どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年9月13日〜9月16日

9/13

今日は気候も良いしなんだか気持ちも晴れ晴れ。面接日まで漕ぎ着けて、このまま上手くいく自分を想像していた。朝からふと、あぶらだこの象の背という好きな歌が浮かんできて、薄っすらと声に出しながら繰り返す。

「なぜ生きてるのか解らなくて一人で外に出てみる」「もっと自由の偽善の嘘で楽しく暮らしたかった」「僕らの未来は全然暗くないと信じてみる」今の私にドンピシャなメッセージを感じて、なんとか生きれる気がしてくる。

実家から送られてきた梨、子と二人で散々食べつくした最後の一個、元夫にも食べさせてあげたかったし、くし切りにカットしたものを器に入れて、よければ食べてみてと書いた付箋を貼って冷蔵庫に入れておいた。

久しぶりに襟付きのシャツなど着て面接へ向かう。場所は申し分ない。ここが自分の居場所になったら最高だなと思う気持ちは会社のなかに入っても変わらなかった。ひと通り説明を受けて自分の気持ちも伝える。ただ時間の制限や希望、そしてその制限はなぜなのかを、今の自分の状況も交えて話した。それでもひとまず働かせてもらえそうな会話になっていたし早く早く、実働して受け入れてほしいと思った。そのまま午前保育終了時間ちょうどでお迎え。今日は公園に行きたいと言う。園側に残されたファミリーマートへ。ファミマといえばお兄さんのアットホームさに慣れてしまっていたから、ここの店員さんもいつも同じ人なのに愛想がないなと思っていたけど、今日はなぜか明るく言葉多く対応してくれるようになっていた。競合店がなくなって調子がよいのだろうか。そのお兄さんのいたファミマの跡は看板ばかりがデカデカとしていて、この地を知らない人が遠目から見たらあそこにコンビニがあると間違えるだろうだから早いところ撤去してあげてほしいと思う。今日は私もしっかりお腹が空いていてスパムおにぎりを手に取って、子と私おにぎり一つずつ。そんな貧相なお昼ごはんの家は他にいないなといつも思っていた。それでもうちには充分で、通常保育の終了時間以上にたっぷり遊ぶ。そのテンションのままプラザへ。ママ友からお誘いの連絡に、すでに来てますと返信。こちらでも時間めいっぱい遊び。実家から送られてきたという南部せんべいを盛りだくさんと、他所の地域の駄菓子屋で買ったという玩具をもらう。元夫の出身地と近いから、いつもそんな話を伝えたりするのも楽しかったのに、今は貰ったことすら話すことはない。

実家の母から最近やたらFaceTimeがきて、そんな呑気に顔出して子どもと話させている余裕なんてなく無視していると、夜にメールがきて「幼稚園の頃が一番可愛くておばあちゃん、おばあちゃんと言ってもらえる時期で、小学生になったらもう関係なくなってしまうから今のうちにと毎日電話している人が身近にいて羨ましくなって、だからつい私も電話してしまいすみません」ということだった。そういうところあるんだよなと思いながら私の人をイライラさせるような粘着質は親譲りなのかなとさらにカッとなる。かたや(義母は)一生会えないというのに何て皮肉だと思った。その分私は子どもと全力で笑う。そうしてただこの時間を耐えている。

夜、ちょうど私達が寝る頃に帰ってきた元夫が、子におやすみと声をかけにきて、無邪気におやすみーっと言う子を惜しむように二回おやすみと言ったあと私に、なんかごめんねと謝った。はじめて謝られたような。少し冷静になったということか。それでも謝られるということには、やっぱりもう続けることはできない、という意味なんだろうなと思う。

 

 

 

9/14

朝から地震。しっかり感じる揺れ。大丈夫だよねと声を掛け合える人がいないだけで不安が増す。精神的に頼れる人がいる暮らしが当たり前になってしまっていて、ひとりでどう生きていたのか思い出せない。絶対的な味方がいない世界になってしまった。先週、園で梅干しを食べさせられたあと、梅干しふりかけといって今度はゆかりをお弁当に先生が分けてくれるらしく、おにぎりでなく詰めご飯を希望するようになり、心配したけど知らぬ間にお弁当箱のお米でも箸で食べられるようになっていたようで、詰めご飯のお弁当、準備がぐっと楽になった。

ファミマの工事が始まっていて、寂しいのとホッとするのと。送りから戻って洗濯物を干してから荻窪の区の施設へ向かう。ひとり親の就活を専属でサポートしてくれるところへ区のひとり親支援担当の方と一緒に行く。内心は昨日面接受けたところに決まる気満々で、この訪問に意味あるのかなと思いながらだけど、担当の方には並行して探し続けていくのもいいと思いますよと言われている。入り口で待ち合わせて時間まで、今日も自分のことやこの暮らしになってからのことを雑談。なんだか保護観察受けてるような、でも守られているという感じではある。部屋に呼ばれてこれから半年は一対一で対応してくれる職員の方と面会。区の担当の柔らかな印象と違って、少し乱暴にもみえる話し方の年配女性に初めは怖じ気づいたけど、なかばヤケクソに今の私の就労条件を話し終えて、呆れられるだろうなと思っていると、その人は咎めてくることもなく、ただ「子どものこととか今の状況とか一切考えなければ、考えないで、あなたのやりたいことはある?」と聞いてきて、私は黙って目の前に広げられたこの手続きの書類を見つめるしかできないでいた。私とはなんだったんだろう。何をしたくて生きていたんだろう。何も言葉が出てこなくて、情けなくて惨めで泣きそうになった。でもその女性は「母親は皆そうなんですよ。大丈夫。」と言って、それ以上これからの話はしなかった。私が言った「今の園生活くらいは全うしたい」ということに賛同してくれて、自分も一人で育てたからとさり気なく言いながら、もう成人しているという息子のためにしてきたことを、まるで去年のことのように熱く語った。自分がひとり親だったからこその、この支援なのか。ここで仕事を見つけられないにしてもここで話をするのはいいなと思えた。区の担当の方が同行するのは今日だけ。また別の手続きがあるときはまた相談するとしてここで別れる。少し軽くなった足で、いつも素通りしていたパン屋にはじめて入って、おすすめはどれですか?と聞く。答えてくれたものをそのまま、じゃあそれを、と言って買ってみる。ドライトマトとチーズのパンと、ミルクフランス。区役所で戸籍謄本を取る。あとは子どものも用意して私の籍に子を移す準備を進めたい。戸籍はひとり親であることの諸々に必要はないけど、私の子という確かなものがほしい。最寄りの銀行に飛び込んで子の口座開設に必要なものを聞く。今はネットで予約日時を取ってからでないと手続きできないらしい。帰って早速手配。仕事が始まる前にやれることはやってしまいたい。

元夫と顔を合わせることなくお迎えに出る。いつも通り公園。ひとしきり遊んで今日は疲れたようであとは家遊び。区役所の担当の方が今日雑談のなかで質問したことも早速確認して連絡をくれる。離婚にまつわる手続きは気にすればあれもこれもあって、だけど自分から気にしなければ流れ作業的に誘導されるわけでもない。全てに知らん顔していたいけど私は私の王国を作るために踏ん張らなくてはいけない。別居に向けて私の出した条件を文書にしておかなくてはと思う。絶対にこれというわけではないけど、最悪の事態のためにハッキリとした言葉を残しておく必要はある。今日、区の担当の方と現実的なお金の話などを確認していたなかで、でも元パートナーの方とは信頼しあえていてよい関係なのですね、と言われてハッとした。私はこれまでの癖みたいなもので元夫を信じて今もまだどこか味方だと期待したい気持ちもある。でも側から見たら離婚するくらいなんだから信用できないのが普通だろう。マサコさんもとにかく今後のお金のことを心配してくれていたけど私はたかを括っていたと思う。こうなってしまっている現実を認めて、個人間でできる離婚協議書としてまとめてみる。これを元に公正証書にできるらしい。検索したテンプレを元に自分の条件を並べる。甲乙を使うとそれだけてそれらしい見栄えになった。認められたわけではないけど少し心強い。お守りみたいなものになった。

昨日の梨、夜に食べないのかとLINEをしたら食べると返信がきたにも関わらず今日も手つかずのまま。もう確認もしないで夕飯の後に子に食べさせた。雨が降る。

 

 

 

9/15

朝、送りのあとクラスで集まるように声をかけられていた。運動会の話。昨年と同様、観覧は両親兄弟といった身近な家族のみということ、さらに去年より厳しめに他家族と接触はしないように、家族単位で観覧するように、と注意される。運動会は10月。元夫がいかなければ私ひとりでぽつりと見るしかないのか。少し気が重い。

今日は夫婦間の問題についてのカウンセリングに行く。本来二人で行くのが話が早いということだけどもちろん断られている。出掛けに場所はどこ?とかは聞かれた。駅でいうと若松河田だって、とそんな会話だけして家を出る。自転車でいけなくはないかと思ったけど、ポジティブな要件でもないとそんな気力はない。はじめて降りる駅。利用者の年齢層が高い。暑いくらいのいい天気。駅前の安さと油が売りみたいなお弁当屋、元夫が好きそう。仲良い頃にこういうのを見たらお土産に買って行く?とか言ってただろうなぁとか懐かしくなる。あんな当たり前だったことが出来ないなんて、なんだかまだ夢みたいな感じ。どこか受け入れられないまま向かうカウンセリング先、めちゃくちゃ高級マンションの一室で、これもまた化かされているかのような夢の続きみたいだった。どうみても場違いな私が話して受け入れられるのかと気遅れしたけど、カウンセラーの人はこの不釣り合いな私にも真っ当に対等に意見してくれた。自分のことと相手のことと、私は何度と人に話してきている。その度に落ち着いて考えるために時間の経過を待つべきだと散々言われてきた。目の前の先生も当然そうだったけど、夫のようなどうしてもコミュニケーションのとれない自己完結型の人間はいるとしたうえで、だけど結婚は人との契約だから簡単に終われないことなのですと語気を荒めで、もう一度婚姻関係に戻して話し合いをするか、それができないなら一方的な申し出を受け入れるための条件を提示するしかない、と言い切った。素人の私の考えも同じだったから、やっぱり私は現実的に対応しているんだと自信になる。約束の一時間を少し回って、話の結論をまとめながらも先生はう〜んと唸って、しかし彼の今の精神状態は大事な決断をしてはいけない時だと思うんだけどなぁ、なんで分からないかなぁと首をかしげた。そしてそれを受け入れた私もせっかちなのねと少し呆れていた。私達は今すぐ行動をする時ではないと、それはマサコさんも散々言っていた。でも私は彼の訴えを包み込むように構えられないで、自分を分かってもらいたい一心でぶつかるしかできないでいた。そうしてここまで来てしまったんだと私は第三者と話しながらいちいち実感してる。帰り道に報告がてらマサコさんにまた連絡をとる。逆に誰の言葉も耳に入らない彼に、唯一届く言葉があるとすればECDだけだと私は思っていた。ECDがいてくれたら。「あーダメだ、どうしよう、そんな時こそECD」いまECDがいてくれたら、と何度も何度もかなわないことを願っている。

帰ってお迎え。そのまま図書館。子が今日はやりたいことがあるからといってお友達のプラザの誘いにも乗らずに帰り。買い物だけさせてといって高円寺の八百屋へ。家のほうのいつもの八百屋より価格にバラつきがあるからあまり利用しないけどたまに覗いている。許容範囲内のキャベツを買ったあと区内の農家さんの野菜を見ていたらおじさんがこれ見てみてと言って差し出してきたのは野菜のことを書いたZINE。どんな経緯が分からないけどこの八百屋は若者が一緒に切り盛りするようになって雰囲気が変わった。いつからかおじさんがお調子者ノリが全開で、今日ついに子がお気に入りの店認定して、またここで買いたいと言い出した。今夜はお好み焼き。

 

 

 

9/16

朝。子が園に行ったあと元夫と顔を合わせることになるのは居心地が悪い。園がはじまって一週間、だいたい昼くらいまで寝ているような生活リズムだからひとまずホッとひといき。昨日整えた離婚協議書、このあとどうできるのか、公証役場に問い合わせ。一回打ち合わせて二回目に両者揃って出向けば終わりとのこと。区内でも馴染みのある行きやすい場所にあって、電話口のおばさんの柔らかな口調といい、なんか手軽にできそうな予感。気が楽になった。逆に気が重いのが子の戸籍の移動。家庭裁判所まで行かなくてはいけない。霞ヶ関というだけでハードルが高い。またマサコさんに連絡。子どもの成長にかかる費用というのは実際どんなものなのか、少しでもイメージできればと思って聞いてみる。確かな額としては全く分からないままだったけど、けど家族で普通に暮らしていても考え無しすぎて甘かったんじゃないかと思えてくる。未来が怖い。

子の戸籍謄本を取りに区役所へ。ちょうど昼時で職員の人がわらわらと行き交って、待ち合いの椅子の配置的に落ち着かなかった。区役所を後に、一人だからたまには広い方のダイソー。子どもが一緒だと三階建てのダイソーには行きづらい。じっくり見る。まちおかを覗くとセボンスターが安くなっていて反射的に手に取る。せっかくだから他にも買うものを見繕う。ブロードウェイの他にも寄り道しようかと思ったけど雨がパラパラ、急いで帰路について着く頃にはまた晴れ、なんならすごい暑い。

今日はまた少し遠くの児童館へ行こうかと、いつものママ友と話していた。未就園児だった頃に児童館のプログラムでよくしてくれていた懐かしい先生、こないだ会えなくて水木が出勤と聞いてあった。が、そのお友達が今日午前保育だったことが判明し、そんな日はお出かけになることもあるから、どんな予定か伺いながらこちらもお迎えにいくと、返信がある前に園のお友達に流されて公園へ行ってしまった。30分くらい遊んでから児童館へ向かう。先生とも無事再会しておしゃべり。こうしてバタバタしていると自分の置かれた状況を一時的にでも忘れられて調子良くいたところに先日面接した先から断りのメール。落ちた。信じられなかった。本当に、自分がやるのはこれしかなかった。せめて試用期間があると思った。話はそれからだと思っていた。何が違ったというのだろう。週二、短時間からOKの意味は他の誰かの穴埋めでの週二であって自分の希望日ではないのかもしれなくて、結局面接の場ではフルで対応できる人を求めているような雰囲気にはなるものだったりする。事業内容的に主婦を歓迎しているような会社で、あまり働けないということから家庭の事情の話になって、それが慈善の意味で考慮されるかもしれないという期待もあってありのまま話したけど、逆に単に厄介な人とされたのかもしれない。シングルマザーというだけで不利なのかもしれないことをひしひしと感じる。区の人達があんなに熱心に就活をサポートしてくれる本当の意味がわかった気がした。どん底な気分。目の前のママ友や伝えていた友人達にダメだったと報告する。元夫にも知らせたけど既読にもならず、でも帰るといて、ビジネス的でも楽しげでもない、すでに日常を共にしている人に対するような当たり前な口調で電話しているのが女性と分かってカッとなる。私は仕事を見つけるのですら難しいのに。そんな私の報告には見向きもしないで、もう誰かとの日常があるのかという空気に打ちのめされた。電話をしながら出て行ったあと、ごっちゃんがどうこうで行ってくる、とLINEがくるけど電話の相手が女性だったことを分かっているからごまかしにますます腹が立つだけだった。ぐいぐい先に進むことだけの元夫とはもう感情を交わせることもないんだと思うと、私の先にあるのはお金だけだと決意して、堪らなくなって義母に電話する。彼がどうしてやっていくつもりか分からないからお金だけは保証してくれと訴える。義母はそのつもりだと言うけど前回とは態度がどこか違った。あなたにも悪いところがあったのではないかと、嫁というものは、と本性表したなという遠慮ない言い方をしてきた。子が何度もお腹空いたと覗きにきていて、自分から掛けたけどもう切りたくて仕方なかった。この関係がある以上、この先の元夫との関わりは厄介だなと暗雲が立ち込める。カレーを作ろうと言っていたのにもう7時。すみっこぐらしのレトルトカレーにするしかなくて敗北感。悔しい。

夜中に寝れないでいるといまだになんでこんなことになっているんだろうと痛みが押し寄せてくる。7月に子がお父さんと井の頭のボートに乗った時の写真、この時もすれ違いではあったけどまだマシだった。もっと三人でいてあげたかったなと思うと涙が溢れる。ひとしきり涙を流したら今度は静かな闘志に変わってくる。今の忙しいという仕事って誰と組んでやってるのか確認していい?とあらためて元夫に聞く。どうにか分を悪くさせてやりたいつもりになって。ちなみに家のなかにいても用件は全てLINEで投げかけ。質問の意図が気になったのか元夫が直接やってきて、私は今日の電話のことを切り出すと、若干慌て気味に取り繕うように説明しだして、とりあえずは仕事の関連だということらしい。逆ギレするでもなく説明してきた以上、罪にすることもできず。こうしてなんとなく距離を置きながら同居していければいいと思うのだけど。