どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年7月23日〜7月25日

これを書いているのは7月30日。この一週間、全く今までのようにはいかなかった。こうして振りかえたくもないような日を今もまだ生きている。


7/23

6時からだらだらと起きだしてラジオ体操の準備。朝は涼しいのかと思いきや全然そんなことはなく、早朝の路地にも清々しさはない。学校の校庭の日当たりといったら体操どころではない。もう始まってしまっていたけど奥へ奥へ、少しでも日陰のあるところへと移動する。真ん中あたりにいるのは小学生くらいで、大人は皆んなそうして木陰に集中していた。私はどうにか校舎の陰に、子はその少し前の眩しいところでひとり朝礼台の上の人を見つめながら必死に真似しているようだった。写真を取りたく可愛らしさだったけど、他の子どもも大人も一方向を向いていてもちろんそんな空気ではないから、我が子の後ろ姿をしっかり見つめて記憶する。これから夏が来る度、ラジオ体操といったら私はこの小さな後ろ姿を思い出すんだろうなと思う。そしてその脇には同じく前を見つめてはいるけど全く動かず一人佇む小学生の女の子がいた。私もそういうタイプだったかもしれない。なぜかラジオ体操はすごく苦手だった。やらされてるとも思わなかったし行きたくないわけでもなかったし、あの感覚はなんだったんだろう。今となっては分からない。ラジオ体操第二まで終わったら小学生の子供達が一斉に出口に向かって駆け出していく。ヤクルトをもらって解散。普段滅多に人に出くわすことのない近くの路地に帰っていく人もいて、はじめて人の営みを感じる。そんな感じで早起きで遊び出しが早いと、スッキリを観る頃には集中して遊べていてスカイハイのオーディションが観れる。最年少のルイくんが落ちて、やっぱりメンバーの並びをみると夢を掴むには早すぎだったよねと思ったら、今後のデビューを見据えてスカイハイがスカウトした。脱落者にも即未来があるハッピーな回となって終わった。が、こちらはこの日の日中は散々だった。夫がいるから気遣って別部屋で遊んでいると、この家にもまだ収まっていない自分の荷物を片付けながら夫はまた別居はどうなんだと言っていた。状況的にも経済的にも現実的じゃないと返すと、それじゃあこの家の一室に暮らす家庭内別居にするから離婚したいと言われる。それならこれまでと変わらないでしょ、ただ離婚するだけだよと。つまり家族という繋がりを断ち切りたいということだった。私が許せないからという話もあったけど、家族が自分に向いてないとか、どうしたらいいか分からないとか、一人でいたいとか、そんなことも言っていた。私からしてみたら充分自由に色んなことをしているように見えたけど、まだインプット時間が必要とも言った。そのために家族が足かせになっているということらしい。何か無理にでも関係を切らないとやり繰りができないわけだった。そうして簡単に離婚というけど、こちらはそれによって何から何までまた氏名変更をしなきゃならないし、子どもの名前や状況はどうなるんだ。子どもの変化成長よりも大事なインプットって何。ひとりの人である子どもを目の前にしてもそんな話になることが悲しくて悔しくて私は泣いて抗議した。オリンピック開幕のブルーインパルスの飛行で空に五輪が描かれるとか、ちょうどそんな時間だったと思う。うちはそれどころではなかった。私が泣いて子が泣いて、とりあえず仕事するといって夫は出て行き、ごめんねと子に謝ると、二人でもいいよ、買い物もちゃんと行くし、二人で行けるところに出掛けたりしようね、だから泣かないでと子に励まされる。きっかけは私が言い出したからなんだけど、その時の気持ちをもう思い出せない。バラバラになることには不安しかない。これまでの苦労が浮かばれないではないかという貧乏性ともいえる考えも浮かぶ。その後はぼーっとしながら子の遊びに付き合う。気がついたら猫が風呂場前の床にオシッコをしてしまっていて、私や子が泣いたりしてリズムが崩れてしまったのかなと申し訳なくなる。さすがに何かしようと夕方どうにか買い物に出る。ついでに気分転換にトレファクでずっと値下げを狙っていたIENAのシャツを貯まったLINE Payポイントを使って買う。さらにLINE登録で100円オフ。ささやかな喜び。こんなちょっとしたことを気軽に話せる相手もいないというのが寂しい。子の今日の可愛い発言とか新しい発見とか、そんな些細なことはなおさら、他の誰と共有できるというのか。暗い気持ちは変わらないけどなんだか夕方の風が涼しい。せっかくだから八百屋に寄ったり回り道して帰り。テレビをみたり普通に過ごすけど、夫が帰ると入れ替わりのようにして夜はさっさと寝てしまった。

 

 

 

7/24

どんな思いでいてもいつも通りの朝がくる。昨日から朝はホットケーキにしようねと子に言われていた。それはなんて事ないことで子のワガママでも私の面倒でもないけれど、黙っていつも通りの朝に従うことに嫌気がさして、材料を出すだけ出して大きな声で「もうやらない」と言って寝転がる。ここには私しかいないの?お父さんとやってもいいんじゃないの?と子に言うと、夫の寝ている部屋へ行ったと思ったらすぐに二人でホットケーキを作り出していた。自分で放棄したくせに自分がそこにいないのがなんか悲しくもある。二人の時間が済んだようなところで出ていって子が食べ残したホットケーキを食べる。

おしりたんていもやらずにオリンピックの開会式の再放送。本当だったら昨夜に興味がないなりにもテレビを観ながら夫とやんや言い合ったりしたんだろうけど、そんな何気ない時間はこのままではもう過ごせないようだ。なんでこんなことになっているんだろう。この狭い家のなかの人間関係でうまくいかないのに、外の人と交流する気にもなれない。朝早くからのママ友の連絡にも今日はそっけない返信しかできなかった。夫はまた忙しそうに出て行ってもちろん特に連絡もない。篠原涼子が離婚とLINEニュース。経緯をみてると、うちも夫のいうことを受け入れていたらそういうことになるだろうなと察しがつく。しかも互いのすれ違いをあからさまにするにはまだ子どもが小さくて気の毒になってしまう。現実的に私が勤めたところで今から二手に別れた生活をはじめる初期費用なんて捻出できない。嫌でも家族と住むしかないものだと思って生きてきた私と違って、嫌なことは今から変えたくて頑張って中学生から寮に入ったという夫では噛み合わないところがあるのは納得する。

午後、気分転換についに子の髪を切ることにした。これまでは子にまつわることはなんでもかんでも夫に共有してきたし、家で髪を切るなんて初の試みを報告しないわけもなかったけど、報告なしでやってやれば、夫も少しは寂しく思ったりするかしら、といやらしい考えもあった。半年ほど前になるか、初めてヘアカットをした時の美容室を思い出すと、大人と違って子どもはざっと切ってから洗い流すやり方だったと思った。でも我が子はくせ毛でとっちらかっているから毛先を少し濡らしてカットする。思ったよりも難しい。切って頭を少し揺らすともうガタガタ。洗い流したあとも、素っ裸で寒いと言われながらもまた整える。なかなか良い感じにはなったと思う。公園へ縄跳びをしに行こうと言って外に出る。今朝のママ友からの連絡を思い出した。北中通りでお馴染みの友達が飲み屋の前の通りで祭りのようなことをするという話。ママ友に何時頃いくのか聞いてみながらそれまで縄跳び。どうしたら出来るのか毎度説明に困るのだけど、今朝のしまじろうで「縄が目の高さにきたら飛ぶ」と言っていて、こんな自然の動きをまだ言葉にしようがあるのだなと感心した。でも忠実に実践するにはちょっと難しい。切り上げてイオンリカーで飲み物を買ったりたんぽぽも覗く。子がワゴンの前から動かず大声で呼ぶから行ってみると、小さな麦わら帽子のキーチェーンをこれが欲しいんだと熱心に訴えてきた。一目で人形に使いたいんだと分かる。たんぽぼにしてはなかなか高価な315円。これがあれば人形と一緒にお出かけができるんだと懇願されて買う。他の家のように家族揃っていられない代わりに、小さな喜びを自分で見つけているんだからいいかという思いもあった。ふっと奥の壁側に目をやると、途中でやめるの新宿シャツが飾られている。なんと。写真を撮って夫に送って店を出る。タグを切ってもらいそびれたのでそのままごっちゃんのお店へ向かうと夫の自転車。ここから出掛けているらしい。写真は既読になっているものの返信はない。ごっちゃんにタグを切ってもらいついでにキーチェーンのパーツも取ってもらう。ひかる君の新宿シャツの話をすると、見ました見ました、いま送られてきましたわ〜と言う。そのままごっちゃんに転送してそっちで話し合っていたのかと若干腹立たしい。サブストア前に向かうともうママ友達は来ていて、小さな麦わら帽子を頭に乗せてちびまる子ちゃんの永沢くん状態になって登場した我が子に大笑い。子は気にもせず友達がやっていたゲームで遊び出す。そうして外でカキ氷も食べて少しでも夏らしい雰囲気に触れさせてあげれてよかった。食べきれなくなって渡される。外とはいえ限られたスペースに人が溜まれば密集しているような感じはある。私はそのなかでマスクを外して食べることも本当は怖くてバクバクだった。人付き合いで堂々と振る舞える人を見たらそれだけて危険だと思ってしまう自分がいる。ママ友が食べていたカキ氷を友達に食べる?と言ってひと口分けていたのは衝撃だった。通報があったらしくお巡りさんがやってきて、でも低姿勢なセールスマンのごとく柔らかな口調で、密集してさえいなければやる事自体は全然構わないので、と繰り返していた。これほどまでに土壌と警官のバランスがよい街はあるだろうか。

今日もまた涼しい夕方。もう少しブラついて帰ることにした。どうせオリンピックで子どもの観るテレビが潰れている。そういえばたった2回でストップしているドラマも、演者がコロナになったからかと思ってしまったけどオリンピックだったからだとなるとタイミングの良さに感心してしまう。中野のライフにスナップボタン付きタオルは無いか見に行く。哀愁がつきまとうスーパーの2階。雑多に置かれた全てが絶妙な物量なのに嬉しくなるし落ち着く。なぜか子どもも喜ぶから私もただ成長していないだけなのかもしれない。こんなところでも季節の品は残り少なく、スナップなしのバスタオルしか無し。下に降りて食品の買い物。こうしたなんて事ない一日、それを話して分かってもらう相手もないというのは、冴えない一日が余計にぼやけていく。それは実際語るでもないにしても、子に起きた事のいちいちを人と共有できないのが苦しかった。ほどなく夫が帰り、ひとりあっちの部屋にこもっていた。子が、何が変わったでしょうか、と飛んでいっても髪を切ったことに気づかず。いくつかのヒントを経て髪切ったんだねと話しているのが聞こえた。また夜に仕事だと出て行った夫、私は久しぶりに起きてテレビを観ていたけど0時を過ぎても帰らない。仕事なのか、終わって何かしているのか。これまでだってこんなことは日常茶飯事だった。仕事でなくて何かをしていても子が寝静まった夜間ならば遊んでいることに妬ましさもないし、帰ってこなきゃならない理由もなくて、ひとつ意味があるとすれば、明日の子どもと生活リズムが合わなくなるのにそれでいいんだ?とは思っていた。寝ても覚めても仕事だったり何かをしていて、子どもと何かするというより側にいるだけという関係が続いていて、そのことに言い訳があるならまだいいけど、何も行動を共有されずにそのペースでいることには疑いもある。しかし今の関係でそれを伝えるにはなんと声をかけるのがいいんだろう。「どこいったの?」「遅いね」今までなら何も考えずにまずそう打っていたような気もするけど「大丈夫?」とLINEしてみる。外で寝てた、と1分で返ってきた。今夜は涼しいのは家の中でも同じ。私は寝るから家でどうぞ、と返して寝る。それから数十分しても帰らない。段々、私が逆にいま責められだしたことには何か裏の理由があるんじゃないかと疑う気持ちも湧いてきた。離婚するか別居するかと極端なことを言い出しながら今までのように黙っていたり不規則に家を出て行っていたら疑われる理由になって私を責められないよと伝えると、それはそうだねと言って帰ってきた。けどそれ以上話し合うこともなく私は就寝。

 

 

 

7/25

ラジオ体操最後の日だから行くと子が言っていたので早起き。こういう時やっぱり私がやるしかないのだろうか、今の私はそのためだけに存在しているようなものだし。だからって何から何まで私が面倒みなきゃいけないのだろうか。私には日曜もない。でも夫にしてみれば仕事外の時間に子どもの世話となったら尚更休息がないのか、でも昨夜出歩いたりしているのは夫の息抜きなわけだし、子どもと過ごすのも息抜きであっておかしくないような、でもそうすると私の意味は、と考えてしまうとループするだけ。子に誰と行く?どっちでもいいんだよと聞いてみるとお父さんを選んだ。これでやっと堂々と放棄できる。私は今日はお稽古にも連れて行くんだしまぁいいだろう。子が夫のところへ行くと、いいよと言って起き上がって出て行った。わずか15分くらいで戻る。ヤクルトを2本持っていて、最後だからお父さんの分も貰えたとのこと。夫は再び寝にいって、私達はいつもの朝。今日は神楽の来月からのお稽古を断らなきゃならないミッションがある。プレッシャーに感じながらお稽古に向かう。今日ははじめの基本型は大人も一緒に稽古させられた。させられたなんていっても、この歳になって新しいことを教わるのは嬉しくもある。それもちょっと特別なことだし、こうして二人で取り組めるとなれば安いものだなと頭をよぎる。その後子ども達は新たな稽古で鈴と太鼓を習える。鳴り物もやれるとは思わなかった。できる出来ないは別として有り難い。子も終わる頃にはやっぱり続けたいと言い出した。ずっと様子を伺っていたけど、今日続けるかどうかの返事を迫られることはなく、月謝袋を渡されて、来週からもこられるようだったらこれでお願いします、というだけだった。肩の力が抜ける。スタジオの表にある蛇イチゴの実を摘んで、前に同じものがたくさんあったよと教えられた公園に行きたいと言われる。来る時はそうでもなかったのに、暑くなってきたから正直うんざりだったけど、ハッピーセットだ公園だと言って何かないと気が済まないようだったから仕方なく公園へ向かう。途中、夫から、どこ?とLINEがくる。私達の予定すら知らなかったのか神楽が終わっているはずなのにと気にかけてくれたのか。公園へ行っている旨を返信するともう反応は無し。目的の蛇イチゴはここにはもうなくて蝶を捕まえようとしながら少し遊ぶ。そうしてやっぱりジョナサンに行きたいと言い出した。ハッピーセットと言い張られた時に帰り道の途中だったジョナサンならいいよと提案したのを今さら。もう無理。半泣きになりながらやっぱり食べたかったというからオリジン弁当でシナモンのお弁当買ってあげるよと言っても納得しない。言い聞かせるのも強行するのももう疲れる。結局マックまでハッピーセットを買いに行く。帰ると夫はいて入れ替わり出ていこうとするけど、神楽の話とか子のことも誰にも相談できないのかなと言うとさすがに夫も話を聞く。テレビを観ながら子はマックを食べて、私はウトウトしてしまった。皆んな少し寝なよと言って夫は吉祥寺へ古着を売りに出て行った。私は思いきり寝転がったけど子は全然眠くない大丈夫だといって私の周りで遊び続ける。しばらくして自分も吉祥寺行きたかったと言い出す。そんなこと言うのは珍しいので連れていくことにした。夫に報告をして吉祥寺へ向かう。一緒に過ごすつもりにはなってくれているらしい。落ち合ったら私がブラブラ店を見ているうちに二人でスワンボートに乗りに行った。ひとり公園でぼーっと待つ。私と夫の亀裂を見てから子はきちんとそれぞれに甘えるようになった気がする。親子の関係なんて情よりも損得でしかないものだなと思う。無駄話がなければ人といる感覚もない。気配と歩いている感じ。むしろ気配があるから子と二人の会話すら不自然になってしまうし、行き当たりばったりの余計なことは生まれない。あっちの方へいこうよとはしゃぐ子を押さえつけるしかなくなってしまう。私がまた店を見ている間に夫と子は井の頭公園の階段でグリコじゃんけんをしていた。階段の途中には弾き語りをする男性が喋るように歌い続けていたけど、たまに手と口を休めてグリコの行方を見守っていた。今日の子の発案は全て夫に託し、夫はなんでも了承して、子は散々買い食いしていた。マルイの一階でレモネードを飲む。せっかく来たからモンベルで日傘を見ようかなと私が思い立ったままに言ってみる。また黙ったままぞろぞろと三人で8階まで行く。会話をすることもないからエレベーターを待つ。ベビーカーを押すファミリーと同乗。エレベーターに乗った途端、ベビーカーのお父さんが咳き込んで私はピリリとする。こんなご時世に止まらない咳。こちらは気にしてますけどの気持ちをこめてチラリと目をやる。楽観してる無謀なタイプに見えてきて怒りがわいてくる。エレベーターを使ってしまったことをその後ずっと後悔した。こちらの人間関係だけでいっぱいいっぱいで警戒心まで気が回らなかった。挙げ句に日傘、よくよく考えたらそんな使えるタイミングもないのにこの価格のもの必要かしらと迷ってきたけど、こんな思いをしてまで来たのに買わないと買わないでまた夫の怒りをかいそうだし、とりあえず買ってしまう。買ってから他にどんなものがあるのか、適当なものの相場なんかも調べようと思う。高円寺の駅で分かれて帰る。子はそんな食べられそうもないし夕飯どうしようかなと思いながらお茶を買いにローソンに寄ると子はからあげくんなら食べるというので一個増量中のからあげくんを買う。

夜、子が「いまベランダで何か動いた」と、ねずみくらいの大きさを手で作って、これくらいだったかも黒かったと言うから怖い。次に私がベランダを見た時に分かった、ゴキブリということ。割と大きめの黒くてしっかりしたやつだった。ついに出た。冬には窓にヤモリがへばりついていたし、外からきてしまうのは防ぎようがない。出ていってくれるだろうか。今日の咳の人のこと、折りたたみ傘のこと、家族のこと、そしてゴキブリ、気がかりにまみれて寝た。