どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年11月15日〜11月30日

11/15
ツイッターの不正ログインを心配している合間に日常をぶちこんでいるような時間が過ぎていく。ツイッターのセキュリティをみると全く身に覚えのない目黒区からアクセスとかなってるからゾッとする。でもウェブ検索でも普通にそういうことはあるし意識し過ぎなだけかもしれないのだけど、状況が状況だから常に落ち着かない。
午前保育、迎え。公園にキックボードを持っていきたいから取りに帰ると面倒なことを言ってきかない子。安物でギシギシいってる錆だらけのキックボードを良しといる子が哀れで、私はそんな子の無邪気さに怒りがこみあげてくる。錆びてて折り畳みがうまくできないとか八つ当たり気味に手こずってみせて諦めさせた。新しいのを買ってあげるからそれまでは、と心で唱える。別の玩具を持って公園へ。キックボードを乗っている子なんてほんの一部。全く気にならずいつも通り遊び。帰りは月曜恒例の八百屋、オオゼキはたまごがひとパック108円と、チラシにもない最安値。
夜、元夫が荷物を取りに来たタイミングで自分の自転車を駐輪場に戻しに行く。普段はこんなことすらも気ままにできない暮らしであることをあらためて実感してため息がでちゃう。毎日張り詰めている。元夫の自転車のカゴに買い物してきたらしい野菜やキノコ類が入っていて、そんなの前は積極的に買わなかったのに、知らない生活がそこにあるようで寂しくなった。


11/16
収穫感謝礼拝。一家庭ひとつは野菜が果物を持って行くことになっている。昨日八百屋で買った野菜は小ぶりだから、ジャガイモとカブの2つを持たせることにした。何をもってきてもいい、だけど一応言っておくとその野菜を使って豚汁を作って食べますと先生。これも毎年の恒例行事で、去年はなかったこの豚汁ふるまいと、餅を今年は同時に食べるとのことだった。餅つきもやれないまま二年は過ぎた。機械は動かさないと使えなくなりそうで心配だからということで今年は餅つき機を稼働させて餅を用意してくれる。子どもは豚汁よりもこのつきたての餅をそれはそれは楽しみにしている。
送りのまま委員会活動のひとつ、不要の絵本カバーで手提げバックを作る作業。作り方レシピを見るだけよりみんなでやると進む。
11時前に帰宅。またまたツイッターの不正ログインを怪しんで調べ。ついでにタイムラインでゼスプリフィギュアが今年も販売というのを見て数年前にはじめてゼスプリキウイのフィギュアが出て購入したことを思い出す。あの頃はまだ余計な物に心躍らせる余裕があったみたいだけど、その後の私はなんだか楽しめない人間になっていたなと思う。そうして前に購入したから確実に扱うはずとオオゼキに問い合わせると、入荷はあるけどまだ店頭には出せていなくて、取り置きもできますよと言われるも、ひとパック1200円くらいするから二の足を踏む。
お迎え後は公園なしで帰り、おやつ。予約していた耳鼻科へ。最近子が鼻をズーっと鳴らしているのが気になっている。詰まっているわけでも出るでも無い。先生は、扁桃腺が大きいと以前から気にされていましたけど扁桃腺とは鼻でもあるのです、と説明してくれて、いまの年頃が一番大きくて、段々落ち着いてくるはずなので、と諭された。ただの癖になってしまっているのかもしれませんねということ。それは自分にも覚えがあるから心配。キャンドゥに寄って買い物しながら洗濯のりのことを思い出して探すけど100円では無いらしい。コアラのマーチの靴下が可愛い。親子でお揃いというコンセプトシリーズで大人サイズもあるけど大人こそ可愛いやつが売り切れていて子どもサイズだけ買い。ツルハで洗濯のり。前にも見たけど少量はないものらしく大きなボトルで189円。オオゼキの店頭にキウイがあるか一応確認しに行くけどまだ無し。公園に寄らない午後はなんとく時間がゆっくり。帰り道の小さな公園に寄り道して少し遊ぶ。住宅地のなかのこの小さな公園では遊ぶはおろか、溜まるような小学生もいないから寂しさがある。メランコリーに押し潰されそうになるから長居はしたくない。帰ってスライム作り。この間の学生のやり方を思い出しながらネットでも調べつつ。絵の具と書いてるレシピが多いが学生パターンで三色ある食紅を使ってやってみる。とろみ加減がちょうどよく完成すると嬉しい。作るモードで調子よく夕飯はシチューをカレーにアレンジごはん。
夜中に地震。目が覚めてしまう。最近子が、私の古いスマホにある写真やプリントした写真アルバムをみて父の写真をじっと何も言わずに見ていることがよくある。辛くなる。


11/17
パート。ちょっと気が重いメンツではあるが、社員さんが休憩にいった時に、そろそろ洗い物の水の冷たさが厳しい時期になってきたと先輩パートが話しだし、水と熱湯の2つの蛇口からちょうど良い湯を流すための自作の発明品を見せてきて、よくよく話をきくと発明好きな人らしく過去にはそんなアイデア教室にまで通っていたという。面白いではないか。文句が多い人で皆んな陰では厄介がっているけど私は意外と嫌ではない。むしろこんなちょろいことやっちゃう人好感持てる。私がテンション高めに話を聞くと先輩パートは饒舌になって、私に仕事を振ることもせずにずっと話し続けていた。
迎えから公園、そのま図書館。お友達がアドベントカレンダーをくれた。いつも来ているメンツみんなに配ってくれて、カルディに寄るついでがあったからさー、なんて言っていたけど5、6人分か?すごい、ありがたい。図書館後は遊ばずに帰り、今日もオオゼキゼスプリフィギュア付きパックが出ている。1200円はなかなかだけどキウイ11個入っているし、迷ってないで突っ込むモードだから買い。
お腹が空いて仕方ない。夕飯前に肉まんをホットサンド器に挟んで食べる。元夫宛ての郵便が来ていてお知らせしたけど半端な時間にこられて子のペースが乱れるのも嫌だから来るなら夜9時過ぎにするようにとも伝えた。すると連絡もなくお風呂上がりに来ていた。寝るまでの工程全て完了させてのタイミングだったから当たり障りなく子は10時前に寝る。それにしても元夫はいつも虚な目をしてやってくるからこちらの気が滅入る。本当は来たくないのにそんなにも無理に来てるとでもいうのか。死んだ目でいることをLINEすると電話がきて話す。パソコン仕事ばかりでこうなっているだとか、どんな状況だとかを少しでも話をするだけでなんか気持ちがスッとして、起きあがってテレビを観るくらいのほほんとなれる。あちこちオードリー。タカアンドトシ。忙しすぎた時代、メンタルやられたという話。元夫もそんな感じなんだろうかと思うと、もう少し弱音をまっすぐ吐けるタイプであれば、私達の今も違ったんじゃないかと思ったりする。


11/18
今日は例の餅つきと豚汁の日でカラのお弁当箱を持たせる。楽!そして預かり保育をいれてパートを2時半までにしているけど迎えは4時。余裕!パートはメンツも気楽な人らで良い。パート帰りはいつも脇目も振らず帰るしかないけど、今日は少しばかり余裕。小さな古着屋がひしめく通りの角の場所で、外にレディースの服が飾られ一着500円と手書きのポップで屋外販売している。作業しているのは北中夜市で古着の投げ売りをしていたお姉さんだった。夜市の時は明かされてなかったけど店があることはその後判明して、でもここではなかったはず。カーディガンを二着買い、移転したのかと聞いたらこの場所は前からあったんだけどたまにしか開けてなくてと言っていた。外売りは今たまたまだとのこと。ラッキー。家で少しだけのんびり、4時に迎え。本当は3時でもいいところなんだけど、それだとギリギリで私はいつもの慌しさと変わらないし、子はおやつは食べられないし、どうせ預かりに行けるなら最後までいたいと毎度責められている。保育用の慎ましく素朴な菓子を食べるがための一時間500円。それもたまには許したい。なによりリフレッシュはプライスレス。子がビーズを通して作ったブローチを付けていた。素敵。保育時間に作ったらしい。子ども達が生み出すものの偽りない子どもらしさは真似できない良さがある。この前子が描いた絵が、どことなく小林エリカのような荒井良二のようなやくしまるえつこのような、それでいて福満しげゆきのような不穏さが迫るものがあってとても良かった。オオゼキシルバニアデザインの森永のホットケーキミックスメープルシロップがあり迷うことなく子どもと一緒になって手に取る。以前ならそんな大手メーカーを買えるような器量はなかった。児童館に寄って学童申し込みの書類をもらってくる。子どもが行く学校は今年度新設された学校の敷地内にある学童と近くの昔ながらの児童館の学童と二ヶ所から選べることになっている。新設ときいて当然学校内だろうと思っている。昔からの児童館は未就園の頃プログラムにも通っていたから馴染みがあるけど、あるからこそ顔見知りの先生もいて、今の家庭環境を知られるのは気まずいなぁというのもある。書類さえあれば安心。
子は朝から晩まで今日の餅の話。つきたての餅はそれはそれは美味しいだろうな。地域のイベントで餅つきをしていたのも遠い昔のことのよう。あの頃は元夫が週末に不在なことが常で、私達は催しを見つけてはすがるようにあちこち飛び回った。そうして支えられ繋がりのできたこの地域をやすやすと離れることなんて相変わらず考えられない。子どもが大きくなって少しずつ一人ひとりになっていったら今度は私も何かしら提供する側として地域に関わっていけたらいいなんて思っている。夜は私が今日パートではじめて巻いた、といっても機械なのだけど、巻き寿司で晩ごはん。


11/19
今日は以前からやっている区関連の仕事仲間のママ友に誘われた大仕事。もうひとり、私より後にこの仕事をはじめたママ友と三人だからよりチーム感高め。集合場所は荻窪の少し先の区の施設。各々現地集合ということにして園送りのあと一旦解散。私は区役所に寄ってから向かう。コロナにより収入が減って困窮しているひとり親への給付金手続きについて相談。私の場合広くいえばコロナかもしれないけどひとり親になってしまったからということでもある。あとはコロナ禍だから職探しが困難というのもあるらしい。再度書類を確認して提出することになる。
さて荻窪。実はとても特殊な仕事。こんなことは二度とない体験かもしれないのでその役をかって出た。大物女優かってくらい皆んな手厚くしてくれたが、なかなかハードな仕事であった。剣道部の部活を思い出したくらいの汗がでた。現地解散してまた各々帰宅。荻窪駅を越えたところの坂が何気に電動自転車とはいえ精神的に重い。別のルートがあるらしいことを一人のママが言っていて、その道を知りたいとこだけど念のため入れておいた預かり保育のお迎えまでは余裕があるからルミネをぶらぶら見て帰ることにした。が、とくに収穫は無し。消化不良で途中の牛乳屋の瓶のフルーツミルクを子の土産に買って帰る。ちょうど隣りのばあさんと玄関口で久しぶりに出会って話す。毎度入り口の話がなんであれ話し込んでしまうと結果おばあさんの身の上話になる。夜逃げのことストレスで病を患ったこと、性格を変えて今こうして明るく生きているという話。何度も聞いているけど自分が今こうなってしまったところで聞くと感慨深いものもある。夜逃げしてくるまで夫と33年間口を聞かなかったから、仲の良い夫婦を見ると羨ましくてねと言って、80歳にもなる今でも気になってしまうくらい引っかかっていることなんだなと沁みる。お宅なんかもそうだけど何しろ話せるのが一番!と言われると居心地悪くなる。この家にいないことに気がついていないのか。話は進みストレスで病気にもなって、だから自分は性格変えたの、もう我慢もしないし迷惑な人になるかもしれないから、嫌だったら私の元から離れてもいいからって周りに言ったけど皆んなそのままでいてくれたのと、ヒートアップして言いながらうっすら涙ぐんでいた。頑張ったんだね。いま素直にばあさんを讃えられる。そんなこんなで遅い昼ごはんを軽く食べたらすぐ預かりの迎え。
帰っておやつにしながら続々と届きはじめた新しいクレジットカードの設定。SNSに悩まされてはいるけどカード不正利用はひとまず問題なさそうで、そうなると敵の目的が分からなくて余計に怖くなる。そうなるとここに記した日常をオープンにしていることも、もしかしてもしかするとストーカー犯罪だとかに繋がるような危ないことなのかも?と、完全に他人事だった危険にバクバクしてきて慌ててプライベートモードにする。インターネットのなかで何かが起きているかもしれない。怖い。
元夫の荷物がいくつか来ていて、今夜は金曜ロードショーでアナ雪がやるから子との交流のためにもそのタイミングで来ないかなと思っていたけど納品があるからとすぐに取りに来てしまった。
牛乳を買いに行きたい。夕方5時過ぎ、家を出ながらそういえばママ友が牛乳は金曜のユータカラヤが一番安いと言っていたことを思い出して、いつものOKも業スーも通り越してユータカラヤを目指す。ごっちゃんの店前を通りながら行くと元夫もそこにいた。ユータカラヤの今日の牛乳は確かに地域最安値だった。またもや無駄な話ばかりしているママ友ネットワークの底力にニヤついてしまう。スーパーを出たところで設定の不安を問い合わせていたカード会社から電話がきて話している間に子は自転車の後ろで寝てしまった。再びごっちゃんの店前を通って今度は元夫と二人で立ち話。外だからだろう、元夫が嫌な顔するわけでもなく普通に会話ができていることに外だけど私は少し涙が出てしまった。皆既月食がよく見える空。そのことは言いそびれてしまった。家に近づいたところで子を起こす。アナ雪のために少しでも寝れてよかった。ラーメンで夕飯。急いでお風呂に入ってアナ雪を前に今日買ってきた瓶のフルーツ牛乳とコーヒー牛乳で乾杯。
猫がうるさくて困るのと私は眠くてだるかった。


11/20
地震。最近地震が多い、怖い。中野でフリマ。少し遅れて急ぐ。すごい人、人。気持ちが焦る、とにかく練り歩く。いまいちこれといった収穫は無いなと思いながらの何周目かでどんな店でも覗きこむ余裕ができたところで、いかにも家に眠っていた不用品を出してますといった感じのおばあさんの店を見てみると、ちまちました雑貨類のなかにハム太郎のマグネット未開封を発見。他にも古サンリオだとかお宝が潜んでいる。でもおばあさんはそんな「古いは価値」みたいな発想も無しに、恥ずかしそうに笑いながら子ども達の昔の古いものなんかだけど良いのがあったらどうぞ、と優しく言ってくれた。ひとつ20円だとか。私と子は密かに興奮しながら漁る。鉛筆がゴロゴロ入った箱を丸ごと買おうとしている謎おじさんにおばあさんは小さい子に好きなの選ばせてあげてからでいいかしら?といって優先させてくれて、マロンクリームやファンシーレトロな鉛筆を選び、おばあさんは手にしたものをざっと見て全部で100円でいいわとコソコソ囁いて、ありがとうとにっこり微笑むと、おじさんの方を向き直って一本ずつ確かなように数えていた。フリマはこういう場であってほしい。ハム太郎マグネットと鉛筆の他は、るるる学園のハンカチとコロコロクリリンの自己紹介カードと、私は知らないマニアックな昔のサンリオキャラのメモ帳を子が選んだ。久しぶりの大収穫。テンション上がった。ダイソーとマルイの手芸屋、大量のキウイを早く柔らかくするために八百屋でバナナを買って帰り。郵便受けを見ようとしたら私はいつもかけていないのにロックがかかっているうえにダイヤル部分がベタついていて気持ち悪い。誰かが触っている。この家を守るのは自分一人だと思うといちいち敏感になってしまう。
子とビーズアクセ作りをするが、子は以前やまちゃんなんかと皆んなでやった楽しい思い出があるからただ普通に二人でやっていると、お父さんも良いなやりたかったなって言うだろうね、とか無邪気に言っていて、辛い。記憶が思い出が辛い。
生理で体調があまりよろしくない。寒気がする。今年は多少は賑やかにやっているところもあるらしい酉の市に行きたかったけど体がしんどい。今年は諦めるしかない。切り山椒、買いたかったな。子はテレ東でやってるさん会ったこどものグルメというドラマを面白いと観ながらゴロゴロしているけどそれが終わったら再び買い物に出る。猫のトイレを補充しなくては。どうにか踏ん張って外に出ると玄関先にチャレンジいちねんせいが届いていた。4月からの入会だけど入学前用の教材があるとのことだった。それを見て気持ちがあがった子は商店街でゲーセンに寄り道、どうしてもプリクラを撮ってみたいとのこと。体調も悪いし気が乗らないけどラインペイの貯まったポイントを使って無料でできるから試しにやってみることに。撮影も流されるまま、アレンジは理解ができないでこねくり回しているうちに終わってしまった。韓国式プリクラは必然で美化モードらしくて、素が素なだけに美化が本当に違和感でしかなくて、こんなの記念にも何にもならなくてげんなりだけど、子は可愛いと言って満足していた。現代。西友で猫トイレを買って自転車をよれよれさせながら帰り。一人でもストレスなく暮らすにはケチケチしない思いきりが必要。本当にダメになったらネットで買おう、そう心に誓って今日を乗り切る、そんな毎日。
ちゃれんじ教材をあけて、子が一番楽しみにしていた目覚まし時計をセット。小学生になるとしまじろうから変わってコラショというキャラ。アニメちっくなこのキャラがいまいちで私は冷めてしまうけど子どもはそれで喜んでいる。教材は直前まで悩んで決めたのはやっぱり紙のものにした。今どきタブレット教材が推しのようで色んなサービスに流されそうになったけど、学校でもタブレット教材には触れるのだし、とにかくまず紙に書く感触に慣れなくてどうするという気持ちは譲れなかった。それでもゲーム機型の教材はあって、結局子どもはまずそれに手を出すことになる。
なぜか夜の寝かしつけるタイミングで猫が騒ぎ出すことが多い。読んでる絵本を途中でやめて猫を追い回すことになる。子は赤ちゃんに親を取られたお姉さんのようなテンションになるし、こちらだって早く子を寝かせてあげたいのに、お互い我慢が限界になったりもする。子は猫はもう外で生きればいいのに、と言い放ったりもした。でもおとなしく私達のそばに寄り添ってくれているような穏やかな時には、二人以外に生き物の存在があることは救いにもなっているはずなんだけど、夜のこの時間はどうにもストレスである。猫は最近ほぼ毎日のように吐いたり廊下にうんちをしてしまう。元夫に伝えると病院連れて行こうかなと言っていて、連れてくのはいいけどそれで手のかかる世話を言い渡されたら私がやらなきゃいけなくなるわけなのに、よくそんなこと言えたもんだなと思う。

 

11/21
コラショの目覚まし時計のおかげで子がバッチリ目を覚ます。いや、アニメぐんまちゃんのおかげかもしれない。MXは録画ができないから後では観れないのだ。
毎日する必要がないのかもしれないというくらい洗濯物が少ない。子はもうお父さんの洗濯物という件に触れなくなっていた。自然を今を受け入れはじめている。気が楽になったようで寂しいことでもある。
今日こそ遅れないように張り切って朝イチでフリマ。シルバニアを出す人がいるらしいことをたまたまツイッターでみた。子がフリマを楽しみにしてくれるように誘い文句としてつかってみたけど不用品というよりコレクション屋さんなのはわかる。案の定、そういう趣味らしい若者のお気持ちが反映している可愛くないお値段で、子どもに買いあたえられるようなものではない。こんな場所で子どもが集まってくるに決まってるんだから、うまいこと買わせられるような価格帯のものも用意すればいいのにと思うけど、マニアの大人向けでしかなくて、そこのとこやっぱりアヤちゃんしめちゃんのお店は夢があって良かったよなぁと思う。と、そんなつまらない思いをする一方で今日もフリマ価格のハム太郎に出会えた。特別な価値をつけられていなくて通常に与えられる選択肢のひとつとしてあるのは嬉しい。値段でなくなかなかのボロで買うに至らなかったけどハム太郎のジョイントマットがあったりもした。
高円寺に移動して台湾フェア。これまでの私、または私達家族は、いつからかこういったイベントごとの食に気軽に財布の紐を緩めることができない人間になっていた。お得かどうかでしかない。それは節制しなければと維持することに日々が囚われているから仕方ないといえば仕方ないのだけど、そんな冷めた考えの積み重ねが私達がまとまっている意味の無さにも繋がってきていたのではないかなと私は思う。お互いがお互いを牽制し合っているだけになってしまっていた。でも今は子と二人でただお腹を満たすというよりも体験に流されたほうが意識を分散できる。イベントのご飯を食べる、それで非日常になるんだから一日の達成感になる。とはいえコロナ禍にありながら復活したイベントは様子見のようにひっそりと催されていて心底ワクワクできるほどではないのが正直なところ。展示物をみたり、説明書きの何もない食料品の物販を覗き込んで迷ったり。台湾人のママ友家族が来ていて、何がおすすめか教えてもらう。麺線という素麺のような細麺の温かいスープのものが子どもも食べやすいとのこと。行列に見えたけど並んでいるのは台湾ソーセージらしくて麺線売り場の人にママ友が声をかけて辛くしないでという話をしてくれてすぐに買えた。ラッキー。気がついたら元夫が来ていて子のそばにいた。彼の住まいの近くで開催されているから一応声をかけておいた。すぐに仕事があるからと戻っていったけど、子は今日のフリマで手に入れたものなんかを紹介したり少しでも話せたから私としてはもう充分。食料品の販売は一番賑わっていたけど私は何が何かもよくわからず、そして業務スーパーに売っていたような気もしてくると結局手を出せずに終わった。
阿佐ヶ谷に移動。100円ショップで探しもの。店を出た目の前の催事スペースの店頭に去年だったか探していたサンリオキャラの小さなフィギュア付きのチュッパチャプスが売られていて2個購入。そばになぜかメダカも売られていて子がそれを見ていると、茨城はメダカがたくさん採れるみたいな話をされて、だからうちの実家にもいつからかメダカが大量にいるのかと理解した。と同じくして子が、おじいちゃんの家にもいっぱいいる!と声を上げて、私が茨城なんですと補足したらおじさんは、あぁそうなの?!と嬉しそうにして、どうみてもハロウィンの残りの飾りかぼちゃを子にくれた。都会で同胞を見つけると仲間意識で特別扱いしちゃうやつ。北関東とくに茨城は関東でありながら自分達は標準ではない自覚があって、都会コンプレックスで妙に縮こまってしまう節があるし、その逆に身内には強い。そしてネガティブな「お前も同じだろ」の押し売りもすごい。言葉使いにもそういうところが表れていると思う。徐々に世の中の意識が変わっていって各地方の価値も認められるようになった今はそこまであからさまではないだろうけど個々の根底にはまだ感覚として残されているだろう。都会のなかではすでに都会慣れした人もいるからフラットでいられる場合もあるけど、こうして少しのきっかけでも見逃さないところは相変わらずあったりする。なにもない田舎が嫌というよりそういうしがらみが嫌なんだよなぁと、いまだに振り返ってみて思うところはある。だから私には田舎で気を許して話せるような人もいない。ずっとずっと東京しか見ていなかった。東京に行かなきゃはじまらなかった。自分の過去は何のためにあったんだろうなと思ったりもする。
家を通り越してオオゼキまで行く。この前買った森永のシルバニアシリーズのキャンペーンに応募するにはレシートが必要だったらしく、そんなこととは知らずに捨ててしまったけど再発行してもらえることがわかった。ポイントカードの番号と買い物した時期で探し当ててもらう。簡単にでもここに記録しておいたおかげですぐに発見できた。オオゼキではたまにご当地ものの企画があるけど今日は薔薇パンが売っていて、食べたことはあるけど物珍しさで買ってしまう。元夫がいろんな地方に行っては妬む私のためにご当地パンを買ってきてくれていた。いま思うと誰かに何かを買ってきてもらうことは当たり前のことではなかったんだよなぁとしみじみする。どんより雨が降り出しそうな天気。
夜、ちゃれんじ一年生のゲーム機型の文字の練習を子がひとりで集中してできていた。良い。でもはじめだけだろうなという気もする。よく見てみると、画面をなぞって書くのだけど、なんとなくの線でピコっと正しい文字に仕上がって出来たということになってしまう。文字を覚えることはできるだろうけど書く練習にはならない。やっぱり紙のワークを選んでよかったなとつくづく思った。子が昼間、お父さんにあとで良いものみせてあげるねーって言っていたけど、なんだったか忘れちゃったと子が気にしていて胸がぎゅっとなる。当のお父さんはそう言われたことを気にもしていないようで、そんなにも子どもの世界を無いことにできるんだとがっくりする。私からはそのことを伝えるだけ伝えたけど、振り返っている今はメモもないし覚えがないけど、このあとお父さんが来たのだったかどうだか。皆んなが皆んな、日々の小さなことを色々と忘れていく。


11/22
コラショのめざまし時計を使ってみた。子の目覚めが良い。雨。午前保育の送り迎えはなんとか自転車でいけた。
これから先のことを考えるとちょっとのきっかけで不安がとまらなくなったりする。たとえば遺族年金。親子の関係があればそれだけで遺せるものがいくらかあるはずで、いま元夫が死んでもただの犬死なわけだ。思い立って元夫に、子どもに何かしら遺してあげられるように死ぬ前はまた婚姻関係にしてほしいとメッセージをしておく。システムとして繋がりをもっておく意味ってそういうことでしかないし、それさえあれば救われることがあるのなら、気持ちの問題でゴネているなんて無駄だなとすら思う。
おやつを食べたりして午後3時過ぎ、プラザへ。連絡していたいつものママ友の他にもお友達が遊びに来ていて、くだらない何でもない時間を過ごせることに感謝。学童のことを色々手引きしてくれていた先生が、なんと今回の学童申し込み資料の重要なところに赤線を引いたり補足を書いたものを用意してくれていた。手厚い!ありがたい。働こうとする者に皆んな優しく助けてくれる。心強さだけで前向きにやれる気がする。
元夫からは今日のメッセージになんのリアクションもない。そりゃ約束もなにもできないのはわかるけど、私達は普通の家族ではないのだし人よりも先のことを考えなくてはいけない。なるようになれじゃなくて、なるようにしていかないと「無い」のだから。私に続いて離婚を進めた友人は、納得していたとはいえやはり色んなことがこたえているのだろう、帯状疱疹になったと言っていた。それくらい負荷のかかることをしているのだ。そりゃそうだと思う。私って頑張っているなぁとも思う。もう駄目になって立っていられない自分を認めたら楽になるのかなとも思うけど、妙な責任感で踏ん張ってしまう。それがプライドなのだろうか。なんなんだろう。事情を知っている仲良しママ友が元夫を金曜に見た、若者と連んで遊んでたと呆れ気味に言っていて、そりゃあんなだったら家族というぬるま湯は嫌なんだろうねとでも言いたげな感じだった。これが悔しい。元夫は仕事のつもりだろうけど子ども残して離婚してそんな様子でいたら人からは遊びと思われてしまうのはわかる。それによって実際そうでなくても私と子はますます不憫にみられる恐れがある。余計なマウントとられたくない。それはとにかく避けたい。だから秘密にしているのだ。やっぱりこれはプライドだろうか。
親から電話がくる。その度にヒヤヒヤする。親にも知られたくないのは変わらない。以前から親との会話が嫌は嫌だけどますます電話にでたくなくなっている。「夫は元気にやってるのか」「一緒に暮らしてるんでしょ」「お父さんがいるのが一番だからね」そんなこと私に言われても、どうしろというのか。「向こうの家からリンゴきた?いつもなら今くらいにきてそしたらこちらが芋を送るんだけど。」うるさいうるさいうるさい!知らないよ!勝手に仲良しごっこしといて流れがうまくいかないと戸惑って、巻き込まないでほしい。お友達を増やしてあげるために結婚したわけではない。いつも通りにすりゃいいじゃんと冷たく言い放ったら、余計な騒ぎをしていることに気づいたのか、母はそうだねと誤魔化し笑いをするようにして電話は終わった。こんな親だから、私が離婚したと知ったらどうすることもできない私の前で大騒ぎするに決まっている。皆んなして、もうこれ以上私を苦しめないでほしい。元夫にこの件をメールする。「…そちらが離婚したくてして招いた問題で、私は親と関わりたくないからこのまま少しでも距離おいていられるように知らん顔しておきたい気持ちは尊重してほしい。その上でお母さんとうちの親のやり取りはどうするか話しあってください。私がどうにか親から逃げているのにこれを機に近寄らせるようなことはしないでほしい。それだけ。」


11/23
昨夜は腹痛でまいった。前からたまに入浴後に起こる腹痛。そのタイミングで猫もバタバタして床でうんちをするし、青ざめながら救急車覚悟でどうにか子を寝かせて、私もぐっと堪えてるうちに、寝れた。寝たら明け方6時に目が覚める。腹痛は治っていたけど、気がつけば子が咳き込みだして、鼻声だし風邪の予感。しかし祝日。天気も良く、思い立って水族館に行くことにした。サンシャインの水族館、予約をしないといけない。そんな朝から猫が今度はカーペットに吐いてしまい、洗濯やらでてんやわんやしているうちに予約できたのは午後3時の回。仕方ないけど、買い物なんかをその前にして最後に水族館をみて帰る今日の計画を考える。
昼、まずはミルキーウェイ。混んでいたらやめようねと子も分かってくれていたけどすんなり窓際のよい席を案内されて時間にも無駄なし。パフェと何か食べ物をと思っていたけど子がどうしても星形グラスのドリンクを頼みたがって、これはだいぶ大きいですけど大丈夫ですか?と店員さんに心配されながらでもあったし予算的にも、そのドリンクとパフェひとつを二人でシェア。下に敷かれたランチマットの紙に描かれた星座を見ながら自分のはこれで、私のはこれで、とこういう時に子のなかではいなくてもしっかりお父さんもメンバーに入っている。いじらしくてこちらが辛くなる。
サンシャインに移動。相変わらずの賑わいに見えるけどハンズが閉まっていたり少しずつ変化が寂しくもある。靴下やルームウェアの店で買い物、意外とレジが並ぶなぁと思っていたら、いまLINEのお友達登録をすればこの場で使えるクーポンが当たるかもしれませんよといちいち案内しているのだった。私も流れでやってみたら抽選で800名に当たるという500円オフクーポンが当たり、店員さんも流れで案内していたなかで当たりが出たものだから、一瞬でも地声になって驚いていた。出だしからラッキーな買い物。キッズメイクセットを探しにトイザらスを覗くとあった、子ども用アイシャドウ。マスクで口を覆われるいま、子はアイメイクをしてみたくて一生懸命だった。週末のトイザらスこちらも行列、並んで購入。いつものサンキューマートも土地が違えばある物も違う。前から私が探していたトートバッグが誰に注目されるでもなくひっそりと売られていた。フロアの中心には今のイベントのひとつとして座って絵本を読める広場ができていた。そこで時間を潰していざ水族館。混雑はしているけど子は隙間をついて水槽の前に顔を出してよくよく見れていた。屋外のペンギンに盛り上がる。子は勢いつけてあっちこっちと走り回っていた。都内のこれといって特別なところへ来たわけでもないけどつい、お土産なんていってショップをみたくなる。カワウソの絵柄がついたパッチンどめ、これなら可愛くて実用的だから良いと思って買おうかというと、子はペンギンのぬいぐるみを手にとってどうしてもこれがいい、これじゃなきゃ要らないとのこと。ぬいぐるみでもリアルさに欠ける可愛らしいペンギンが私としてはちょっと不満だったけど、せっかく来た思い出に買うことにした。二人の思い出で塗り替えていかなきゃならない。他には誕生石のカラーで出来たイルカのブレスレットを買った。大満足でサンシャインを後にする。私が買い物したくてサンリオショップに寄り道。レース編みで出来たキティの手提げバッグが欲しい。何色かあるけど黒か赤。黒はヨシキティ感が出てしまうような、でも赤の発色があまり良く無いからやっぱり黒か。友達にも写真を送って悩みながらも黒に決定。20年後も使っていたいからもっと欲しい気もする。タカセのパンも買って帰り。値段こそ少しずつ変わってしまっているけど20年前と変わらぬラインナップで、しかし毎度同じものを買っているように思う。良い一日。しかし元夫からは楽しいこと意外の話にはリアクションがない。真剣に話すとサポートするの一言ばかり発せられるけど、昨夜のような私が崩れている時にこそ誰かの声があって欲しい。私の腹痛は仕方ない。ただそれによって子どもと猫と蔑ろにするしかなくなる状況の私の罪の意識は重い。猫も子どもも、相手にされずに一人で過ごすことのストレスがどこかに溜まり、それでさらに扱いづらくなるということもある。私ひとりで子ども、猫、周囲と、あちこちに気を遣ってなきゃいけない現実。子が寝たら猫だけを気にすることはできる。寝てても起き上がって追いかけて追いこんでどうにか鎮めて、ただ身体はとにかくキツい。それを愚痴ると元夫は、病院に連れて行くよとしか言わない。だからその病院の後の処理を続けていくのは私なわけで、結果なにも楽にならない。辛い、そう叫んだ時にやってきて痛み分けをしてもらえる、それが私の望みだけど、そんなことはもう聞いてもらえない。じゃあどこをどうやって軽減するか、猫に吐かれてしまった布類を処理することに囚われるのでなく、さっさと買い替えられる経済的余裕を与えてもらうしかない。本当は誰かの支えてくれる言葉があれば乗り切れるような、そんな単純な日々のはずなのに、誰かの言葉こそ何よりも手に入りにくい。


11/24
パートの日。朝からいつも遅番の子やマネージャーが来ていて慌ただしく今日は何か特別忙しいのかなと思っていたら、開店前からカウンターに、すみませんと品の良い感じのおじさんがやってきて、どうやら本社からの監査とのこと。私はまだ見習い中なので関係ないけど他皆んなは一人ずつ控え室に連れて行かれ聞き込みをされる。本当はあそこの鍵はいちいち締めなきゃならないんだとか、こういう時はどうしてるって言った?と皆戻ってきては確認作業に鼻息を荒くしていて、マネージャーもこちら側の人間として何を責めるわけでもなく、むしろひとつの敵のおかげでみんながひとつになる良い雰囲気になっていた。
園のあとは図書館。図書館のあとは歯科。家の前で元夫に会う。新しくインテリア用品を持っていて、そんなお父さんの新しい生活を子どもに見せつけるのは嫌な気持ちがする。できるだけ子に気がつかれないようにさっさと別れて歯科、ついに子が抜歯する。緊張気味で良い子にしたまま全てが終わる。大人の治療のようにネガティブなことと違って本人にとって喜ばしいことだから、そのあともなんでもない様子だった。こちらとしては抜いたばかりの丸見え箇所がエグい。子はもらった歯をパケから出しておもちゃ箱にあった蓋がついたケースに自分でせっせとセットをしていた。一部始終をみていた私に何度も歯の確認をさせる。他に見せびらかせる人がいないのが可哀想になる。お父さんだって自分から声かけてまで気にしてくれない。ひとりでも何度も歯を取り出して何かしていた。
今日の有吉の壁が面白い。前まではテレビを面白がる余裕もなくとにかくさっさと一日を終えようとしていた。ひとりの自由時間が欲しかったのだろうと思う。それでも何がしたかったのかは分からない。今はなんとなく明日に向かっていくのがしんどい。テレビから目が離せないまま時間は過ぎていく。
ふとしたとき、ともに生きていく理解者がいないということに唐突に不安が押し寄せてきたりする。元夫は自分はずっとそうだったんだと被害者ぶるけど、その全ては彼の人に共有しようとしない性格のせいではないかとは思う。声にしていないのに、なんなら誤魔化そうとしているのに、察して分かってくれとは無理な話ではと私は思うけど、どうしてもまっすぐと外に吐き出せない人間がいる事実もわかるにはわかる。単に私達の相性がよくないんだろうなという諦めもどこかにはある。でも子どもの存在を思った時にやっぱり自分一人ではどうにもならない場合にいちいち辛くなってしまうのは悔しい。そういうことを私は元夫に吐き出し続けている。それは私と彼の関係外の問題で、それなりに彼も考えて感じてほしい。それを言い切ったらまた一時的にでも気持ちは軽くなる。あちこちオードリーなどテレビを観て過ごす夜。


11/25
子は朝からまた歯を眺めている。そんなに思い入れがあったとは。今日はサークル日。園のなかのひと部屋で絵本についてあれこれ話し合う。テーマはとくに決めていなかったけど前回に引き続きLGBTQや多様性を意識した絵本や、実在する人の実話絵本などが集まって、学びにもなる情報を共有しあえるこの幼稚園での活動にあらためて有り難みを感じる。これからは誰とどこで共有していけるのだろうか。
迎え後は公園。落ち葉の山を作って盛大に遊ぶ。こんな光景をみるだけで浄化されるものがある。
夕方、実家から荷物が届く。食べ物は有り難いけどそのあとの連絡が毎度のことながらストレス。こちらにはこちらの生活リズムもあるのに、たいして話をするわけでなく、ただ孫の様子をみたがって電話を繋ぎっぱなしにしようすることにイラついてしまう。何か教えたり世話をしたりするわけでなく、ただ可愛いものを見つめていたいだけのおばあさんなことが憎い。この母親がそうしていちいち裏方をサボってきた結果で私が「暮らし」の在り方が他人よりよく分かっていない人間になってしまっているのかもしれない、と思ったりする。いま私が自分に根本がないことに気がついて、家を維持することに四苦八苦しながらどうにかしているこの環境を、さも何もせずそこにあると思っているような、相変わらず自分ペースの物差しで絡んでくるところがまた憎い。暮らしていくだけでこんなにやることがあるはずなのに、なんで母はそんなに何もせずいられるのかとイラついてくる。私の記憶のなかでの母は年がら年中自分の妹や母親、私のおばあちゃんと何時間も何時間も電話をしているような人だった。長男である父の両親の顔色伺いながら古い家で同居して、週休二日分も休みなく勤め続け、家での暮らしに関心など持てるわけないのも分かるにはわかる。お母さんは座る暇なく動き続けなくてはいけないとか女性だからって家庭的でなきゃいけないわけではないし、今はそれを認めてくれている世の中にもみえる。でも実際そうして蔑ろにされている家で暮らしの根本のみえない環境で育ったら、いざ自分がひとりの人間として生きていく時に基本的な知識というか常識というか、価値観というか感覚を持ち合わせていないことで今そこから正そうと身につけていくことの苦労があるし、元夫からも言い争いになった時はその点を何度と突っ込まれてきた。女性なんだからとは言わないものの、さらに最悪なことに人として劣っていると言われているようだった。そのことを思い出すと、私が家庭というか生活というものを自分じゃない他の誰かと共にすることがもう恐怖でしかない。だからそんなことになってしまった自分の育った環境を呪ってしまうし、なおも理解できていないような親達を目の当たりにすることで怒りが止まない。女性だからってあれをやらすなこれをやらすなと声をあげている人達に限って結局はきちんとできている現実。「名前のない家事」と言われるような感じで生活そのものにも「名前のない暮らしのあり方」があるとして、それぞれのやり方を尊重された自由な世の中のようで、元夫に限らず結局は皆、その何かがなんとなく整ってくれている居心地を最良として、それはやっぱり女性なら当然だろうとどこか期待しているものなんだろうと思う。私も母に対して求めてしまうように。


11/26
保護者会。担任がいなくなってから年中クラスをみていた主任先生が兼任していて、私はむしろ良かったなと思ってしまっているところがある。しかし先生はいちいち私達に申し訳ないと言い、そしてポツリポツリと話し始めた衝撃な事実。その元担任はすでに荻窪にある幼稚園に再就職していたのだ。相変わらず住まいはわりと近くのために今後も街で会ってしまうかもしれないし、保護者には事実を伝えようと思ったと先生。ショックをうけている母達もいた。子ども相手が嫌になったのではなくやっぱり職場環境がキツかったんだろう。そう思うとこのやり方で今ついてきてくれている先生達になおのこと感謝したい。
今日は引き取り訓練。災害を想定して園からメールが届いてから徒歩でお迎え。そうなると皆到着がバラバラで各々帰るから公園には寄らないかと思いきや誰かいるかもしれないから公園を回って帰ると言い出す。先にひとりクラスの男の子がやはり帰り道に寄り道しただけのようにしていた。みーちゃんがこの週末で引っ越しをする。片付けが最後の追い込みのはずだから、思い切ってみーちゃんにはうちに来て遊んでもらおうかとママに連絡をすると、片付けは落ち着いてるから公園で遊ぶよとのことでやってきて二人で落ち葉や小枝をつかって遊んだ。公園遊びも寒くなってきた。4時過ぎ、いつものママ友と連絡をとってプラザへ。ママ友はクラスの荒れ狂った男の子の存在に悩まされている。平和主義で空気をよまない(まだできなくて当然だと思うけど)子と、すでに小学生の陰気な悪ガキ風情のある子の相性の悪さ。第三者の先生にどうにかしてもらうしかないよねという話。
親からメール。元夫の母から芋を送ったお礼の電話がきたけどなんだか元気がなかったから孫の声でも聞かせてあげてくださいとの余計なお世話。残念だけどそれは無い。というか元夫の母も、もうメールで済ませばよいのになんでわざわざ電話をしてしまうのか。自分らの作ったしきたりに苦しめられてりゃ世話がない。うちの親、散々いつもの流れのルールを気にして騒いできたくせに結局先に贈りものしたのかという、もう何がなんでも続けていかなきゃいけないその意地はなんなんだ。


11/27
なぜか付与されているメルカリのポイントが500円分もあるからどうにか使いたい。そんな時に限って程よいものがなく、ハム太郎の小さなマスコットぬいぐるみの種類でマフラーちゃんの新品が出ていて、迷いながらもタイムリミットがあるためそれにしてしまった。
お昼ごはんは自分でお弁当を作りたいと言い、ウィンナーに切れ目をいれたり、にんじんグラッセを作る手伝いをさせておにぎりも握る。満足して食べていた。
今日は寒い。予定もなくイベント的にトリアノンに行くことにした。週末のアフタヌーンティーはぱっと見混んでいるようでタイミングよく窓側の角、上座ともいえる特等席を案内されて、これはもうパフェとかプリンアラモードとか特別なものを頼む意力も高まった。ところが子は今日に限ってふつうのショートケーキを食べたがる。このシチュエーションを大いに満喫するためにはもう私がフルーツパフェを頼むしかない。周りを見渡すとけっこうフルーツパフェが行き交っていて、これは人気なのかもしれない。二つ向こうの席にプリンアラモードが運ばれていくのがみえて、これは思ったよりも小さくパンチがなく、やっぱり次回も頼むことはなさそう。対してパフェは納得。昭和風情。鮮やかな緑のソースが作り物のようでやけに可愛いパフェ。意外にアイスが美味しかった。子はテーブルの上にペンギンのペンタくんと名付けたぬいぐるみを出して、話しかけながら自分の頼んだケーキと結局はパフェも頬張った。水族館のぬいぐるみ、子にしてはなかなかブームが長い、とても可愛がっている。これまでぬいぐるみとか私が買ってくれたことあったっけ?と言って喜んでいた。確かにいつも父親が一緒で、私も同意のうえで買うに至っていても全ては最終的にお金を出す父親だけがやっていたことに子にはみえていたのだろう。私の買ったぬいぐるみ第一号というのもあって気に入ってくれているようにも思えてきゅっとなる。子は成長しているはずの今の方が、というか以前にはなかったような甘えかたを私にするようになった気がする。それは異常でも過剰でもないのだけど、思えば子はそんなにむやみに甘えるような子ではなかった。今は違う。私しかいないというのが肌でわかっているのだと思う。そんな週末、元夫つまりお父さんは連絡もつかないしまるで何をしているのかもわからない。私達はいつもいつも二人でしかいることなく、そんな辛さが爆発してとまらなくはるタイミングはこういう週末にやってくる。元夫に、普段あんなに四六時中スマホをみているのになぜ私からの連絡は既読にすらならないのか、あえて無視をしているとしか思えないのが辛いとメールで突っかかる。タイムラグがあり過ぎてほんのちょっとしたやりとりすらもうまくいかない。仕事していたなどと言い分があるのだけど、その仕事だって人とやり取りするにあたりスマホは欠かせないわけで見るタイミングはいくらでもあるはずなのに。私が人とのコミュニケーション不足で一人だけのリアクションを待ち構えているから、多数の人と交流しながら時間がすぎている元夫とコミュニケーションの重要度が違うのだろう。それならそれこそもっと気軽に対応してもらえたらいいのにと思う。


11/28
ぐんまちゃんの日にはホットケーキというのがいつのまにかお決まりになりつつある。森永のホットケーキミックスは普段のお買い得品とは違ってなんか混ぜやすいし焼き上がりがきれいな気がする。
今日は区の施設でやっている子ども工作がある。少し早く出てサイゼリヤでごはん。久しぶりに来て食べたパスタは皿が木製っぽいデザインのものに変わっていた。サイゼはこの味でみんなで食べても安心の会計というのも魅力のひとつなわけで、子とふたりでちょっと食べるだけならどこで食べても変わらなくなってあまりサイゼにこだわって来る必要もなくなってしまったような。まだ時間に余裕があったので2000トイ前のおもちゃフリマを覗きに行くけどまぁいつも通り特別なものは無し。施設へ移動してクリスマス工作。紙コップをベースに紙ストローや紙ナプキンを使ってトナカイの飾りを作る。出だしから躓いてモタモタしているとスタッフのおねえさんの一人が結局最後までつきっきりで子をサポートしてくれた。物静かなクールな態度で一見子ども相手には不向きそうなんだけどそういう人の方が案外子どもは惹かれたりする、そんな感じの人で子は追いつけ追い越せの気持ちでセンスが磨かれたのではないかというトナカイが仕上がって満足していた。すぐ近くにお父さんが住んでいることを私は知っている。連絡をとると施設の表に出てきて子どもと少し顔を合わせる。私が誰に気遣う必要もなく子を野放しにできる一瞬で息を吐く。これだけのことでこんなにリフレッシュできるのに。私はつねに張り詰めている。元夫の方はそれはなんでもない時間なわけで早く仕事に戻りたいという空気を漂わせ解散。ファミマに寄り道するとたべっ子どうぶつのクジがあり子がやりたがる。景品をざっと見て心底いらないやつもあるけど、邪魔になるほどのものでもないし、じゃあやってみるかと一回購入、A賞。留学生のような店員さんが表情ひとつ変えずにさらっとそちらからお取りくださいみたいなことを言って早々と私達の会計の番は終わってしまった。と景品置き場を確認するとA賞、巨大な馬型のクッション。大当たりだった。びっくり。子とふたりテンションあがる。勢いでマックのナゲット15ピースを買って帰ることにした。子はふわふわのクッションの上に無理やり座ってナゲットを食べた。
元夫の母からリンゴを送りましたとメールがきた。元夫が言ってくれたのか。会話もできない人なのに電話というのが苦痛だっただけで、文章としてくるメールのメッセージにはすぐに返信もできる。ありがとうございます、でももう私達に気遣わなくていいですよ、と返しておく。


11/29
12月分の園全体の保護者会日、二部制。登園後すぐのグループだったけど私は絵本の片付け作業があるから後半の人と交代していた。そうして参加した保護者会、話のメインはクリスマス礼拝のこと。アドベント週間にはいった。イエス誕生を待ち望む4週間。クリスマス礼拝で子ども達はイエス誕生の劇をやる。役を決める前から皆んなが色んな役を交代で練習ははじまっていて、子もお風呂でよく台詞をつっかえながら繰り返している。どうやって教わっているの?と聞いたら、教わるというか思い出しながら言うだけ、とのこと。基本この劇は年長クラスに台詞のある配役がされて、下の子達はその練習をずっと見てきて憧れも相まって自然と覚えていく流れができている。確かに子も去年からふわふわ言えていてすごいと思ったものだけど、今年はふわふわとはいかない。本当にお役があるのだからきっちり言えなくてはいけない。上に兄弟がいる子は長いことそれに触れているからもちろんのこと、前回DVDを購入した子もいるからか、皆んなよくできていますと先生は言っていて、私は内心焦る。礼拝はコロナ関係なく毎年のことながら2チームに分かれて一日ずつ行う。自分が出ない方の一日は休みということになる。先生は、いまここにいるメンバーでやることになりますと言っていて、となるとうちは後半で二日目ということなのか、はじめに割り振られていたチームでやるのか。どうなるのやら。
午前保育で公園でみんなでごはん。今日は小学校内の学童をクラスのママと見学に行くことにしている。未就園の頃から一緒に児童館のプログラムに通って付き合いが長い人。彼女は一貫して児童館の学童を希望しているけれど、一応校内のも見てみるかとのことだった。児童館の学童はもうひとつの学校の生徒が主で、こちらの学校の子は肩身が狭くなるだろうというのが気がかりなところである。公園で食べて遊んで一時過ぎに見学に行くからということで解散するのが良い流れだと思ったら、子ども達が揃って見学のあとまた公園に戻るといってきかない。ひとまず学童へ向かう。一歩足を踏み入れた途端に不安になってしまった。間続きの部屋が2つだけのプレハブ小屋。校庭を使えるのがメリットだとのこと。室内にあるものは一年目だから全てがピカピカ、なんていうどころか一年目だからか、それはそれは物が無さすぎる問題。部屋の一角に区切られた読書コーナーを見るとコロコロコミック的な少年誌とそんな感じの漫画がいくつかあるだけ、その侘しさは病院の待合室のようで辛くなる。そこのリーダーとおぼしき青年が案内しますとやってきた奥のもうひと部屋は、スタッフも過ごす場所とパーテーションで区切られているだけでインスタントカップ麺の残り香が漂っていた。これは無しかもしれない。ぱっと見、玩具もないし絵本もないわけで。いくら屋外に出れないとしてもこれなら児童館の方がマシかもしれない。そう思いはじめて半ばうわの空で話を聞いた。校内にある安心感という以外のメリットが今のところ皆無。一方児童館は昔馴染みの環境と運営という意味で安心だけど同学校の子がほぼいない少数派になってしまうのが引っかかるところ。どっちか。公園に戻ってからもママ友と話し合う。彼女は児童館は生馬の目を抜くようなところだと分かっていながらも、だからこそ子も強くなるかもしれないしという期待と、学校外の世界があることを分かっておいて欲しい考えは変わらず、うちは一人だとしてもやっぱり児童館だと断言していた。
公園からの帰りのあしでパート先に。就労証明、もしかしたら店の判子をポンっとつくだけであとは適当に出してと言ってもらえそうだなと軽く考えて店長に会いにきたけど大誤算。あ〜そういうのは本社に連絡してもらえますか〜と一刀両断。これはまずいことになった。でもとにかくやるしかない。帰って頭のなかを整理して、子に今から電話するから話しかけないでねときちんと伝えてから思い切って聞いてきた本社の番号に連絡する。と女性が出て一から正直に状況を話してみる。女性はとにかく現状のことしか書けないので今の労働基準じゃないことを書きたいなら店長なりマネージャーなりとあらためた条件で雇用契約をしてもらわないと、と話が大きくなってしまった。でもめげずに4月からという話でも交渉できますかね?と聞いてみるとと、あぁそういうことならとため息まじりに、直近ならいいですけどそれは無理ですね、やっぱり今のことしか書けない、とクレーマー扱いのようにめんどくさそうに言われる。考えますと電話を終える。どうしようどうしよう。保育園の入所のように就活時間の猶予は無い。いますでに、でなくてはいけない。でも今すぐ預かり保育をフル活用しながらパートなんてマイナスにはならないにしても時給にして500円、フルといってもうちの園はそんな前提ではないから預かりは短時間だし不規則、その調整には手こずりながらの500円。なんなら今から冬休みがやってくる。どうしたものか。今日のママ友に泣きつく。落ち着いて考えると週にしてあとたった一日4時間分あればよく、このママ友きっかけにやっている執筆仕事をそこに当て込められればいいのだけど、小学生の子がいてすでに学童利用している別の友人が直近の証明じゃないと有効じゃないと言っていたことを思い出して頭がいたい。その期間にあたるこの数ヶ月は家庭のバタバタに頭をもっていかれて身体をつかう以外のことは一切手につかなかった。ママ友は、おかしい!世の中のシステムが働く意欲のある母に優しくない!と怒って、学生になる手段やフリーランスの登録制サイトを教えてくれたり、親身になってくれた。人に理解されただけで自分がクールダウンしていくのがわかる。まぁ最悪、学童いかずに子の過ごし方が安定してきてから長時間働けばいいのかなとか思いはじめていた。そのために給付金があるのだと考えてみる。本当に、働きたいけどまずは子どもの暮らしに付き添いたい気持ちが一番にある。自分ひとりで立っていた道を一度降りてここまでやってきたのだから、せっかくだからこの道は最後までやり遂げたい。幼稚園に集まれと言われたら集まって、皆んなで遊ぶ子どもの社会を見つめて感じる。一方、元夫にも同じように報告をしておいたら真夜中に、他の仕事決まらなそうなの?と返信がきていた。どっちらけ。決まらないもなにも、今の私にいつどう働けというのだろう。


11/30
パート。なにかと気が重い。社員さんと仲のよくないパートさんで必要以上の口を聞かないから今日の現場は静かでむしろ私にはちょうどよい。淡々と終わる。パート終わりに家に寄ると元夫が作業をしに来ていた。こっちの家の方で通っていた歯科に行く予定でもあるらしかった。
迎え。先生に呼び止められる。クリスマスの礼拝のやりたい役を三つ選んで先生に伝えたというのが昨日のこと。その前日まで、日々お風呂で考えて考えてやりたい役を選んでいたけど、そのうちのひとつをなぜか言えなかったとかで昨夜のお風呂で泣いた。今日一応言うだけ言ってみたらいいじゃないと助言したのだけど、その今朝、登園した時には配役が決まってしまっていたとかで、子は大泣きしたと言う。そのやりたかった役とは大天使ガブリエル。マリアと二人交互にソロで歌う場面があり、なかなか重要な役である。つまり一人、2グループで二人しかいない。一応先生はその二人に交換できるか聞いてみてくれたようだけど二人とも譲らなかったとのことだった。なんで昨日言ってくれなかったのかしらねぇと先生は少し呆れ顔しながら、でも他の役でも上手に出来てますので、と笑って報告は終わった。毎年そういう子はいると兄弟がいるママが言っていた。本当にやりたい役は恥ずかしさから言えなかったりするらしい。大体はマリア役がそうなる。でも今年はわりとマリアこそ堂々と希望した子は多かったらしい。我が子もマリアをあげていた。そうか天使じゃないのかー。少しがっかりしてしまう自分。でも子はもうケロリとしていて、大天使に思い入れが強かったのは私の方かもしれない。マリアと二人でうたう歌が良くて、二年前はじめて見た時から我が子にやってほしいなとどかで思っていたところがある。まぁ子がその与えられた役で納得したならいいか。いつも通り公園へ。3時過ぎ、一度帰ったクラスのママが去年のクリスマス礼拝のDVDを持ってきてくれた。うちは完全に記憶だけだったから慌てて去年DVDを買った人に貸してほしいと声をかけていたのだ。これで子も少し練習ができるだろう。
帰ると元夫の姿は無く、作業途中のものが外の通りにも出されたまま。歯科に行ってまたくるのかと思いきや、夜になっても戻ることなくそのまま。イラついていたところに友人から久しぶりにLINE、高円寺に行くからお昼でも一緒に食べますか?と、人からの誘ってもらえるのは嬉しいけれど今の私はいつでも子ども同伴になるので、手放しにそれでは会いましょうというテンションにはなれない。この人はうちの離婚を知っている人だけど、当たり前に家族がいる人は一人の時間がないことは想像できないものなんだなぁと悲しくなる。その現実にスマホを片手に無表情になっていると続いて、もう別居した?元夫が最近解放されちゃってるねとのメッセージ。なんのことだ?SNSを頻繁に更新していてひとりになった開放感が出てるとのこと。相互フォローだったけどこちらからしたらなんのアクションもなくて、ちゃんと自分の状況を踏まえて慎んでいるのかと思っていた。まさかブロックしていただけとは。私の前に現れる時はいつも疲れ果てたような死んだ目をして忙しいとしか言わなかったけど、実は裏ではそんなことになっているのか。人がみて開放されてると思うような奔放な内容でアップしていることで私が人から心配されたり哀れに思われるようなことになっていたら悔しくてたまらない。そら見たことかですでに今それが起こっている。怒りに震えながらも弱みを握ったような余裕さをもって文字は冷静にLINEをした。何をするにしても言葉をもって人に伝えていれば堂々としていられるのに、どうしてこうも彼は語らずにごまかそうとするのか。私には本当に何年経ってもこの人のやり方や意図が分からなくて、これが相性というものでつくづく合わないってことなのかなぁと、なんでこんなことになっているんだろうと培ってきたはずだったこの数年の年月を思って心底がっくりくる。