どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2020年2月

2/1〜2/10

私は冬には寒いというだけでマスクをしがち。そしてそのまま春には花粉症対策。毎年そうしてなんだかんだ一年中マスクを常備している。

安い箱マスクもサイズや作りに微妙な違いがあって、あれこれ使ったり比較した結果、価格と仕様で家の隣りのドラッグストアに並ぶマスクが一番自分好みだった。

この冬もその薬局がポイント5倍デーなんかのお得になるタイミングで買ってあった。確か年末年始あたりで、まだその前のマスクを使っている最中だったから、2月に入ってもこの買い置きマスクは未開封。60枚入り。値段は確か598円とか、下手したらもう100円安いか、そんなくらいだったと思う。その後、マスクがこんなことになるなんて。

2月は子の誕生日のお祝いに毎年サンリオピューロランドに行っている。幼稚園の誕生会もあるしデニーズのバースデークーポンでパンケーキも食べれるしでイベントが続く。

 

誕生日当日、夫は公演で不在。子と吉祥寺の遊べる施設にはじめて行く。夕方だから人が少ないのか、そんなに居心地も悪くない。また退屈した時は行きたい。帰り、外はもう暗くなっている時間。ケーキは作ろうと話していたけど、もう遅いから明日にしようと言うとどうしても作るといって聞かない。今日は小さいケーキを買って明日朝から丸いのを作ろう、と言い換えると、それなら買い物していく!と、とりあえず今日いまから作ることは免れて、高円寺のあちこちを回り材料を集め、最後にケーキ屋さんで小さいケーキを買う。帰宅後ケーキを食べながら、どんなケーキを作るかということばかり話していた。贅沢なケーキの食べ方。

翌日予定通り朝からケーキ作りようやく大満足。モルモットを触りたいということでまたまた吉祥寺、井の頭自然文化園へ。

 

幼稚園の誕生会の日。園ではお誕生会の日に保護者がカレーを作ることになっている。「今どきそんなことをするなんて」の、これがこの園の名物。入園説明会でも堂々と語られている。作るのは誕生月保護者と当番制でお手伝い保護者が数名。入園する前からこのカレーイベントのことが一番気がかりで嫌で仕方なくて、2月生まれだから最後の最後までその不安を持ち越してきた。年長保護者の指示のもと配置につく。お誕生日母は調理場じゃないところで食器準備や野菜カットだけ。お手伝い母の方が調理場で火や水を扱って大変そうと思ったら、誕生日母はそのあと礼拝堂に行って園児達と会を過ごし、クラスで一緒になってカレーを食べたりするから、その前に化粧崩れや落ちない汚れがつかないようにという配慮らしい。さすが自分達保護者で運営してきただけある。「園のカレーって美味しいんだよね」と噂のカレーの正体はゴールデンカレーの甘口だった。お誕生会、会食、片付け。できない奴探しみたいな空気もなくてやりやすい。次のお手伝いも楽しみになる。

夜、子が寝た後に夫が棚のうえをガサゴソしていて硬めの物を床に落とす。なんだ?!と私も思ったと同時に、下のおじさんがピンポンとやってきた。はじめは子どもがもっと小さい時におじさんが怒鳴り込んできて、おばさんはネチネチ文句つけてきて、管理人から大家である会社、あと不動産屋、出入りの内装をする業者のおじさんにまで拡がって話がいくと、皆んなが皆んなうちは悪くないと味方をしてくれた。それから二年、このたった一回のアクシデントですっ飛んできた。また管理人から大家へと話を通してもらうと、このマンション内で空いた部屋に移動しても良いと言われたけど、どうせ取り壊しになる建物なのに労力使って移動するのも正直面倒。しかもそのままになっていた空き部屋のメンテナンスも個人でやらなきゃならない。どうしたものか。

 

夕方の図書館に、我が子と同じくらいの歳頃でパジャマに上着を羽織った格好にマスクをした子が連れられてくる。以前ならどう思ったか分からないけど、いまの状況からすると少し存在が気になる。本人は健康で問題ない状態なのかもしれないけど、大人は周りの不安を煽るようなことになっていると想像はつかないんだろうか。とはいえパジャマの老人が歩いていても散歩してるんだとしか思わないかもしれない。

 

2月の初旬の日常でもわりと新型コロナは意識されていたのだったか、週末の中野ブロードウェイに行くと、ほとんどの人がマスクをしていたことは覚えてる。しかもパッと見ただけでも、あの黒い使い捨てでない立体マスクをしている人がこの頃には多くなってきていたように思う。自分はあのマスクにはまだ抵抗がある頃だった。ちょっと近所までの感覚できた私は、たまたまマスクをしていなかった。立ち寄ったダイソーでサンリオの子供用マスクを買う。以前から子どもがマスクをする時はこれと決まっていた。キャラクターの顔を形どったものは3枚入り、ふつうの四角い形でキャラクターが周りに熱プリントされているものは5枚入り。100均でマスクなんてもう手に入らない時期だったかもしれない、キャラクターマスクだけが取り残されたように並べられていた。まだ買えるものがあるという若干の優越感を感じながら、どれが良いかと子どもに選ばせる。マイメロディの顔形3枚入りを買う。ツイッターで「これしか無いけどもうそれでもいい」ってことで成人男性がこのキャラマスクをしているという図を見たのはその数日後。それくらいマスク需要は危機迫っていた。なのでダイソーでサンリオマスクを見たのはこの時が最後。(あの時個数制限はあったっけ?せめてふつうの四角い五枚入りを選んでいればあと2回分が…)と今でも忘れられない、思い出しては悔やんでいる。あの可愛いマスクが100均に並ぶことはもう無いのだろうか。狭い棚前の空間ですれ違う人すれ違う人が、こちらの顔をチラ見するような、珍しく感じる視線。「あれ?マスクしてない自分まずいのかな?」と焦ってきて、顔を伏せるようにさっさと買い物を済ませ中野をあとにした。

近所だから意識してなかったけどブロードウェイは世界的な観光地としてあちこちから人が来るわけだ。それからは人混みでのマスク着用を意識するようになった。マスクがこんなことになるなんて。

 

2月はまだ夫の公演は通常通りやっていたと思う。夫は西に向かうと行く先がどこだろうと道中にういろを買ってくる。それも季節のういろ。バレンタインういろなるものは、チョコベースに砕いたナッツで、薄〜いチョコプリンって感じ。そろそろ普通のういろが良い。

 

2/11〜2/26

朝、園に送ったあと道路の反対側から目をやるとマンションの隣りの薬局に人だかりが出来ているのが目につくようになった。こちら側の横断歩道に溜め込まれた沢山の人が、青信号で一斉に歩み、そのまま続々と駅に吸い込まれていく。その群れを掻い潜ってマンションにたどり着く。同じく子どもを送って帰ってきた顔馴染みのマンション住人、三人の子がいて事情通のママとエレベーターホールで鉢合わせる。隣りの人の集まりなんなんですかね?と話すと「マスクよ」と教えられる。この街に確実に売っているような店はここだけ。皆んなそんなにも焦ってマスクが必要なほど普段使っていないのか。私はまだ60枚入りが未開封だから、この時は他人事だった。マスクがこんなことになるなんて。

 

中旬の平日に幼稚園の休みがあって、ピューロランドに行くならそこしかないと考えるも、この新型コロナが気がかりだからもう少し様子みてからにするかとか話し合い。夫は予定したことはなんでも早巻きで済ませてしまいたいタイプだから行くの一択。私はマスクに加え、花粉やPM2.5などウイルスをブロックするスプレーといった使ったことない予防グッズも取り入れてやれるだけの対策はしようと準備。行きの時間は調整できるとして、ピューロランドから帰宅路線の混雑はコロナ関係なく毎度子連れ乗車にものすごい気を揉む。この日の帰りはぐったり寝てしまい、身構えていたよりもスムーズに真っ直ぐ帰ってこれて気分が良い。このストレスが軽減されただけで、これならまた近いうち行ってもいいという気になる。ピューロランドは閉館も早いため毎度どうしても8割くらいの満足度でしか回れていない。今年は夏にも行ってみようかな、と本格的にそのつもりになった矢先。新型コロナの感染拡大防止のためと突然の休館発表。遊びに行った週の週末からとのこと。

 

同じ頃、区内の一番近い大きな病院でコロナ陽性者が出た。この時はまだ感染者の状況はきちんと公表されていて、詳しいことは口コミ情報だったかもしれないけど確かタクシー運転手の方とかで、ニュースで取り上げられていた感染者と似たようなものだった。病院は早々に外来診療をやめるなど対策している。

マンションの事情通ママのネットワークでは、感染者の住所なども出回っていたとの話らしかった。感染者は、そこの子が通う園近くのクリニックをはじめに受診したらしくて、その日付まで割り出されていた。私達はそのことに肯定も否定もなく噂だけした。陽性者に石を投げたいわけじゃない。差別するわけではない。皆んな自分を守るために知って安心したいだけなんだと思う。こんな近くで陽性の人が出ても、こうして病院からも巷の噂でも情報があるからそんなに怖くない。自分との距離感がある程度みえているつもりだった。

 

幼稚園の降園後は近くの小さな公園で遊ぶ流れになっているけど、寒くもなく花粉の影響もなければマスクはしない。

以前から私は人とたくさん話すときにはマスクは外していた。形式だけみたいな装着なら、話すつもりがある時にまでマスクで塞いでいるのは失礼だと思う派だ。といってもクレーマーおじさんのように受付窓口の人にマスクするな!とキレるわけではない。あれは酷い。あくまでも自分の振る舞いとしての話。「風邪とか何かあるのかな?」と勘ぐらせることになるのは嫌だし、聞き取りにくいとして相手に神経つかわせるのも居心地悪い。逆に、話さなくてすむようにとか、心中を悟られないようにとか、そんなつもりでマスクを使っているところもあった。だからこそマスクを外すのは、いま私という人間はオープンですよ〜を表しているつもり、だったかもしれない。その後、マスクがこんなことになるなんて。

都心の人混みに出掛けることもなく、日々こうして近所で遊んでいるくらいだったら何も心配ない。以前から週末に混雑した都心にあてもなく出掛けるたびに、もっと家の周辺で過ごす遊び方をしてもいいはずなんだよなぁと思ったりしていた。元々子ども中心にした地域のイベントがあればそれが第一優先にはしてるけど、高円寺も中野もすぐそこ。他にも自転車移動だけで楽しめるところは充分すぎるほどにある。それでも都心も近いだけに家族が揃うとなんとなく出掛けてしまいがちなところがあった。都心を選択肢にいれなくなると、それだけで時間の流れが違う。何も考えなくていいように都会に出て時間を埋めていた気がする。しかし地域のイベントも次々と中止の知らせが入り、これで週末にお友達と遊ぶという過ごし方もなくなった。イベントがないと他家族と週末に遊ぶことがない。週末の各家庭の在り方は色々だろうと思うとなんか立ち入れないのだった。週末くらいは父親が育児担当にしたいとか、やっと家族揃うから家族水入らずで過ごしたいとか、昼間から例えば飲酒とかの大人都合で過ごしたいとか、平日は毎日のように遊んでる仲でもけっこう皆さんその辺のことには触れない。月金で勤める職場みたいな関係だ。私も夫がいればもちろん負担は分け合いたい。そのために交代しながら過ごすとか一緒に出かけたり遊んだりしたいし、そうしている。ただ夫はバンド活動のために週末こそ不在なことがよくある。ひとりの目で全力で子どもを見守ろうとするから、神経が張りつめて、数日続くと正直キツい。とはいえ、そんな時ばかり計画的に誰か誘うのは反則だと思って今までやってきた。イベントがあると人とも連絡取りやすいし会ったそこから自然な流れで遊べるから、最も気が楽に親子ともが充実する嬉しい口実だった。私だってやっぱりいつだろうと、家族以外の繋がりがそこにあれば心強く思う。春に向けてイベントが目白押しだっただけに残念でならない。区内の総合病院で感染発生したのが大きいのだろう。うちの幼稚園の子ほとんどがこの病院の周辺から通っている。それぞれ肩を落としながら、どうやって週末を乗り切ろうと嘆いていた。

 

幼稚園の3月生まれのお誕生会が2月後半に。私はこの3月分がお手伝いで、こないだ担当してから楽しみにしていた。はじめてやるまではあんなに憂鬱だったのに、いざその時がきたら、これがなかなかやりがいを感じられて自分のなかで盛り上がった。キリスト教のこの園は、日常保育や行事を通して保護者へも意識の働きかけがある。毎月の保護者会での牧師でもある園長の話は、私にとっても学びになることはあるし、自身もクリスチャンである主任先生の気づきの話は今すぐ共有したい表現の連続だったりもする。そんな中で培われた精神なのか、自主的に行動をおこせるお母さんがよくいるもので、そんな救い合いでなんとなく成り立ってきたと思うけど、それがまた母親達の誇りとなっているようにも感じる。自分の手で、作り上げていくということの意義。

誕生会の前日、園で委員会作業をしていると主任の先生がやってきて「不特定多数の人による調理はやらないようにとお達しが出た。私達がやるので保護者の調理は無しになった。」と伝えられる。そんな、そこまでの状況なのか!とハッとするも、それなら離れたところから電車通勤してくる先生よりも地元民の保護者の方が安全なのでは?と私のなかに疑問を残した。

 

一日一日で状況がトントン変わっていく。

 

毎朝止むことなく薬局は行列。

また送り帰りのある日、同じ階に住む年配のご夫婦でよく挨拶を交わす奥さんがドラッグストアから帰ってきた様子だったから「すごい人ですよね。買えました?」と聞いてみたところ「もうマスクは並んでも買えない。オイルショックみたいよねぇ、そのうちまたトイレットペーパーも買えなくなったりねぇ、」「え〜っ?!」「なんて大丈夫よ、今はそんなねぇ、そこまでじゃないでしょう…」とかそんな感じの会話を交わしながら別れる。こんなところでこんな発想になる時点でもうはじまっていた。テレビでもSNSでも「物はあります、焦らないで」と繰り返されるほど刺激してしまっているような。薬局の前では店員さんが空になった什器にせっせと間に合わせの品を並べていることが多くなった。大体トイレットペーパーみたいな場所を取るものは元々この辺りではどこもそんな大量に売られていない。それでも今まで回っていたのだし供給は通常通りにされているというのなら、誰かの行動が誰かを苦しめていることになる。うちはタイミングよくこの時はまだ待機していられる状態だった。

 

2/27

これまで散々遊んでいた児童館が3月末で閉館することになっている。小学校が統合して校内に学童が移動するため、児童館は乳幼児に特化した子育てプラザに建て替わる。そこにいた小学生も先生も、とてもフレンドリーで楽しくて、もうひとつの家かのように入り浸っていた。子が4歳までの成長の半分はここで過ごしてきたといってもいい。同じく毎日のように通う乳幼児親子にはもちろん救われたけど、小学生も、我が子と戯れてくれることもあれば、言葉を話せる「人」として私の相手にもなってくれていた。私は子供の頃こういった場所にお世話になったこともなかったし、大人になってから自分に子どもが生まれるまで沢山の子どもに触れる機会もなかったから、それは新鮮な環境だった。どんな日でも自分達のペースで過ごしている子ども達の姿があって、そこだけの時間の流れがあって、一種のテーマパークのようでもあったなと思う。最後まで通い詰めようという決意はもはや子どもよりも自分のためだったところもある。

この日、3月に予定していたお別れパーティーも開催できなくなったという話を聞いて、やっぱりね、ともう諦めにも慣れながら児童館を後にした直後。3月から小中高と一斉休校になるとの速報。うちには影響のないことだけど「号外」という言葉を付けられたあまりに急な発表にはドキドキした。ついさっきまでいた場所で、先生達はこの速報を受けてどうしてるのか。翌日は園ママ達とのクラス会。夜に小学生の兄弟をもつママからは「こんなことになったので、皆さん無理せずに」という連絡が入る。

 

2/28 

朝から「降園前に礼拝堂に集まるように」と園の緊急連絡メールが入る。最後の方にしれっと「3月から休園です」と付け加え程度に書かれている。冷静に考えると、こんなことなんだから人を集めないで詳細もメールにすればいいのだけど、やや興奮状態ではとにかく生の声を欲している自分でもあった。クラス会の話題はコロナのことよりこれからの長期休みのこと。休校休園になると言われても私も含め、誰もがまだそこまでコロナの危機感はなかったと思う。各自持ち寄りのクラス会の軽食に、こんな時でも手作りを持参する人もいた。さすがに世の中の空気読んだらどうなのと思ったけれど、その空気は分かっていても自分の手料理は問題ない関係ないと思っていたのかもしれない。なんか怖い。承認欲求の現れだとして、それは簡単に否定するわけにはいかないんだけど、今はわけが違うんじゃないか。さらにこうした砕けた集まりで、普段しないメイクをして眼鏡外して、アクセサリーをつけたりスカート履いたり、気持ちドレスアップする人もいる。私達のように幼い子どもと平凡に暮らしをしているだけだと着飾る機会がないから浮かれてもいいキッカケを待っているのとか、分からないでもないけど、その思考がいわゆる昼顔妻予備軍て感じ。なんか怖い。とにかく、今みたいな非常時にまで自己を出してこようとする能天気というか浅ましいというか、そんな行為にこちらの気持ちがやられてしまう。

降園時間に礼拝堂に行くと、先生達はいつもの雰囲気と違い、せかせかと話を進めていく。やはり本当にピンチの時はお祈りどころじゃないんだなと私は気付いてニヤニヤしそうになるのをおさえて、配られたプリントに目をやる。3月は学期の終わりで特に卒園生には色んな催しが予定されていた。それはすべて無しになる。卒園式にもルールが設けられる。卒園母のすすり泣きが聞こえてきて、これには本当に胸がぎゅっとなる。終了日だけは登園で予定通りの3月中旬に、保育開始は予定より早く4月1日からとされた。

終了後、園庭で子供達を迎えいれると、我が子は他の母のちょっとのドレスアップにも目ざとく「いつもと違う」だとか「かわいい」だとか口にしていた。帰宅後は3月で閉まる遊び施設のはしご。自転車で走っていると、後ろから子どもが「明日からよろしくねー」と声をかけてくる。自分がお世話されてる立場なの大前提で事情を完全に理解しているような大人びた挨拶。サザエさんのカツオみたいなノリに笑ってしまう。

いつもの児童館に行き、休校の件について「本当に急な話だったんですか?」と先生に尋ねると、「えぇ本当に、もう何なんだか驚いたけど、まぁ震災のときもそうでしたからね」とそんなものだと諦めている様子。

館内の騒々しさもいつも通り。子ども達は相変わらずマイペースに全力で遊んでいる。

 

2/29

週末。ママ友から「高円寺どこにもトイレットペーパーが無い!ティッシュもない!」とLINEが入る。やっぱりそうかと。しかし分けてあげられるほどうちにも無い。並んでまで買うことないだろうと思っていたけど、そうしてウロウロ探し歩くより並ぶ方が無駄がないのかもしれない。

スーパーのイートインコーナーの前にあるポップコーンの自販機をやってそこで食べたいと子に言われるが、ちょっと衛生面が気になってしまう。スーパーのイートインはいつみても少しヨレヨレした年寄りがジトっとした視線で周囲を見渡しながら居座っている。設置されてる水道でささっと手を洗い念入りに拭いて一番手前のいつでもサッと立てる席に軽く浅く腰掛ける。しばらくすると隣に小さい子を二人連れた家族4人がやってきて何か食べ出した。やっぱり自分が気にし過ぎなのか。夫も合流して午後になり、家族で自転車で幡ヶ谷まで出かける。道中、子が寝たので知り合いのギャラリーcommuneを覗き、周辺の店も巡る。笹塚で働いていた頃はしょっちゅうこの辺りをブラブラしていた。お店らしいお店もさらに増えて相変わらず過ごしやすそう。前は無かったハンバーガー店を外からまじまじと見てると店員さんが声をかけてくれたので、説明を受けながらベーシックなハンバーガーをひとつ買ってみる。本来店内の真ん中にあるショーケースからサラダを好きなだけ盛れるらしいが、こんな状況なので昨日から廃止しているとのことだった。こうして早速意識されている店もあれば、よく行く大手うどんチェーン店なんかは普通に天ぷらはオープンに置かれて客が取るスタイルに変わりはなかった。途中、母親から電話が入る。子ども用の不織布マスクどれくらいいる?と、今売ってるって話聞いて買いに来たとかなんとか。お互い出先だからよく分からなくてとりあえず買えるだけ、とお願いをした。ダイソーのキャラクターマスクが買えなくなった時に、田舎のダイソーならあるかもと思って確認を頼んでおいた。でも地方も東京と同じ情報が流れているし、多分東京にならえって感じだから、やっぱり人はマスクを求めている。普通のマスクでしかないけど、今は贅沢を言ってられない。いずれ使えるものだろうし、とにかく貰っておきたい。

幡ヶ谷から以前住んでいた家への当時の帰り道ルートで走ってみる。道幅が広くて人が少なく自転車で走り抜けるのが気持ち良い道。住んでる頃はまだ整備中だった土地が広い公園になっている。これまでも何度か通っていたけどいつ見てもたくさんの人で賑わっているからスルーしていた。もう薄暗い夜で散歩している大人や若者が軽く運動しているくらいだから寄ってみることにした。明日を気にしないでいいと、なりゆきで行動することも自分に許せる。フェンスの向こうすぐ近くに、明かりで形どられた新宿のビル群がきれいに水平に広がって見える。地方で育った私は夜のどこまでも真っ暗な空と静けさが哀しくて情けなくて全然好きじゃなかった。見あげなくても目の前に迫る暗さ。東京の空の方がずっと落ち着く。そこに向かって平然と乗り物を漕ぐ子の後ろ姿が頼もしい。この景色があるだけで私は生きていけるように思う。