どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年8月27日〜8月31日

8/27

まだまだ夏らしい暑さを感じる。昨夜残したスイーツをひとまず食べて、チェックアウトして出てからなにか食べればいいかと思っていたのに、子が絶対サイゼリヤのモーニングを食べるんだと言い張る。全国に何店舗かモーニングビュッフェをやっているサイゼリヤがあって、それが後楽園という距離にあるならいつか行きたいと思っていた。今はコロナでビュッフェ方式ではないのだけど、まさかその建物に宿泊することになるとは。そう、なんとこのホテルの下階がそのサイゼリヤでホテルのモーニングはこれということになっていた。ビュッフェじゃないとなると少々値段ははるけど、無料の幼児分も結局大人と同じ一食だったからすごい量にはなる。出されたものは通常にあるメニューと変わりない。特別なことはドリンクバーに牛乳があるくらいだろうか。そしてコーヒーを部屋で飲んでもいいようにテイクアウトカップが用意されていた。私達が入ると同時に男性が一人帰っていき、外からの一般のお客さんがなくガランとしてしまっているサイゼリヤというのも珍しかった。その後も女性がひとりやって来ただけ。子がコロナとか全然気にしなくてよかったね〜などと言っていた。二人で食べ切れるわけもなく、店員さんに部屋に戻ってから食べたいというと持ち帰り容器を持ってきてくれた。ビュッフェじゃないから出来たことだろうから有り難かった。これはのちに帰宅してからの私の夕飯になる。部屋で最後のまったりを堪能してからいよいよチェックアウト。アメニティのムササビくんグッズは持ち帰ることになった。フロントで荷物を預かってもらい後楽園へ向かう。目的は子の好きな屋内遊具施設。夏休みとはいえ平日の午前、朝イチからは人も少なくどのエリアでものびのび遊ぶ。30分だけ延長も許して遊んでいると少し人も増えてきて遊びづらくもなったところで退出。あとは観覧車に乗りたいというのが子の希望だった。ところが観覧車がメンテナンス中で午後の開始になるとのこと。ここから時間を持て余した苦痛の時間がはじまる。何か他の乗り物に乗って時間を潰したくてもひとつひとつが高くて厳選したひとつくらいしか乗れない。お父さんにお土産を買いたいというけどそれらしい店もなく無駄にウロウロ。東京ドームの方まで行ったり、全貌を把握できるほどに歩き回った。ホテルに戻って荷物をピックアップ、13時には開始するのではないかと言われていた観覧車はまだ動かず。暑いし食べられないしでもうヘトヘトだった。二人でひとつサーティーワンを食べて休憩もあり。隣接するショッピングビルの上階に上がったところで観覧車に人が集まり出しているのが見えて、こちらも待ってましたと小走りで向かう。ビッグオー。観覧車って記憶していたよりも怖い。都会の景色だから怖いのか。まわりのどんな建物よりも飛び出して、まっすぐ向こうの方に見えるのはそびえ立つスカイツリー、それくらい高くて丸の半分は怖がっていた。目的達成できてようやく帰れる。駅直結ビルにあるヴィドフランスで子がスイカのパンをお父さんのお土産にするといって買って帰り。特別好きなわけじゃないだろうに、何気なく言ったスイカが好きという言葉をいつまでも律儀に覚えているのだからいじらしい。帰りの地下鉄も座れたけど立ち乗客もいるくらいには人がいる。この先少しのストレスも感じず地下鉄を使えるようになる日はくるのだろうか。午後15時すぎ、まだまだ暑い。荷物をズルズル引きずりながら帰り着き、部屋にあがった途端に子が懐かしいといってボロボロ泣き出した。ここが子どもにとっても安心する帰る場所なんだと思うとやっぱり勝手な都合で簡単に環境を変えていくなんて荷が重くて耐えられない自分が想像つくから絶対に無理。

夜、子にはどうにか食事を用意したけど自分は気力がなくて、ただ勿体ないの一心で朝残したサイゼのパンとソーセージを突きながら夕飯にしてると実家の母から電話。何か用があるわけではなくただ子と話したいがためにしょっちゅう電話をしてきてはスマホを拘束されるのでこちらの心の持ちようによってはそれがひどくストレスにもなる。何も知らない母が能天気に子に話しかける様がイラついてしょうがない。子が「今日はねー、なんとホテルに行ったんだ!」と無邪気に報告し、それに対して「まぁ〜お父さんと三人で行ったのかな〜?いいねぇ」とありがちな反応を母がすると、「ううん、お父さんは行かない。だって家族じゃないから。」と言ってしまった。ドキリとした。そうだった。自分が黙っていてもこういうことになってしまうのだ。夏休みだったし隠せるわけなく子の前で散々揉めてそれはもう後の祭りだ。母は子ども相手にそこを追求することなく流して電話は終わり、すぐにメールが入った。お父さんは仕事が大変で優先になるものだから家庭のことができないのは仕方ない、子どもにあんなこと言わせるようになってしまうのは私が良くない、という高度経済成長期らしい感覚で畳み掛けてきた。「今の人はお金がなくても家族が仲良し」という印象でこれまで私達に対してもそんな目でみて、自分の時代とは違うなと理解し難いと思っていた節があるだろうけど、逆にこの夫婦仲が良くないと思われる事例に関しては寛容であった。とくに、うちの母親の親、私の祖父母は離婚していたから家族の拗れについては耐性があると思われる。でも今は外部に責められるのは御免だから絶対に明かしたくない。言わなきゃ分からない。

夜、子が寝てからもずっと考えている。この先二人で生きていって良い事なんてあるだろうか。もちろんあるとは思う、でも辛くなる事がそれ以上にあるんじゃないか。辛いことを感じるためにあと40年とか生きていって意味があるんだろうか。それなら今の楽しい記憶だけのうちに人生終わったほうがずっと良い。私は死にたい、死んだら楽かもなんて思ったこと一度もなくて、全く意味が分からない域だと思っていたけど、はじめて死を選ぶことの意味を感じた。死ぬという選択肢。子どもも一緒。子どもを残すなんて考えられない。可哀想、自分が一緒の方が絶対にいい。どうしたらいいのだろうか。どうしたら間違いなく二人が死ねるのだろうか。死を検索し出すとすぐに、いのちのほっとラインが目に飛び込んだ。相談してみようか。何を言われるだろう。LINEでチャットのように会話をしてくれる。簡単に状況を説明しながら死にたいという話をする。質問をしながら、そうなのですね、それは大変お辛いでしょう、と繰り返してくれる他、特段何があるわけでもない。分かってた。死ぬことに協力してくれる人なんていない。自分で成し遂げなくてはならない。それも二人分なんて完璧な知識がなければ達成もできない。たまらなくなって私は夫のところへ行き、もうさ、死ぬことしか考えられなくてさ、子と二人で春には死にたいからそれまでは楽しく過ごす協力してくれない?最後はぱぁっとやろうよ、と狂ったように捲し立てる。夫は何言ってんの、と言いながら笑うでも溜息もなく出て行った。最後を楽しむためにまずは迷っていたものをガンガン買おうとネットを見ているとマサコさんから電話。開口一番、死ぬことないということを言われて崩れ落ちるように泣いた。もう取り繕えなかった。ここまで夫には泣いて喚いて感情を訴えてきていたけど、それ以上の人には見せることなかった私を知られてしまった。マサコさんは、そうだよね、ずっと我慢してたんだよねと泣く私を支えてくれた。その後は落ち着いて話す。マサコさんは夫が動揺したように連絡してきたからと言ったけど、宥めることも向き合えずにマサコさんに丸投げしたんだなと思った。人と話して気休めにはなったけど生きていく辛さは自分で受け止めるしかない。やっぱり簡単に死ねたらいいのになぁと頭のどこかでは期待してしまう。

 


8/28

とにかく死ぬつもりで春までは明るく過ごす、その考えで今朝はなんだか異様にポジティブになって、無理やりごはんを三人分作ってテーブルに出す。夫は好きなものを勝手に自由に食べたいんだと思っていたから放っておくのが常だった。残りものは気が向いたら食べてくれてはいたけど、夫のために確認なしに食事を用意することなんてこれまでほぼない。それもほんとはおかしい話で、こうして無理にでも一方的に用意してくるべきだったのだろう。でも私の料理が信用なくてそうして自分で調理するようになっていた人を前に私はどんどん奥手になっていた。なのできっちり三人分用意することに、すごい、どうしたの?と子はワクワクしていて、お父さんにもご飯だよって伝えてと言って躁状態にやり過ごす朝食。夫は少しして起きてきて戸惑うように用意されたものを食べていた。今日皆んなで吉祥寺行こうよ!と引き続きあっけらかんと誘う。私がノートパソコンを買いたいのは本当。その間、子はお父さんと待っててねと子に言い聞かせるようにして夫に伝えると二人納得したようだった。そしてネットでは物をバンバン買う。ソファーにそのカバー、照明器具、寝具、キッチン用スチールラック。大きくて今まで買うのに迷っていたものを一気に買う。

夫は先にちょっとごっちゃんのところ行くと言って出て行き、子と出かける準備をしながら思い出した、今日からファミリーマートシルバニア一番くじが出るのだった。急いで家を飛び出て近くのファミマをまわるもクジは無し。たべっこ動物の時もそうだったことを思い出して検索。午後1時からの発売で今は2時過ぎだった。取り扱い店舗を調べるとこんな小さな街には無くて、近くだと高円寺に三店舗。ダッシュで向かった一店舗目に無し。夫にも伝えて手分けして残り二件を期待しないで見に行く。もちろん無し。駅に近い夫のいるファミマに集まる。こんな時以前の夫なら、近くの扱いあるファミマ見に行ってくるよと自らも楽しむように協力的になってくれたはずだけど、今は「無いね」という報告以上は何もなく黙っていた。自分で吉祥寺行くと言ってしまったばかりに予定変更できない。子がガッカリしてずっとグズグス言っていたけど皆んな黙ったままとにかく吉祥寺へ向かう。自転車を停めていると古着屋のヒカル君に遭遇、夫まわりの人にどんな感じで接していいのか分からなくなってしまうけど、いつも通りに挨拶。そのヒカル君が着ていた服は夫が作ったものだったからそのことを話題にしながら電車。感情はなく淡々とした会話。ヨドバシに着いたら二手に分かれる。私はパソコンとかまるでわからず、本当は夫にも同席して見立ててもらいたいくらいだけどそんなことは頼めなかった。どれだけ見回してもChromebook以外簡単に手を出せるような価格のパソコンはない。怯んだけど案内してもらい迷いながらもとにかく何か買わないと始まらないから思い切って買う。二人もやって来て、子はおもちゃ売り場でシルバニアの家具を買ってもらっていた。他に寄りたいとこある?と聞いても夫は力なく首を振るだけで、また子と夫がまちおかにだけ寄って帰りの電車。明るく振る舞っても夫は厳しい顔して何を言っても脈無しで、人が変わってしまったんだとどんより。降りて自転車を取りに行ったところで突然また夫が虚な目のまま別居のことを話してくる。どんなタイミングで言われても私が納得するわけはない。こんな状況でも言い出すなんて余程苦痛で耐えられないんだなとは思う。でも、はいそうですねとはなれない。子が一番冷静で、こんなところでやめてよー、と言っていた。別々に帰り。

お友達とよく行く駄菓子屋で昨日からちょっとした夏祭りを開催してくれていて、浴衣や甚平を着て行ったり夏祭りグッズを買ったら割引サービス有りといった催し。今日友達が行くことは分かっていた。私は子に浴衣着せて楽しませてあげられるような気分ではなかったし、そもそも二年前の浴衣はサイズアウトしていて、神楽の稽古でも無理矢理着ている。そうして神楽で明日使うから今日着ることはできないし、とにかく今の我が家は夏を惜しむどころではない。でも同じだけ、いやそれ以上に、子どもだけは普通にさせてあげたいという思いも強い。朝から何度も駄菓子屋行こうか?でも浴衣は無しだけど、ということで押し問答になっていたけど、友達が行く予定の18時頃、ようやく浴衣なしでも行くと決着がついて、子は張り切って立ち上がった。私も踏ん張らないといけない。18時半頃、ちょうどよく着いてママ友ファミリーと合流。ヨーヨー釣りをやらせてもらえたり、ラムネが売っていたりで子もわざとらしいくらいにテンションが高くなっていて、何か我慢させているのかもしれないなと思って見てると辛くなる。お友達がお父さんお母さんに囲まれてあれだこれだとやっていると子が突拍子もなく、「でも私はねホテル泊まったんだ!」と自慢し出した。ゾワっとした。自然な会話ができるはずの子がこんなことを言い出すなんて、負け惜しみ感しかなかった。過去、お父さんが公演なんかで不在の週末はしょっちゅうで、そんなとき家族で揃っているお友達といても子どもがそんな空気になったことは一度もなかった。付き合いの長い仲良し家族にも子のそんな変化は一目瞭然だっただろう、ママ友夫婦は、いいじゃん!すごいよね〜とすぐさま盛り上げてくれていて、優しさでなんだか惨めになってしまった。土曜の夜だけあって、一緒にいることは当然でしかない空気で他にも家族連れがやってきて、そんな当たり前のことが出来ない自分達が居た堪れなくなってひと足先に帰る。子は本当にお祭りみたいだったと喜んでいて、どうにかミッションを完了できた安堵と悔しさが入り混じって苦しかった。家の前に着くと夫の自転車がない。連絡をしてみるとごっちゃんのところと言う。高円寺に出てるなら、なんで子のために、せめて外では家族の形を保つことを気にしてくれないんだと、これも私の一方的な願いなんだろうけど、子どもを思うなら簡単に想像できるはずのことをしないのは敢えてなわけで、それほどまでに自分の感情の主張をするのかと悔しくて、怒りで、無茶苦茶になる。それでも今度は私の怒りが伝わらないで好き勝手する子に腹が立って、大声を出して散らかしていたシルバニアの人形を投げつけた。子は泣かずにどうしたらいいかという顔して私の動向を伺っているのが分かった。急に周りの家でゴトゴトと物音がして、虐待だと思われたのかなと少し緊張する。泣いて謝って子を抱きしめる。こういうの良くないパターンとして見たことあるなぁと思いながらも自分が止められず、その型通りのことをやっていた。やっぱり精神状態が良くないと子育てなんてできない。それを分かってくれていないのか、子のことを考えられないのか、夫はとことん私を追い詰める。

 

 

 

8/29

朝から情緒はめちゃくちゃ。夫が痩せたとアピールしていたけど、私だってすっかり痩せこけてしまっている。ホテルの浴室でキレイな大きな鏡に映った自分の体の老婆加減に驚いた。それでも子を世話しなくてはならない。朝から最後の神楽に連れて行かなきゃならないとか、私だって頑張っていることがあるのに、それは認めてもらえないことなんだという悔しさもある。寝ている夫に泣きながら抱きつきに行ってみた。何か変わるかもしれないことを少し期待して。久しぶりに体に触れた。夫は背中を叩いてくれながら落ち着きなよと声をかけてはくれるものの、その静かなテンションで、でももう無理だからと首を振った。私はまた暴発して泣きながら夫を殴った。頭のどこかでは子のことが気がかりで、でもコントロールできなくて、こうなったら神楽はお父さんに行ってもらおう、と言ったり、今日はもう神楽は行かないね!と言ったり、私が無茶苦茶に何を言っても、子はまたどうしたらいいか分からないようでも、うんと頷いていて、それでもやっぱり私はどうしても振り回すなんて出来なくて、遅刻覚悟で子を連れて家を飛び出る。ギリギリ始まる前には間に合って、我が子の着替え待ち。そんなプレッシャーのなかから始まったにもかかわらず、始まりの黙想の掛け声をやると子が立候補していて、さらには稽古中の先生の指導にも、間合いだよねとか、いちいち声に出してリアクションしていて、明らかにいつもと違った。それは家庭内の揉め事の影響なのか今日で神楽を辞めるからという意味でだったからなのか分からない。一ヵ月何度も確認してやっぱりもう辞めようという話になっていたけど今日の姿勢をみて私の気持ちが揺らいでしまう。先生達に「辞める」とははっきり言えず濁しながら話して、あらためてまた連絡することにして退散。またダスキンのカードでミスドのドーナッツを5個、まいばすけっとでおにぎり一つ買って帰り。それが子の昼ごはん。

夫が日中いたかどうかも覚えていない。とにかく私は無気力だった。夫は子どものことはちゃんとすると一言で言っているだけで、子の様子を見て何か対応してくれるようなこともない。そんなことでこれからも子どもとの関係を続けられるというのか。自分からは子どもと向き合うことすらしなくて、それで良いと思えているのだとしたら確かに価値観が合わない人なんだなとは冷静に思う。でも子どもには彼だけが父親なのだから、この人に気づいてほしいと期待だってしたい。別居して本当に今より子どもに触れることができるというならそれもいいかなという気持ちになる時もある。私だって疲れた。夫は私が気に入らない一心で現実的ではなくなっていて、一堂に引っ越したいと主張していた。今の家の家賃と、一人暮らしの家賃はキツいということなのだけど、ここが子ども可物件の底値なのに、何も調べずにもう言いたい放題なのだった。私は調べた現実と、一人暮らしの部屋なら近くにいくらでもあることを伝えた。協力的にはしたけど心ではもちろん迷っている。でも夫はそれで多少落ち着いたようで、普通に子どもとも話してまた仕事の要件でといって出て行った。もう本当に疲れた。一ヵ月悪い夢をみているみたいで、全てがぼんやり過ぎてきた。食べられない。でも子ども。18時半頃、もうすぐ帰れるなら子どものお弁当を買ってきてほしい、私はいま何もできないと夫に伝える。19時頃、オリジンの子ども弁当を買って帰りまたすぐ出ていった。

夜、子が何かしていてお父さんに伝えようと家のなかを探す。それがまた辛い。寝る前にせめて話をさせてあげようと電話するも出ない。22時を過ぎて、結局話せないまま眠りにつく頃戻り、おやすみとだけ声をかけてもらえた。

 

 

 

8/30

もう寝れないし食べられないしボロボロ。同じ家のなかで離れた部屋にいる夫にLINEして子の朝ごはんの世話を頼む。そして無気力なまま、離婚騒動以降なにかと愚痴や不安を相談しているマサコさんとやり取り。昨夜夫に、子のことは好きだけど私がいるせいでぼんやりしてきた、と言われてそんな彼を思って辛くなって泣いてしまった。そんなこと悲しすぎる。子のためにもどうにか改善させたい。

ネットで勢いで買ったソファーとカバーが順に届いて揃った今日、ようやく開封してみたら間違えて大きいサイズを買ってしまっていた。スペースの問題でソファーを諦めていたけど、アウトドア用のベンチソファーならば置けると思い切って買ったはいいけど種類を間違えたらしい。自己負担返品だけどやるしかない。しかもこの荷物を運ばなきゃならない。泣きそう。すぐに本来のセットを注文して、夫が起きてきてから一人でベンチソファーを近くのヤマトへ歩いて運ぶ。もう私のやることに何ひとつ感情のあるコメントはしてくれない。ただ黙って見送られて、こう失敗した時とか精神的に頼れる人がいないって辛いものだなとあらためて思う。ヤマトの受付の方の明るく元気な対応に癒される。バリバリ開封した梱包材でどうにかもう一度包んだボロボロの荷造りに何か言われたらどうしようかと思っていたけどそれは気にしないでくれていて、ただサイズ的に普通の配送にならないという話をされる。それでもこちらからしたら何が違うかといえば自分で保険を支払うとかで、それも中身の価値が一万円に対して10円とかそれくらい。トータルで送料は四千円しなくて、度を越して高いわけではなくてホッとした。もうひとつカバーの方も持ってこなきゃならない。歩いて戻り今度は自転車に乗せて運ぶ。今日はとにかく暑くて心だけでなく体も直にキツくてもう何もできない。

午後3時すぎ、ママ友と連絡をとってプラザへ。先週お休みとなった図書館のお話し会が今週はやるという話を聞く。様子見はただ一週で済んだ。よかった、結局毎週図書館には行くけど、皆んなで何かひとつのを目的に集まるだけでなんかやった気になれるから有り難い。こちらは近況を話す。日々変化をママ友には伝えているけど、本当に夫とも話をしたいと言ってくれるからLINEを教えておく。夜にじっくりメッセージしてみるとのこと。母として私と同じ思いを伝えるだけだろうけど、他人に言われたら何か感じかたが違うかもしれないと期待しつつ。でもこのママ友が言うにもマサコさんが言うにも、もう今は興奮状態で人の言葉が耳に入らない感じだよねということだった。

 


8/31

食べられないだけでなく、うまく寝れなくて早朝から目が覚めている。これからを思うとどうしても子どものことばかり考えてしまう。コロナを気にしなくてよくて、休みになればなんとなく三人で出掛けて、というのをやり続けていられたら、こんなことにはならなかったかもしれないなぁとぼんやり思う。実際私はワクチン二回接種して二週間、最近ようやく行動することに気を許せるようになったところで、今だったらあそこにもあそこにも行けたのにな、家族三人で行きたかったな、と思って悔しくなる。夫は「楽しい思い出なんてない、ずっと我慢していた」と言うけど、私は自分がどうだったかなんて覚えにないしどうでもよくて、子が楽しそうにしていた、子の目線で楽しかった、ということだけが全てだと思ってる。頭ばかりはフル回転で働いて、目覚めた瞬間からそんな思いの丈を夫に綴るけど、肉体を動かせるような気力は本当にない。やがて子も目を覚まして、夫に子の世話を頼みたいとも送るけど既読になるわけもなく寝ていて、結局私が体を起こすしかない。そうして日常をはじめなくてはならなくなると、今度は段々と怒りが混じってきて、「私は子どもという人のお世話をしなきゃならないんだから、そのことに影響するような攻め方はしないでほしい」「いまは私は二人分の不安があるからその負担は大きい、あなたはずっと自分だけのことだけど私は違う。二人なんだよ。その責任の重さは分かっているのか」ということを続けてメッセージしまくる。しばらくして起きてきた夫は私に、寝れないなら病院行きなよ、と一言放ってそれまで。出て行った。この五年間、私は誰かの支えがないとひとりで自由に動けないということは分かって言ってるのだろうか。自分がいつ何時なら時間とれるから病院行きなよ、なら分かるけど、ひとり子を抱えた私にそれだけ言って終わりとはどうしろというのか。

午後、天気が怪しくなりそうだったけど暑いよりはいいと思って下高井戸の方の公園へ仕事の資料として撮影に行く。前回大雨で撮影失敗した場所。雨雲レーダーと睨めっこしながら向かう。それにしても遠い。この案件、安請け合いするんじゃなかった。またもや雨ギリギリで写真は撮るだけ撮れたと思うけど遊ぶどころではなくそそくさ退散。それにしてもなんだかここは磁場が悪いというか薄気味悪さがあって、立派な遊具なのにも関わらず子どもも引いてしまうのは何かありそうな気がする。パラパラ雨が降るなか大急ぎで帰宅。太ももが張る。洗濯物を取り込んで歩きでプラザへ。いつも通り遊び。

元夫は内見して来たとのこと。うちとママ友の家の間で信号渡ったらすぐ。そこなら状況がほぼ変わらないし、お父さんは別に仕事部屋をもったよといっても違和感なくて良さそう。少し前向きになれる。

夜、子が人生ゲームをやりたいと言い出して、二人だと面白くないよ、あれは皆んなでやるものだよと話すとお父さんを誘ってみると言って、子の頼みとなれば元夫も無下には出来なかったようで、私達のお風呂上がりにやることになった。短いコースをただ淡々とこなす。それでも一対一とは違う三人という集団でやることで子どもが明らかに盛り上がっていて、家族の有り難みを感じる。三人いるのが当たり前だと思っていた時はむしろ、人数がいるほど楽しいはずのトランプやかるたも、二人でいいじゃないと言い聞かせてしまっていた。本腰いれてやりたい時はいつでも三人でできるんだから、今日のところはこれでいいでしょという雑な日々の繰り返しだった。今の関係だからこそ形だけでもそれらしくやれて逆に良かったのかなという気もする。ただこれは続くわけではない。近いうちに変わってしまう形。でもどうにかこのままうやむやに過ごせないかなぁと頭をよぎる。ともかく今夜は私達が揉めることなく子が望むがままにやり切れて、私は久しぶりに安心して落ち着いて寝られた。