテレビの方がずっと良いとも言っていた。最近のテレビは大きいから自然と離れて観るし他のものも目に入って気が散るのが良いとのこと。これでもう今学期の保護者会は終了、何となしに肩の荷が降りた。降園、お友達に誘われてもきちんと、ごめんね今日はお出かけするんだ、と断れた。「今日はいっぱい美味しいもの食べていっぱいお買い物して楽しいことしようね」と張り切ってくれている。あの手この手でどうにか引っ張り出して結果楽しんでいる、というよりも、やっぱりこうして行く前からお出かけに乗り気になってくれていると私も同じように楽しみだし嬉しい。急いで着替えて自転車で高円寺へ。昼間から街に置いておくのは心配だったけど、すぐに夫が出先から持ち帰ってきてくれるとのこと。そのかわり帰りは歩いて帰ることになるけど、それはもうどれだけゆっくりな歩きでも構わない。

思ったよりも早く出かけてこれた。駅につくと電車に遅れが出ているとかで何時のものか分からないけどとりあえず飛び乗る。はじめは立つ人もそこそこ、混んでいたけど三鷹辺りで座ったと思ったらもう立川。平日は中央特快も多いのか快適。まだ1時前。まずはお昼ごはん、目的地方面に歩きながらどこで何を食べようか、今日は子も積極的だからIKEAのレストランということになった。目的地の施設は本当にそのすぐ真向かいだった。贅沢してそこのお店でもいいかもねと思ったけど子は間違いのないIKEAのレストランを譲らなかった。真っ直ぐレストランに向かう。平日でも昼時だからそれなりに人が集中していて、モノレールの見える窓側の席は今日も全て埋まっていた。都心方向から離れたところに来るだけで、失礼だけど感染リスクへの緊張感は緩まってしまう。自分がやることは同じだけど、空間の密度の差はそれだけ心にも余裕ができる。キッズカレーセットと私もカレー、ドリンクをつけても二人で680円。子が張り切ってくれていた割には寂しいランチになってしまったけど意外とお腹には充分だったし子も喜んでいた。これだけでIKEAをあとにする。ジーーーと虫の声、蝉か?一気に目の前が夏の情景になる。日差しが黄色く、夏みたいだねぇと子と浮かれながら向かいの商業施設へ。施設というか、スペースが通り道でもあり建物もありといった感じ。来たらすぐ分かるだろうと思っていたけど敷地が広すぎて不安になってくる。とりあえず上にあがってみたらそこがメインストリートだったようで分かりやすくテナントが並び、すぐに展示の場所だった。平日の昼過ぎ。チケット購入に並ぶくらいは人がいる。入り口が酒井駒子展。原画は絵本の雰囲気とまるで別物のよう。漫画でいったら魚喃キリコの感じがある。大人のファンが多い。子どもがいない。我が子もぐりとぐらに早く行きたい!と言ってばかりいて全く落ち着かない。先週行ったクラスのママも子どもがぐりとぐらに行きたがるからゆっくり見れなかったと言っていた。学芸員の人が、お子様おいくつですかと近づいてきてビクッとする。3歳以上のお子様にはきちんと鼻までマスクをしていただくようお願いしております、と言われた。子どもが話すと大概マスクが鼻下までズレる。ちょうど今日の保護者会ではこれからはマスクの着用を家庭判断に任せるというお知らせがあった。子どもの感染は少なく集団生活でのクラスター発生はほとんどない、重症例も極めて少ない。それよりも衛生管理や表情による成長発育の問題を重視したい、とのことだった。ただし外ではこうして感染対策のひとつとしてマスクはまだ重要とされている。子にマスクずれちゃうから話さないで、と抑えた声で伝えて足早に見ていく。段ボールを黒で塗ってその上に描かれた絵。なかなかの物量だった。お待ちかねのぐりとぐら。あの酒井駒子スペースを通ってきたとは思えないほど子どもがいる。詳細を知らないまま来たけどこちらは原画展ではなく世界観をみせる展示だったらしくて完全に子ども向け。仕掛けがあって可愛くて楽しいのは分かるけれど、やはり傍に学芸員の人が立ってじっと見つめられていると、その視線に耐えられず何度も遊ぼうとする子どもを阻止してしまう。せめて微笑ましい顔していてくれればいいのだけど、ここに溜まるな早く行け、という本心は隠せないのだろうな。ミュージアムショップ、子が、今日はたくさん買っちゃおう、いいんだよね!ね!と言ってポストカードを次々と手に取る。私が普段思い切れないぶん、この後押しがあってちょうどいい。酒井駒子のグラスが可愛くて少しうっとりしたけど、私のガサツな日常を思うと買うに至らない。ぐりとぐら酒井駒子と、ポストカードをいくつか購入。出たところのカフェではコラボメニューがあり、雰囲気もよく心が揺れるけどお手軽にはいかない価格と、この建物の外も楽しみたいから名残惜しく横目で追いながら外に出る。この施設の名称通り、緑が随所にあって気持ち良い。あちこちに座れる場所が確保されていてひと休みに困ることもないだろう。池をみたり花をみたり座ってみたりしながら歩く。首からパスを下げて資料を手にした集団がツアーのようにコンダクターから説明を受けながら見て回っていた。そんなグループがいくつかいる。庭園の両脇は店舗で、上はオフィスビルになっているようだから、企業招致でもしているのだろうか。皆んな説明に声をあげたり頷いたりしながら辺りを見渡していた。私もキョロキョロ、見ると階段の途中に赤い電話ボックス。本が並べられている。近寄ってよく見てみると、「みんなで持ち寄る図書館」といったテーマで自由に置いていいし持ち帰っていいらしい。さらによく見てみると、「この電話機は反対側にも同じようにある電話ボックスに繋がっていて本当に話せる」と書いてある。公園なんかで糸電話のように向かい側と話せる遊具ならみたことあるけど、電話ボックスがもうひとつ。反対側とはどこなのか、ウロウロ探して見つけた、庭園を挟んで向こうのことだった。緑の電話ボックス。子が私にそっちに行けと指示を出す。こちらからは大人が体勢を崩してようやく見えるような位置で子どもからは見えない。駆け足で向かったけどまだ辿りつかないうちに、その緑の電話が本当にリーンリーンと鳴っているのが分かった。ここですよ、早いですね、とその前に座っていた若いカップルが教えてくれる。ですね、と答えて階段をあがる。おそらく電話ボックスを探しているところから私達の一連の行動を見ていたのだろう。私がこちらに向かってすぐに子が掛けていることもお見通しだった。電話に出て子と話す。何か詰まっているように遠くに聞こえる感じ、そういえば公衆電話ってこういう感じだったよなと懐かしさ。受話器を置くと子もこちらに向かって走ってきた。突然鳴る電話、知らない誰かとそうして交流してみましょうというアートらしい。無人になった赤の電話ボックスに向かって母娘が近寄って行くのが見えた。電話をかけてみる。驚いた様子で足が止まった。お願い、出て。でも電話を取らずに背を向ける。一旦切って、その去っていく背中を引き止めるようにもう一度かける。少し振り向いて迷っているようだったけど、やっぱり去っていった。ドッキリの仕掛け人になって、引っかかった人を見たような感じ。私達はだいぶこれを気に入った。最後にまた二手に分かれて通話しようと言ったのに子が早くも電話をかけてしまった。急いで緑の方へ行こうとしたら例のカップルのお兄さんが電話を取り行くのが見えた。子は人が出て驚いて固まっている。え、誰?と消え入りそうな声で呟きながら受話器を耳に押し当てて何やら熱心に聞いている。身をかがめて向こう側を見つめると、お兄さんは腕時計を見るポーズをとりながら何か話してくれているようだった。子はバイバイと2回ほど言って電話を終えた。びっくりした、知らない人が出たよーとはに噛むように笑いながらも高揚していた。満足したねと行って歩き出すと反対側でもお兄さんカップルが歩いて帰っていくのが見えた。楽しませてくれてありがとう若者たち。何て言ってたのと聞くと、なんか難しいこと言ってたとのこと。なんだったのだろう。その施設を入った方と反対側に降りるともう駅の近くまで来ていた。すごい、IKEAから駅までの道が飽きない。気がつくと子は遊びながら歩くものだから転んで膝を擦りむいて泣いていた。血を押さえて絆創膏を探すも無い。この前たいした傷でもないのに使ってしまったのだった。泣き止まないしなかなか血が止まらないしで困る。ティッシュを挟んで手拭いを足に縛ることで落ち着いてくれた。通り道にある行きに約束していたセリアに向かう。セリアで買って無くした玩具をまた探しに行く。そこで可愛い絆創膏も買おうかと言っていたけど意外にセリアにはキャラクターとか柄物の絆創膏は無かった。気にしたことなかったけど柄物絆創膏は100円売りでは無理なのかもしれない。そう思うとモスバーガーのわいわいセットでキャラクターグッズがオマケの時のちょっとした絆創膏は重宝するやつなのかもしれない。とかやってる間に欲しい玩具を見つけたらしく、血が止まったから絆創膏は要らない、その代わりに玩具を買う、ということになっていた。小さな小物入れになっているキラキラの指輪は私が欲しくて買う。魔法少女系のコンパクトのようなリング。それだけでも可愛いのに、中に何か入るとかいったチョロいアイテムには昔から目がない。自分のなかの少女趣味の楽しみを子のおかげで思い出して、そして補えているけど子が成長したらどうなるんだろうと思う。子も気分が良くなってGUにも寄り道。今度プラザでやるフラダンスのためにもちょうど良さそうな白のTシャツを買う。駅に向かう人の波にのまれながら、まだ何か物足りないような気がしなくもない。せっかく来たんだからあれもこれもとなりがちの貧乏性。ちょっとそわそわしながら改札に吸い込まれてしまうとさすがに観念して帰る。コロナで良くなったことは電車が以前のようには混み合わなくなったこと。快適だとただの快速もあっという間。5時過ぎに帰り着く。穏やかに平和に過ごせた午後。子も、またこうして二人で出掛けようね、出掛けたいねと何度も言っていた。まだ子どものテレビ番組もやっているような時間。ついでにあれこれと、余計なこともしなければ割と時間はうまく使えるらしい。冷やし中華で夕飯。夜中も起きてテレビを観るだけの体力もあった。

 

6/29

歯科の日の甘えで夫に送りをして欲しかったけど母達の共同購入の品の代金回収もあったし雨も平気そうだったからやっぱり私が行く。なかなか怠けるタイミングがない。送りから戻る頃はパラパラと雨。歯科へは用心して歩きで行く。委員会のグループLINE。委員長から、夏休み前の保護者への絵本貸し出し企画について、長年母親貸し出しと呼ばれているけれど、もちろんその日付き添った保護者なら誰でもいいわけだし、保護者貸し出しに名称を変えないかという提案。先生からはその名称に意図はなく、ただその昔に母がはじめたからなだけとのこと。保護者が園に関係する物事はほぼ名称に「母」と当て込まれている。私こそ入園前は、この「母」にこだわった名称に違和感をもっていた。父親や他の大人が関わってもいいものなんだから、名称でそれを突っぱねるようなことをしないでほしいし、母親だけに押し付けるような表現になっていることは窮屈だと目くじらを立てた。でも実際、母親達がつくりあげていく世界のなかに自分も身を置いてみると、もしかしたらこれは第一線の社会から断絶されたような場で、私達が私達のための社会をつくっている証であり誇りなんじゃないかと思うようにもなっていて、「母」を謳うことに何の疑問も持たなくなっていた。押し付けらるような意味のネガティブな「母」ではなくて、誇りに思える代表格としての「母」に意識がかわると、それが誰かにとっては近寄り難いものになっているかもしれないことが見えなくなってくる。世の中の性差を決めつけられたようなものは、こんな感じで優位な方は無意識で気がついていないのだと思える。不満な気持ち、疑問の声はその時大事にしなきゃいけない。歯科から出るとすっごい晴れてる。歩きでこなきゃよかった。早く帰って洗濯したいとうずうずしながらスーパーに寄って帰り。

夫が洗面所の天井の隅を見てみてと言う。蜘蛛が巣というか膜を張っている。怖い。教えようと思って言うの忘れてたわ、と教えなくていいから処理してくれよと思う。このまま忘れられて、こちらも気づかないままだったらとんでもないことになるところだった。夫は、取るよと言いながら何もしない。いつ?この気候で急成長しちゃったらどうするんだ。ドアを開けては毎度必ず上を見つめる。

今日は中野の図書館で本の返却日。お迎えのまま行こうと思う。みーちゃんは今日歯医者さんに行くというから遊ばず帰るかと思いきや、他の子と公園に寄るという。お友達も予定があるというからちょうどよく終われそう、少しだけ公園へ。日が差してきてセミの声が聞こえる。昨日に続き心の準備が整う前にここでも夏の気配。3時前には解散、ファミマで荷物を出してから中野へ向かう。小腹も空いて、またパフェとか食べたいね〜とか言いながら妥協してコンビニでペットボトルのジュースを買って図書館で飲むことにする。ここに来ると子はひとりで絵本を読みたがる。私もゆったり休憩。選ぶ絵本をことごとく子に拒否されたりしながらも充分に読んだら帰り、4時半。ジュースだけのおやつになってしまって、やっぱりお腹が空いているようで今日はピザが食べたいんだと主張。帰り道のガストに行ってみるとこの半端な時間なのに混んでいる。こんなところでもやっぱり宣言解除が影響しているのかもしれない。並んで座れないとのこと、店員さんも忙しく余裕がなさそうに動いていた。諦めて下のパン屋でパンを買うことにしたら、ちょうどよく小さな丸のピザパンがあった。ばっちりだねと言うと子は、そうなんだけどと言いながら落ち着かない様子でキョロキョロ見回して、やっぱり他のパンがいいと言ってクリームの挟まったメロンパンを選ぶ。自転車に乗って食べながら八百屋で買い物して帰り。

神楽の友達から送ってもらった動画を観る。きちんとした先生の動きだから分かりやすいのかといったらそんなこともない、細かくてやってみると意外と早い動きでもあるし、これを少しでも子ができるように教えるなんて厳しい。せめて台詞をそれっぽく言えるようになんべんも聞く。5時半過ぎ、夫からエブリー録っておいて!と連絡がきて、そうだ忘れてた。ファッションインジャパンのことで陽光くんの服が取り上げられるらしかった。急いでチャンネルを変える。エブリーって3時半からやってるのか、長い。ツイッターで調べるとやはりもう終わっているようだった、残念。

洗濯物を取り込むとまだ湿っている。雨は降らなかったけど日が差した時間もわずかで乾ききらなかったようだ。嫌な気候。エアコンの除湿を付けっぱなしにしておく。そんなこんなしている間もとにかく蜘蛛が気になる。よくあるレース編みのようなただの蜘蛛の巣ではないのが引っかかってまた検索して検索して、卵を産む時らしいことが分かり、ますますおぞましい。早く夫が帰ってこないか、お風呂が憂鬱で準備したくない。雨が降ってきていて悪いのだけど蜘蛛退治のスプレーも買ってきてくれと焦りを伝える。お風呂に入りたい限界の8時過ぎには間に合った。買ってきたスプレーはダニ用で言葉を失う。ビニール袋、ビニール手袋など用意して見守る中、蜘蛛の撤去完了。そこが居心地よいところとして狙われたことは忘れない。これからはまずそこをチェックする習慣になりそう。

神楽の台詞を節をつけて声に出していると夫が、俺の家の話じゃんと言ってきて、そうだ神楽は能の元らしいから、そうだそうだ。私のなかで一気に盛り上がる、俺の家の話今こそまた観たくなってきた。

 

6/30

雨の後の自転車を乗る準備するのが面倒くさい。今日は何もないし夫と登園してもらいたいなぁ、と思っていたら子が自ら、今日はお父さんと行きたい、と言い出した。シンクロ?いや私この気持ちを声に出してたのかしら?どちらにしてもラッキー。朝から猫がカーペットの上にゲロをしてしまいバタバタとしていた。夫がランドリーに行き、帰りにピックアップしてきてくれるけど私も私で西友ティッシュを買いに行きたいからこの朝の時間に動いてしまいたい。戻った夫と入れ替わり西友へ向かう。朝の西友は一番いい。OK、業務スーパーに比べてダントツに人が少ない。

今日も洗濯は乾かなそうな気もしてる。そんな中なのに夫は夫で最近片付けをして出てきたのか今着るわけでない服を洗濯していて腹立たしい。こんな時期に余計なものを洗濯しないでほしい。

今日は図書館の日だからもう返却絵本も持ってお迎えに出た。子が珍しくあっさりと出てきてすんなり帰ろうとしていて拍子抜け。そのまま図書館いけるように本持ってきてるから遊んでもいいよと声をかけてもあまり乗り気ではなく、私がそう言うなら仕方ない、くらいの感じで公園へ向かった。誰とも約束していないと公園に行きたいわけでもないらしい。そういうものなのか。結局今日遊んでいく子達がいる公園に寄るけど、約束してないところに後から加わろうというのも難しいものらしい。ひとりで花を見ながら飛び跳ねたり他学年の子と話したりしていたけど、何かのきっかけでいつのまにか仲間に加わってごちゃごちゃになって遊びだした。今日はこの子とこれ、と決めたら邪魔されたくないという空気が子ども達のなかにもあるのだろう、それを感じ取って距離をとっていたり、小さい人達も人付き合いに気遣いながらやり繰りしているみたいだ。もうすぐ図書館だからと先に退散する頃、残る三人のうち一人の女の子が大声で泣きながら母達のところへ駆け寄ってきて、どうやら他の二人が園の工作で作った同じ物を持って遊ぶとなって、自分だけ無いのは嫌な気持ちになるからやめてほしい、と言ったけど聞き入れてもらえない、ということらしい。すごい。そこまで感情を言葉にできて、さらに交渉することまでできるなんて。この子にはこの先、そこまで言わずしてもガチっと合うお友達に出会ってほしいと心底思った。

図書館の時間、ギリギリ。今日は図書館の職員さんで、でもはじめての方。話のリズムが独特で、もう一人との手遊び歌の噛み合わなさ具合が可笑しくて仕方なかった。絵本2冊と紙芝居ひとつ。いつもの知ってるお友達だけ。ちょうどよく今日は園で支援している団体から購入した聖書クッキーを渡されていたからそれを皆んなに配る。こういうのさすが教会だねぇとの声が上がる。そうして関わるのも今年で最後だから今回はいくつか買ってみたのだった。三年間の体験はあっという間。笹の葉を準備していて短冊を書かせてもらえた。男の子達が「おやつをいっぱいたべられるように」とか「きょうりゅう」とか書いてる脇で我が子は「しあわせになれますように」と、隣りの女の子は「みんなのねがいがかないますように」ということで、そんなわけないと思いたいけど男女の思考の差を見てしまった感じ。今日はあまりよい絵本を選べず。いつも通り外で少し遊び。ジメついた今日は蚊が気になる。早めに解散。

家の駐輪スペースでタイミング悪いことに三人が続けて帰ってきてしまった。私の前に停める文句多いばあさんが今度はここの門についてまたグズグス言い出していて無視。昨日は自分の前に停める自転車について文句言っていた。最近ここで遭遇しがち。いちいちストレス。

絵本を読んだりテレビを観て夕飯。昨日今日とお馴染みの子供番組のスペシャルが7時過ぎまで放送されていて少し特別。でも他チャンネルでも野球や特別番組をやっていていつも通りにいかない。飽きると子は絵を描きだす。最近また絵が変化してきた。今ちょうど荒井良二のような画風。案の定今日も乾ききらなかった洗濯物を布団の中にいれて久しぶりに布団乾燥機を稼働。残りにはひたすら扇風機をあてる。気がついたら子は珍しくピアノ絵本を出してきていて熱心に練習していた。ロンドン橋を弾けるようになって達成感。入浴中に夫が帰宅。今日もお風呂上がりは神楽の動画。子はヤマタノオロチの台詞ばかり繰り返す。そんなことをしたり絵本を2冊読んだら遅くなってしまい割とスッと寝た。私も寝ようとすればいくらでも寝れるけど、ここは体を起こしてテレビを観に行く。水ダウ、からニュースゼロ。感染者数の増加。苦し紛れの対策ばかりでこんなにアップアップしながらのオリンピックなんて意味があるんだろうか。元々興味もないしにそれ自体に盛り上がることはないけども、でもなんの不安も心配もない頃のオリンピックで、至るところで祭り騒ぎ、あちこちで消費を煽る催しがあって、と自分の日常も触発されたらそれなりに高揚感はあったはずだとは思う。でもこうなった以上もうただの厄介ごとでしかない。そんなことで感染者を増やされるなんて冗談じゃない。不愉快過ぎて、逆にニュースから目を離せないでいる。現在東京の感染はステージ4、デルタ株の影響が大きければオリンピックの頃には4000人を超えることになるとも言われていた。子どもはこれまでの五年のうち二年も夏を奪われる。私の二年なんて前髪の長さすら変わらないけど、可愛くて楽しくて思い出になるはずの子どもの夏を返してほしい。本当にそのことに怒りしかない。あちこちオードリーは星野源。これが観たくて起き上がるのを頑張れた感もある。さり気なく「結衣ちゃん、」と言った?言わせた?りして、若林の回しの巧さもあるんだろうけど等身大の話をする源、良い。苦労も苦労とせずにやれて手応えを感じれるものが向いてることだとして、自分にはこれなんじゃないかと思えたという音楽の道。一見イイ話のようだけど全力全身全霊なのに箸にも棒にもかからないんではそれは向いてないとしかいいようがないのは当然か。テレビを観ていて思い出した、フリースタイルティーチャー昨日だった。観れないでしまった。芸人のラップバトル楽しみにしてたのに。今日は調子が良い、夫が寝てもひとり深夜までテレビを観続ける。最近また高円寺の町がよくテレビに出てくる。コロナ禍になって高円寺特有の集落感が増したかなという気はしている。他所に依存できなくなって街の細部が目につくようになっただけだろうか。でもなんだか今勢いがあるように見える。先日の志らくが出たはなつまみ者の未公開分が放送されて笑って、なんだかますます調子良い。が明日は一日雨。体力温存のために就寝。