どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2022年5月9日〜5月12日

5/9

コラショがまだ子どもの日の音楽がアレンジされたものを流してくれていた。体育のある日は着替えやすい服にしないといけない。いや、もうなんだって着替えはできるんだけど、むやみに伸ばしたりしないで着替えられる服をあてがう。天気予報では学童からの帰宅時間頃は雨になるようだったから、今日からはじめてひとり帰宅にするつもりだったけどやっぱりお迎えにいくと連絡帳に書いた。ママ友の前でも堂々と今週から一人よと話してしまっていたから朝からやっぱり今日は無しですとLINEしておく。そこの子こそ、我が子に感化されてひとり帰りをすると息巻いてしまって迎えをなしにしてしまったとのこと、申し訳ない。分かれ道までは私が一緒に学童を出るよと伝えた。

パート、二人体制。天気が良くないということは客足はきっといまいちで調理仕事がしやすいかと思っていたのに、一品目で早速間違えたりしてタイムロス。自分の持ち場をやりきれずだいぶ店長がサポートしてくれてしまったけどそのおかげで仕事はやりやすかった。

帰って子が残した朝ごはんなどをかっこんで歩きでお迎え。ルート確認にはやっぱり子が自分の足をつかわなきゃ覚えられないだろう。自分が歩きたくなくていつも自転車お迎えしていた。学童に着くころ雨がパラパラ降ってきた。玄関まで出てきて、あっと気がついて傘を取りにまた中に引き返していく少し大きい子なんかもいるけど、我が子らはまだその判断するのも危うい。お友達と我が子と二人連れて外に出ると、やはりお友達は傘を開いたり閉じたりで困っていた。50歩もないような距離の分かれ道から先の横断歩道の向こう側にお母さんの姿がみえた。途中までは行くと言っていたけど、やっぱり待っていると遅く感じたのだろうな。お母さんが見えるけど走ってはダメよと言い聞かせて別れる。そこからは我が子を先に歩かせ、私は一列になって少し後ろから行った。横道が現れる度に少しだけ迷っているのか私の方を確認しながらだけどちゃんと帰れてる。学校からと同じ馴染みの道にきたらひとりで小さな声で歌っているようだった。家に着くと、一人でつまんないから歌って帰ったよ、と言っていて、そうか不安だとかそういう意味でなくても、一人だと退屈なんだねと知った。そういえば今日から宿題が出ると聞いていた。学童で済ませてきたとのこと。それは良い。理想的な学童の使い方。うちの学童では特別宿題をする時間は設けてないとのことだった。だけど案外誰かがやり出すと皆んな一緒になってやったりするとは聞いていた。でも一応私にも宿題見せて、と言ったらなんとひらがなの「る」をなぞったり書いたりするだけ。学校ってここからはじめるものだったのか。て、幼稚園で何を教わるでもないのだからそりゃそうなんだけど、気が遠くなる。

夕飯をどうしようか。カレーか。材料があるのは冷やし中華だけどこんな気候じゃ気分が乗らない。と思ったのに子は張り切って冷やし中華が良いという。紙に線を引いてあみだくじにしてみると子もワクワクしている。結果は冷やし中華を引き当てて決まり。

夜、私のアップしたたんぽぽの雑貨をみてハルチンからメッセージ、そのまま別の話をやりとりする。すいみんちゃんのジンにハルチンの友達も書いていることは聞いていて、向こうも向こうでどの寄稿が私かという話になっていて、そこから友達の話。最近私が仲良くなったママ友が実は知り合いじゃないかと思ったけど知らない、でも友達が知り合いかも、こういう友達と文字のうえで紹介される。いや知らない。同じ専門出てるから年齢的に時期かぶってるねと、ん?それは〇〇ちゃんも知ってる子?と、これは完全に共通の友達の名前を出すとその通り友達。あだ名からしてそれはもしかして、と私も記憶が蘇る。辿っていくと、ずはり私も知っている子だった。なんならハルチンより前に出会ってる。このやり取りでだいぶ盛り上がった。なんか久しぶりにワクワクした。

明日はワクチン三回目の予定。でもまだ迷ってる。生理がもうすぐの時の体調の悪さを感じている。生理中よりも生理前の方が体がしんどい。やっぱり迷うけどヤクルト1000を飲んでおく。

 

 

 

5/10

いい夢をみた。ほんわかと幸せな夢。ずっとこの余韻のなかで生きていければいいんだけど、それができないのは私が家族を支える立場だから。ガチガチの現実を歩んでいるわけでのほほん散歩していられない。

ワクチンについて検索しまくってやっぱり不安になって、せめて生理後のタイミングにしようとひとまずキャンセル。

9時半からは歯科。この後もまだまだ治療があるからどこをどんな流れでやるのか再確認。今週末にあらためて話だけしにこなくてはいけないところだったけど今日話してもらう。ハナコの菊田に似ている若い先生の腕はどうか知らないけど説明は的確で信用できる。今まで歯科でこんなに説明してもらえたことはないと思う。私が理解しようとしていなかっただけなのか。今はまだ矯正の先生とも連携しているから心強い。皆が私の歯を支えてくれているように思える。

オオゼキに寄って帰り。ワクチンのつもりで学童終わりをはじめて5時にしていた。オンタイムでGPSを見てしまうと通知位置がズレていることに敏感になって本当に間違ってその辺りにいるのかもしれないとソワソワしてしまう。あとから確認している分には到着したとのコメントだけで安心していられたのに。心配になって探しにいこうかとまで思ってしまうけど家までの帰り道じゃなくて学童が約束の地になってる限りは私なんかよりずっと頼りになる先生が管理してくれているから問題はない。基本の行動が近場だとGPSはあまり頼りにならないかもしれない。

お迎えまでの時間もいつもより余裕だから工作に使えそうな空箱などを持って自転車でお迎え。あまり話したことのないおじさん先生に空箱を渡すと、そのあと顔を合わせるたび何度もにっこり笑いながら資材ありがとうと言ってくれていた。今日も梅拾ったよとのこと。氷砂糖を買いたいけど、ほんの少しでいいわけだから100円で買いたいのに近くでは売っていなかった。中野の広いダイソーまで行く。ここにはあった。他に子が明後日の遠足に持っていく菓子を選ぶ。家にある小さい菓子を見繕って持って行けばいいと思っていたら、飴ガムチョコは禁止されていて、となると意外と小分けのものが手持ちになかった。ハイチュウを買う。中野ダイソーの髪型が個性的なベテラン店員さんが心地よいほどに滑らかな流れで子にハイチュウを手渡してくれた。

元夫のインスタの過去投稿を久しぶりにみてみると面白いなと思う。しかし当時から対面ではこのテンションはない人間で、ネット弁慶みたいなものだ。ここでの魅力を足がかりにした様々な交流で忙しく私達の暮らしを無視しているのだとしたら悔しくて辛くなる。そんな元夫が夜荷物を取りにやってくる。お腹空いたと言っていたけど私達はもう夕飯を食べていてもちろん余計な分は無い。目の前に子が残したサラダがあってそれを食べるかと勧めたら珍しく食べた。混ぜご飯あるよと解凍しようとしたら恐縮して断ってきて、まぁ世話にはなりたくないという気持ちだろう。子と二人分だと飽きても食べなきゃならなくなるから無くなってほしいくらいのものだ。おにぎりにして渡す。

猫が布団に吐いていてストレス。

 

 

 

5/11

昨日尿検査を渡されて、今日提出。確かに早くもらっても仕方ないのだけど自分のことじゃないからコントロールできないしドキドキする。目が覚めたところから何度も声をかけて子がやっとトイレに行くとなって同行。しかし思うように出ない。驚いていると段々ふつうの排尿になってホッとした。無事通常の提出ができる。別日だと親が持っていかないとならないらしかった。良かった。

ラヴィットが面白くない。ぼる塾の日が面白いだけなのか?私はぼる塾が買い物したり食べ物紹介するのが観たいだけなんだきっと。テレビを消してこの日記をまとめているとスマホに上島竜ちゃん死去の速報。自宅で亡くなっているのを家族が発見、みたいな文章のあとに、いのちの電話などの問い合わせ先がある、というのは自殺というのを暗に示しているのだろう。先日の渡辺裕之の速報では第一報から縊死という書き方されていて、はじめて知った言葉で著名人の速報としてもはじめて見た表現だった。渡辺裕之に関してはその後のニュースも一貫して縊死だった。竜ちゃんには驚く。疲れてきてたんだよ、と私には計り知れない立場の人のことを思う。なんだか疲れちゃったんだよね。私もなんか疲れてる。だけどそもそも誰に知られてるでもないから死んでるのと同じくらいひっそり息し続けているけど竜ちゃんともなれば思い切るしかないしそうしてきた人だから、そっち側への振り幅だなと。

昼間から元夫が作業をしにやってきた。特別話すでもないけど、彼は最近思うことがあったらしくそれについて話したり。子は今日は学童をおやすみにしているから1時半には帰る。GPSを開いて何度も確認する。近くまでやって来てるなと思った次の瞬間にはチャイムが鳴り、もう一度鳴り、子が帰ってきた。幼稚園の頃から、小学生になって一人で帰ることについて考えていて、自分の名前の数だけチャイムを鳴らせば帰ってきたって分かるねと話していた。それをやろうとしたのかもしれない。お父さんがいることに分かりやすく喜びはしないけど、いつもより機嫌がいいのは私にしか分からない。もっとお父さんに甘えてやればいいのに、と思うけど子どもなりどこかもう期待できない人なんだなと諦めがあるのかもしれないなと思う。その反面、お父さんがいない時はしょっちゅう私にお父さんの話をしてくるのが本当にストレス。いつもいつでもブチ切れそうになるギリギリのところに私はいる。

3時前に図書館に行こうかと声をかけると、え〜せっかく遊んでるのに、と言われて悲しくなった。ただでさえ最近絵本離れしているような寂しさがあるのに。とはいえ必ず家に図書館から貸し出し制限の15冊くらいは常に借りてあって寝る前に読む習慣も変わらず。なのにどこか絵本の触れ合いが足りない気がしている。変わったこと。幼稚園では常に絵本に囲まれて過ごしていたし毎日先生が一日二回は絵本を読んでくれていて、子はよく私が知らない場所での絵本の話をしてくれたけど今は当然そんな環境は無い。その幼稚園からは毎週2冊子どもが絵本を選んで借りてきて、返す時には親が感想ノートを書くことになっていた。本を管理する委員をやってサークルでは絵本を語りあって。図書館の水曜のお話し会で絵本や紙芝居を読んでもらい、そのあとはお友達と絵本を引っ張り出して読んで、やはり親も皆で情報交換しながら絵本を手に取った。学童では水曜にイベントがあることが多くて途端にそんな触れ合いある時間に図書館に行けなくなっていた。二人の生活にあった絵本の時間が少しずつ削られている。小学校でも図書の時間はあってもちろん絵本もあるけど、大人の勧めがないと子どもというのはもうアニメ絵の児童書を手にとっているようだった。そんなのを読むようになったからもうお話し会は行かない?絵本は読んでもらわなくてよくなった?と聞くと、そういうわけじゃないけどさ、もうどうせ良い席で見れないし、みたいなことを言っていた。別に幼児に限定した催しではないけど、長いこと通っていたから小学生が少数派なことは子どもなりに分かっていて、これまでいつだって自分が中心だった自覚があったからこそ、これからは小さい子優先だという思いがそれなりに芽生えていたのだろう。子はいつも堂々と一番前の真ん中が自分の場所だった。どちらにしても返却があるから行くことは行く。子は二列目の場所から静かに前を見つめていた。借りる絵本もさっさと選ぶ。子が家遊びに集中していたのも分かるからあとはオオゼキだけ寄って帰る。なんとなく今日は全部ポイントで支払ってみる。6000円以上あって使ってもまだ5000円分はある。お守りだ。帰ってもまだ元夫はいて、今日はなんか調子良く話してきているから、子が飲みたがるメロンソーダを二人分作って二人に飲んでもらう。元夫は“人たらし”と言うのか無自覚に恵まれた力で人から好かれることがあるのをようやく分かったと言って、その自分の価値に機嫌をよくしていたのだろう。持つ者は人に余裕をもって接してくれればいいのに彼は下手に皆んな平等としてそんな心遣いに欠ける人だった。私が言っていたその感じをやっと伝わったと思えて私も気分がすっきりした。猫がまた布団に吐いていたけど、ストレスよりも黙って洗濯する余裕がある。

子は明日遠足で、今日の宿題はよく寝ることだって、とのこと。まだ外が明るい時間からお風呂に入ってその後有吉の壁をみながらごはん。今週はラヴィットがいまいちでこれだけが楽しい。しかし今夜は子が宿題を実行してスッと寝た。まだ水ダウもはじまる前。起き上がって水ダウ。久々。上島竜ちゃんを悼む声相次ぐといったニュースを振り切ってあちこちオードリー。見取り図とジャンポケ。関西関東で同期らしい。意外な組み合わせ。そして意外にジャンポケが自分達の立場をわかっている感じが伝わって、面白いかどうかはともかくテレビの枠のなかでバランスは良いなと偉そうに思った。

 

 

 

5/12

遠足。久しぶりのお弁当。私も緊張、とはいえ冷凍のナゲットとすみっコぐらしのウィンナー、キュウリとトマトに可愛いピックを差し込むだけ。外だから箸を使わないでいいようにご飯もおにぎりにする。リュックだしいつもより荷物が軽くてルンルンで余裕の登校。

やっぱりラヴィットがつまらない。ぼる塾が観たい。パートのシフト月曜をNGにしようかな。掃除をしたり洗い物したりパタパタやっているとチャイムがなる。隣りのばあさん。あなたバッグいらない?と、いま断捨離をしていて捨てようと思うんだけどその前によければ見に来てと言われて戸惑いながら断る言葉も見つからず流れのままに連れ立って隣りの家にあがる。こんなときむやみにキョロキョロするのは失礼に思って意識して周りを見れなくなる私。これなんだけど、と床に積まれたバッグのそばに座り込んで、なんと言おうか言葉を探す。え〜勿体ない、うわぁちゃんと保管してるぅ、すごい状態良いじゃないですかぁ、と繰り返してみる。貰わないと帰れないと思って適当に見繕う。猫がいる罪悪感で出来ればこの建物の誰とも関わりたくないくらいだけど、ここまで来たからにはもういっそぶっちゃけてしまったほうが楽になれるわけだし、そのスイッチをいれるのは今か?どうだ?ということばかり頭にあって気がそぞろ。ばあさんは足が悪いからといって息子のなのかオフィスチェアに座っていた。ラジオをかけてうつみ宮土理の番組だったか、ニッポン放送が流れている。普段からこうして生活してるなら、もしかしたら猫の声も届いていないんじゃないか?とまだ微かな期待が残されてやっぱり探り探りで会話する。小金持ちの友人から服をもらうから服もあるのよ、あなたなんか着ない?と言って、いやぁさすがに80歳のばあさんの服は無いだろうと思うけど、貧乏性はつい淡い期待ももってしまってこの目で確認はしたくなる。なんともリアクションできない服ばかり、肩パッドまで入ってしまってたりする。一瞬おや?これはイケる?と思える透ける素材のカットソーなんかは社交ダンスをしていた時の服とのこと。ブローチやなんかもあったみたいよと他人事のようにいって可愛いステキな小箱を出してきた。この容れ物はお世辞抜きに可愛かった。韓国のものだと思うという。昔の話は歴史も分かっていないとややこしくてじっくり耳を傾けていないと頭で理解ができない。ざっくりだと38度線で引き上げてきたとかそんなことを言っていたけど、本人も今の我が子より幼い頃だろうし兄弟や当時の大人のことは後聞きだろうからよく分かっていなかったり。でもこの容れ物のなかにあるビーズ細工や切れたネックレスのビーズなんかは本当に子も気にいるはず。もうひとつの箱には古い服から取ったというボタンが入っていて、まさにいま子が夢中になっているもの。それを話すと嬉しそうにしていた。チラリと目に入ったキャビネットにはジブリのDVDがめちゃくちゃ揃っていてドキリとした。他にはブックオフの90年代の100円コーナーみたいなCDが並ぶ。ばあさんはもう私はいなくなるのにこんなのあっても仕方ないから!施設に行くしと出会った頃からキャッチコピーのように元気よく繰り返す。本当にその気あるんだろうか。荷物になる要らないものと少しの戦利品を手にして家に戻る。戻ったけどずっと隣りにいるんだよなと思うと落ち着かない。その通り、またピンポンと来て今度は貝細工が施された小さい引き出しをもってきた。わりとイチ押しなのか要るんだったら、という言い方じゃなく貝細工がすごいでしょうと良さアピールされた。ここまでアンティークになると、と引いたけど、例の家族の平壌の学校を出た時の記念品だった。無下にもできずまた引き取る。そのあとも、私と同年代か下手したらそれより上の息子達が幼い頃のコースターなんかを持ってきて、もう三度四度やりとりして、正直疲れた。あなたも出かけなきゃならないだろうから、と一応気遣いはされて今日のところは終わり。エネルギーをえぐられたけど逃げるように中野に向かう。手芸屋さんでパーツを買ってカルディ。一人でゆっくり見るのも好きだけど、最近はいつでも一人で見れると思ったら、これがどうだとか言いながら誰かと見れたら楽しいだろうなと思う。子の好きなアップルサイダーが現品限りで安くなっていたから一本買う。これで乾杯をしよう。リンツのホワイトチョコのリンドールもお買い得。帰って子の帰りを待つ。今日はひとりで学童から帰ってきてもらう。GPSをじっと見つめて待機する。更新するたびに近づいてくるアイコン。そろそろかなと外に出てみると、ちょうど子がすぐ近くに来ていて笑顔で駆け寄ってきた。手には花をもっていて途中で摘んできたと言った。一人で花を摘みながら歩くなんてステキだ。

こうして子がひとりで帰ってこられるようになると、特別用事がなければ一日家から出ないでしまうこともあるんだろうなと思う。社会と交流がなくなって気楽のようで寂しくもある。

天気が悪くなって明日は本格的に雨の予報、すでに体調もしんどい。元夫が今日も荷物を取りに来た。こちらの話はスマホを触りながらふんふんと頷くだけで、はなから会話をする気はないようで張り合いがなく、自分の毎日はなんなんだろうと暗い気持ちになった。こないだからの片付けで大量に出たゴミ、帰る時に外に出していくと言っていたはずなのに、自分の大荷物に託けてそのまま出ていこうとしているようだったから、ゴミ捨てて行ってもらえないの?と聞いたら途端にキレた。それだけのことでそんな怒れることが分からない。