どうにもならない日

こんなはずじゃなかった2020年からの生きる記録

2021年9月11日〜9月12日

9/11

ツイッターを眺めていると懐かしい人の写真と共に綴られていた文字にショックを受ける。高橋ヨーカイさんの訃報。私が二十歳そこそこの、高円寺の高架下の雑貨屋でバイトしていた頃のこと。ヨーカイさんは黒づくめの格好にベースを背負って、表の回転什器にかけられたお買い得サングラスを取っ替え引っ替え見ていて、私は接客のために声をかけた。サブカルのつめも甘い頃の私はもちろんその時はヨーカイさんを知らない。高円寺らしい変わったおじさん、それくらいの認識。それから何度とサングラスを買いにやってきて、たまにもう一人のバイト仲間を交えて話をした。流していた音楽をきっかけにだったかなんだったか、ヨーカイさんは自分のメモ帳に自己紹介を書いて渡してくれた。高円寺の路上に近い場所で働いていると、こんな出会いも特別なことには思っていなかった。全てがこんなもんだなという感じだった。いつか今日これからライブだという日があって、私はバイトの帰りに自転車で寄ってみた。この街に住みだしてから思い出したけどそれは東高円寺だったみたい。そこは今はもう無い。おじさんばかりのライブなのかなと思いきや、ガラの悪い若い人なんかもいて、私の思ったヨーカイさんの世界と違くて戸惑った。とにかく若い頃はよくおじさんに出会うと交流した。ボクシング界のOBみたいなサングラスおじさんも常連でその人の行きつけの駅前の渋い喫茶店に行ったりもした。ライブハウス前。ヨーカイさんを見つけて声をかけるともう出番は終わったとかで、結局私は入らずにその挨拶だけで帰った。なのでヨーカイさんのライブは見たことがない。バイトをやめてすぐの頃、引き継ぎだかでその店のあたりにいるとまたヨーカイさんに出会い、私はバイトをやめて次はマジックマッシュルーム(当時は合法)の売り子をすることを話した。ヨーカイさんはその高架下にあった小さなギャラリーの友達の展示にいくところだったらしく、とりあえず行こうということで同行した。ギャラリーにはヨーカイさんと違って普通のおじさん達が数人集まっていて、ヨーカイさんはマジックマッシュルームを売るんだってと私を紹介しながら、みんなでどこどこでバター焼きにして食べただとか思い出話をしていた。いま思うとあの人達も「普通のおじさん」ではなかったのかもしれない。盛り上がっていたからコソコソと逃げるように私はそこから退散した気がする。ヨーカイさんと会ったのはそれが最後。その後、クイックジャパンなんかを読みこんでいくうちにヨーカイさんが自分の関心のあったことと地続きにいることを知って、驚いたような納得がいったような。再び高円寺に出入りするようになって、ヨーカイさんに出会わないなぁと思っていたけど、晩年は北海道で暮らしていたとその訃報のツイートで知る。街に人が張り付いていた頃の話。今の高円寺にヨーカイさんがいる姿は想像つかない。写真のサングラスも、あの店の千円のサングラスじゃないかなと思う。ヨーカイさんが選んでいた種類、よく覚えてる。

過去の自分を探す。ママ友ではなくで自分ひとりで出会った友達で、同じく高円寺で一人娘のいる子がいる。お互い暮らしがあるから頻繁には会えていないけど、たまに近況報告をしていた。今の自分の状況も早く話したい、相談したいと思って連絡すると明日会えることになった。子には友人の子と遊ぶかお父さんと過ごすか選ばせる。はじめは一緒に行こうかなと言っていたけど、お父さんとトリアノンに行ったりしたいとも言い出して、それでもいいかと思って元夫に伝えたけど、よく考えたら珍しく一緒に過ごすのにそんなただのご褒美みたいな時間になるのはやっぱり納得いかなくて、自転車の補助輪を外して練習させてほしいと言っておいた。そしてお父さんにも見せるということでやはりランドセルを背負いたがるので、もう一度箱を開封。試しにタブレットを入れて重さを確認させる。重いけど大丈夫といって家の中を歩き回る。お父さんに見せるように急かしてさっさと仕舞う。指示通りにベルトをひっくり返して鞄を包み込むような形にして厚紙を挟んだりして保管。春までこのままになるだろう。

子が絵本の「かしこいポリーとまぬけなおおかみ」の話をしだして、そういえば私はそれを読んだことがない。気になるから読みにいこうと貸出可となっている中野の図書館へ行こうと家を出る。まずはマルイに寄って最後のキャラクター雑貨屋の催事に行く。1ヶ月ほどやっていたお店、明後日で終了。子も最後とばかりにあれこれ熱心に見る。やっぱりこれくらいチープなダサい感じが子ども心にはちょうどいい。最近は100円ショップですら洗練されているから心が早熟になってしまうのが面白くないなぁ勿体ないなぁと思う。これくらいのレベルの店が普段のちょっとしたご褒美に欲しい。自分の買い物もあって他フロアも見る。手芸屋さんでなぜか子のテンション上がって、ちりめんのハギレを見つけるとこれでシルバニアの着物を作るんだといってきかない。どう考えても出来る気がしない(やる気になれない)けど熱意に負けてとりあえずハギレを買う。この店は夫が会員になってそこに集約させていたけどもう共有は出来ない。私も会員になる。こうして一つが二つになっていくのは、私が独立するきっかけではあるけど、それぞれファミリー割引のようなサービスは受けられなくなるのだから損だとも思う。久しぶりにカルディでも買い物。マルイを出るともう図書館の気分ではなくなってしまい高円寺へ向かう。週明けの面接に行く場所を把握しておきたかった。場所も申し分ない。もう自分が働ける気になっていた。パン屋さんに寄って食パンや丸パンのような冷凍できるものを買いたかったけど高くてプチあんドーナツを買って退散。マックで飲んでみたかった月見シェイクを買う。和三盆きなこ味。マックらしくない柔らかな味。美味しい。薬局の前に自転車を停めて、子に小銭とポイントカードを渡してトイレットペーパーを買ってきてもらう。側から見ているとニコリともしない固い表情で必死さを感じる。普段私とレジで会計の時はなぜか無駄に喋り続けている緩んだ態度だけど、ひとりだとまだ緊張感がある。たったこれだけで会計が随分と長いような気がした。買い物を終えて子が駆け戻ってきて、買ったよとトイレットペーパーとシェイクを持ち替える。ドラえもんがはじまるくらいに帰って、いつも通りの夜。ここのところ、お父さんが家から居なくなったら、二人で夜もだらだらテレビ観たり子どもビール飲んだり楽しく過ごせちゃうねと、二人の暮らしを楽しみなものに意識させている。そうなったらまずディズニーランドに行けちゃうよとも。子どもにとってディズニーランドは印籠のようなもの。それが目に入るともう平伏す以外にない。

 

 

 

9/12

日曜の朝は「おとうさんといっしょ」がやっている。習慣で点けているだけだけど、今日は「父山(とうさん)のぼり」という子どもがお父さんによじ登る触れ合い遊びをやっていて、子がそれをじっと観てから、お父さんなんてフーン、あっちいけ〜だよ、と自分に言い聞かせるように声に出していて、このたくましさを鵜呑みにしていいのか、可哀想にと手を尽くしてケアしないといけないのか、私には決められない。ともかく今の空気には疲れた。別居に振り切る決意表明として義母にお金のこと、子とはもう二度と会えなくなるということを話してやりたくなった。少しでも多くの友達の意見を聞いてからにしようかと思ったけどもう堪らなくなって、マサコさんにLINEで相談しながら意を決して、子がテレビに集中している間に朝から義母に電話。今日は報告があります、と話しだすと絶句していた。そりゃそうだ。義母は、もちろん支えますよとだけは即座に言ったけど、私が涙ながらに話し尽くすと、今は何とも言えない、時間をください、とのこと。終始、なんで判を押してしまったの、離婚してしまったら終わりよと嘆かれたけど、そんなの私にはどうにもできなくて、あなたの息子のせいでしょうとしか思えない。言われるがままに離婚はしてしまったから、とにかくお金の補償はしてほしいというだけです、と最後に私は心を無にして伝えて電話を切る。少しスカッとした。人間関係はお金に変えられないけど、一度できた関係を一方的に切られることを納得するには結局はお金になってしまう。

昼、起きてきた元夫にもお義母さんに伝えたこととあらためて条件を伝える。力なく頷きながら小さい声で子どもに会えなくなるのは寂しいなと言って、子においで、と抱っこのポーズをしたけど子が私をぎゅっとしてそっちにはいかなかった。正直ざまぁみろと思う。でもその次の瞬間には、こないだたんぽぽで買った105円の服を着せてみたら、お父さんにも見せてくると行って駆け出すものだから私は泣きながら怒った。もうお父さんはいつもすぐ側にいるわけじゃなくなるんだからと言って、写真に撮って送るからねと、今はまだ同じ家にいながら写真で伝える。私なりに心の準備をしているのだ。

雨が降りそうで降らないおかしな天気。一応洗濯物を取り込んでいこうかなどと、会う前から友人とやり取り。2時半から3時で適当に待ち合わせ。歩きで行こうかと思ったけど天気がなんとかもってるから自転車で向かう。少し早かったから西友でお茶を買っていると友人も早速向かってくれているようだったからついでにお茶を買っておく。落ち合ったら歩きながら本題。非常に驚きつつも、夫の性格や出身地が近いといえば近いだけに県民性を分かって判断すると、分からなくないということで、そういう家族に向かない人間っていうのがいるよねという結論に至った。友人の夫もそういう人間で、そこの家は冷静に話しながら別居の話を検討しているとのことだった。子どもは小学生女子なこともあって、普通に父親と二人は恥ずかしいと思うようなところもあるから、パパがいなくても同じ気もするという。でも例えばご飯を食べに行った先で、お父さんのいる他の家族を見たら、娘は胸に手をやりながら「ここがチクリとする」と言っていたらしい。もう嫌だ。なんで子どもがそんな思いをしなきゃならないのか。自分の存在が子どもにはどう影響するのか考えられないんだろうか。我が子はそれを5歳にして体験させられるのかと思うと正気ではいられない。それだけ元夫が身勝手なことをしているというのを友人に理解されて私自身は少し気が晴れた。やっぱり人と向き合おうとしていない彼が家族に向かないのだ。私が料理の探究心がなく関心が薄いことを責められ、そうはいっても子は美味しいと食べてくれてると、こちらも不安を断ち切るようにどうにか胸を張ったら、子どもは他に知らないからだろと言われ、何があっても私の作ったものは食べなくなった。言われたことを真摯に受け止めたつもりで、でも少しイヤミもこめて「今日は土井先生レシピの味噌汁だから、よかったら食べて」と言った時は、別にそういう意味じゃないからと鼻で笑われた。これはマサコさんの言う言葉の暴力ではと私も心のどこかで思った。自分のせいなのかなという気もしてきて、そう思わされるように突いてくるのがDV。でも私が本当に基準値以下なのかもしれないし、それならさすがにまずいけど、そうだとして私が上達しなきゃいけないことを人に指図される必要もないはずとも思う。子どものいる暮らしで自分なりに努力しているつもりだったから、もうそんなことを言ってくる人間と関わらない方が自分にとっても良いんだろうけど、でも子どもの親として楽しくやってもいたはずじゃないかとも思うから、今が嘘みたいな毎日なのだ。

夕方、帰ると子の自転車も外に出されたままで、色んなものを買ってもらったらしく子はご満悦だった。自転車の補助輪は外せなかったらしく私の希望のようにはいかなかったけど、補助輪付きでも久しぶりだから少し練習が必要だったとのこと。そんな子の報告よりも友人はどうだったのと、自分が何と言われたのかが気になったようだった。少しさっぱりした私は自分は間違ってないし、とにかくお金は要求するだけ払うべきという話でまた元夫がキレて出て行った。もう私は子どもの前では穏やかにいることを誓っている。あなたは自分の思い通りになるんだから暗い顔しないで笑うように、とLINEしておく。

マサコさんから、元夫が友人の陽光くんにはこの話をしたようだと聞いて、男性側としての何か言葉があるものなのか、私も陽光くんの助言をもらいたくなってメッセージしてみる。寝る頃に返信をもらい、一度離れて時間が経ってから話した方が冷静になれると思ったから、物理的に離れて暮らしてみるのもいいかと思う、と夫と実際に言葉を交わした人がそう言うのだから、もしかしたらそれくらいの希望はあるのもしれないなと期待できるような心持ちになれた。頼もしかった。ホッとしたのに涙が出る。ホッとしたからの涙か。子がどうして?と聞いてきても、涙を流しているけどにっこりできる。友達が良いこと言っててねと言って笑う。ちょうど帰った元夫を私達は何事もなかったように軽い感じで「おかえり〜」と迎えられた。元夫の方も落ち着いていた。