どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2022年3月1日〜3月11日

3/1
今日は2月から予定がズレた保育参観をする。当初一日三人という決まりだったけどもう園生活も残り少ないため人数制限がなくなり今日は一番多いらしい。皆んなお昼も子供達と食べる。いつもより少しだけ早く登園させ、帰って洗濯干し、自分のおにぎりの準備をして園へ向かう。一日参観、2時まで長い。実習生の若い男女二人と、どこか他の園の先生が見学にきていた。天気が良く皆んな外でわいわい遊ぶのをひたすら見守る。お弁当時間。いつもは食べるのが遅いという我が子が今日は食べるのが早いと話題になる。部屋では合奏の練習や折り紙など。聖書絵本と通常の絵本と、2回読み聞かせがあった。日直当番の子がお弁当の前や帰りにお祈りをするのだけど、目を閉じながらすらすらとお祈りをしていて感心しちゃう。その子が特別できるわけでなく皆、いつ自分が指名されてもお祈りができるのだ。これだけで特技だなと思う。参観中に元夫から電話もちろん出られず。死ぬほど忙しかった、今日3時半頃家に来るとLINE。そうして言ってくれればそれだけで納得もいくのに、自分のことを伝えてくれなすぎ。帰りの時間前、素話をするおばさんが来てくれる。年少の頃から名前だけは聞いていたくらい何年も前からやっているのにその姿をみたことある人はいなくて、子ども達からの話だけで性別すらも不明だった頃もあったが、今日ようやくその正体を知る。ついに最終回といった感じ。今日はどうしてもこの話がしたくてと、遠い国で戦争が起きているんだよといってウクライナの昔話「わらのうし」という話をしてくれた。分からないなりに戦争を意識している私達の生活。
帰りはいつも通り公園。一日が長い。家に帰るとお父さん。死ぬほど忙しかった後でようやく、とはいえ今日だって結局ただ作業しに来ただけだった。子どもにも感情があることを考えていないのか。
なんだか一ヶ月ずっと体調悪かった。一見ふつうに暮らしてはいるけど、なんだかずっと70%くらいで立っている感じ。薬を続けていてもスッキリしないし、これが後遺症というんじゃないかと私は思っている。後遺症外来に問い合わせてみたい。
火曜は子どもがみるテレビがいっぱい。今日も納豆ごはん。


3/2
パート。行きがけに仲良しママ友に遭遇。今日は社員さんと私だけかと思ったら先輩パートが日にちを間違えて来た。せっかくだからといって働いていく。融通がきくところが働きやすいところだよなぁとは思うが、このままこれを続けるのもどうも考えたくない。パート終わりに今度は迎えに出る朝のママ友にまた遭遇。私もお迎えに。そのまま今日は個人面談。我が子にこれといった問題はないけれど食事については気がかりとのこと。時間通り食べる訓練を、という話。私は子が打算的でないことで損をする人生を歩むのではないかと心配をすると、そんな子の性質は先生の目からも明らかだったようで、深く頷き困ったように笑いながら、それはもう自分で気がついていくしかないわねとのこと。本当に、本人がなんとも思わない分にはいくら言っても伝わらないだろう。「サンタさんから石が贈られてもまぁいいや、石に絵を描いて飾るから」というような子だ。面談後は公園で皆んなと落ちあって遊び。3時に解散して近くの皮膚科。子がたまに蕁麻疹が出るのが気になる。二の腕のブツブツは父親の遺伝らしい。にしても出てくるのがちょっと早いなと言われる。元夫もたまに腕のブツブツを気にしていたくらいだ。子もそのうち悩むかもしれない。蕁麻疹は顆粒の飲み薬で様子見。待合室に戻ると知り合い親子。美容室を夫婦で経営している。同じマンションで知り合った育休中は、美容師と聞いてなるほどというより正直微妙に感じていたのだけど、復帰したら見違えるほどに紛れもない美容師さんだった。その変化がまさに美容師の実力なんだなと心底感心したものだった。先に皮膚科を終え中野の図書館に返却。もう杉並区でも予約貸出ができるからここではもう借りない。何冊か読んでいく。春、出会いや別れ、友だちをテーマにした絵本のコーナーができていて、ねずみの女の子2匹が好きなものだとか「いつもいっしょだね」と喜んでいて、ある日その一人の家に泊まりに行ったら大家族で大きく立派な木の家に住んでいて、同じじゃないことに恥ずかしくなり、自分の家には来させないように嘘をつき続ける。私はこの展開にドキドキする。実家も今も自分のイメージする家族らしい家じゃないから、皆んなと違って恥ずかしいと思っているところがある。この話はどうなるか。結局家がバレても「違ってすてき!」といってもらえて関係は変わらないし、違うこともいいんだと思えるようになると。現実そんなうまくいくかな、やっぱり不安。オオゼキで買い物、明日のちらし寿司のためにとびっこ、サークルのための菓子を買う。ついでにすぐ向かいの調剤薬局に処方箋を出そうと思ったら取り扱いが無いとのこと。結局トモズへ。再びそこでも美容師さんに会う。皮膚科でだいぶ時間がかかって、あっちにこっちに待たされすぎて子どもももう飽きていた。知ってる姿とは違いわんぱくモードになっていた子に唾をかけられるなど。こういうとき親がどうこうは関係なく、集団生活での体験が影響してくるように思う。無事薬をもらって外に出るともう暗い。
夕飯のあとダラダラしていると子が突然泣きだして何かと思ったら玩具にある穴から指が抜けなくなったと言って見せてきた。私が触ればすぐに抜けた。まだそんなうっかりなことしてしまうんだな。有吉の壁がない夜は寂しい。私の一週間の唯一の楽しみなのに。
夜中咳して起きてしまう。まだ違和感のある身体。


3/3
三月に入ってコラショの目覚まし時計は、「さすが、もうすぐ一年生!」というセリフを言うようになった。そして今朝は雛祭りの音楽。コラショ、一年間は飽きずに使えそう。みいつけたのエンディング、オフロスキーのありがとうといった新曲のせいかこの春はグローイングアップップがあまりやらなかった。肩透かし。でも卒園の今回こそ寂しさに拍車をかけられずに良かったかもしれない、グローイングアップップを流されていたら朝から気持ちが凹んでいたかも。
今日は最後のサークル。あらかじめ質問に合わせた絵本を先生が用意してくれている。他におすすめを持ってきてくれた人もいた。結局私は最後まで話だけで現物用意することなかったな。ストイックにたくさん絵本の話をする良い時間。ウクライナ民話の「てぶくろ」もテーブルの上に出していると、通り道にもなっている部屋を横切っていこうとした園長先生が、これね!今こそ読まれてほしいですものね、とわざわざ口を挟んでくれた。選んだ絵本について先生が説明に来てくれた。王道として、くんちゃんシリーズ、ふたりはともだちシリーズなど。小学生になっていくこれからも読める絵本や大人にもよい話も選んでもらっていて、安野光雅の旅の絵本シリーズや、かえるのエルタなど挿絵だけの児童書なども、この三年間で私も学んだ絵本の基本。さらに先生は瀬田貞二さん訳の絵本に絶対的信頼をおいていて、去年もその話を聞いてから私もわりと意識してきた。ねむりひめ、なんて定番も訳によって世界観はまるで違ったりするようだ。年少の時の先生は松岡享子さんを信仰していて、そのとき、この人が訳してる絵本なら良いだろうとか判断基準にすることを学んだ。多様性を意識した話の絵本はあるかと聞けば、皆んなが思うのと少し違うかもしれないけれどと「ないたあかおに」を推していた。鬼と人間。たしかに多様性かも。これも良い話。なんともいえない気持ちになる。その場で知らない絵本はどんどんネット予約した。昼前解散、帰って昼ごはんにしていたら元夫が作業にやってくる。私がずっと家でだらだらして呑気に昼ごはん食べているように見えるのではないかと気まずく思ってわざわざ今帰ったんだと言い訳。週末にゲザンが主催の反戦集会があるらしく、元夫はそのための作業をしに来た。音楽のある反戦集会、気になる。忘れないうちに後遺症外来について教えてもらう問い合わせをすると都内にいくつかある病院の近くひとつを案内してくれるも、後遺症外来相談はどこも2時から4時の間だけらしい。やっぱり忘れそう。元夫と同時に家を出て私はお迎え。その後もいつも通り公園。3時すぎに馴染みの駄菓子屋へ、インスタで紹介されていて知ったひな祭りセットを買いに行く。ひな祭りだから女の子向けだろうしと思い今日は連絡していなかったけど偶然商店街で仲良し親子に遭遇。一緒に駄菓子屋に行くことになった。ワイワイできて嬉しい。子が幼稚園からも雛あられをもらってきたというので駄菓子セットに入っていた雛あられをお友達にお裾分け。
オオゼキで今日だけの販促で賑わっている道明寺と草もちを買い、今日まで張り出されているひな祭りぬりえを最後にもう一度見ていく。子が提出してからもまたさらに増えてあっちの壁こっちの壁めいっぱいぬりえで埋め尽くされていた。帰り。元夫がからあげつまみの菓子を子のために置いていっていて、子はそれを見つけて喜んでいた。雛あられを食べたらちらし寿司作り。
ツイッターでゲザンの情報があがってくる。イベントをやるとなると賛否の声もあがるけど、ゲザン側はどんなきっかけでもいいというようなことを書いていて、そうだよなと思い私も堂々と行くことにした。その日は今日のママ友親子と馴染みのファンシーショップなどの出店イベントに行くことにしているから彼女にもその話をすると、乗り気で行きたい!と言ってくれた。楽しい週末になりそう。


3/4
今日は二年ぶりに幼稚園カレーが復活する。来週はお別れ会食もあるし、卒園を前に先生が今年は思い切ってくれた。コロナに怯えてばかりでなくなって有り難い。ほんの少しの量のお弁当とはいえ用意が要らないと朝の楽さは格段に違う。子どもはカレーをそれはそれは楽しみにしているし良いことしかない。先生は、二年もあけてしまうとあの量を用意する感覚を忘れてしまうから自分のためにもやっておきたいんだと言った。そういって餅つきもやれたし、今年の卒園児はなかなか常時に近い形で終わらせられたのではないかと思う。
登園後、謝恩会の打ち合わせ。実際椅子を並べたり全係で流れを確認。10時半頃終了、帰って急いで就学に必要な郵便手続きをしに行く。この歳まで郵便貯金を使っていないことを職員さんは半ば信じられないといった様子で、本当に無いかお調べしますといって、旧姓まで聞きながら慎重になっていた。が、無いものは無い。なんだかずっと郵便は融通がきかない印象できた。証明が足りず手続きができず一旦帰り、昼ごはんを食べてからまた行くことにした。忘れないうちに三回目ワクチンについて問い合わせ。陽性になった人はそこから三ヶ月開けた方が効果があるとのこと。ワクチンを打つと後遺症が楽になるという噂も聞いたのだけどと聞くと、それよりも何より三ヶ月開けた方が確かな意味があるから、その時に後遺症があるようだったらそれが良くなる分にはいいですよね、という話。子どもの接種に関して頭を悩ませている人が多いけど、その点うちは三ヶ月猶予があるから世間の噂や動向を伺えるから気が楽。再び郵便局。資料さえ揃っていれば手続きはすぐだった。そのままお迎え、合唱の練習。子が最近リリアンリリアン言っていたけどそのリリアンはよく駄菓子屋なんかに売っているものとは違うらしく、今日それで仕上がったという毛糸のシュシュを手首につけていた。毛糸を使った創作は年長女子の毎年の定番だった。リボンのような形にしてゴムに通し髪を結いている子もいた。子は次は編みぐるみを作るんだと気合いを入れていて、いやいやもう卒園まで時間がないよとツッコミたいところだったけど、みーちゃんが、すごい!頑張って!応援してる!と子の肩を揺さぶっているからなんとも言えなくなる。卒園までの時間をまだ理解していないのだろうな。公園は4時まで。いつもここを散歩していてよく話すおばあちゃんにまで子は飴をあげていた。
図書館で予約した本を受け取り。21まで休館が延びたみたいだった。中野の不二家へケーキを予約しに行く。二日前までの予約でペコちゃんの有田焼の皿が貰えるのだ。子の誕生日に間に合わなかったから私の誕生日でリベンジしようと決めていた。自分で自分の名前のプレートを頼む。別にお店の人は誰だろうと気にしないし分からないのだけど勝手に恥ずかしくなる。お買い得のチーズケーキをひとつ今日のおやつに買って帰る。
あっというまに夜。昼のカレーでお代わりしたからお腹いっぱいといって夕飯は軽く済ませた。お風呂に入ってから待ちに待っていた金曜ロードショーのリメンバーミー。何度も観ているけど、夜のこの時間にテレビでやるのを観るのは格別らしい。同じはずなのだけど雰囲気で全然違うものなんだろう。会食のカレーの正体だって、ただのエスビーのゴールデンカレー甘口だ。
リメンバーミーに集中の子は号泣していた。そんなに?録画したからまた何度も観ることになるだろう。


3/5
今日は楽しい一日になるはず。気候もよくて気分良い。まずは図書館へ予約した絵本「わたしとなかよし」という一冊だけ用意できているようだったので取りに行く。絵が好みで絵本として可愛い。ブタちゃんが私は私、と自分を大事にしている話。ポップで可愛く自己肯定感というものを知れる絵本。ママ友はまだのようで自転車をごっちゃんのところに停めて歩く。ママ友と合流してから12号店へ。久しぶりのアヤちゃんしめちゃんが嬉しいけど緊張もあり。子は内弁慶で目の前にするとこれまで陰でいっていたような喜びを表現できなかったりする。きらみさちゃんも久しぶりだけどたくさん話してくれて嬉しい。借りてきた絵本を目にして、これの帽子持ってる!と驚いていた。古着屋さんで買ったとのこと。可愛いからかぶったほうがいいよと伝えた。世間のママ達は絵本のキャラに敏感なのできっと注目されるであろう。きらみさちゃんのロンT、他にアサちゃんの食器と散財する。アヤちゃんしめちゃんは子の欲しがるものをとんでもない値引きをしてくれようとするから、その分でさらに違うハム太郎の物も買った。夜市の時にお馴染みだったタコ焼きを買い近くの公園で食べて行く。駅まで歩く途中に子の調子が悪くなりテンション低くどうにか電車に乗る。久々のハルチンから突然連絡があり、私達が今から向かう新宿の反戦集会にいるようで、元夫のバンドも出演していたからいるかと思ってと連絡をくれた。今から向かうと返して、でも会えるかわからないなと怖気付く。私と元夫を知っている人に会うのが怖い。現地に着くとすごい人で、後ろの方でも音は聞こえるけど前の様子は全く見えない。皆んなが元夫の作ったパッチを付けていて、自分達だけの特権という雰囲気もなく、誰が作ったからとかいうわけでもなく、ひとつの目的のために皆が手にしているものを作ることができて素晴らしいと思ったし、それを鼻にかけるでもなかった元夫のことも思い出して、それぞれが自分の持ち場で協力している姿勢にこそ感動した。人のお尻しか見えないと子ども達は落ち着いていられず、周りを歩きながらハルチンを探す。高円寺でお馴染みの人にも出会ったりしながら、その人もハルチンと知り合いだったりもして、ハルチンにママ友も紹介しながらみんなで話す。ハルチンと知り合ってからもう随分と経つ。でも当時は友達の友達で顔を知ってるという距離感でこんなふうに連絡とりあったりするようになるとは思わなかったけど、若くして結婚出産、そしてシングルになっても明るく可愛いハルチンの社交性でいまに至る。思い切ってハルチンにも自分のことを話すと、それはそれは驚いていたけど、ひとり親についての色々を質問すると的確に教えてくれた。私ももう13年一人だよ〜とかいいながらこんなに可愛らしくいられるハルチン、彼女にも苦しい時期があったのか分からないけど、これからだってもっと幸せになれるし、そうでいてほしいと心から思う。折坂悠太の声が聴こえてくる。喧騒に気を取られつつ耳を傾ける。知り合いに会ってお喋りをしたり、久しぶりに人の波にのまれてクラクラしてくる。最後はゲザン。姿こそ見えない場所でこちらは音を体で浴びる。いま起きているこの戦争を正直身近には思えていないでいるけど、でもだからってそれを知らないふりしていたら、あぁ別に平気なんだなってそのうち自分の身にも降りかかるかもしれない恐れはある。平気じゃないという表明をしておくことは自分のためにも必要で、いま窮地に追いやられている人を直接救うことはできなくても、問題を認識しておかしいと思っているという考えの頭数になることは後にも先にも唯一の手段なのだ。気持ち良い気候とたくさんの人と建物がひしめく街、そのなかに響く頼もしいメッセージと好きな歌。そこに自分がいることに涙がでそうにもなる。
帰る前にサザンテラスを子ども達が一走り。久しぶりにこの辺りまで来た私のリクエストに皆んなが付き合ってくれた。サザンテラスから歩道橋で甲州街道を渡るとまだ集会はトークが続いているのが見えた。そして振り返るとキレイな月。誰かと一緒に何かをすると情報がありすぎる。駅のホームでハルチンとお別れ。と同時に背後から顔見知りのペリちゃんが一人でやってくる。ペリちゃんは先を急ぐでもなくその場で一緒に電車に乗ってくれて世間話。ママ友がいなかったらこんな余裕はなかったかも。ペリちゃんはコロナ禍もずっとなかなか長距離を電車通勤しているけど感染しないと言って、私は力強くそれはもう運でしかないから!と自分が罹ったことを話した。巷に溢れる、気がついてなかったけど実は罹っていたのかも説、を私は断固信じない。高円寺で私達は降りる。電車で別れて手を振る体験だけで盛り上がる子ども達。やりきった一日。ごっちゃんのところに停めた自転車を取りに行き、ママ友は12号店で取り置いていた品物を間に合うといって回収。今日は一日ごっちゃんの姿はなくポップアップをしているモデルの男の子が店番も兼ねていて、友人と二人で服や音楽を作っているとのこと。受け身なだけでなくきちっと言葉にして自分達の外とも関わろうとしてくれる姿勢が若いのに意外と思って今の若い子は社会性あるねなんてママ友と感心したけど、自分で考えて行動していこうとしている人達だから若さゆえのトンガリだけでなく営業マン的な精神もナチュラルに持ち合わせているんだろう。充実した気持ちで帰る。
子が、明日はお父さんこれるかなと気にしている。明日は私の誕生日だからだ。誕生日を知ったとき、私に内緒で何かサプライズを企みたかったようだったけど、子がそれを相談できる相手はいなかった。子の期待を裏切ることになる度に辛くなる。誕生日が申し訳ない気持ちになる。帰ると玄関ポストにチラシが挟まっていて、ロシアは戦争をやめろというどうやら共産党らしい地域新聞だった。そういえばこの建物には以前原発反対を訴える団体の人が住んでいたこともあったし、そんな土地柄なことを心強く思ったりもする。ひょっとしたら猫がいるくらい誰も気にしてないかもなという気持ちにもなったりした。

 

3/6
日曜の朝食は何にしようかとだらだらしているとウーバーに使えるクーポンがあり今こそと朝から注文。無理にでも特別にしようとしてる感。誕生日。毎日朝からひっきりなしに入るメールやLINEの求人情報が今日はとくに際立ってうんざりする。そんななか、友人のマミコさんから誕生日おめでとうメッセージが届く。マミコさんはいつもこうして律儀に私の誕生日を気にかけてくれる。それは多分一緒にイベントを毎月やっていた時にメンバーの誕生日を祝っていたのだけど、早生まれの私のところまではうまくイベントが続けられず、私の誕生会だけなかったことになってしまったのをマミコさんはずっと気にしてくれているんだろうなと思う。そういう配慮をする人なことはわかっている。コロナに感染してしまって後遺症が大変というような返信をしてやり取りをした今日、付き合いが長くても特別誕生日を意識してこなかったマサコさんからおめでとうメッセージ、しばらくして随分とご無沙汰な人からもわざわざメッセージ。そこでピンときた。コロナにもなって不運な私のためにマミコさんが根回ししてくれたんだろうなと。私なんかのためにそんな気遣いしてくれて有り難くて申し訳なくなる。
お昼ごはんにジョナサンへ。店によってやっているかいないからしい限定シリーズのチキンが美味しくて私は気に入っている。ケンタッキーよりモスチキンよりこれを買いたい。まだケーキを引き取りにいくには早いかなと馴染みの駄菓子屋へいってこないだ見かけて気になっていた鍵ネックレスを買う。それを手に入れたら今度は子がまたアヤちゃんしめちゃんとどうしても話したいというので結局今日も12号店へ。未完成のあたりに自転車を停めていると偶然元夫が通る。打ち合わせに行くところとのこと。お父さんに偶然にしか出会えないという子どもが惨めになる。気を取り直して12号店。熱意の割には2人を目の前にするとモジモジする。どうにか無事言いたいことを話せて、ごっちゃんのところに寄りつつ子はまたチャイ屋さんへ飛び込む。しばらく好きにさせてから私がチャイを買ってケーキを誘い文句に退散。皆んながおめでとうと声をかけてくれてありがたい。中野。晩ごはんはひな祭りの余りでちらし寿司にすると決めているけど、不二家近くのバーガーキングで自分のためにチリポテトなどを少し買い。最後にオオゼキでひなまつりぬりえの引き取りと菓子をもらってようやく帰り。今日は風があって寒い日だったけど、それでももう「春の寒い」だった。季節が柔らかくなってきていることが、さまざまな変化のある今年はいまいち喜べなかった。こうして時が経っていってしまうことが怖い。
5時過ぎ、ケーキとちらし寿司、チリポテトなどと、子のために買って開けるタイミングを逃していたシャンメリーを開けると元夫に一応伝えておくけど反応は無し。今日も今日とて二人きりの食事。侘しいけど、かといって他に人がいたところで今度は食に集中できず満足いかない可能性。やはり私と子の関係においてお父さんは唯一無二の存在。
まるちゃんでリリアンの話。子は幼稚園でリリアンに取り組んでいるから興味深そうに観ていた。なんか、毎日心身ともに疲れて、きっとこのまま気づいたら15年とか経ってしまうんだなと最近思う。今まで満たされてたから誕生日だからって何だと思っていたけど、今回は誕生日なんだと人に認識されただけ有り難くて、でもこれだけ生きてきてまだその段階かと思うともう人生で自分が特別、自分が主役になることはないんだなぁとぼんやり考える。圧倒的な味方がいない人生を寂しく思うけど生きていけないわけでもない。ただ子どもを思うと不安になる。小さなホールケーキはいちごが3つのっていて、子はちょうどだね!と嬉しそうに言った。それでもお父さんはやってこないのに。こうして今の状況を嘆いてたまに元夫に愚痴をぶつけると、もっと開き直ればいいのにと言われることが腹立ってしかたない。そうだとしてもお前が言うなという感じだ。私だってできる限り子と笑いながら生きてる。それをよくやってるなと思いもしないのは悔しい。


3/7
子がよく朝寝していて放って自分の支度だけ済ます。8時25分まで寝ていた。珍しい。よく寝ると精神は落ち着いている。慌てなくても間に合った。最後の委員会。いつも通りの作業に挨拶。読み聞かせに全絵本整理、やるだけやりきったとは思う。でももっともっと絵本に触れていたかった。もっともっと色んな絵本を知りたかった。あと一回、子ども達の絵本貸し出しがある。その後の本の触れ合いはどうなるだろう。子どもと一緒に絵本に触れていたい。図書館が開くのが待ち遠しい。そのまま午前保育終了まで。充分に睡眠をとった子は相変わらず精神状態が安定したままで、ハッピーセットを食べに行ってから公園へ行くという流れもスムーズであった。オマケのたべっ子どうぶつのぬりえブックでは味気ないからか、過去の在庫らしいおもちゃも付けてくれる。プリキュアのカチューシャを喜んで頭にセットして公園へ向かった。4時近くまで遊び。今日も病院。夕方だし、待ちぼうけを回避するためにネット予約をしてみる。まだ待ち人数が多いからマルイのカルディに寄って時間を潰そうとすると、かもう少しで順番ですとの画面になり慌てて向かうと結局中でまぁまぁ待つ。感染から一ヶ月。なかなかよくならない。もう一生このまま気がしてくる。前回の処方でどうだったかと言われても、なんと伝えたらよいのかも分からない程度で不調は続いている。辛いほどではなくて、こんな咳、前はしてなかったよなぁという感じ。喉の奥の違和感は吸入のせいもあるかもと言われて先生はまた薬を変えてくれた。あの手この手を考えてくれるからこのクリニックは頼りになる。今日は買い物なしで帰ろうと思っていたのに、子がどうしても卵が食べたいといい、もう街中のスーパーまで出るのは嫌で、かといって近場で高く卵を買うのも納得いかないから100円ローソンで温泉卵を買って帰り。
夜は疲れがドッとくる。前はこんなに疲れなかった気もするのに。三階の家まで階段で上がってくるだけで息切れしてしまう。これから猫のトイレ砂やごはんは費用がかかっても配送にするか本気で考える。散々そういったことをフォローするといって家を出ていったんだからその分は元夫になんとかしてほしい。そんな訴えもしていたら元夫がやってきて、これ誕生日プレゼントといって無印のヘアブラシを差し出してきた。昨日の私の誕生日、子は楽しみにしてくれているのにお父さんにすら祝われないことは子に申し訳ない気がするから(みんなで喜べるように)お菓子くらいくれたら嬉しいと伝えていた。そのうえでのプレゼントがヘアブラシ。誕生日を知った時の子が何かしたくなっているのが見え見えで、協力者としてお父さんを求めているのも分かった。子どもがワクワクしている思いつきさえ実行させてあげられないことが苦しかった。おそらくすぐに子もお父さんに期待できないことを分かって諦めついていたと思うけど、だからこその子も喜べるお祝いがあってほしかった。そういう気持ちのうえでも物理的にもあまりに私にそぐわないもので絶句してしまった。私が普段から髪がストレートで年追うごとに頭がペタリとしていくことを気にしてパーマをかけるほどだったことも知らないのだろうか。ヘアブラシを持っていても使っていないだけで、使っているのを見たこともないはずなのに。元夫だってブラシなんて以前は使っていなかったのに、そんな新しい一面を見せられて、もう私の知ってるあの人ではないんだなと感じて戸惑いしかない。しかも一人で慎ましく暮らしているであろう、そうであってほしいと思っていたから100均ではなく無印のブラシを使うほど丁寧に生活をしたりして、一人暮らしを謳歌しているんだなという憎しみまでこみ上げてくる。さらに以前仲良しママ友が誕生日ということで家族でディズニーシーに行っていたことが思い出されて、それはそれで子どもの誕生日じゃなくて母の誕生日でシー?大事にしすぎだろうと驚いたくらいだったけど、でもシーまでいかなくても、ちょっと普段とは違う外食をするだとか、そういう家族三人で体験することが親のお祝いというものだろうと私も思ったわけだから、そんな理解の無さ、自分とママ友との扱いの差に惨めにもなって、離婚してるんだからそりゃそうなんだけど、だからこそ私のためというより子どものために形だけ祝えればよかったのに。ありがとうと言いつつ、全てが当てつけなんじゃないかと思ってモヤモヤした。すぐにそのママ友に報告する。自分はシーに行ってるんだからもちろん賛同してくれるだろうと思ったら、人から物を貰ったらありがとうでいいんじゃないかな、とむしろ注意された。自分はシーに行ってるからそりゃいいだろうよ。皆んなが敵にみえてくる。“てゆうか今の関係でもプレゼントくれることに驚き”と続く。他人からみたらそうなのか、そうだよなと思う。私はまだ距離感を認めたくないところがある。人から物をもらったらありがとう、それはそうなんだけど、他人行儀なことが余計に辛かった。ママ友にもその一連の感情を説明したら、そうだったのねと言葉を変えてくれて、でも私が信じたくなかった現実を、やはり他人でもそう思うよねという言葉を続けた。
“寂しいことだけど、もう心も体も離れて生活してるから、三人で共有できる喜びが分からない、もしくは思ってるものが違うのかもしれない。”
“ひとつ屋根の下で生活するってすごく意味があって、赤の他人同士でも同じ空間で生活するとツーカーの部分って増えていくと思うんだよね。でも、違う場所で生活すすめてくと、分かり合えてたものがズレていく… っていうのがあると思う。”
私の誕生日の前日は、本来ならば結婚記念日でもあった。こだわってアッシュペーフランスのジュエリー専門店で買った指輪、もっとつけていればよかったな。


3/8
小雨の朝、ほんのり天気の悪い一日。これぞ本命と思っている求人、面接まで漕ぎ着けたけどズーム面接とのことで緊張している。リモートが充実したこの世の中なのにズームを使うのが初めてなのだ。仕事仲間のママ友が今日の11時にズーム使用のテストをしてくれることになっている。登園送りから戻ってひと息つくとマサコさんから電話。本当にいつも、見えてるのかなというくらい私にとってちょうど話したいことがあるタイミングで電話をくれる。本題の誕生日の話をする前に、一度中断して約束のズーム確認。そもそもパソコン自体あまり触っていないから、少し手まどいながら入室。距離感や操作方法を確認してくれた。ユーザー名を日本語表記にしたら?と言われたけれど元からこうだったよーと私は受け流し、まぁあまり関係ないねということになってしまったけど、これがのちに問題になるのだった。
再びマサコさんと電話。誕生日の話をする。大体的を得たプレゼントなんてしてもらえないものだよとマサコさんも言うけど、私の言わんとしていることもわかってくれた。家族だとトータルで自然とフォローできてるからそのプレゼントひとつにいつまでもこだわることはないだろう。私だって家族がいたころは誕生日自体別にどうってことなかった。サイゼか惣菜をたんと買うかでも充分なくらいで、それもありつつブラシなのだったら笑って終わっていたんだろうなと思う。今日はなんとなくリフレッシュのつもりで預かり保育をいれていて4時にお迎え。そこまでマサコさんと一日中電話をしていた。知り合いの作ったロンTを買ったのが届いた。私だと分かっていたんだな、コロナを心配する一言メッセージをつけてくれていた。彼は社会問題をテーマにしたメッセージあるTシャツを作っていて、今回は性被害についてを扱った言葉で、私がそれを背負うのはちょっと重いかなと思ったけど、もちろん彼の考えには賛同できるし、あととにかくロンTが欲しかったというのもある。買ってよかった。これをきっかけに久しぶりにメッセージをすることができた。
例のママ友からプラザにお誘いの連絡も来ていて、4時にお迎えのあとそのまま行くと伝えておく。いつも通り遊んで帰り際、これ!と友達の子が紙袋を渡してくれる。花束。「黄色のチューリップ、ほんとにないねー」とママ。涙ぐんでしまう。二日前一緒にお出かけした時に黄色のチューリップがほしいと話していたことを覚えていてくれたのだ。花束と一緒に黄色の折り紙、もっともっと小さい時に教わったチューリップの形。なかに文字が書いてあるからこの場で読ませてもらう。「黄色いチューリップがなかったからさー」と、彼特有の話し言葉スタイルのメッセージ。堪えていた涙がぼろぼろ溢れた。何気ない私の話を聞いてもらえていたんだなということ、とにかくそのことに尽きる。覚えていてくれとは言わないけどそういう日常の会話をすることを、子のお父さんである元夫にも求めていた。どこで何を買って何を食べているだとか、最近どんなものが好きなのかとか。子はいまだ以前のお父さんの言っていたことや好きなものを、お父さんはこうだよねと言って話す。うちのお父さんは料理上手なんだよ、〇〇を作ってくれたんだよ、とつい最近のことのように友達に話したりする。その姿が切なくて見ていられない。もうお父さんの情報が更新されることはない。そのうち思い出も尽きるだろう。その時の子とどう向き合っていくか、いつ気がつくのか、怖くて怖くてそして焦ってしまう。


3/9
今日は歯医者の予約をしてあるのだけど、カレンダーに太いペンで書いてしまって、10:00か10:30かよく分からない。登園後電話して問い合わせ。10時半だった。矯正歯科の先生からのお手紙は忘れられない。先生はひと通り目を通して口のなかを確認し、矯正終了に問題は無いとした。いよいよ外れる時がくる。
実家から荷物と一緒に頼んでおいた目録がきた。卒園式で必要な目録、毎年誰が書くか誰に代筆をお願いするかが意外と困ってしまうものらしい。私はすぐに母親のことが頭に浮かび今年は余裕よ任せてちょうだいと言っていた。母親は神社で文字を書く仕事をしているからうってつけであった。こればかりは私も昔から一目を置いているし、正直実生活においては頼りない人だけど、字を書くことにだけは本人もなぜか度胸がある。こちらから用意したものに書くにしても、失敗したらどうしようかという考えにもならない、二つ返事で引き受けてくれていた。さすが一発勝負の場数を踏んでいる。思った通りの出来栄え。
今日はお迎え前に合奏の発表がある。いつもより少し早く出る。幼稚園までの裏道が工事中で通れないことを知らず、大回りになって遅れないかヒヤヒヤしたけど、すっかり忘れてしまっていたママもいたくらいだった。クラス委員が連絡して到着を待ってから合奏がはじまる。外部から音楽を教えにきてくれていた先生の指揮に合わせて、曲はトトロのさんぽ。タンバリンとカスタネット、好きなものを選べるようだったけどカスタネットは少人数だった。確かにタンバリンの方が華やかで魅力な気がする。我が子はカスタネットを担当していた。その後は先生達は撤収して謝恩会の合唱の練習。からのいつも通り公園。
実家からの荷物にあった貰い物だという小さな箱いっぱいに詰まったイチゴ、イチゴ好きではない派でもさすがにこれは魅力。夕飯はこないだオオゼキのフェアでお買い得を買ったジョンソンヴィルのソーセージ。その時ばかりはOKよりも安くなる。

週末に学童の説明会があるのだけど子連れは遠慮されている。元夫がダメなら同じ学童へ行くママ友の家に頼まなくてはならない。あちらでもお父さんが面倒見ることになるのだしお願いするなら早く伝えておきたいし、予定をはっきりさせてくれないことをもう待てない。もうママ友の家に頼むことにしてお礼する費用だけLINE Payで送金してもらう。


3/10
たまに押し寄せる、ここにある元夫の荷物を処分するなりして切り替えていったら少しずつスッキリするんじゃないかという気持ち。大きな物は粗大ゴミの手配すらすれば日にちも決められていやがおうでも行動に出れるように思う。元夫にその決意をLINEすると、ようやく「持っていくよ」という一言で返信がある。一人暮らしの家、そんなスペースの余裕があるんだ?よく分からない。でもそれならば粗大ゴミの予約と同じように、一言で済まさずに計画的にやってほしい。
今日は幼稚園の誕生会。延期になった2月生まれと3月生まれの合同でいつもより賑やか。トイレを済ませてから行こうと思い、変に踏ん張ってしまいなんだかいぼ痔になってしまったんじゃないかというお尻の違和感。ソワソワしながら幼稚園へ向かう。今日はお別れ会食の日でもあって子どもにとってスペシャルな一日だ。皆んなの食べたいものを先生が作ってくれる。と有志の母のお手伝い。好きなものリクエストを聞きながらも簡単なものになんとなく先生が誘導して、焼きそば、ポテト、餃子、天ぷらなどに決まったらしい。子はずっとピザがいいかなぁと言っていたけど、先生には言えなかったのだろうか。
さてまずは誕生会。聖書のお話しのあと園長先生が用意した質問と併せて一人ずつの紹介。質問は好きな遊びだとか色だとか動物だとかあるのだけど、私達は去年と同じ好きな食べ物だった。子は、グラタンですと言っていてそんなの初めて聞いた。親も同じ質問に答えていく。続いて先生の出し物、大体パネルシアター。誕生日の子だけじゃなくみんなが楽しんでいるのが良い。そして年長の子ども達の歌。こころのねっこという歌。三月らしい歌。その後は年長組だけ残って恒例の保護者による子どもの名前の由来の話をする。うちは、ムーと名付けた猫の次にやってきた子だから「まみむめも」の「む」のつぎで「“め”ーちゃん」と呼べる名前にしたかった。これが一番子どもには分かりやすいだろうなと思う。漢字は神社で全体的に画数の良くなる漢字を選んで出してもらってその中から選んで組み合わせて作った名前。通常は神社が決めうちで名前を与えるものらしかったけど特別に文字単体で教えてもらったんだったと思う。施設の子もいて、今日担当で参加した人が、忘れちゃったなといって慌てて名前の由来を聞きに電話しに行っていた。名前をつけられてから施設にやってきたんだろう。お父さんがいるらしいことはなんとなく分かる。その子が先生に今度お父さんに会うんだと話しているのをみたことがある。どんな事情かは知らないが、たくさんの人に囲まれて楽しく愛されて暮らせている今をみる限りは幸せなことだなと思う。我が子が割とお世話していた年少の施設の子が、夏に里親が見つかり去っていったと思ったら冬にまた戻ってきた。里親はそれはそれは慎重に選ばれたのだろうと思うけど、そんなこともあるんだなと苦しくなったりした。毎回先生お手製のメッセージカード、今年はクマの顔の形だった。中に写真とメッセージ。小さな花束をもらって解散。
急いで帰ってまたトイレに駆け込む。今日はこのあと例のズーム面接がある。踏ん張っても踏ん張ってもトイレが終わらなくて、泣きそうになりながらいよいよイボ痔について検索していた。時間がない。仕方なくトイレに篭るのはやめてパソコンを用意。大急ぎでまともに見えるよう上半身だけシャツに着替える。ママ友が時間少し前から待機していた方がいいだろうというアドバイスをくれたから、メールに貼られていたリンクにアクセスして、よく分からない英語の並ぶ画面をたいして深読みもせずクリックしてみると二人の画面。数人で面接することもあるしと瞬間判断したもののどうも様子が違う。ひとりに時間になってから入室してもらえますかと言われ慌てて閉じる。もうここからリズムが狂い、自分の時間になってからも思った以上にまともに話せない自分になっていた。そこにきてパソコン操作の確認もしたいと言われ、まさかパートごときでそこまでするとは思っておらず、さらに緊張が高まる。画面の共有をしてほしいと言われたところで英語の画面に戸惑い、シェアですよね?と恐る恐る聞くと、自分は日本語設定なのでよく分からないですがと前置きされ、英語版日本語版があることにはじめて気づく。ズームが盛んな世の中になって二年後である。頭真っ白な状態で面接は終わり。記憶は後悔だけ。その後お尻の状態だけは復活。ズームのことも知らずにいぼ痔のことばかり検索していた自分が恥ずかしい。
放心状態でお迎えにいくと子が手に編みぐるみを握っている。あの決意の日から卒園に向けた準備や練習で忙しいなか、なんと間に合ったのだ。子は平然と編みぐるみを握りしめたままワイワイと公園に向かうけど、みんながめーちゃんが作ってたよー!と教えてくれる。このやる気に付き合ってくれた先生、ありがたい。公園で会食のお手伝いをしてくれたママ達を労う。餃子は餃子の満州のものだったとのこと。主任先生が好きだからということらしく、誰かのこだわりと聞くと途端にあらためて食べたくなってくる。おやつまで食べてがっつり遊び。子が落としたという個包装の飴、カラスが袋をクチバシでうまいこと開けて、なかの飴玉だけ取り出し飛んでいった。カラスすごい。その袋の残骸を子はポケットに閉まって帰る。


3/11
園生活は今日を合わせてあと三日。子は春休みに預かり保育があるけれど、三年間一緒だったクラスの皆んなと揃って食べるお弁当は今日が最後。ピューロランドで食べられるお子様弁当のマイメロディの小さなお弁当箱。たったそれだけでも毎朝バタバタしながら用意して、お弁当のない日はそれはそれは気楽だった。おにぎりから詰めご飯になったのは年長からだっただろうか。それからグンと用意が楽になった。おにぎりはシンプルな塩むすびが好きだった。ゆかりは毛嫌いしていたけれど、詰めご飯になってから上にパラパラかけるのは好んでいた。アンパンマンポテトやコープの星や月型のハッシュポテトを入れれば絶対。後半はカップの海老グラタンが大好きになって、誕生会で言った好きな食べ物のグラタンとはあのことだったのかなと思う。イシイのミートボールも最後になって好むようになった。ミニトマトはほぼ毎日いれていたかもしれない。ミニトマトがない時はにんじんグラッセで彩りにした。思えば未就園の頃も二年くらい毎日のようにお弁当を持って児童館に通っていたから、五年はお弁当を作り続けている。児童館の頃は小さいなかにもお弁当らしく色んなものを詰め込みがちだったけど、幼稚園に入ってから、食べられるものを食べられるだけでいいという園の方針のもと、それまで作っていたお弁当より少なくなって、はじめは見た目が物足りなく思っていたけど実際子どもはそれで充分だったし、それだからこそ私でもお弁当を作り続けてこられたのかもしれない。残りものや冷凍食品ばかりの見栄えもこだわりも何もないお弁当だったけど、私なりの毎日の達成感になってていた。今月に入ってからはカレーや会食の日もあることを意識して、残りの冷凍食品をうまく使い切れるように調整してきた。最後の今日は、例のコープのハッシュポテトを使い切って、あとは唐揚げと卵焼き。ミニトマト。ゆかりごはん。こんなのもあるのね〜と少しワクワクしながら冷凍食品コーナーを眺めることももう無くなるのかな。キャラクターの可愛いチーズやカマボコがどこに売っていただとかママ達と話す時間も楽しかったな。これからお弁当を作る度に、この小さな小さなお弁当を作った愛おしい日々が蘇るんだろうなと思う。
今朝は登園中に袴姿のお嬢さん達をたくさん見る。いよいよそんな時期になった。
パートの帰りに少し余裕をもてるように預かり保育もいれてのお迎え。お弁当袋のなかに良いものが入ってるからね、といたずらそうに匂わせしてくるからきっとお弁当ありがとうだとかのメッセージが入っているんだろうなと察しがつく。公園へ。先に帰ってきている皆んなと合流。隣接する学校の校庭で靴下を脱いでまで遊び出したり白熱して4時過ぎまで遊び。明日は学童の説明会でママ友の家にお世話になるためお礼のお菓子を買いに高円寺の洋菓子屋へ。本命の一件目で手頃なセットが売っていてそれに決める。ホワイトデー用に作られた贈り物のようだった。金曜の夜、まだ帰るのも惜しくてカラオケに行くことにする。誕生月のクーポンがあり、今日は割引の方を使う。機種は選んだことないけれどいつもDAMで、はじめてジョイサウンドに通された。こっちの方が子どもにもよいかもしれない。今度からジョイサウンドを選びたい。高円寺にも袴姿の女の子達がたくさんで、今日は尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が歌いたくなっていた。去年の今頃、その時の年長さんもいる公園で皆んなで遊んでいたら、遠目からは荒俣宏のようなおじさんがギターを抱えてやってきて、子ども達が遊んでいた近くの岩に腰掛けた。私達大人は小高い丘のうえにレジャーシートを敷いて座っていたのだけど、積極的な子ども達が話しかけているのが見えたあと、おじさんがギターを弾きながら歌い出したのが「また逢う日まで」だった。きっと、僕たち卒園するんだとかなんとか話していたんだろうなと思う。その周りで子ども達が手を取り合って踊っていて、おじさんなりのはなむけだったのだろう。おじさんは高らかに歌い上げたあと、少し歩いた先から子ども達が走り回るその場所に軽く一礼をして帰っていった。あの時の光景が忘れられない。いまだにあの時のことを思い出して涙が滲む。そこから我が子もあの歌を知って、今日は高円寺の夕焼けを背に二人で熱唱してカラオケを終えた。
荷物が多い。今日は最後の絵本貸出。最後の二冊。これを書いているいま、まだ絵本感想ノートが返却されていなくて、何を借りたのだったか思い出せないのだけど、例年卒園してからのこのあと幼稚園から送られてくるらしい。先生はいつも、振り返って読み返してみると懐かしく面白いし、子どもとの関係がうまくいかなくなった時は、こうして一緒の時間があったことをお互い思い出せるのが良いと言っていた。4月のいま、早くも絵本ノートが恋しい。まだ絵本は読み続けているけど、どこに記すでもないのが消化不良にも感じでいる。

お弁当袋のなかには思った通りお弁当の形に中身の絵が描かれた二つ折りのカード。開くと、いつもおべんとうありがとう、と書かれていた。今朝の私が最後のお弁当を写真におさめていたから、これが一大事なんだなと子も最後のお弁当儀式に思いを高めたようだった。あと数回お弁当は続くけど、ひとまず終わりを感じている。