どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2022年2月14日〜2月28日

2/14
今朝のコラショからはいつもと違うメロディが流れて、やはりお友達の誕生日と言っていた。さて久しぶりの登園。先生は待ってたよといって出迎えてくれた。私は早速委員会。また次の冬までしまっておくクリスマス絵本を拭く作業をしながらコロナの話。私は自分のことだしクラスには共有していたけど、他の学年は戸惑い怯えながら休園していたことを知り、あぁそうかと気がついた。今は基本マスクしてるからオッケーということで濃厚接触者は居ないと判断されることがほとんどだけど、それは真に濃厚接触者がいないことではない。結局自己管理になるから皆んな心配になるだけ。さむがりやのサンタ、定番人気絵本でボロボロになっているのを見つける。漫画形式だから自分で読ませるのも読み進めてあげるのも難しいんだけどねという話から流れで小さい頃みてた漫画の話など。クラスのママがいまストーンオーシャンをアニメで観ていて、私達が謝恩会で歌う「球根のなかには」という讃美歌がモチーフに出てくるという話をした。ジョジョキリスト教になぞらえているとは聞いたことがある気がする。球根のなかにはの歌詞を思い出すと確かにジョジョの世界観っぽさ。とくに3番。
命の終わりは命のはじめ
おそれは信仰に死は復活に
ついに変えられる永遠の朝
その日その時をただ神が知る
あまり知らない苦手な讃美歌のなかでも好きな曲。最後に歌うのがこの曲でよかった。そのまま午前保育からオオゼキに寄って帰り。人と話してる時は意識してなのか咳き込みもひどくはならない。一階のネパールファミリーが引っ越したみたいだ。もうあの香辛料の香りがしないのかと思うと物足りなく感じる。溜まっていた郵便物を確認。一際分厚いピンク色の封書、3回目のワクチン接種券がきていたけれど、以前のようにこれで救われる!という気持ちにはもう全くなれない。それでもやれるものはやりたい。感染してからいつなら接種できるのか確認しないとならない。
今日はまず子の髪を切りに行きたい。前回からは伸び過ぎて私が切るのも難しい長さにまでなったから一回美容室で整えたい。高円寺の子どものヘアカットをやっている美容室に電話して今日予約が取れた。30分後くらいに家を出る。到着すると急に子のテンションがかわり、切るのが不安になり泣き出す。お泊まり行くのにキレイにしないとなんだよ?と説得。長い子は三つ編みなどできっちり結くようにと本当にお達しが出ている。子は中途半端できっちり結くのが難しいから短くしてしまいたかった。美容師さんもヘアカタログでボブの子を出して見せて、可愛いよ〜と声をかけてくれてなんとか椅子に座る。DVDでトトロをつけてもらってリンゴジュースまで出してくれた。次第に子はご機嫌になって、お泊まりが楽しみなことなどを美容師さんにも話し出したり。よかった。最後は可愛いと自分でもニコニコしてくれた。
ようやく病院へ行ける。どんな些細な症状でも向き合って考えてくれる呼吸器内科を頼りにしている。身体が痛いことが一番つらくて咳はそうでもなくなった。喉の奥で痰がうまれる感じが気になる症状。漢方などを処方してくれる。前は使っていなかった隣りのマンションにある処方薬局へ。子どものために水で描ける布ボードが貼ってあって子も気に入って、ここならこれからも付き合うよと言ってくれた。
世の中のバレンタインの様子を見にマルイのカルディへ。もう時は過ぎた感じ。見た目が地味なチョコしかなかったけど、モリスのアイスチョコなどと合わせて詰め合わせにする考えて買うことにした。ダイソーに移動してモールやラッピングを買う。まちおかでもお酒のチョコを追加で購入。お酒チョコの形が魅力で子の憧れ。夕飯は買うことにしてまつのや。まだ人も少なくお腹が空いていたら食べていきたいくらいだったけど、お茶だけもらって持ち帰り。
帰ってチョコレートをバラしてラッピング。大人の知り合いにはお酒チョコを入れたり子どもにはコレと、楽しんでいた。今日作業しに少しだけ元夫が来ていて、あとでまた来ると言っていたし、子はやっぱりお父さんのラッピングだけ特別にして楽しみにまっている。夜になっても来なくて、急の仕事が入ったけどまた行くと言いながらもうお風呂の時間になってしまう。寝る時間になっても来ない。子はお父さんはきっと来ると信じていて惨めになってくる。もういい加減寝るしかない。子は自分はバレンタインに誰にもあげられないんだと気にしていた。きっと幼稚園でお父さんにあげた話になるんだろうなと思う。行って帰っての10分でも無理?とメッセージしてもダメで、それならそれで一言話してもらいたいけど電話は通話中。子がこんなにこだわるのも珍しいなと思いながら、これくらい主張してくれる方が楽だなとも思う。明日の朝は絶対に来てほしいとメッセージして子はなんとかごまかして就寝。


2/15
約束通り朝っぱらから元夫はやってきて、子はルンルンでラッピングしたチョコを渡す。受け取ると早々に元夫は帰っていった。けどこれで子も堂々と幼稚園でバレンタインの話ができるから安心しただろう。
昼過ぎからの健康診断。結局変更に変更を重ね、ぎりぎりの日付でなんとか間に合った。案内にあった通りに朝から何も食べずに昼過ぎ健診なうえに受付してから散々待たされてイライラもしてくる。電話でこの時間を案内された時にお迎えに間に合うのか心配なくらい時間がかかるようなことを匂わされたのに、結局私の健診の種類は項目も少なく、着替えも要らないくらいだった。そうとは思わず分厚いコーデュロイのパンツとパーカーを着てきてしまい、体重測定で衣類の分1キロ減らしてますとは言うけど検査服どころの重さではないと思う。それでもチラリと見えた体重は以前と変わらないか、むしろ減っていて、療養で引きこもっていたにも関わらず太らなくなってる自分を気にすると怖くなる。言われていたよりずっと早く終わり、帰ってガツガツごはん。
明日はいよいよお泊まり保育。迎え待ちの時に周りの母と最後の着ていく服など確認すり合わせ。ほとんどの子が今日は真っ直ぐ帰る。うちも公園には寄らないけど、バレンタインチョコを渡すのにそのままお友達探しに行く。事前にママに言っておけばよかったけど子のテンションによってはやめておこうと思っていた。意外とノリノリで行くことに。どこにいるか分からない。同じくこのお迎えバタバタ時間にLINEしても気がつかれていない。友達の園の周りの公園からいつも話に聞く公園なんかを周り、最後に児童館の方を見てみて居なければ諦めようと言っていたら、その児童館でちょうど自転車を停めるところに遭遇。見つけた!久しぶりに会って早速チョコ渡しの儀式。久しぶりの児童館、せっかくだから遊んでいく。小さい子連れが数人。開け放たれた窓から心地よい風、まだまだ居れるけど明日に備えて3時半まで。気持ちよくてまだ街を走れる気分。北中通りまで行ってやっぱりまだごっちゃんは来ていないことを確認して諦めて帰り。あとでインスタを見たらこの日はごっちゃんは5時からオープンのようだった。諦めてよかった。
明日は子ども達を送ったあとは私達の委員会の一大イベント、絵本棚整理をする。後の世代にも覚えといてもらえるよう、子ども無しで参加できる人だけで確認してあった。年長母の委員会LINEで参加者を確認しているとうちの後にコロナ療養をしていた双子もぎりぎり明日には復帰でお泊まりに行けるとのこと。数えてみると確かにピッタリ。皆んな勝手に間に合わないと思い込んでいた。これで皆んな行けるのかと思いきや、男の子が一人、小学生の姉が陽性になったということで休みになってしまっていた。辛い。そしてうちはその前でよかったと心底ホッとしてしまう。でも兄弟がいる母達に聞くと、大体全員揃わないものだと言っていた。コロナじゃなくても過去にはインフルエンザで約20人中9人欠席とかあったらしい。もうこの季節のお泊まりをやめればいいのにとすら思うけど、私達が体験させてあげられない雪遊びをするというのが目的だから仕方ない。
元夫がやって来て少し話す。6時過ぎにお風呂にしてから夕飯。子の言うことを鵜呑みにして酔い止めを用意していなかった。元夫と連絡をとっているうちにやっぱりあるほうがよかったなと思い、もし今から外出れるならやっぱり買ってほしいと伝える。と、まだ夜7時過ぎ。そんな警戒するような時間じゃなかった。子どもの時間で動いていると大人の生きる世の中の時間が分からなくなる。8時半に就寝。元夫には朝見送りをしてあげてほしいと言ってあったからその時持ってきてくれればいいと言ったけど、夜中ドアが開く音がして、玄関に置くだけ置いていったようだった。朝見送れないのかな?まぁ一晩離れるなんて彼には当たり前のことだった。


2/16
6時前には起きる。おにぎりの用意。秋に同じ場所に遠足に行った時と同じに、子も起きたらすぐに事前に用意しておいた服に着替えて自分で支度をする。薬、昨夜のうちに用意しておいてもらってよかった、元夫がやってきたのは家を出る直前になった。
7時半過ぎ、自転車で家を出る。公園に自転車を停めてバスが待つ駅前の方向まで急ぐ。ちゃんとお別れしようねと言っていたのに結局慌ただしさに、じゃあね、バイバイの一言でさっさと終わってしまった。先生に健康管理表を渡す。この数日、体温、就寝起床時間、排便の有無などを記録することになっていた。それでいくと子は今日あたり排便になるはずで、それがちょっと気がかりではあった。ママ数人がそのそばで見送りをしようと待っていたけど、本当は駅前なこともあって送ったらすぐに解散するように言われている。今さらここに加われないなと思って自転車のところへ戻ろうと公園まで向かうと公園前で待ってるママもいて、そこに合流してバスが動くのを待つ。登校前の小学生の兄も一緒の人もいて、ごはん何食べるのかなぁカレーかなぁシチューかなぁと私が言うと、ハンバーグとかエビフライとかだよ、また食べたいなと言われる。ママからも、そうそう普通にレストランみたいな立派な食事なのよ、とのこと。そうだったのか。バスが向かってくるけど、ぱっと見無人で、朝の青梅街道は交通量が多いから別のバスかと思ったら、近づくにつれ無人ではなく、子ども達の目から上だけがギリギリ窓から覗かせていて、その状態で先生に促されたのか皆んな熱心に手を振っているのがみえて笑ってしまった。まだ小さ過ぎて外から見えないくらいなのに、そんな子ども達で富士山まで、正確には御殿場までお泊まりに行くなんて、先生も本当にすごいものだなと思う。
さて幼稚園に移動。3000冊ほどの絵本を全部出して中身の傷みをチェック、棚掃除して出版社ごとシリーズごとに並べて戻す。これが気持ち良い。一年間この日を待っていた。子ども達が読みたいものを見つけやすく手に取りやすい状態にしてあげたいと常に思っている。旦那さんがこの幼稚園出身の人なんかもいて、貸出表にその名前を見つけ、ここの絵本の歴史を感じたりしながら、果てしない作業のようだけど皆んなでやると午前中には終わってしまう。子どもがいないというだけでこんなに集中して取り掛かれるんだなという例でもある。ルールに従ってキレイに並ぶとほんと気持ちいい。手伝ってくれた母達に飲み物とお菓子を振る舞って解散。最後の片付けをした委員会仲間、偶然ここは皆兄弟がなく、今日は大人だけの自由な時間となるのだ。何する何する?だとかいって盛りあがる。夜は焼肉をゆっくり食べたいという話をきく。味わうというより満たすために次々お腹に入れていくだけの毎日。子どもに追われて食事に集中できないこの感覚。一人で食べられるくらい大きくなってるんだしふつうに食べれてるじゃんと一見思われるんだろうけど、子どもがいるだけで気をとられてしまうこの感覚、分からない人には分からないのだ。コロナの話もする。双子の母は陰性でよく免れたよねと、彼女曰く、お父さんがいると子ども達は父にべったりだとかで、案の定お父さんが陽性となり自分は逆隔離して逃げ切ったという話。自分だって子の面倒をみていたらダメだったと思うからやっぱり子どもが罹ったら誰かしらは犠牲になるだろうというのが罹患者は分かっている。よく、自分も知らぬ間にもうかかっていたのかも、とか言う人がいるけど、そんな都合いい話があるものかと思っている。同居家族が確実に陽性になってみてから言えと思う。一時間も幼稚園の外で話していた。コロナ感染時の詳細を話しているうちに近所の人の目が気になってきて解散。さて本当に今日は何をするか。生理前のようなダルさも感じる。ひとまず帰ってごはん。清澄白河までの精神的距離が乗り越えられずにいたクリスチャンマークレー展に行こうか、それともドライブマイカーを観に行くかとか考えていたけど天気も体調も良くなくて、いまいちその気になれない。自由時間だからって無理にどこか出かける必要はないと自分に言い聞かせてチョコレートを思う存分食べ散らかしてごろごろ。それでもこの時はまだコーヒーを飲めなかった。豊田道倫のシングル配信を機に久しぶりに音楽を流す時間。豊田道倫の歌と映像から気がついたら涙がでていた。彼の歌は私の日常のような、自分でもいつの事だか分からないのだけど確かに過ごした時間を感じて、どことなく懐かしいし心強く思えたりする。この空気感が好きだったんだよなぁ自分は、と思い出す。こうしてダラダラした時間で自分を思い出したりするのも誰に咎められることでもない。でも人の目があったら明らかに有意義そうに過ごしていないと罪悪感をもつことになっていただろう、一人でよかったなと思う。
おかあさんといっしょの歌のお姉さんが卒業のニュース。ガラピコも終わり新しい人形劇になるという。子が生まれたのと同時にはじまったガラピコと新しく代わった歌のお姉さんが、子が幼児を卒業するのと同時に終わっていく。私の子育てはガラピコぷ〜とあつこお姉さんと丸かぶりで共に歩んだのだ。これで本当に終わりよとケジメをつけさせられているような、前向きに捉えるなら背中を押してもらうことになるのか。子に伝えたいニュースがある時に限っていなくてウズウズする。
4時過ぎ。ようやく身体を起こして区役所へ行く。天気は回復することなく雨もパラパラ降り出した。要件二件分の話を聞き高円寺へ戻る。街を走りながら今日は水曜で休みの店が多いことを思い出し、こんな時に食べたかったカレー屋も休み、どうしようかな、無理だろうなと思いながらも元夫に連絡をしてみる。出ない。トレファクやセカストで卒園服の足しになるものはないかとじっくり見ていると折り返し電話。ご馳走するからご飯食べないかと言ってみるも、今さっき起きてる今もう食べてるんだよなと言われ、そうじゃなくてもどうせ断られただろうなと期待はしていなかった。おすすめの店なんかあれば教えてほしかったけどそれもとくに無し。中野の図書館へ行って絵本を借りることにする。ネット予約しかできない杉並図書館ではコロナで随分と延滞してしまっているから返してからでないとネット予約も出来ないのだ。ひとりで絵本を探すのはなんか物足りなく感じる。子も見知った絵本や私の好みで5冊選ぶ。中野の気になるお店もやっぱり水曜休み。雨もまたパラついてきて、これはもう惣菜でも買って家で食べるとする。マルイをゆっくりと見る。子どもがいない頃のこの時間はこんな感じだったなぁと、この時間にすれ違う人をみながら懐かしく思う。ピーコックで値下げされた惣菜を好きに選んで子に頼まれていた有吉の壁の録画にも間に合うように帰り、テレビを観ながら一人でご飯。思い切り食べてるつもりだけど上半身が痛いせいでか食事が身体に染み渡らないような、満腹感がいまいち。ひとり。お泊まり保育を意識し出した年長になったばかりの頃は、こんな夜を過ごすことになるとは思わなかったな。お風呂にも入らずひたすらテレビを観続ける。幼稚園から、一日終わりましたとメールが配信される。先程就寝しましたとのこと。こんな時間まで起きていられたのかと思った。久しぶりの家ついていっていいですか?、派手な女装好きのご主人とそれを共有する奥さん。否定しないけど過剰に肯定するわけでもなく、淡々と二人で過ごす。そのどこか諦めでもあるような平和、私もそれが当たり前のように生きていけると思ったのになぁ。あちこちオードリー。そんな時間までテレビを観て笑っていられるだけで充分に思えてきた。シャワーだけの夜、一人の時間も終わり。


2/17
子いない朝、ゆっくり寝坊。杉並の分の絵本を図書館に返しにいってあっという間に昼。昨夜の就寝報告以降メールは無いから時間通りに帰ってくるということだろうか。少し早めに出てコンビニでプリントをしながらクラスLINEも確認するけど誰も時間通りなことを疑っている様子はない。コンビニを出るとちょうど歩きで迎えに行くところのママに遭遇、ホッとして一緒に歩きで待ち合わせ場所の公園に向かう。何して過ごした〜?と聞くと、小学生の兄とパパと三人でカウンターだけのラーメン食べに行ったとのこと。確かにカウンターラーメンはあの子達にはまだハードルが高い。それに4人で行くような店じゃないじゃん?と。それも確かに。カウンターラーメン、家族で行きづらいよね。公園にはもうほとんどが集まっていてバスを待つ。ほぼ予定通りの時刻にバスは到着、子ども達も疲れているのか興奮はあまりなく、ぞろぞろバスから降りてきた。我が子だけ雪遊びブーツを履いていてなぜか。数人、最後に吐いてしまったようでバスで着替えている。お祈り挨拶で解散のあと、先生に声をかけられ、子は帰りのバスでも「もちろん」吐いたけど、昨夜夕飯の後に派手に吐いたとかで全部洗濯しましたとのこと。スニーカーだけ乾かなくてそれでブーツを履いていたわけだ。排便ができていなかったからだなとすぐにピンときた。子は元気で、お昼ごはんはモスにしたいということで買って帰る。合宿の話を聞きながらお昼。少ししたらトイレに駆け込みスッキリしていた。この後にまた2回目もあり。よほど溜め込んでしまったらしい。家でだらり遊び。私も生理で怠かった。元夫に帰ったことを報告するとまたなんの前触れもなくやって来た。行動するよりも何よりまず声をかけてほしい。彼はサポートするよとばかり言うけど、ひとり気ままに動きまわる時点で協力体制がなってない。どうせ来るなら一言「今から行くよ」と言ってくれていたら、荷物が多くて持ちきれなかった自転車に置いたままのヘルメットなんかを持ってきてもらうとか頼めたのに。本当は協力するつもりはないのかもしれない。私達の前に姿を現す時は不貞腐れた顔して忙しいと嘆いているくせに、見た目は以前とは違う服を着て眉毛を脱色とかしていて、買い物していたりそんなことをする余裕があるんだなと思うとどこにもぶつけられない悔しさが込み上げてくる。私は体調が悪くても自分以外のためにも動かなくてはならなくて、そうして大なり小なり無理も積もっているからそりゃ体調も良くならないわと思ってしまう。元夫にそれを伝えるとまた、サポートするよの一言。具体的に自転車のことを言うとしばらくしてゲームセンターのモルカーのぬいぐるみの写真がきて、これを取って持っていくよとのこと。UFOキャッチャーは子が自分でやりたいわけでぬいぐるみだけもらうことにそんな意味はない。それに、買い物もすることにして私達も再び家を出たのだ。ほら、言ってくれれば無駄は省けるのだ。何かお疲れさまの祝いをしたくてスーパーでバームクーヘンと生クリームを買ってケーキのようにフルーツでデコレーションして二人で食べた。


2/18
合宿の報告を兼ねた保護者会。早朝に出てその日に雪遊びは相当疲れたらしく夜まで保たずにウトウトするような子もいたとのこと。先生はとにかく行く前から今回はじめて使うゴープロに期待を寄せていて、その映像を見せてくれたりした。帰って洗濯、体調いまいち。昼ごはん。お迎えからはまっすぐ帰り、今日こそごっちゃんにバレンタインを持っていく。ついでに子はチャイ屋さんにも残りのチョコを持って駆け込んで行って、しばらくしたらけいおん!食玩を持って戻ってきた。ごっちゃんがきっとチャリ爺のだと思うわと言って笑っていて、私がまた知らないのもらってどうするのと渋い顔したら、子はけっこうこういうのも好きなんだよ、うま娘とかさぁ、と言い出して、ごっちゃん曰く最近のアニメ好きとオシャレが同居したジャンルの子の世界では流行りのらしくて、幼児のからいきなり現代の若者の感覚していてついていけない。たんぽぽで子のチュニックを買おうとしたらレジ前にあったクレアーズのイヤリングをねだられ買い。100円。牛乳が必要な今日、この辺りに来ていてこれはユータカラヤでお買い得牛乳を買うチャンスと思ったら売り切れ、脱力して今日の夕飯を買い物しなきゃだけどもう混雑時間の他スーパーに移動する気力は無し。唐揚げがいいと言われて高野脇の惣菜屋で唐揚げだけ買って帰り。唐揚げ、サラダ、わかめの酢の物と南瓜、豆腐の味噌汁でそれなりの夕飯になる。
夜は金曜ロードショーチャーリーとチョコレート工場。うっかり観せたら子は最後までばっちり観ていた。


2/19
朝寝坊を決めこんで布団でゴロゴロしていた朝9時に学校から電話。何かと思ったら手続きが必要なものもあるからそろそろ書類を取りにきてほしいとのこと。すみません、まだ体調が万全でなかったもので、と言い訳して11時に行くことにした。
子と連れ立って自転車で小学校へ。保健室に案内され、ひと通り説明もしてくれた。気になることありますか?と言われ、ざっくり家庭状況を話し、だから一般的な家族をテーマにしたような教育があるとしたら心配はある、と言うと、今はそういった点は配慮されているので大丈夫ですよときっぱり言い切ってくれた。ドライといえばドライ。同じクラスにして欲しい子とかありますか?なども聞いてくれて、正直説明会よりも手厚くしてもらえていたと思う。特別一緒にしてほしいは無いけど逆に同じアパートの子がこの学校にいたら、家庭状況が見えているであろうだけに気まずいですと言うと、お名前わかりますか?と調べてくれようとした。住所と紐付けはしていないとのこと。名前は曖昧なので調べは出来ず。簡単にでもひとまず面と向かって家のことを話せただけ気は楽になった。このままサイゼにごはんに行こうかと言ったけど絶対夜が良いと言われ、予約していた絵本を取りに図書館にだけ行って帰り。
夕方、昨日買えなかった牛乳とたまごをOKで買ってからサイゼに行くことにして、元夫にも一緒に食べるか一応声をかけてみる。寝ていたとかでぼんやりしているからすぐに切る。サイゼはまだ5時なのに激混み。雨も降りそうだし諦めてもらってハッピーセットにする。帰る頃には本当にけっこうな雨になってきて、やめて良かった。私は焼きそばを食べる。


2/20
朝からなんか眠い日。よく考えたら元夫、早ければ三日だけどおもに一週間に一回、約15分の面会どころか顔合わせるだけしかしないようなお父さん。自分でそれでいいと思えているのならその情の無さ、すごいな。本人はそんな人間で仕方ないにしろ、その影響を受けてしまう子が仕上がることをどう思っているんだろうとは思う。自分になぞらえたら親子関係なんて自分の人生に意味がないと思ってしまうけど、そう思えるのも自分が一般的な普通の家庭に生まれ育ったからではないかという気もするから、子がどんな人間になっていくのかは未知。
そんな元夫と今日こそ昼にサイゼのつもりで連絡をとりあうも、おそらく徹夜で今から寝るつもりなのか時間のすり合わせがうまくいかない。12時半になると私が言うと午後2時にはオンラインミーティングだからというけど間に合うのではないかと思うが反応が不満気だった。ともかく私達は12時半くらいからサイゼに行くことは伝えておいて、行動をする度に報告をしながら12時40分くらいにサイゼにイン。あとから一人来ますと店員さんにも言ったけど、食べ始めても全然来ない。下手に子に期待させたくもなかったから、やり取りは全てコソコソとメッセージを通していたけど結局二人でたっぷり食べ終わってしまった。もうすぐ2時になる。ゲーセンチェックとして喧騒に紛れながら元夫に連絡すると寝ていたとのことだった。「お金よりも子どもとの時間」と思ってほしいことは全くないけど、今の環境だとそれくらいの気持ちであってくれないと成り立たないこと、それは思っておいてほしい。
子が療養中に観まくっていたYouTubeの影響でついにポップイットを欲しがった。小学生あたりに人気らしいことは私も前から薄々わかっていたけど子にはまだ届いていなかった。が、サムちんの影響は絶大。ミカヅキモモコに売っているのを前にみたことを覚えていて、パラパラと雨が降るけど荻窪まで自転車を走らせる。無限プチプチだとかハンドスピナーだとか、何年かに一度大流行する意味不明なグッズ。丸い突起が並ぶシリコンのシート、こんなものにお金を出すなんて納得いかないけど、時代に流されておくのも悪くないなと思ったり。ついでに子の欲しがるキャンプままごとのセットがそのポップイットの何倍かの価格で売っていて、もう三年はキャンプごっこが好きだからいよいよ買ってあげることにした。これでマイナスの療養からのプラスで元に戻ってきたということで。他、100円ショップやルミネを見て帰り。
またあれこれ買い物してごまかしたけど、私がそうしてヒリヒリしながら子どもと過ごしていることをどうして元夫は深刻に受け止めてくれないんだろうかとモヤモヤする。仕事忙しいのがそんなに偉いのか?最終的にはそうな気もするけどもうよく分からなくなってきた。元夫にそれをメッセージするとようやく今日の弁解電話がきた。それもよく分からない。弁解されるようなことなのか?家族で同じ家にいたら寝てしまって一緒に外食できなかったというのはそんな罪なことではないのではと今は思う。


2/21
朝送りながら、今日は病院と買い物どっち付き合ってくれるかと子に選択を迫ると「病院」とのこと。ということで送り後は買い物にそのままOKへ。レジで後ろに仲良しママがやってきた。先に店を出ると別園のママに久しぶりに遭遇。あとから仲良しママも会計を終えやってきてしばらく立ち話。仲良しママ友とは歩きながら話しまくる。彼女は園の問題児に翻弄させられていて、子どもと一体化している母親は父親の視点とも違うから身内にもいまいち分かってもらえなくて、私が引きこもっている間は相談して発散できる相手がいなくて溜まっていたらしい。最終的に面談で先生の前で号泣したとのこと。私も聞いたら一緒に怒ったり困ったりできるけど、直接関わって手をかけられる関係の人に曝け出せたことは本当によかった。そもそも育児のことを気軽に話せる相手がいないことは辛い。悩ましいことに限らず良いことだって、子の成長を分かち合える人がいない私は苦しい時間を過ごしている。子の愛おしさに返す情も一人分以上を与えられないことは申し訳なくなるし、子の発散全てが一人にのしかかってくることで自分が破壊されても耐える厳しさや、耐えられなくなって爆発してしまう時の罪悪感も、理解はされなくても共有すべき存在があるだけ心強いと思う。ママ友の家前で分かれて家に荷物をおいてすぐにお迎え。午前保育。今日も寒く公園には行かず帰り。3時に病院に行く。薬は終わったけどいまだ存分に呼吸ができていない気がする。これもまだ胸元の筋肉が痛いからなだけだろうか。今日は呼吸の検査などしてくれて気管支を拡げる蒸気みたいなものを吸う治療をして時間をかける。終了後は動悸がするけど息が吸い込みやすくなった気がする。しばらく家でも朝晩吸入をすることになった。4時にクリニックを出る。オオゼキで買い物。寒くて子に焼き芋も買う。八百屋に寄り帰宅。今日はオオゼキでお買い得だった豚肉のかたまりで角煮をする。
なんだか中途半端な時間から猫がうるさく、もうたまらなくて引き出しをガサゴソ残っていたちゅーるを探し出してあげる。少しは落ち着いたか。ごはんを食べながらいつものようにてんとう虫のテンちゃんになんとなく目をやると何か違う。動いていないだけでなく、外からみてるだけでもカラッカラ重力を感じない、これは、死んでる。子にテンちゃん死んでない?!いつから?というと、朝は動いていたのに、とのこと。忘れもしない2月3日に連れてきてからむしろ長くもってるなぁと日々思っているくらいだったけど、ここまでくると残念無念。しかしこの先どうなるんだと気になっててんとう虫の飼育について調べていたりもしたから、この時点で全うしてくれて少しホッともした。にしても寒い。テレビをだらだら観てしまい寝るのが遅くなる。

 

2/22
子が朝寝坊。最近そんな感じでみいつけたを観れていないけどグローイングアップップの時期なことは意識している。と、ツイッターでついに始まったとの報をみて、私もまたついにきたかという気持ち。夕方の放送では絶対みたい。
10時半に矯正歯科。コロナの話。次は一般歯科でも噛み合わせなどみてもらってからということになった。
午後1時、お迎え前に中野のマルイで謝恩会の係でお世話になった方々へのちょっとしたお菓子を買う。音楽やリトミックをしてくれていた先生と、素話をしに来てくれていたおばあさんへ。係の一人は小学生のお姉ちゃんのクラスが学級閉鎖中で休みになってしまっていた。自分が済んで終わった気になっていたけど世の中はまだ流行しているらしい。園の先生達への贈り物を無駄に高価な北欧クッキーにしてしまったため贈り物というほどの予算は無く、ハンカチ貰ったお返しくらいの煎餅菓子しか買えず。そのまま迎え。今日は猫の日と朝からニュースだとかで騒がれていたから分かってはいたけど、思った以上にそれで盛り上がれているからさすが子ども。2022年と西暦からはじまっていたことは子ども達に言われて気がついた。工作で猫を作っている子がたくさん。可愛い。その後の公園。寒いけど皆んなでわいわい久しぶりの感じ。帰り道、今日はとくに何もないし町会の掲示板前に立ち止まる。以前から気になっていたけど、新一年生に記念品をくれると毎年書いているのだ。小学生のいる人に聞いたら前は図書券もらったよとのことで、ついに電話してみることにした。今年一人目ですよと言われて恥ずかしくなった。住所や名前など細かく聞かれるからそのうち町会費とか徴収されるのではと怖くなったけど、地元の人がアパート住まいでも貰っていいんだよとも言ってくれたからとりあえず伝えるだけ伝える。そういえば子はお父さんから誕生日も入学もお祝いの話がないな。どういうつもりだろうか。帰ると駐輪スペースの私の場所に自転車。3階に新しく入った人のだろう。別の場所に動かしておく。私も越してきた時は不動産屋に管理はしてないけれどなんとなく場所が決まってるようだと言われて、同じ家賃払ってるのになんで先住人がルールになってるんだと憤ったけど今の自分も完全にそっち側の人になっていた。正論ばかりでは生きていけない。


2/23
最近猫が子に心を許していて、とはいっても子が寝てから子の上に乗るようになった。本人はまだ気がついていない。朝のEテレ葛飾北斎の浮世絵、子があっ!と声をあげ雪遊びの富士山こんなふうに見えた!とのことで、ちゃんと浮世絵を写真のように感じられている現代人に笑った。祝日。みいつけたのスペシャルコンサートの放送。ダツイージョが密かに人気なのがわかった瞬間。続けて子の希望で録画データの猫の恩返しをみる。元夫が一瞬来た。一瞬のくせに、おいでと言って子を抱き上げようとしていて子は戸惑っていた。いつもいつも一瞬の顔合わせしかないのにそんなことが通用すると思っているのだろうか。触れ合わないでほしい。
昼過ぎ、吉祥寺へ出かける前に子の好きなおばあさんの駄菓子屋へ。ポップイットが山のように積まれていて、そうだミカヅキモモコまでいかなくてもこういうところにあるんだった。しかも300円。吉祥寺へ。欲しかったフラワークッションを買い。ここまで来たらうっかりやってしまうシルバニアくじ。今日もハズレ。まだ誕生月の特別が続いている。ムーミンドリンクまで飲む。ムーミンだなんて高いから興味なしと思っていたけど子が見たいというから近くでメニューらしきものを見てみたら案外そうでもないじゃんと一回くらい買うかとレジに行ったら、どうやら写真にあるようなドリンクにするには色々オプションで付け足すということらしい、やっぱり結局高いじゃないか。まぁ最初で最後と許すことにして、ニョロニョロのなんだとかよく分からないことを聞かれ、しかし向こうは当然のようにこれなきゃここでドリンク買う意味ないですよね?顔の店員さんで、よく分からないけどまずはいくらか聞いてみると30円です、と。え、それは何?何なの…?ときくとなんとストローに付けるいわゆるただのマスコット。それに30円かかることに戸惑ってしまい他に何かに使えるのかとまで聞いてみてしまう。そんな冷静なことを言われ向こうこそ戸惑っているようだった。やっぱり二度と買うことはないだろう。

高円寺に戻って買い物やちょっとタバコ吸うかのようにクレーンゲーム。良くない習慣が身についてしまった。ひかる君にだけバレンタインをあげられていなくて新高円寺の方をまわりながら帰ることにしたけどやっぱり店を開けてはいないようだった。今はアポイント制でやっている。そんな営業のしかたが成り立つのはすごい。オリジンで惣菜をたんまり買って帰り。今日は先にお風呂にして有吉の壁スペシャルに備える。寝ながらネットニュースに目をやると「鈴木紗理奈、元夫も参加した愛息子の誕生日パーティー公開」とあって、離婚後も仲睦まじくて素敵だとか言われていた。確かにうちはその一日すら出来ない。ひとり親だから子どもが可哀想ということはないけど、子どもが求めているうちは諦めさせることになってしまうのが可哀想に思う。それと向き合っているだけ私が気が重い毎日を生きてる。


2/24
朝から今度は、母子家庭に育った女の子がはるか年上の男性としか交際できないとのニュースをみて、そうなるのかなぁとまた少し哀れに思う。我が子はどういう女性になっていくのだろうか。
風が寒い。今日はサークル仲間で中野坂上に今月オープンした図書館へ行ってみることになっているけど、仕事仲間のママ友の手伝いで阿佐ヶ谷の事務所に行くことにもしている。寒いしまだ上半身が痛くて、ちょっと頑張って動いてしまうと息切れがするのだ。中野坂上はやめておこうかと思っていたけど、登園後謝恩会の係打ち合わせをしている間にサークルメンバーが待ってくれてしまっていたために行かざるを得なくなって、風がふき晒すなか中野坂上まで。私の自転車運転が早いと噂される。新しい図書館は広いけどあまり絵本が無いようにみえる。とくに日本の絵本。でも子どもは喜びそう。近くの図書館が閉館している今こそ連れてきてあげたいと思うけど、何気にこっちまで足を伸ばす時間はなかったりする。一人のママが電話に消えたと思ったら戻ってきて、友達がコロナ陽性になったって、と苦笑い。彼女と私は陽性経験者。教えを乞う電話だったらしい。ほんとに、陽性者としてはあれこれ教えてあげたいところだ。クラスのママが子どもが発熱したとかで検査に行くだとか言っていたけど、状況判断からそれはコロナじゃないと思える。もう経験者としてある程度の不安要素も判断できるようになった気がする。公園で皆んなで話していても怖がる皆の衆相手に経験者で陽性マウントしてしまっているかもしれない。10時半には先に退散して阿佐ヶ谷へ向かう。オリジナルグッズの身長計ポスターを丸めて箱にセットする作業。ギャラはそのポスター。子は欲しがるだろうから手伝うことにした。話しながらポスター巻きしているとあっという間にお昼を過ぎていた。私は先にあがって西友でパンを買って帰り。
お迎えのあとは公園。家に帰る夕方にはヘトヘトになっている毎日。頭痛もするし、これが後遺症なのだろうと思う、しんどい。自宅療養のためにきた物資のフリーズドライのたまごスープを子に出すと喜んで、おとうさんがよく作ってくれたよね、思い出のスープなんだ!と言っていて辛くなる。元夫に身体がしんどくてとメッセージすると、俺も具合悪くて吐いてる、と不調のマウントとってくる。浮かばれない。


2/25
久しぶりのパート。マネージャーが来ていて傷病手当の書類を渡せた。はじめてだからよく分からないけどと言いながら本社に出してくれる。ちょうどよかった。中巻セールの日で良い感じに時間が過ぎる。そのまま迎え。誰とも約束してないと言って珍しく即帰り。おかげで気になってパートに応募の履歴書など手配ができた。

日常をやり繰りするだけで精一杯のなか、戦争がはじまったニュース。オリンピックの開会式のようにいかにもの演出ではじまるわけはなく、それはしれっと始まっていた。そんなことがあるなんで、はじまっていてもなお信じられない。日常が奪われるのに今日明日と続いていく。そこにも暮らしがある。怖い。知識不足すぎて、ただひたすら怯えるしかない。


2/26
ようやく子の誕生祝い毎年恒例のピューロに行く。週末だというのにすんなり予約はできた。コロナ陽性後は少しのためらいもなく街を闊歩できていわゆる賢者モード。人との距離感にもいちいちピリピリしていたことを思うと相当のびのびと暮らせている。朝は幼稚園に行くよりも早く家を出る。休日だから駐輪場も一階に停めさせてもらえてよい。順調に早く着いたけれどやはり入場に行列。オープンはそういうものなんだな。行列だけど入ったらスムーズ。アトラクションをはじめに乗りまくってもキャラクターのウェルカムグリーティングに間に合う。タキシードサムやマイメロ。誰が来るか、いきなり出会えるこのドキドキがやめられない。楽しい。子がお姉さんになって、もうサンリオなんてダサい、とか親となんて行けない、というようになっても、キャラクターに話しかけるために一人でも来たいと思う。人の目を気にしない自分だけの楽しみを久しぶりに見つけられた気がする。若い頃はそれがハードコアのライブだった。友達と一緒になって楽しんでいたパンクから知り合いのいないハードコアライブに潜入した時の高揚といったらなかった。これからは一層現実から離れたこのメルヘンの世界に浸かりたい。可愛い以前の世界。早めのランチ、はじめてのぐでたまムービーショー、いつもの可愛い歌舞伎を2回。今日も存分に楽しんだ。何度も来てようやく攻略できた気がする。それにしてもピューロに来るキッズのファッションの統一感といったらない。シフォンスカートのワンピースに薄い色味のダウン。面白いくらい皆んな一緒。ルーレットくじ中当たりでぬいぐるみを選んだというのに帰り道にあるゲーセンでもまたぬいぐるみマスコットをゲットした。ピューロ近くのゲーセンはサンリオグッズが盛りだくさんに用意されてるのだ。ピューロ手前のベネッセ前のキティとしまじろうと写真。そういえばベネッセの小学生向けキャラクターのコラショはサンリオのハンギョドンなどを作ったデザイナーのキャラクターらしいけど、この立地で意味を感じてしまう。それを知った時に、あまり受け入れられなかったコラショも悪くないような気になった。駅から真っ直ぐの道に毎年鎮座するキティとダニエルのお雛様とも写真を撮る。今年もこの時期に来られてよかった。
今日は夜にドラえもんの映画もやるから帰ってすぐにお風呂。屋内で遊んでいたのが勿体ないくらいの気候だったみたいだった。


2/27
疲れている。お腹も痛い。午後、今日は近くで過ごすことにして歩きで家をでると暖かそうで風が冷たい。公園は嫌がって、街に出る途中の寺で縄跳びをすることにした。どんな気分の時もひとりで家族を回していかないといけないのがしんどい。子と一対一、逃げも隠れもできない。元夫、そんな我が家を気遣ってくれたことはない。子どもが女の子で一人だから、私一人でも充分と思っているのだろうか。大変なことがあるとは思わないのか。自分はもう関係ないからと思っているのか。そんなに仕事があるのが偉いのか。必ずというほど週末は連絡がつかないのもなぜなんだろうという気もしてくる。寺縄跳びだけでは物足りず、ゲーセンまで行くことにした。何が取れるわけでもなく帰路。緑道付近で偶然仲良し親子に会える。喜んで路上で遊び出す。友達が一緒ならどこでも何が無くても遊びになる。そうして私も大人と立ち話ができて少しリフレッシュできた。ありがたい。子も人に会って気分があがっていて、その様子にホッとする。まいばすまで散歩を続けて納豆を買い、今日は質素に納豆ごはんの夕飯。


2/28
最後の全学年の保護者会。最後の礼拝。神は共にあるという話。いつも共にいる存在は誰でもいいわけでなく、迎え入れられるという確信がないところでは人は言葉を相手に預けない。人には気持ちを委ねていい存在が必要。私達はここでいつでもあなた方の声に身を寄せていますよということだった。キリスト教に触れることは子どもが偏った思考になるのではないかと入園前は過剰に心配していたけれど、それは私のキリスト教への誤解で、そのなかに身を置くことはこの世の根本を少しでも知るきっかけになり、実生活に結び付けられるわけではないけれど月に一度でもここでそうして意識することができたのはむしろ私の心の支えにもなった。その度にこの園にきてよかったなとしみじみした。せめてこの三年で得た神の言葉は忘れずにいたい。先生は、今年の年長さんはまだ手放すのが不安、まだここにいて欲しいくらいだといった。早生まれの子が多いと言われてきたのが影響してか、例年に比べてやや幼いと先生は苦笑いした。三学期に入ってからずっと言われてきた。それに対して誰もが否定することなく、確かにもう少し園にいてほしいと思っているのだった。まだ日常で、いまいち新しい生活が目に入らない。保護者会のあとは先日みれなかった分の雪遊びのビデオ上映。小学生以上の集団生活とも違う日々の延長のなかでこの体験をさせてもらえたことに感謝。園を出たらそのまま、こちらも予定が変更になりどうにか期間内に押し込めた子宮がん健診へ。先生とコロナで咳がまだあるんですよねという話をしながら股を開いて事が終わった。今月のミッションをやりきれた。安心してセカストをじっくり、まだ卒園式の服に困っている。無難なGUのブラウスを買い。
迎え後はホールで謝恩会の歌の練習。帰ってごはんを食べてから公園へ。おもちゃを持っていって皆んなで遊んで早速壊していた。外で皆んなの前に持っていくものは壊れるものと思いなさいと言ったうえで持ってきたものだけど、あまりに平然としているからこちらがモヤモヤしてくる。その後、我が子だけ芝でころがって汚くなっていて、私はそれは別に気にしていなかったけど他の子が私に言いつけるように報告してきて、皆んなはやらないの?と聞いたら汚れるからと言う。このあとデニーズに行くつもりだったし、それならと私からも子を止めて帰ろうとすると、皆んなが次もまたおもちゃ持ってきてね、遊ぼうねと言っているから、皆んなも好きなの持ってきたら?と言うと、壊れるから嫌、とズバリ言われてショックを受ける。全てにおいて皆んながこうして自ら危機管理できているという我が子との違いにショックだった。芝をはらってどうにかデニーズへ。子どものバースデーパンケーキをいただきに来た。私は自分でパンケーキを頼む。デニーズにもロイホアフタヌーンティーセットみたいなメニューができていた。今度頼みたい。近場だし、一応元夫にも報告をする。もういつ誘っても自分も行こうかなというタイミングになることはないんだから、本当にそっちが手が空く時を教えてくれよと思うし、でも手が空く時を私達と過ごしたくはないから言わないんだろうなとも思うし、そんな簡単に子どもから気持ちを切り替えられていることが信じられなくもある。どういうつもりなんだろう、本当に分からない。本当にその先を想像ができない。子どもと暮らしを共にしている私には分からない。
練り消し探し。この前、子が調合した練り消しをもう汚いしと思って捨ててしまったことを根にもっている。100円ショップにも駄菓子屋にも無し。ハッと思い出して駅近くの文具屋に行くと、気持ち高いけどちゃんとあった。手にいれられてご満悦。家を通り越しておばちゃんの八百屋で買い物を終えると、久しぶりに前のマンションで向かいに住んでいたおばさんと遭遇。この近くのマンションに移り住んだことは知っている。快適に暮らせているようだった。他にも同じマンションから移り住んだ人がいるという話。そうして噂話をしているうちに、同じフロアにいた猫おばさんのご主人が亡くなったことを聞く。引っ越す家が決まっていざという時、突然のことだったらしい、それをやはり突然知って驚いてしまう。スラッと飄々とした感じのおじさんだった。エメラルドグリーンのリュックを背負って自転車で走る白髪の猫おばさんの姿は度々見かけることがあって相変わらずなんだなと勝手に安心していたけど、そんなことになっていたのか。私も一見相変わらずだと思われているものだろうな。
今日も帰って即風呂、納豆ごはんの夕飯。